03.邂逅
しばらく、俺を助けてくれた人―――どうやら女の子のようだ―――の荒い息遣いだけがその場に聞こえる。俺はあっけにとられアクションを起こすことができない。
やがて女の子は体を起こすと、動かなくなった大イノシシに突き刺さったままのナイフを抜き、こちらを振り向いた。
女の子はオレンジ色のミディアムヘアで、前髪は右目の上で分けている。可愛らしいクリクリの緑色の目がこちらを見た。外人さんだろうか?
「……大丈夫ですか?」
意外にも流暢な言葉が聞こえたことに驚いたが、やっと体を動かせるようになったので返事をする。
「……うん、大丈夫。ちょっと怪我はしたけど。それより、色々訊きたいことが―――」
「すみません!!」
俺の言葉を遮り、女の子は頭を下げて謝る。
なぜ謝るんだろう? むしろ、助けてくれたことにお礼を言いたいくらいだ。
「実は、アレは私が狩ろうとしていたんですけど……頭に一撃入れたところで逃げられてしまって。結果、お兄さんにかち合って怪我までさせてしまいました……本当にすみません」
ああ、そういう事……いや、この子今なんて言ったんだ?
「君が、アレを……狩ろうとしてたの?」
俺の常識が正しければ、刃物だけであんな大きなイノシシ―――そもそも日本にあんな大きなイノシシがいるなんて聞いたことがない―――を狩ることも、それを自分と同じくらいの歳の女の子が行うということもありえないことだった。
が、女の子は意外なことを訊かれたという風に、
「え? ええ……それが私の仕事ですから」
と、首をかしげながらも答えてくれた。
ま、そういうこともあるんだろう、この森にで目が覚めてから、自分の理解できない事ばかり起きているし……。
無理やりに納得した俺は、助けてくれたことにお礼を言って、ここに来てからずっと気になっていることを尋ねた。
「実は、さっきこの森で目を覚まして、ずっと迷っていたんだ……帰り道を教えてくれないかな」
「ここで寝てたんですか? よっぽど勇気があるか無謀な人なんですね、お兄さんは」
彼女はクスクスと笑い、俺が先ほどまで向かっていた方向を指さして、
「あっちに歩いていけば、日暮れ前には街に着きますよ―――私たちのユルトベルグに」
―――おおよそ日本の地名とは思えない響きが、彼女の口から発せられた。
◆
彼女―――カーラ、というそうだ―――の話によると、この場所はハイデルン大陸の東端にある『自由都市国家ユルトベルグ』の北にある大森林らしい。すまん、何を言ってるかさっぱりわからない。
彼女に『大阪』『日本』『アメリカ』―――果ては『地球』という単語を知っているか尋ねたものの、ことごとく首を横に振られてしまった。
カーラはユルトベルグに住む一八歳の女の子で、『モンスターハント』―――ゲームの世界じゃないんだぞ―――を生業としているらしい。
驚いたのはそれだけじゃない。大イノシシにやられた怪我で立てない俺を見たカーラは、太ももの怪我をした場所に手をかざすと、『ヒール』と唱えた。
予想外の行動に俺はあっけにとられていたが、なんと見る見るうちに足の傷が塞がっていった。正直マジでビビった俺は、未知の感覚と経験に、大分情けない声をあげてしまったが、彼女も同様に驚いていた。
「お兄さん……もしかして魔法をご存知でないんですか?」
ああ、そっちね―――どうやら彼女や周りの人たちは当たり前のように『魔法』を使えるようだ。
一体、俺はどこに迷い込んでしまったんだ?
◆
足にはまだ、ヒールとやらをかけられた際のおかしな感覚と、違和感が残っていた。
俺は足を気にしながら、先ほどカーラに教えてもらった、ユルトベルグとやらがある方向に歩いている。親切なことに、カーラもついてきてくれるらしい。
彼女は二本の短剣を腰に差し、大イノシシから剥ぎ取った牙を肩に担いで、横を歩いてくれている。
「ハルさん、変わった服を着ていますよね? ハルさんの故郷での流行ですか? この大森林の周りにユルトベルグ以外の都市があるなんて聞いたことがないですが、どこから来たんでしょう」
ハルさん、というのはカーラの俺に対する呼称だ。俺は普通に結城 治だと自己紹介したのだが、カーラには治を姓だと捉えられてしまい、苗字で読んでいるつもりらしい。
女の子に名前で呼ばれるのは―――そう思っているのは俺だけだが―――悪い気はしないから放っておいている。
俺に言わせれば、彼女も十分変わった格好をしていると思う―――カーラは布製のタートルネックのような服の上から、革製の鎧みたいなものを身につけていた。動きやすさを重視しているのか、心臓と肩、肘のみを覆っている。
下はショートパンツを履いていて、ベルトに小物入れや剣の鞘をくくりつけている。靴はこれまた革できたブーツだ。
とても日本で暮らしている人の恰好とは思えない。
「さっきも言った通り、俺は大阪ってところに住んでたんだ。どうやらカーラは知らないみたいだけど」
カーラは肩をすくめて、
「聞いたことないですねえ。私としては、ユルトベルグをご存じないというのが驚きですよ」
「どうやら、俺は元居た場所から相当離れてしまったみたいだね……。そういえば、さっき魔法というのを使ってたよね? もしかして、人を別の場所に転移させたりとか、できるのかな」
俺としては、別の場所と言うより、別の世界じゃないかと思っているが……。
なにしろ、魔法やモンスターが存在しているのだ。その証拠は先ほど嫌と言うほど見せつけられた。
「そんな魔法を使える人がいるというのは、聞いたことないですね……。賢者ユルト様ならできるかもしれませんが」
「賢者ユルト様ってのは、偉い魔法使いかなにかか? ユルトベルグと何か関係あるのかな」
「ユルト様は、ユルトベルグをお造りになった魔法使いですよ! 建国からいままでずっとユルトベルグを治めていらっしゃいます」
なるほど、偉い魔法使いというのは過言ではないようだ。
「ユルトベルグの住民は、みなユルト様の庇護とお導きのもと暮らしているんです。もちろん私も」
カーラの、ユルト様とやらへの崇拝は宗教的なものを感じた。
宗教を信じることが悪いことだとは思わない。だが、俺自身は無宗教なのであまり深く突っ込むのもどうかと思い、話題を変える。
「へえ、そりゃすごいな。ところで、カーラはなぜモンスターハントって仕事をしようと思ったんだ?」
さっきの様子を見る限り、日常的に命の危険があるし、女の子ではフィジカル的に厳しい場面もあるだろう。なので俺は、家族代々の仕事を継いだとか、食うに困って仕方なくとか、そういう返事を想定していたのだが。
「なぜって―――もちろん、ユルト様のお導きがあったからです! ユルトベルグでは、みなユルト様に仕事を決めていただくんですよ」
かなり想定外の返答が返ってきて、俺は言葉に詰まってしまった。