妖精の家
妖精の家を見つけたのは、つい先日のことだった。
妖精の家を取り囲む森は、一歩踏み入れるだけでかぐわしい香りが鼻腔をくすぐった。
一瞬、目眩がして頭がくらりと揺れるが、すぐに気分が良くなってくる。
辺りを見渡すと、青く幻想的な蝶が舞い、金色の小鳥たちがさえずる光景は、とても現実とは思えない、まさに妖精の森という名に相応しいファンタジックな場所だ。
「おーい、いる?」
俺が家をノックすると、30秒ほどしてから、ゆっくりと扉が開く。
扉の隙間からは、金色のサラサラとした髪がたなびき、人間のものではない尖った耳が姿を現し、蒼い瞳がこちらを見上げながらゆっくりと出てくる。
「……あなた、昨日の」
あどけない顔立ちの妖精の少女は、おそるおそると言った様子で口を開く。
昨日は僕と目が合った瞬間、叫び声をあげるながら凄い勢いで逃げられてしまったが、今日は随分と大人しかった。
「……私を、捕まえにきたの?」
とてもか細く、弱々しい声色に、まだ彼女から警戒の色が解けていないことが伝わってくる。それでも扉を開けてくれたのだ。驚かせないように慎重にいかなくては。
「捕まえたりなんか、しないよ」
彼女がたとえ、心を読む力があったとしても問題はない。本当に捕まえようなどといった邪なことは考えていないからだ。
「……本当?」
上目遣いで尋ねてくるあたり、彼女に心を読む力はないとみていいのだろうか。
「ああ。もちろん」
「……入って」
信用してもらえたのか、家の中に案内してもらえる。
小さな古屋の中に足を踏み入れると、森の中とは比較にならないほどの、強い不思議な香りが充満しており、頭がまたくらりとする。
「あっ、大丈夫?」
妖精の少女は心配して声をかけてくるが、頭痛は一瞬のもので、すぐに気分が良くなる。
部屋を見渡すと、見たこともない幻想的や虫や鳥たちが羽ばたいており、キラキラとした光が空気中に浮いている。
「キミは、ここで暮らしているのかい?」
「うん。見つかったら、捕まっちゃうから」
それもそうだ。
こんな可愛らしい妖精が森の外へ出ようものなら、すぐにでも物好きに捕まえられてしまうだろう。
「良いところだね」
「ふふ、そう思う?」
妖精の少女は口元を緩め、ふわりと微笑む。
「ここにいると、気分がいいでしょう?」
「ああ。本当にね」
身体中の気分が心地よい。
日々の仕事のストレスが全身から抜けていくような感覚で、夢心地とはこのことを言うのだろう。
「私らここにいたいの。だから、誰にもこの場所のことは言わないでね?」
僕だって、こんな素晴らしい場所に人間の足をずかずかと入れさせるような無粋な真似はしたくない。
「言わないよ。その代わり、また来てもいいかな?」
「うん。もちろん」
☆
それからの僕は、仕事終わりに必ずと言って良いほど妖精の少女に会いに行くようになった。
森に入り、深呼吸するだけで肺いっぱいに幸福感が満ち溢れ、嫌な気分から全てが解放された。
「や……だめ……気持ちいぃ……」
彼女と身体を交えた時の快感は、特に凄まじかった。
人間のどんな風俗嬢とだって、こんな気持ち良くはなかった。
心と身体が幸福で満たされると、糸が切れたようにベッドに倒れ込み、そのまま泥のように眠ってしまう。
その後、会社に遅刻して上司に叱られたが、もうそんなことはどうだっていい。
僕の頭の中は、妖精の少女でいっぱいなのだから。
☆
僕はフラフラとした足取りで、今日も妖精の森に向かっていると、目を疑う光景が眼前に広がっていた。
ざわざわと群がる人々……警察が森を取り囲うように立っていた。
まさか、見つかったのでは……!?
僕は目を覚ますために頬を2回強く叩くと、警察たちの前に向かっていく。
「あっキミ!よせ!近づくな!」
こちらに気が付いたガスマスクを被った警察官は、僕の肩を掴んで引き離そうとする。
このままでは妖精の少女が捕まってしまう……抵抗を試みるが、警察官の鍛えられた腕の前では動けなかった。
「そっちこそなんだ!?妖精の森に何の用だ!?」
必死で吠えると、警察官は首を傾げ、
「妖精の森?何をワケのわからんこと言ってるんだ。それより、危険だから鼻と口を塞いで離れるんだ!」
そのまま僕は、鼻と口にタオルを押し当てられる。
危険だから離れろ?そっちの言ってることの方がワケが分からない。
「この森から変な匂いがすると通報があってね。来てみれば、強力な薬物を製造して乱用する女が住んでいたんだ。そら、今出てくるぞ」
やがて、森から警察官に取り押さえられながら出てきた妖精……いや、人間の女を見た僕は絶句した。
それは、白髪にまみれ、歯はぼろぼろの醜い猿のような女だった。