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【第二章】代わりじゃない 変わりたい①

 あれから三日が経った。学校を終えたわたしは、教科書や運動着の詰まったエナメルのショルダーバッグを肩に引っかけて、急いで駅前のスポーツショップに向かっていた。この辺りのスポーツ少年少女には御用達のお店だ。

「ごめんなさい! お待たせしました!」

 ショップの前では、大きなスポーツリュックを背負った制服姿の比呂美さんが、携帯をいじりながら待っていた。

「大丈夫、今来たとこ。じゃ、入ろっか」

 清潔感のある店内には、陸上用品やトレーニングウェア、サッカーやバスケなどの球技用品がエリアごとに陳列されていて、探し物はショップの一番奥、サッカースペースのすぐ横にあった。壁一面に、その横っ面を自慢げに晒し展示されているのが、フットサル用のシューズだ。向かって左側に室外向け、右側に室内向けと書かれている。試しに室外向けシューズを手に取ってみると、ソールにグリップ性のあるゴムの突起がちりばめられていて、普段、サッカーで使っているトレーニングシューズとそう変わらない。

「おお、違いが分からん。比呂美さん、シューズってどう選べばいいんですか? わたし、トレシューなら持ってますよ」

「もちろんトレシューでも人工芝のコートならフットサルはできるよ。外向けフットサルシューズとトレシューとの違いは、ソールの厚さかな。フットサルシューズのほうがソールが柔らかくて足裏が使いやすいんだ。ちなみに、これから買うのは室内向け。たとえば、これ。裏を見れば分かるけど、底が飴色でイボイボがない」

 比呂美さんは展示のシューズを一つ取ると裏面を見せてくれた。

「本当だ。学校で使ってる体育館シューズみたい。でも、フットサルコートって大抵、外にありますよね?」

「外のコートはどちらかというとエンジョイ向けなんだよね。ほら、芝のほうがサッカーを連想しやすくて取っつきやすいし、ネットに囲われてブラジルのストリートサッカーっぽいって思わない?」と比呂美さんは続ける。「でもね。本来のフットサルって、スペイン語で『室内サッカー』を意味する『フットボール・デ・サロン』が短くなったものなんだ。だから競技フットサルのほとんどがインドアで行われるの。これから練習に向かうのも体育館だよ。そういえば、言ってなかったっけ?」

「比呂美さん。初練習の前にシューズを買いに行こうしか言ってないっす」

「そっか、ごめんごめん。で、知夏。予算はどれくらい?」

「さ、三千円……。足りますか?」

「高いものなら一万円くらいするものもあるけど、相場は四、五千円ってところかな。旧モデルならセールで売ってるし、知夏の予算でも掘り出し物が買えるよ」

 展示品を眺めてみると、見栄えのするところに新モデルと銘打たれたシューズがあって、比呂美さんの言うとおり、わたしの予算では手が届かない。でも、物欲をそそってくるから困りものだ。

「ああ、あの新モデル。かわいい。欲しい。でも無理……」

「だよねー。あっちの赤いラインのも可愛くない?」

「あ、分かります、分かります」

 二人であれこれ言いながらシューズを選んでいると、いつの間にか時間が過ぎていく。結局、旧モデルのセール品の中からサイズの合うものを選んで、予算ギリギリで購入した。お財布の寂しい状況は見ないことにする。

 店を出ると時刻は十七時を少し回っていた。ソンリエンテの練習は十九時から始まる。今日は早めに向かい、関係者と入団について話し合いが持たれることになっていて、比呂美さんは、「言い出しっぺだから」と案内役を買って出てくれていた。電車で三十分ほどかけて移動している間、比呂美さんと沢山おしゃべりをした。比呂美さんが隣町に住んでいることやわたしの近所の高校に通う二年生であることも初めて知った。

 ソンリエンテのこともいろいろ聞いた。スペイン語で『笑顔』の意味を持つこのフットサルチームは、今年で創立四年目。八チームが参加する県の女子一部リーグに所属し、五月に開幕した今シーズンは、二試合を残して首位と勝ち点二差の二位につけている。全十節で争われるこのリーグで優勝すると、関東女子リーグ入れ替え戦の参加資格が得られるらしく、今は優勝に向けて一試合も落とせない正念場の状況だ。

 他にも、チームの代表者が元JFLの選手だったり、元Fリーガーの監督、元なでしこリーガーのトレーナー、チームOBのスペイン人女性コーチといった個性的なチーム運営陣に加え、選手は社会人学生を含め九名が所属していることも知った。練習は月、水、金の夜間と土曜の昼に行われていて、日曜は基本的に休みだけど、大会や遠征が入ることもあるらしい。学生には十九時は遅い時間だけど、それでも社会人が仕事を終えてやって来られるぎりぎりの時間らしい。仕事が終わらず練習に参加できないメンバーもいて、全員揃わないこともあるそうだ。

「だけど、今日は新メンバーが来ること伝えてあるから、きっと全員揃うと思うよ」

「うわあ、なんか緊張するなあ」

 最寄りの駅を降り、十五分ほど歩いて練習場所に着く頃には、陽がほとんど落ちて街灯がちらつき始めていた。夕食の匂いの漂う閑静な住宅街にひときわ目立つそれは、廃校になった小学校だった。

