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【序章】あの頃のわたし

 放課後になれば友達と校庭に駆け込んで、その一角にランドセルやスポーツバッグを二つ置く。間隔は大股で三歩が丁度いい。さらに、三十メートルくらい先にも、同じように二つ置く。仕上げに、かかとを使って土の上にラインを引けば、即席のミニサッカーコートのできあがり。

「知夏、コートできたぜ」

「オッケー。じゃあ、サッカーする人、この指とーまれ!」

 伸ばした指先からすっと抜けるように、わたしの声は、澄み切った十月の秋空に響き渡っていった。

 真っ先に集まったのは、一緒にコートを作ってくれた幼なじみの三人組だ。同級生でクラスメイトの仲沢久斗(なかざわひさと)七見恭平(ななみきょうへい)、それに一個下の河口太一(かわぐちたいち)がわたしを囲んでいると、そこへ学年もバラバラな男子たちが、面白そうだと集まってくる。

 だいたい十人くらい集まるけれど、女子はいつもわたしだけ。

 集まったメンバーを半分に分けたら、あとは体力が尽きるか、もしくは、夕方のチャイムが聞こえるまで、サッカーボールを蹴り続ける。これが、小学生の頃のわたし、阿澄知夏(あすみちか)の日常だった。

 小学六年生になっても、わたしは男子と遊んでいる時間のほうが多い女の子だった。仲のいい女子のグループはあるけれど、この頃は話をしていてもなんだか妙にしっくりこない。ファッションのコーデとか、カワイイの作り方とか、みんな可愛くキラキラするようになって、彼氏ができた子だっているらしい。そんな彼女たちと一緒にいると、別の世界の人と話をしているみたいで落ち着かなくなる。人に合わせて笑ったりするのは、結構しんどかったりもする。

 やっぱり、わたしはサッカーが好きだ。小学一年生の頃から久斗たちとサッカー少年団に通い、放課後はこうしてミニサッカーで遊んでいると、いつだって楽しくて仕方がない。もちろん、女の子らしくないのは分かっている。生傷は絶えないし、動くのに邪魔くさいからって髪を伸ばしたりもしない。それにスポーティーな服ばかり選ぶから、男の子に間違われたりもする。

 でも、それでもいいって思う。女の子っぽくなくたって、今は全然構わない。幼なじみの三人と一緒にサッカーをしたり、サッカーの話をするのが大好きだから。だから、恋愛が二の次になったり、ファッションのセンスがいまいちだったり、時々、クラスの女子と話が合わないことがあっても、「まあ仕方ないよね」と納得することにしている。

 勉強中はあれほど長いと感じられるのに、楽しい時間はあっという間に過ぎていく。太陽が大きく傾き、秋虫たちが競うように即興の演奏を始めていた。フラッシュモブみたいなオーケストラが始まるのは、もう間もなくだろう。

 左サイドに走っていたわたしがボールを受けると、そこに太一がディフェンスについてきた。ぽっちゃりとした大きな体が、視界を遮ってくる。

「太一、勝負ね!」

「ぬ、抜かせないよ。知夏姉ちゃん」

 太一は少年団でも一、二を争う上背の持ち主で、その熊のような体格を生かしてゴールキーパーをしている。見た目に反して運動神経がよく、ミドルシュートやハイボールの処理にめっぽう強い。わたしの自慢の幼なじみで、動けるおデブちゃんだ。

 だけど、太一は昔から人一倍食べるので、油断するとすぐに太って足元の動きが疎かになる。そして、今は秋。天高く、太一も肥ゆる秋。わたしは太一の弱点を最大限に利用すべく、左右の上体フェイントで揺さぶっていく。

