4話:ダンジョン《前編》
感想や改善点などを知らせていただければ幸いです。
森の中に、岩に座っている三人の少年少女がいる。
身の丈に合っていない制服の上着を羽織り、残りの少年二人に今起こっていることを大雑把に説明しているのは、擬人化したキツネたんだ。
今は急いでいるから、細かい説明は後ですると言われたワタルたちは、大人しくキツネたんに従うことにした。
岩からおもむろに立ち上がったキツネたんは、森のさらに奥へと歩き始める。ワタルたちもそれに続く。
キツネたんについて行き、数分も歩かない内に霧が出てきた。この霧はこの森の性質のひとつで、奥地に進むほど濃くなっていくのだという。
入ってきた人は大抵、自分がどこにいるのか分からなくなり、真っ直ぐ歩いているつもりでも無意識のうちに最初の場所に戻ってきてしまうのだそうだ。
適当に歩いているうちに最初に戻されるという点では、ゼ○ダの伝説の迷○の森と非常によく似ている。
ワタルたちは、自分がゲームの主人公になったかのような気持ちだった。
とは言え、油断はできない。
普通の人間なら、たとえ何人で挑もうとも必ず迷ってしまうが故に。
だが、獣としての本能が備わっているキツネたんは、スイスイと進んでいく。
この不思議な濃霧の中では、キツネたんという存在はとても頼りになった。
そうして少し歩くと、崖に突き当たる。
高さは十メートル程だろうか。霧が視界を遮っているので、ほとんど見えない。
崖の全貌が見えないので、横幅は永遠に続いているように思える。
「あれ、崖だよ?行き止まり?」
「ふふふ、アタシがわざわざ何も無いところに連れてくると思う?」
暴龍天凱の質問に答え、悪戯っぽく笑う。そして崖の側面に目を彷徨わせるキツネたん。何かを探しているようだ。
すぐにその何かを見つけたらしい。
キツネたんは崖の一部に手を置くと、目を閉じて、何やら詠唱し始めた。
(リュウちゃん、あれって……)
(うん、どう見ても──)
直ぐに詠唱は終わり、瞑目していたキツネたんは目を開ける。
そして手を離すと……
ゴゴゴッと岩の擦れ合う音を響かせて、先程触れていた崖の一部がスライドして、直径二メートル程の正方形の通り道ができる。
奥を覗くと、微かに薄暗い空間が見える。何やら光る鉱石らしきものが洞窟内部を淡く照らしているようだ。
「よし、開いたから、早く行──」
「「魔法だぁぁぁぁあ!!」」
スライドして開いた崖の一部を呆然として見ていたワタルたちが、正気を取り戻すと同時に叫ぶ。
いつか実物を見たいと願ってやまなかった魔法。それが自分たちの目の前で繰り広げられる。
やっぱりここは異世界だ!
ワタルたちは興奮した。
キツネたんはビクッとした。
「な、何さ、いきなり叫んだりして……まあ、かなり珍しいよね。びっくりするのも無理はないかぁ」
「うん、まさか本当に魔法が見られるとは思ってなかったからさ!」
「ボクたちも使えるかな?!」
「え?あ、うん、そうだね……?」
今のキツネたんの「珍しいよね」という発言は、今では構築する技術がほとんど失われ、ごく一部の地域にしか残っていない、【珍しい魔法】という意味で言ったのだが、ワタルたちは、【魔法が珍しい】という意味で解釈したらしい。
事実、ワタルは「魔法が見られるとは」という発言をしている。
そこに不審がったキツネたんだが、先程とは別の魔法を使用し、崖の中の状況をもう一度確認して、顔をサッと青くする。
それに気がついた暴龍天凱が声をかける。
「ど、どうしたの?」
「まずい状況……早く!早く行かないと!キミたちは、ちょっと待ってて!すぐ戻るから!」
尋常ではない様子に、キツネたんの空気がガラッと変わるのを感じた。
この道の奥では、何か得体の知れない事態が起こっている。
突然豹変したキツネたんの様子から、そんなことは容易く想像できた。
だが、何が起こっているかまでは、ワタルたちには分からない。
洞窟の崩落や巨大生物の暴走、あるいは、それ以上の事が?
