6話:危機一髪の救出劇
ワタルと暴龍天凱が魔法を使えるようになってから、体感では二時間半ほどたった頃。
ワタルたちは今、四十九階層と五十階層の間の、重厚な扉の前にいた。
明らかに今までの景色と違う、巨大な扉。
この先が重要な階層なのだということは明白だった。
「二人共、気を引き締めてね。一旦ここが終着点だよ」
「ここに、キツネたんの大切な人が……?」
「うん、そうだよ。このダンジョンに入る直前は、すごく強い魔物の反応があったから、心配だったんだけど……」
「……だけど?」
「倒しちゃったみたいだね!」
強いのではなかったのか。
「でも、地上に連れ戻すのは早い方がいいし……うん、ちゃちゃっと連れ戻そう!」
キツネたんが、扉を開ける。
「大丈夫──あれ、いない……?」
「え?」
だがそこには、その人はいなかった。
代わりに、機能を停止した精密な魔法陣があるだけ。
その他には、何も──
「あ、あそこ!キツネたん、地面に何か書いてない?」
「……あっ、ホントだ!」
何も無いという訳ではなかったらしい。
地面の文字に向かって駆け寄るワタルたち。
そこには、部屋の中心部分に、こう書かれて、否、刻んであった。
──サツキへ。私は地上へ戻ってるね
「えー!?先に戻ってるって!いつすれ違ったの!?」
「あー、残念……」
「というか、キツネたんって、本名はサツキだったんだね」
「サツキたんだな」
「そこにも"たん"つける必要無くない!?」
どうやら、最短ルートでここまで来たせいで、『ご主人』とすれ違ってしまっていたようだ。最短ルートで来た弊害である。
先に地上へ向かっていると言うので、ワタルたちも、入ってきた扉に戻ろうとワタルが踵を返すと、暴龍天凱が声を上げる。
「ねえ、あの扉……まだ先があるのかな?」
「あれ、さっきはあんなのあったっけ?」
入ってきた扉の反対側の壁。そこには、2メートル四方の扉があった。
鉄の板にネジを入れてくっつけた、とても質素な造りをしている。
先程まではなかった筈なのだが。
「へえ、ここってまだ先あるんだ。これで終わりかと思ってたよ」
「少しだけ行ってみようよ」
「あ、その先はホントに危険……」
ワタルと暴龍天凱が、扉に手をかける。その一歩後ろで、サツキはワタルたちを見守っている。
そして、扉が開くと……
「──ッ!?」
「なんだこれ、瘴気……?」
瘴気が扉の先から溢れ出てくる。
「何が先にあるのかも気になるけど、今はどうしようもないよね……」
「瘴気っていうやつも気になるしね」
「うん、取り敢えず今は地上に戻ろう」
果たしてこの先には、一体何があったのだろうか。
妙に心に残る疑問を抱いて、ワタルたちは地上へと戻っていった。
十三階層まで戻ってきた。商人の遺体があった場所。
一度通過した階層なので、気になるものは特にない。
その筈だった。
サツキが何かを感知した。
「……二人共、この層に人がいる」
「『ご主人』って人?」
「いや、どうだろう……かなり弱ってるみたい?今は止まってるみたいだけど──」
弱っている人がいるらしい。
弱っている為、感知しにくくなっている。なので、人物を特定することはできない。
そのすぐ後に、またも何かを感知して、サツキは戦慄した。
「あの人……魔物に囲まれてる……?」
その人は、魔物に囲まれていた。
力がない時に襲われ、息を潜めて隠れているのだろう。
だが、それもいつまで続くのか。
急がなければならない。
「サツキたん、早く行こう!」
「その人がもしかしたらそうかもしれない!」
「そうだね……うん、行こう!」
ワタルたちは、駆け出した。
ダンジョンの柱に寄りかかりながら身を潜めているのは、一人の少女だ。かなり弱っている。
「……ぐ……あとちょっとなのに……」
一、二時間ほど前、三人くらいの少年少女が通り過ぎていったのを確認した。注意喚起しようとしたが、体が思うように動かない。
魔力枯渇である。
少女は膨大な量の魔力を持っているが、魔力は少しずつ自然消費していく物だ。加えて、封印具には、魔力の自然回復を止める術式も組み込んであったので、そんな状態で三百年もの長い時間封印されていたことによって魔力が残り僅かだった。
魔力が枯渇し、激しい倦怠感に襲われる中、一人で三十五層ほど進むことができた時点で、少女の「外に出たい」という執念は生半可なものでは無いのだろう。
だが、運悪くそこに、魔物が出現した。