「うわわっ」

「また太ったでしょ? 太一ぃ。動きにキレがないよ!」

 フェイントに慌てふためく太一のぽっちゃりとした重心を見極め、わたしはその逆を突いた。

 少年団でのわたしは、底なしの体力と柔らかなタッチのドリブルが武器のアタッカーだ。そのドリブルは、相手が男子であろうとお構いなし。これまでも幾度となく守備を切り裂いては、決勝点となるゴールやアシストを決めてきた。だから、動きの鈍くなった太一を抜き去ることなど、造作もない。

 五対五の対戦では、一人を抜けばチャンスが生まれる。太一を置き去りにし、空いたスペースに侵入したわたしは、すぐさまシュートコースを確認する。しかし、素早いカバーリングで立ちふさがったのは、少年団でもセンターバックを務める久斗だった。太一に勝るとも劣らない長身の持ち主は、本職だけあってポジショニングは完璧で、相変わらずの仏頂面がじっとわたしの動きを観察してくる。ストイックに鍛えられた体からは、一分の隙も見えてこない。

「むぅ、久斗。そこをおどき」

「あ? なに言ってんだ? ダメに決まってんだろ」

「レディーファーストよ」

「レディーねえ……」

 久斗はわたしの全身を、まるで道端の草木を見るような興味のなさで一瞥し、鼻で笑った。

「ぺちゃんこのくせにか?」

「ぺちゃ……」

 言葉を頭の中で咀嚼するよりも速く、わたしは頬を引きつらせていた。

 女の子らしくないのは自覚してる。けれど、それを友達に、幼稚園からの腐れ縁の久斗にからかわれるのは、本気で我慢ならなかった。この無神経の唐変木め。目つき怖いんだから、他の女の子に言ったら泣いちゃうぞ。とにかく、全国の、いや全人類の胸の小さな女の子を代表してシメてやろうじゃないか。

「女の敵め、極刑じゃ! 覚悟せい!」

 わたしは猛牛のごとく息巻いて、久斗に勝負を挑んだ。ボールを小刻みに動かし、上体のフェイントやボールをまたぐシザースを織り交ぜ、久斗の重心をずらしにかかる。だけど、久斗はそう簡単にフェイントに引っかかってはくれない。

 逆に久斗は、じわりじわりと間合いを詰めてくる。このまま手をこまねいていれば、久斗の長い足がバネのように伸びて、わたしを狩りにくるのだろう。

「知夏! こっち!」

 不意に呼ばれて、わたしは反射的に右足のアウトサイドでボールを叩いていた。

 この声は恭平だ。恭平の声が、耳当たりのよい余韻となってわたしの中に反響する。視線を交えなくても、次の動きを指示してくれているように思えた。迷わず久斗の左側をすり抜ける。

 久斗の視線がわたしを追った。遅れて体が動き出す。だけど、もう遅い。

「サンキュー、恭平!」

 絶妙なタイミングでボールが足元に戻ってくる。なんの変哲もない横へのパスが、恭平の左足によって、綺麗なワンツーパスに生まれ変わった。太一や久斗と違って身体的な強さに乏しい恭平には、精度の高いパスと、素早い状況判断が生む一瞬の閃きがある。

 サッカーは一人でするものじゃない。それを思い出させてくれた恭平のおかげで、目の前がクリアになった。ぶわっと視界が開けて、ゴールが飛び込んでくる。キーパーは、今日の呼びかけで集まってくれた四年生の男の子だ。少年団の子でもないから、シュートを決めるのはそう難しくない。でも、それはフリーでの話。

「させっかよ!」

 右半身に重い衝撃が響く。追いついてきた久斗が、強引に体を当ててきたのだ。咽の奥が詰まって、「んぐっ」と声が漏れた。まるで壁がせり出してきて押し出されるように、体が勢いに負けてしまいそうになる。久斗は本気で止めにきている。小さな頃から競い合ってきた久斗にとっては、たとえ遊びでも、わたしから点を取られるなんて屈辱以外の何者でもない。でも、それはわたしだって同じ。久斗には絶対に負けたくないし、ゴールを前にして点が取れないなんて、フォワードの矜持にかかわる。要は互いに負けず嫌いなのだ。