ワタルたちには想像することしかできなかった。
だが、キツネたんがなにやら意味ありげな事を小声で呟いているのを、ワタルはしっかりと聞いていた。
三人の間に緊張が広がっていく。
そして、キツネたんの切羽詰まった表情と、その言動から、ワタルと暴龍天凱は覚悟を決めた。
困惑の表情を決意の表情に変え、キツネたんを追う。
今度は、キツネたんの表情が驚きに変わった。
なぜついてくるのか、と。
「……なんでついてくるの?この先は危険だよ?だから待ってて」
「いや、僕たちも行くよ」
「この先は、もうさっきみたいな場所じゃないんだよ?」
その通りだった。
このようなものは、この世界の世間一般では”ダンジョン”と呼ばれる。
その難易度が上がれば上がるほど、そこから入手できるアイテムは強力なものとなる。
だがその分、当然ながら、湧く”魔物”の強さもだんだんと強くなってくる。
ここに潜れば、もしかしたら、否、高確率で死ぬ。
そんなことは、ワタルと暴龍天凱は当然分かっている。
だがそれでも、とついてくるワタルたちに、つい声を荒らげてしまう。
「このダンジョンは、とっくに世間に知られている、ヤワなものじゃない。今知られている中のダンジョンの中で一番の難易度の場所も、こことは比べ物にならないんだよ!?」
長年の間隠されていて、世間に周知されていないダンジョンである。通常のものと比べ、難易度はまさに桁違いだった。
「うん、そうだよね。隠されているだけあって、異常なほど危険だというのはわかってる」
「でも、ボクたちは決めたんだ。ついて行くって」
「なんで……」
キツネたんは絶句した。
疑問と憤怒がとめどなく湧いてくる。
危険だと言っているのに。
立ち去らなくてもいいから、待っていろと言っているのに。
何故、言うことを聞いてくれない?
何故、大人しく待っていてくれない?
「これが最終通告。ここで待ってて」
とうとう力で大人しくさせようと試みるキツネたん。
大きなプレッシャーが、未熟者二人に降りかかる。
幾つもの修羅場を越えて、いくつもの強者を倒してここに立つキツネたんのプレッシャーは、覇者の威圧そのもの。
普通の人間ならば、有無を言わずに従わずを得ないだろう。
だが──
「……最終通告だって。リュウちゃん、どうする?」
「……決まってるじゃん。ついて行くよ」
「だよね」
「だから、キツネたん。少しだけ、ボクたちの我儘に付き合ってほしいんだ」
ワタルたちには通用しなかった。
否、本当は通用していたのだろう。ワタルと暴龍天凱の手は、ほんの少しカタカタと震えている。
親友という言葉では足りないと思えるほどの結束力。
互いの心情を、言葉も交わさずに汲み取る意思疎通。
そして、"助けられる人がいるならば助けに行く"という、二人の共通意識。
今眼前に立っている二人の、鉄壁の如き意思に、キツネたんはとうとう折れた。
「はぁ……まあ、いいけど……なんでそこまでして?」
キツネたんは呆れの視線をワタルたちに向ける。
その視線と共に放たれた言葉に、最初に言葉を返したのは、ワタルだった。
「僕は、こっちの世界に来る前の世界で、あまり強くなくってね。それで、ある人を……守れなかったんだ」
「……」
キツネたんは、黙って聞いている。
「彼女は、最後まで僕のために尽くしてくれた。過酷な状況の中、最後まで、必死に僕を生かそうとして、諦めなかった。八年前の僕は、その人に頑張って恩返しをしようとしたけど、間に合わなかった。彼女は、命を落としてしまった。自分の手で」
「……」
ワタルがまだ九歳だった頃の出来事。一人の大切な人が、自分の知らない、見ていないタイミングと場所を見計らって命を絶った日から、八年。
偶然にも、今日はその事件が起きてちょうど八年目だった。
