神殺し
アズバ独白、前編
【アズバ】
私はただ、あのお方から受けた愛を返したかった。それだけが、私の唯一の望みだった。
だから、皆をだましてまで私はあのお方を蘇らせたのだ。たとえそれが、この世界を滅ぼす危険性を帯びていたとしても――――
私が生まれて初めて見たものは、あのお方のお姿だった。汚れ無き純白の肌に、曇り無き純粋な眼――――
そのお姿を一目見て理解した。私は、このお方のためにこの世に生を受けたのだと――――
あのお方にお仕えしていた頃は、一日一日が宝物であった。あのお方の言葉は全て慈愛にあふれ、私たち下々の者は皆、あのお方に感謝をし、心は歓喜で満たされた。あのお方は我欲のために動いたことは一度たりとてなく、私たちの幸福のために動いてくださった。その奉仕は私たちに、誰かを愛することの尊さを教えてくださった。
私たちは、あのお方の言動を真似て、己の心を高めてきたのだ。特に、あのお方の一番近くにいた私は、世界で最も幸福であったことだろう。私たちは、あのお方を父として、母として崇め奉った。実に自然な流れであったよ――――
私もまた、いつか必ずあのお方に恩返しをするのだ、と固く心に誓い、それを常々あのお方にお伝えしていた。その時の嬉しそうなご尊顔を、私は一生忘れない。今も鮮明に、昨日のことのように思い出されるのだ。
楽しかった。本当に、楽しかったのだ……。それなのに――――
悲劇は、唐突に起こった。
「我が主よ……今、何と……おっしゃった?」
「聞こえませんでしたか、アズバ? この世界を、滅ぼします」
私は耳を疑った。世界を滅ぼす? あれだけ慈愛を与えてくださったあなたが?
「主よ……まさかあなたがご冗談をおっしゃるとは――――」
「私は冗談でこのようなことは言いません。馬鹿にしているのですか?」
「冗談だとおっしゃってください! なぜです!? なぜこんな急に――――」
「前々から考えておりました。この世界は間違った方向に進んでしまいました。そして、もう滅ぼす以外に、修正の方法はありません」
「そんな!? 何を以て間違いと決定されたのです!? 皆あなた様を想い、あなた様のために生きています! あなた様の意に背いたことなど、皆一度もありません!! なのになぜ――――!?」
「アズバ……あなたは人が良い。だから気付かないのです。彼らがいかに醜く、汚らわしい存在と成り果てたかを」
信じられなかった。主から、そのような言葉が出るとは。目の前にいる方は、本当に私が敬愛していたお方なのか? 何か別の存在が取り憑いたかのような変貌ぶり――――
しかし、主から放たれるあの神聖な気配は健在であることから、同一存在であることに間違いない。いっそ、別の邪悪な存在が主を騙っていた方がどれだけ楽だったか。
その後、主は私たち司祭に、自分か下々、どちらに付くかを三日以内に決めるようおっしゃった。あのお方なりのご配慮だったのだろう。主も、下々も、どちらも愛していた我々にとって、その選択はあまりに過酷なものであった。そして、私以外の司祭は皆、主は乱心したと決定づけ、同族の味方を
することに決めた。
最後まで、私は双方を諫め続けた。我らが争う必要がどこにある? なぜわざわざ、地獄を生み出すような真似をなさるのか、と――――しかし、主は最後まで御心を変えなかった。
なぜ主はこのような決定をしたのか? 本当にご乱心なさったのか? いや、しかしあの凜としたたたずまいは――――私の悩みは、さらに深まるだけであった。
結局、これから生まれてくる子供たちに罪はないという理由から、私も主に反旗を翻すことになった。そして、ヒト族をまとめ、すでに世界を地獄に塗り替えていた主を辛うじて打ち倒してしまった。主から放たれた呪いを、その身に受けながら――――
「主よ……これで終わりです。後は我々に任せて、安らかにお眠りください……」