「にゃろ!」

 ふらついた足に力を込めて、踏ん張る。左足でドリブルしながら、久斗の激しいプレスを右半身全部を使ってガードする。ゴールまでの距離はあと三メートルもない。キーパーは目の前の攻防に驚いて棒立ちになったまま、目を白黒させている。

 チャンスは今しかない。わたしは久斗と競り合ったままシュート体勢に入る。しかし、そこに久斗は深く体を入れ、足を伸ばしてきた。軸足がずれ、腰から浮き上がりそうになる。それでも、ボールは絶対に触らせない。

「ここっ!」

 久斗に体を預けるようにして、左足の指先に神経を集中させる。つま先を伸ばして、ボールの正面を突いた。地を這う低い弾道が、キーパーの足元に向かっていく。目で追えたのは、そこまでだった。最後の最後で当たりに押し負けたわたしは、盛大にすっころんだ。

 茜色の空を見ながら、下敷きになっている久斗の心臓の鼓動を聞く。荒い息づかいも聞こえる。入ったのか、外したのか、判然としないまま、頭の中がぼんやりとして、戦いの余韻だけが続いていた。

 久斗が、「ちくしょう……」と呟いたその瞬間、頬が熱く火照り、指先から足先の毛細血管に至るまで、血がぎゅんぎゅん駆け巡っていく。シュートは決まっていたのだ。

「よっしゃあ!」

 わたしは跳ね起きると、夕日で真っ赤に焼けた空に向け、高らかとガッツポーズした。

「どうだ! 見たか!」

「はあっ、はあっ。くそっ」

 久斗が大の字に倒れ込んだまま空を仰いでいる。本気の久斗と競り合って決めたゴールは格別だった。久斗の悔しがる顔を見ていると、すこぶる爽快な気分になる。ぺちゃんこって言ったお返しだ、このバカ久斗。乙女心が分からないサッカー馬鹿め。

「イェーイ! 知夏! ナイスゴール!」

 満面の笑みで駆け寄ってきた恭平とハイタッチする。

「恭平のリターンパス、最高のタイミングだった!」

「だろ? やっぱ、俺、天才だよなぁ。自分の才能が怖いって」

 恭平は見事に鼻を高くする。実際、恭平の鼻は高く、目鼻立ちがはっきりとしている。どことなく日本人離れした顔立ちのおかげか、恭平に好意を持つ女子は多いけれど、きっと恭平の前向きな明るさが惹きつけているのだと思う。今も恭平の冗談はあっけらかんとしていて、嫌みがないもの。

「久斗。おつ」

 恭平はニコニコ笑いながら久斗に手を差し伸べた。寝転んだまま口をへの字に曲げていた久斗だったが、一向に途切れない笑みに根負けして、その手を取って体を起こす。

「余計なことすんなよな」

「いいじゃんか。二人でイチャイチャしやがって。俺も混ぜろ」

「どこが? ガチンコだったろうが」

「知夏とは、あれがイチャイチャなの。ほら、サバンナでライオンと戯れようと思ったら、きっと命がけだろ? 知夏は全力で相手しないと満足しない。手加減とか諦めとか知らないから」

「なるほどな」

「わたしは猛獣かい!」

 猛獣呼ばわりはちょっと癪に障るけど、こんな会話はいつものことで気にしているほうが馬鹿らしい。ただじゃれ合っているだけ。二人とならなんの気兼ねもいらないし、心地いいくらい。