ワタルは、今でも鮮明に覚えている。
忘れるわけが無い。何故なら──
「僕の、母さんだ」
ワタルの母親その人だったから。
「母さんは、父さんが単身赴任してる時に、父さんが稼いでいた分のお金を稼ぐために働いていた。いいところだと思って入社したみたいだけど、しばらく経ったら、日に日にやつれてきて……心配だったから声も掛けたけど、『大丈夫』の一言だけしか言わなくてね。それから一年半くらい経った時に、耐えられずに命を落としたんだ」
「……」
転勤すればいいのではないか。
知り合いの誰もがそう思った。
だが、それが出来れば苦労しない。
上の人間がそれを許さなかったのだ。
厳しい労働条件と仕事への束縛に耐えられず、ワタルの母親は命を絶った。
「……やり返したい、とかは思わないの?」
「ああ、当然思うよ」
今は父親と生活しているが、当然、復讐心の一つや二つ、湧き上がらないわけがない。
だが、ワタルの心の中にあった本当の気持ちは──
「でも、被害者張本人の母さんは、僕に言ったんだ。母さんが許すから……『強く生きろ』って。『母さんみたいに、いろんなものに縛られないように、反発しろ』って。だから──」
それは、ワタルの母親が命を絶つ前日に、愛する息子へと伝えた言葉。
自分と同じ道を歩まないでほしいという、思いやりと心配の言葉。
様々な感情が詰まった、母親からの教訓。
母親最期の言葉を粗末にして、自らの感情に任せて行動するなど、ありえない。
母親が唯一望んだのは、生きるための強さ。
だから、ワタルが望むものも、ただ一つ。
「僕は、強くなりたいんだ。もう誰も苦しむことがないように」
それは、身体の強さでもあり、心の強さでもある。
「あと、このダンジョンのどこかに、多分だけど、君の大切な人がいるんだろう?それも、危険な状態で」
「!……どうして?」
「どうして分かったのかって?無意識だろうけど、さっき呟いてたよ?『なんでそこに奴が……』って」
キツネたんは驚く。ワタルが自分の呟きを聞いていたことに対してもそうだが、一番の理由は、自分が無意識的に呟きを漏らしたからだ。余程焦っていたのだろう。
「ここまで案内してもらったんだから、君と僕たちとは、もう知り合いだと思ってる。その知り合いが困っているのを助けないとなれば、僕が母さんに言われたことに反する。何より、困っている人を助けないのは、僕自身の心が許さない」
もとより、クラスの中でのワタルの人格は、とても優しいで通っていた。進んで手伝いをしてくれるし、どうやったら皆の力になれるかを考えてくれている為だ。 だから、今目の前で困っている知り合いを助けないということは、ワタルが言った通り、その心が許さなかった。
よってワタルには、キツネたんの望み通りに「はいそうですか」と言ってここでキツネたんを悠々と待っているだけということはできない。
「この中に蔓延る『奴』が何であろうと、僕たちには関係ない。少しでも力になれる要素がある限り、僕達は僕達の全力をもって君の手助けをする。どうか、連れて行ってはくれないか?」
瞳から伝わる、強い気持ち。
これまで生きてきた中で幾度もそんな目を見てきたが、これほどの決意がこもった瞳を見るのは指で数えられる程度だった。
「……やっぱりキミは、いや、キミたちは、只者じゃないね?」
「そんなことないさ。人は気持ち次第で変われる」
「ボクも、ワタルくんほどでは無いけど、困っている人は助けないとって思うよ」
「はぁ……いいよ、着いてきて。安全は保証できないけど、できる限りは守ってあげる」
「感謝するよ」
故に、キツネたんは、ワタルたちの同行を許可する。
そのキツネたんは、どこか眩しいものを見るような表情をでワタルたちを見ていた。
唐突に明かされるワタルの過去。