「ここ、何年か前に廃校になって、今はコミュニティセンターとして開放されてるんだ」

 下駄箱に外履を入れてフットサルシューズに履き替えると、わたしは一階の明かりが点いている教室に案内された。

「失礼しますー。大沢さん。知夏、連れてきました」

「お、来たな」

 教室の面影を残しながら、事務机や棚の並ぶ部屋は小さな職員室のようで、すでに運営メンバーが集まっていた。四人の知らない大人たちの視線に、わたしは少し緊張してしまう。

「ようこそ。ソンリエンテ代表の大沢健太郎(おおさわけんたろう)だ」

 真っ先に口を開いたのが、短髪に太い眉、そしてスポーツウェアがよく似合う、まるで体育教師のような大柄な男の人だった。三十代後半と聞いていたけれど、活力のある眼差しは、今だ現役のサッカー選手のように見える。

「は、初めまして。阿澄知夏です。浜西中学の一年生です。よろしくお願いします」

「チカ! 本当にチカね! ブラーボ!」

 わたしの自己紹介に白い歯を見せて喜んだのはスペイン人女性コーチだった。小麦色の肌に掘りの深い顔立ちが作る満面の笑みと、焦げ茶色の長い髪がとてもチャーミングで、それにジャージの上からでも均整のとれた体つきが分かる。ラテンの太陽を見ているようで眩しくてたまらない。

「どうした、パウラ?」

「スペイン語で chica は、女の子の意味。それもカワイイ女の子のことよ。知夏は本当に小さくてカワイイわ!」

 いきなり可愛いなんて褒めるものだから、女の子らしさを褒め慣れないわたしは、耳の辺りまで熱くなるほど恥ずかしくなってしまう。

「ねえ、祥子。そう思うでショ? 目がクリクリで、もう、ボニータよ!」

「ほら、パウラ。はしゃがない。彼女、困ってるわよ」とパウラさんに祥子と呼ばれた女性が苦笑して窘めた。

「ごめんなさいね、急に。三田祥子(みたしょうこ)です。このチームのトレーナーをしています。そして彼女はパウラ・ペレス。パウラは創設時のメンバーで去年引退して今はコーチをしているの。あなたのこと、名前を聞いたときから会うの楽しみにしていたのよ」

 そう言って三田さんは、小さく笑った。つぶらな瞳とえくぼが可愛らしい人だ。落ち着いた大人の女性だけど、現役時代は守備的ミッドフィルダーとして、熱くチームを引っ張っていたことを、比呂美さんから聞いて知っている。

「さて、うちへの入団を希望しているそうだな」と代表の大沢さんが本題を切り出してきた。「ソンリエンテはまだ小規模な団体だ。若い選手の加入は歓迎したい。比呂美からポテンシャルは申し分ないと聞いているが、リーグ戦に出場できるぎりぎりの年齢でかつ競技フットサルは未経験となると、今シーズンの試合に出してやるのは難しいかもしれない。それでも構わないか?」

「わたしは、今よりもっと上手くなりたいんです。そのためにフットサルが役立つかもって思ってます。なので、早くチームに入ってフットサルを覚えたいんです」

 大沢さんはその大きな黒い瞳で、じっとわたしを見ながら「そうか、分かった」と頷いた。

「啓介。お前から、なにかあるか?」

 大沢さんの隣で静かに佇んでいた眼鏡の青年が、わたしを見た。穏やかな目をしているけれど、痩けた頬が、どこか狼のような狩人を思わせる。「監督の黒川啓介(くろかわけいすけ)です」と挨拶をする澄んだ低い声は、重要なことを告げる警鐘のようにわたしの耳にまとわりついていた。

「そうですね。僕も実力を見たわけではないので、出る出ないは一旦置いておきましょう。確認したいのですけど、阿澄くんは中学の男子サッカー部に所属しているとか?」

 わたしは「はい」と頷いた。

「なるほど。であれば、きみが今後もサッカーを続けたいなら、女子カテゴリを意識したほうがいい。中学サッカー部から女子チームへの変更、つまりは『移籍』です」

 黒川監督から告げられた『移籍』の二文字に、わたしの心はざわついた。それはつまり、サッカー部を辞めるということ。男子サッカーから離れることは、久斗に恭平、太一との別れそのものに思えた。これまでサッカーを絆につながった関係が、本当に切れてなくなってしまう。そんな気がして、わたしの胸は押し潰されそうになる。

「ここからが結構重要なことで、移籍するとですね……」と言う黒川監督の言葉を、わたしは強引に遮った。

「大丈夫です!」

「えっ?」

「サッカー部のことは大丈夫です! 全部、分かってますから」

 わたしの声はかなり大きかったようで、そこにいた全員が目を丸くしていた。それくらい声を張らなければ、わたしの中にあるふたつの迷いを振り切れないと思った。

 ひとつはわたしの中には幼なじみ三人組への思い。そしてもうひとつは、フットサルに対する不安だ。中学一年生でサッカーからフットサルへ転向する。しかも、サッカーから逃げるみたいに。そんなわたしの姿は、人からはどうしても、サッカーに負けて、代わりにフットサルをするように見えるのではないだろうか。そんな不純な思いがチクチクとわたしを弄ぼうとする。だから、わたしが選んだのだと強がりたかった。

「そ、そうですか。なら、いいんですが」

 黒川監督はズレかけた眼鏡を指で押し戻しながら、釈然としない様子だった。

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