 そんな気分に水を差すように、校舎のスピーカーから五時を知らせるチャイムが鳴ってしまう。哀愁漂うメロディが、遊び足りなさを煽ってくるかのようだった。

「えーっ、もう終わりぃ。ようやく盛り上がってきたのに。まだ蹴り足りないよ」

「この猛獣め。今日はその辺にしておけって」

「猛獣言うな。バカ久斗」

「いちいち噛みついてくるな。つーか、そろそろタイムアップだろ?」

「確かに。タイムアップだね」

 二人が顔を向けた先を追っていくと、そこには、お腹を押さえながら、今にも膝から崩れ落ちそうに歩いてくる太一の姿があった。

「知夏姉ちゃん。僕、腹減ったよ……。ギブ」

「ありゃあ、太一タイマーが鳴っちゃったか」

 太一のお腹は、燃費の悪さが某巨大ヒーローに似ているので、通称、太一タイマーと呼ばれている。そんな太一のお腹が、ぎゅーぎゅー悲鳴をあげながら近づいてくる。その効果はてきめんで、わたしも今日の晩御飯が無性に気になってくるほどだ。うん、やっぱりお肉がいいな。できれば焼肉が食べたいな。甘辛いタレの絡んだお肉を口に放り込んだら、ほかほかご飯を目いっぱい頬張るの。最っ高。

 想像していたら、本当にお腹がすいてきた。練習で技術や体力はつくけれど、体を大きくしてはくれない。ご飯を食べれば、このぺちゃんこも、きっとなんとかなる。だって食事は、アスリートにとって、練習と同じくらい大事なことなのだから。

「ふ、ふん。今日のところはこれくらいで勘弁してあげるわ」

「知夏、涎が出てる」

「ふえっ?」

 わたしは慌てて口元をぬぐったが、涎なんて出ていなかった。

 たまらず恭平が噴き出した。太一は申し訳なさそうに笑いを殺している。久斗はニヤニヤしながらわたしを見て、「ざまあ」と口を動かした。久斗の、わたしの思考を見透かした仕返しに、屈辱の炎が燃え出した。

「久斗、ほんと生意気!」

 飛び蹴りをお見舞いしようと駆け出すと、久斗に悠々と避けられてしまった。だが、わたしはそれくらいのことで諦めるような女じゃない。振り向きざまにだって、蹴りを入れてやる。

 そう思って、無防備になった久斗の背中を視界に捕らえたけれど、わたしの足は出ていかなかった。夕日を前にした久斗の背中が、あまりにも大きくて、思わず見入ってしまったからだ。

「久斗さ。今、なんセンチ? もしかして、また伸びた?」

「んー、一六五?」

「げ。わたしと十七センチ差! 反則だ!」

「別に。お前が、伸びなさすぎなんだよ」

 腐れ縁の久斗とは、この中でも一番の付き合いだ。幼稚園の頃は、背の順に並べば隣にいたので、ちょっかいを出しては喧嘩をしていた。小学校に入ってしばらくの間は、スポーツ刈りの右巻きつむじをよく見ていたから、わたしのほうが少し大きかったくらい。

 けれど、いつの頃からか、久斗は目の前からいなくなり、今では見上げないと視線も合わなくなっていた。

 一四八センチのわたしは、女子では丁度真ん中、平均だ。だけど、同年代の男子に混ざると、わたしの体はひときわ小さく見えてしまう。小柄な恭平ですら、この間の身体測定で一五二センチになったと喜んでいた。

 サッカーの練習でも、六年生の男子には、体を当てて競り負けることが少しずつ増えていた。とくに久斗と競ると、まるで岩にぶつかっているみたいで驚くことがある。フィジカルコンタクトの激しさもサッカーの一部だから、怖いとか恐ろしいとは思わない。ただ、悔しいと思う。女のわたしには手に入れることのできない武器を、久斗は手に入れようとしているから。

「もー、そんなにデカくなってどうするのさ? ちょっとはわたしに分けてくれないかな?」

 冗談めかして久斗の背中を何度も叩く。やっぱり、ゴツゴツしている。

 いつもどおりに、「痛えな」とか「触んな」と軽口が返ってくると思っていた。しかし、久斗は急に振り向き、わたしの手首を掴んだ。反射的に見上げると、久斗の表情は、まるで試合中であるかのようにきつく引き締まっていた。

