赤龍のおつとめ
口火を切る。
右手を振って、ステップ、ステップ。
左手を振って、ステップ、ステップ。
一周回って、深呼吸。
これが俺のルーチンワークだ。
しかし、それももう終わる。
なぜなら、退職願を提出したからだ。
総務に確認したら、最低でも1か月前には提出するように言われた。
だから、数日前に出した。ゆえに、もう少しでこれも終わる。
もちろん、俺だって最初からこんな胸懐ではなかった。
入職前に聞いた話と実状の違いが、離職の決め手となった。
福利厚生が充実していると言われた。一般的なサービスに加え、ほぼ全てを網羅している、と。
保険──笑わせる。使えた例がない。
社宅制度──アホか。イコール職場だ。
財形貯蓄制度──どころか、就労中に壊した備品類が給与から天引きされる。
スキルアップ手当、慶弔金、休暇取得、その他補助もろもろ──申請書あり、実績なし。
食事は食べ放題と言われた。いくらでも好きなだけ食べていい無料だから、と。
食べるところもない。処理もされていない。丸焦げ。──食べる気になるか?
フレックスタイム制だと言われた。好きな時に働いて、好きな時に休んでいい、と。
アポなしで来る仕事をこなす。寝ているのを叩き起こされて働く。──それは自由か?
ワークライフバランスなど皆無。見事に、オンとオフが入り乱れている。
さらに言えば、常に圏外。まさに独房だ。
それやこれやに気づいたのは、ずっとあとだった。
はじめはルーチンワークではなく、自ら考え、率先して実行し、ちょっとした工夫だってした。ワークエンゲージメントは高かった。そう自負している。
でも今だから言える。一切合切、間違いだった。
それからというもの、自律性は不要であることを察した。
仕事内容が簡単すぎた。つまらない。
だんだんテキトーにやるようになった。その結果がこれだ。
※ ※ ※
〈ギルド参謀〉
私は冒険者ギルドで作戦参謀をしている。
ここ数年にわたり「赤龍」がダンジョンの奥に住まうようになった。
赤龍は、赤い鱗に身を包んだ大きなドラゴンである。炎を吐き、爪で掻き散らし、尾で薙ぎ払う。翼を器用に操り、吹き飛ばすだけでなく、重心移動やバランス保持にも利用しているようだ。
この赤龍を討伐すべく、上級冒険者たちを送り込んでいる。のだが、1人たりとも戻ってきてはいない。
原因は不明だが、一同揃って殺されているのだと推測される。私の失態だ。情報が不足している。
しかしある時から、幾人かが帰還するようになった。
その者たちの話によれば、同じようなパターンを繰り返すようになってきている、とのことだ。
そこで、討伐隊の他に、偵察班を同行させることにした。
偵察班は戦闘には参加せず、パターンを見極めることに専念させる。
その情報をもとに解析を行い、戦闘を有利に進める算段だ。
およそ3年。長かった解析が完了した。多くの犠牲も払った。
その結果がこれだ──。
1か月に1度のタイミングで眠りにつく。
攻撃はブレスからはじまり、右爪のひっかき。
回避行動の後、左爪のひっかき。
さらに回避、尻尾で間合いをとる。
最後にブレスと翼で追い風、炎上。
この流れを周知させ、隊列を組み直す。
適切な配置、適切な対応、適切な回復、抜かりはない。
さあ、ひと狩りいこうぜ!
ところが、赤龍は姿を消した。
その数か月あとから、炎の魔力を纏った魔石──『炎魔石』が大量に獲れるようになった。
炎魔石は価値も値段も高い。大きい塊はそのまま飾ったり、宝石に加工することもある。
冒険者たちは躍起になって集めた。これで一生安泰だと言って。
ある者は採った歓喜を表すため甘噛みし、ある者は頬擦りし、ある者は刺青のインクにまでした。
当然のことインフレしたが、それは些細な問題に過ぎない。
なぜかそれからというもの、街中が悪臭で騒然とする。消臭剤が飛ぶように売れたそうだ。
だが、それだけで終わりはしなかった。
パンデミックである。
原因不明の感染症により、人がバッタバッタと倒れては死んでいった。
それは、犠牲者のそれではない。無関係な者も含め、渦中の半数以上が絶命したと報告を受けている。
さあ、務めを果たそうか。
※ ※ ※
〈赤龍の現在〉
転職はうまくいった。最高だ。
俺は今、うま味の宝箱と名高い「大熊」の肉を掻っ喰らっている。噛むほどにうまい。
が、ときどき硬い。
さて、なぜこんな好待遇かといえば、それは俺の内部構造にある。
なんでも、魔石を食べると、体内で炎の魔力を付与でき、炎魔石として排出されるそうだ。
それもあってか、追加報酬がガッポガッポ入ってくる。
財務いわく、今まで以上に実入がいいそうだ。理由はわからないが。
一般的な龍の一生分は稼いだようで、いつでもいつまでも休んでいいと言われた。
ただ、俺はこの仕事が天職だと思えるほど気に入っている。美味しいものを食って、寝て、出す。それが勤めだ。
努めて平静に言おう──最高に幸せだ。
※ ※ ※
〈派遣社員〉
僕はマネージャーとして、清掃と運搬を取り仕切っている。
ある日から急に、仕事量が爆増した。ここ暫く、家に帰っていない。死にそうだ。
徐々にではあるが、サボりはじめる者が増えた。
例に漏れず、僕もその1人だ。派遣社員が中間管理職とか、おかしいだろ。
給料は一定で昇給もなし。手当ても、インセンティブもなしだ。保険だってない。
運搬は手を抜けない。だって──ある場所になければ、すぐバレるだろ?
だから、清掃業務を放棄した。
清掃は多岐にわたる。
最近で最も増えた作業が、魔石の洗浄だ。無知な僕だが、これが炎魔石であることは分かる。
それが排泄物に混じって大量に送られてくる。それを仕分けして、洗浄機にかけ、乾燥させて磨く。
そしてそれを、各設置場所まで運び、各地形に合わせて、出来るだけランダムに埋めるのだ。
そう。どうせ埋めるのだから、洗って磨く必要がない。──神託だと思ったね。
そりゃそうだろ。土壌には細菌がいる。つまり、分解してくれる。洗わなくていい。
設置場所には小石から大岩まである。傷がつく。つまり、磨かなくていい。
次に増えた作業が、食事の支度だ。
赤龍さまの食事だそうだが、かなりの量を運ばなくてはいけない。
そのうえ、食事に魔石を入れるのだ。これが意外と面倒くさい。
しかも赤龍さまは、3週間の覚醒、1週間の睡眠というサイクルで1日を過ごしている。そのため、朝晩関係なく連続勤務となる。正直きつい。
さあ、今日も社畜に勤めるか。