その少女は、先程通った少年少女たちが倒したが故にほとんど魔物がいないルートを進んできた。
そしてその時、少女は忘れていた。
ダンジョンの魔物は無限湧きであることを。
所謂、リポップである。
進むペースの遅い今の少女は、魔物が再び湧いてくる時間までに地上に辿り着くことができなかった。
その結果、今の状況に至る。
魔力も残り少ない。あと一回初級魔法を使っただけで、意識を手放していまうかもしれない。
いくら『隠密』──自分の気配を殺して敵から見つかりにくくする技能──を発動しているからと言って、魔物が自分を感知して襲ってくるのは時間の問題だろう。
だが、そんな緊迫した状況は、長くは続かなかった。
助けが来た?いや、違う。
遂に見つかったのだ。魔物に。
狼型の魔物だ。奴等が遠吠えをあげる。その音は、洞窟型のダンジョンの中によく響いた。
増援が来た。四体の狼に囲まれている。
逃げる気力も、体力もない。
魔法も使えない。
去る気配もない。
──終わった。
約三百年の間、封印に耐え続けてきた。そして、やっと逃げることが出来ると思った。
その結果がこれだ。
「……酷すぎる……」
微かに口から漏れ出た言葉。
それは、この自らの運命を非難する言葉。
同時に、その運命を渋々ながら認める言葉。
その言葉が襲撃の合図となったかのように、一体の狼が襲ってくる。
言う言葉は無い。否、言いたい言葉も出ない。
危機的状況の中、彼女の意識が朦朧とする。
周囲が色褪せて見えた。
同時に、封印される前の情景がフラッシュバックする。
学校で仲のいい友達と和気藹々と話した。
いい成績をもらって、友達と喜んだ。
家族と出かけて、たくさん楽しんだ。
(……あの時は楽しかったな……)
あの頃に戻りたいと、何度願ったか。
だが、結局最後まで、その思いは届かなかった。
狼が迫る。
少女は、覚悟を決める。そして──そっと目を閉じた。
(……せっかくなら……恋人作りたかった……)
最後に思ったのは、それだった。
色褪せた世界の中、少女はその時を待つ。
来世があるならば、次はもっとマシな人生を……
狼が少女に牙を突き立てる直前。
突然、狼と少女の前の地面が大きく盛り上がった。
狼が、盛り上がってできた壁に衝突する。
衝撃が強すぎたのか。壁が崩れると同時に、狼は全身を強打して息絶えた。
そして、二匹目、三匹目と、続いて向かってくる。
だがその狼たちも、少女に辿り着く前に、横から飛んできた高威力の炎の塊によって吹き飛んだ後、絶命した。
その炎は、とても見覚えのあるものだった。
何せ、三百年前から何回も見てきた魔法なのだから。
それは、サツキの放った炎弾だった。
「君、大丈夫!?」
少年の声が近づいてくる。顔はよく見えなかった。
その少年は、すぐに地面を変形させて少女を囲むバリアを作る。
それに続いて、小さな男の子と一緒に、見知った顔が駆けてきた。
「ご主人っ!!」
「……!サ……ツキ……」
状況の整理が追いつかない。
「ど、どうして……ここに……?」
少女がサツキの顔を呆然と眺めて、ふと思ったことを口にする。
だが、次に少年の人の口から出てきた言葉で、しっかりと今起きていることを理解する。
「危ない状況だったから、助けに来たよ。結構ギリギリだったから、もうダメかと思ったけどね……」
その少年の言葉には、焦りと安堵の念が浮かんでいたようだった。
サツキが少女に、自身の魔力を移す。
すると、封印と魔物との戦闘での魔力枯渇によって朦朧としていた意識が、倦怠感に見舞われて動かなかった体が、少しずつ回復し始める。
意識がクリアになる。
そして、やっと実感できた。
助けが、来たんだ。
無意識のうちに、涙を流す。
「立てる?」
少年が手を差し伸べてくれた。
その手を取って、活力が戻ってきた体を起こし、立ち上がる。
するとその少年は、少女の目を見て言った。
「よかった」
とても優しい表情だった。
少女の生還を心から喜んでいるような。そんな微笑みだった。
視点が固定される。
ただただ、その表情に惹き付けられた。
何故かは分からない。
「さて、残りの奴らを片付けよう。ちょっと待ってて」
「っ……待って、私も加わる……」
「いや、休んでていいよ。まだ病み上がりだし、片付け終わるまでここで休んでるといい」
少年はそう言い残し、男の子とサツキと戦場へ向かっていった。
その後、しばらく戦闘が続いていたが……どうしてだろうか。
戦闘が終わっても、さっきの少年の表情が、少女の頭から離れなかった。