「悪いけど、一センチもやれねえよ」と言い出した。わたしは口をぽっかり開いたまま放心していたが、手首に込められる力強さにたじろいでしまう。

「痛い。離してよ」

 気まずそうに久斗は手を離す。本当はそれほど痛くはなかった。

「俺は、プロになりたいんだ」

「うん。知ってる」

「中学入ったら、俺よりデカいやつなんてゴロゴロいる。そいつら倒さないと全国に行けない。伸びてもらわないと困るんだよ」

 これまでもプロサッカー選手になりたいと、みんなで語り合ってきた。しかし、それは子供の描く夢の範囲を超えず、曖昧で、実感の持てないものだった。けれど、決意を滲ませた久斗の言葉が、わたしの中で、重力に引き寄せられた星屑みたいに渦巻いていく。渦はどんどん大きくなり、正体のわからない流れの中でわたしは溺れそうになる。苦しいのに、逃げ出せない。小さくなれ、弱まれ、と心の中で叫んでも、静まる気配を見せてはくれなかった。

「だよなー。来年は中学生だもんな。レギュラー取れっかな」

「浜西って、今年の全中、県大会で準優勝だったよね?」

 太一の言う「浜西」は、卒業後の進学先になる市立浜西中学校のことだ。そして、浜西中の男子サッカー部は、過去に全国大会ベスト8まで勝ち進んだ実績を持つ、強豪校として知られていた。この地区のサッカー小僧の憧れでもあり、毎年、近隣の少年団に所属していたエース級が入部し、新入部員は毎年三十人を超すらしい。

「俺は狙ってんだ。一年生レギュラー」

「おお、さすが、我が戦友は勇ましいね。んじゃ、俺も」

 久斗に続き、恭平もにんまり笑いながら挙手をする。そして、恭平の視線はわたしへと向けられていた。

「知夏も狙うだろ? レギュラー」

「え? わたし?」

 あまりにも自然に問われ、一瞬答えに窮してしまった。そのせいで、みんなの視線がわたしに集まってくる。

「迷ってるのか? 女子サッカー部、ないから」

 久斗がまた、わたしの思いを見透かしたことを口にする。すると恭平が、「えっ? そうなの?」と心配そうにわたしの顔を覗き込んできた。

「でも、女子だって入れるだろ。サッカー部」

 恭平の言うとおり、日本サッカー協会が定める規約では、『中学サッカーでは、女子生徒が男子サッカー部に入部し公式戦に出場できる』としている。わたしがサッカー部に入部することに、ルール上の問題はなかった。

 けれど、女子サッカー部のない学校へ進学した女子選手は、サッカー部へ入らず辞めてしまうことが多い。フィジカルとスピードが格段に上がる男子のサッカーについていけず、サッカーが嫌いになったり、多感な時期に男子と触れ合うことへの抵抗感、他にも部室など女子生徒のための環境が整っていないとか、問題は様々ある。

 そうしたこともあって、わたしもみんなには内緒で、女子サッカー部のある中学への進学を考えたこともあった。どうにか通学圏にあったのは私立の名門中学で、それでも電車で片道一時間半はかかる。

 浜西中のサッカー部に入らず、女子を受け入れているクラブチームに入るのも一案だ。練習頻度は減ってしまうけれど、女の子がいるので気兼ねなくプレーできるメリットがある。

 けれど、そのどちらも選ぶことができなかった。別の道を模索すればするほど、わたしにとってこの三人は、家族のような、兄弟にも等しい存在だと気づかされた。そんな大切な友達と別れること、信頼し合える仲間とサッカーができなくなることが、とてつもなく寂しくて怖くなった。いつまでも、このメンバーでサッカーがしたいと思った。