「フフフ……終わり? いいえ、これは始まりなのですよ……アズバ、存分に苦しみなさい。近いうちに理解することになるでしょう……私が正しく、あなたが間違っていたことをね……」
「主よ……なぜこのようなことをなさったのです? あのまま穏やかに暮らしていれば――――」
「私は……いずれ生まれ変わる。その時こそ、あなた方の最期です……フフフ、フハハハハ……」
主は、私の疑問に答えることなく、お隠れになった。仲間たちは世界の無事を喜び、邪神と化した主の滅亡を心から祝福した。ついこの前まで、あれほど主を讃えていたというのに――――
私の中で、何かが壊れ始めたような気がした。そして、その気はすぐに確信へと変わる。
~~~~~~
神が不在となり、英雄となった私が、半ば強引に次の世界の導き手に選ばれてしまった。正直やりたくはなかったが、最後まで責任を果たさねばならぬと思い、渋々受け入れた。ここから、人間神としての私の生活が始まったのである。やるからには最善を尽くす。それが、神を滅ぼしたことへの贖罪となる。私は、世界のため、そして人々のためにこの身を捧げることを固く誓った。
だが、そんな私の思いとは裏腹に、事態は良からぬ方向へと動き出した。神殺しの罪を、断罪するかのように――――
まず、神との戦いで汚された大地の修復が上手くいかない。私や仲間たちは持てる力全てを出し切ったが、期待した効果は得られなかった。その間も、どんどん人々の命が失われていく。私たちが守ろうとしたこれからの命が、真っ先に天に召されていった。
あのお方であったら、一瞬で元通りに出来たことだろう。改めて、あのお方の偉大さを思い知らされた。
やがて、人々は互いに殺し合いを始めてしまった。世界がいまだ安全にならず、明日を迎えることができるかどうかもわからない状態が長く続き過ぎてしまった。人々の心は、もう限界だった。
彼らは愛する者を守るために、他の誰かと戦う。その流れは各地へと伝播していき、いくつかの勢力に分かれて戦争が始まってしまった。大地はさらに荒れ果て、より多くの命が散った。それでも、私は自分にできることをするしかなかった――――
そんな惨状を見た仲間たちも互いに争いを始めてしまった。ある派閥はやはり神に刃向かうべきではなかったと言い、またある者はそんな意見を非難した。一つの目的のために集い、共に命を預けた我らの絆は、あっさりと崩れ去ったのだ。
「リンベル……お前も去るのか……」
「すまないアズバ……僕はもう、この世界に絶望した。僕にはどうしても、あんな身勝手な奴らために働くことなんてできない!」
「そうか……ならば止めはしないよ。元気でな」
あの時の親友の顔は今でも忘れない。ヒトのために尽くすことが好きだった彼の口から、そんな言葉がでるなんて――――
(これが罰だというのか……? 神よ、あなたはこれを見越して、世界を滅ぼそうとしていたのですか……?)
いくら問いかけたところで、その答えが返ってくることはない。そして、一度進み出した以上、後戻りも許されない。
私は、崩れそうになる心をなんとか押さえながら、独りで世界復興のために己の身を燃やした。諦めずやってきた甲斐があってか、百年ほど経ってようやく世界は平和への道を歩み出すようになった。私は、その時に人々を取りまとめる組織を創設することにした。
それが、神軍である。将来有望で、美しい魂を持った者たちのみを選び、その者たちに力を授けて世界各地の村々を統括するようにした。無論、村の運営などは村人自身に任せる。神軍の役目は、あくまでも治安維持だ。そして、教育施設や医療施設の創設を行い、人々がより安心・平和に暮らせる手助けをした。それらは全て成功し、ようやく世界から争いの火種は消えた。
そして、一息ついた私にも、ささやかな幸福が訪れた。神に就任してから、二百年後のことである。
妻が、子どもを産んだのだ。