 そうであれば、わたしが女子という理由で、自分だけ進路を変える必要はない。これまでだって少年団でも女子はわたしだけだったし、レギュラーにだってなっている。だから、わたしはやれる。強豪男子サッカー部だって大丈夫。この三人がいてくれれば辛いことなんて、なにひとつない。タイムリミットが近づくにつれ、そう思うようになっていた。

「そんなことないって。わたしも行くよ。浜西中」

「だよな。知夏なら余裕だろ。レギュラー間違いなしだ」

「うん。知夏姉ちゃんは無敵だからね。うちのエースだもん」

「任せておきなさい。わたしが浜西中を全国に連れて行ってあげるわ!」

 わたしは胸を張って宣言してみせた。恭平と太一が「おおっ」と拍手までして共感してくれたけど、久斗は呆れたように肩をすくめるだけだった。

「さて、マジで暗くなってきたな。帰ろうぜ」

 コートのラインを足で消して、わたしたちは校庭を出た。

 三人とお話をしながら家路につく。わたしの密かな楽しみだ。他愛もないバカ話をしたり、Jリーグや海外サッカーの話も楽しいけれど、互いに自分たちのプレーを指摘し合うのが、なによりも楽しかった。

 久斗は空中戦は強いけど、瞬間の状況判断がまだまだ弱い。恭平は後半息切れしたときのパス精度に難がある。太一はもっと声を出してコーチングできるようになれば、チームを引っ張るキャプテンにだってなれるはず。

 三人とも、この一年、驚くような勢いで上手くなっている。そして、強く、速くなった。骨格が成長し、筋肉がついてきているのだ。そこからエンジンみたいに生み出されるアジリティとパワーに、わたしは度々、驚かされてきた。

 いずれ、サッカーの技術も体力だって、すべて三人に追い抜かされてしまうのかもしれない。サッカー少年団でレギュラーになったのは、わたしが一番早かったのに。

 久斗を見ていて感じた胸の苦しさは、きっとこの不安が原因なのだ。久斗は、わたしより先の世界を目指している。わたしを置いてけぼりにしようとする。

 それがなんだか、悔しいし寂しい。

 わたしは、ずっとこの三人とサッカーをしていたい。

 成長するにつれ色々なものが変わっていく。体は大きくなるし、嫌いなものが食べられるようにもなる。だけど、この関係だけは決して変えたくはなかった。

 わたしは少し前に出て振り向くと、三人に問いかけた。

「ねえ。これからも、みんなと一緒にサッカーできるよね?」

「ん? なんだよ。急に」

「小学校卒業して中学生になっても、ずっと、これからもみんなで」

 わたしが突然、神妙な口ぶりで変なことをいうので、三人は顔を見合わせて不思議がっていた。衝動的に本音を吐き出してしまっただけに恥ずかしさは抜群で、耳まで火照っているのが自分でも分かる。そして、どんな返答が待っているのか、不安で仕方がなかった。

「んだよ、当たり前じゃん。知夏がいないとサッカーじゃないって」と恭平がニコッと笑った。

「僕も、卒業したら浜西中のサッカー部に入るから! 待ってて!」と太一も真剣だ。

「まあ、お前がいいなら、いいんじゃないか」と相変わらず久斗は適当な返事をする。

 三者三様の答えだけど、みんなの気持ちは同じのようだった。それを確認できただけで、心の奥にあった不安が、ずいぶんと小さくなったように感じられる。

「じゃあ、約束!」

 わたしは右手の小指をみんなの前に差し出した。素早く意図をくみ取った恭平が自分の小指を絡め、そこに太一の小指が重なって、最後に渋々だけど久斗も加わった。

「ずっとこの三人で、一緒にサッカーしよう。じゃあいくよ。指切りげんまんっ、嘘ついたら針千本、のーます! 指切った!」


 そう約束したはずなのに。一年後のわたしは、無様にも地面に這いつくばっている。

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