ささやかな望み
「よし、皆いるな?」
アジトを出る前に、オルトスが最終確認を行い、全員いることを確かめる。皆声を出して、自分の存在をオルトスに知らせた。オルトスが全員を認めると――――
「俺を見失うなよ。しっかりついてこい」
オルトスを先頭に置き、カルミナとアリシアがその後に続く。バンクとボンクは最後尾につき、後方からの襲撃に備える。そうして一列になって、わずかな灯りを頼りに洞窟を出たのだった。
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「わあ……きれい……」
洞窟を出ると、外はちょうど朝日が昇る頃であった。真っ直ぐに整った水平線からひょっこりとまばゆい顔を出す様は、どこか愛嬌を感じさせる。そして、ザザ~ン……と鳴り響く水が激しく流れ出す音に、少々肌寒さを覚える風。だが、どれも不思議と心地よい。カルミナは初めて感じる謎の高揚感を味わい、非常事態にも関わらず自然と笑みをこぼす。
目の前に果てしなく広がる水の大地。初めて見る光景に、カルミナの目は釘付けになった。
「何だカルミナ? 海見るの初めてか?」
「海……これが、海なのね……」
激しく脈打っていた心臓が、少しずつ落ち着きを取り戻していく。海は今のカルミナたちの状況とは違い、ひどく穏やかで――――その安穏な光景が、カルミナたちにはちょうど良く感じた。暗く沈んだ心を抱きしめ、慰めてくれるような――――海を見ていると、そんな気持ちになってくる。
「こんな状況じゃなかったら、もう少し楽しめたんでしょうね……」
「まあな……さっ、耽っている場合じゃねえ。さっさとヒノワ村に向かうぞ。ほら、向こうに見えるだろ?」
オルトスが指さした方向を向くと、彼の言うとおり、眼下にかなり大きな村があった。いくつか小さく見える家々が並び、中央には一際大きな屋敷が建っている。あそこが、首長の住まいなのだろうか?
また、出るまで気付かなかったが、アジトは小高い丘の上にあったようだ。そして、リンベルたちがしたのかは不明だが、ヒノワ村まできれいに整えられた土道がつながっていた。
「この道を進めば、2時間ほどでヒノワ村に着くはずだ。道中、油断なく行くぞ」
「わかった。アリシアも私の側を離れないようにね」
「うん、カルミナ……」
そうして、一同はヒノワ村に向けて歩き出すのだった。
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「そういえば、オルトスたちが使っていた馬車は? あれで行けば良かったんじゃ……?」
カルミナが唐突に思い出したように、先頭を歩くオルトスに尋ねる。オルトスは後ろのカルミナに顔を向けることなく――――
「あれは丘を下りたとこにある馬屋に置いてるんだ……アジトでは馬の整備ができないからな」
「ああ……なるほど……」
「それに多少整備されてるとはいえ、やっぱ坂も急だからな。馬には厳しい。登るから、牛くらいの力持ち連れてこないとな」
「そっか……馬さんに無理させるわけにもいかないもんね」
再び沈黙の時間が流れる。オルトスは前方に最大限の注意を払いながら進み、後ろのバンクとボンクも恐怖に震えながらも、しっかり後方を確認している。
「…………」
「大丈夫、アリシア?」
思い詰めたような顔をしているアリシアを見て、カルミナが心配そうに声をかけた。アリシアはその表情を崩すことなく――――
「身体は大丈夫……ただ、リンベルさんのことが……」
「気がかりなんだね?」
「うん……カルミナも、でしょ?」
アリシアはカルミナの方に顔を向ける。今にも泣きそうな顔をしているアリシアを見て、カルミナも辛そうな表情になった。アリシアの方を向くことなく、ゆっくり口を開く。
「そりゃ心配だよ……いくらリンベルさんとはいえ、相手はあの神様なんだもの……」
「また、会えるよね? リンベルさんと……」
「アリシア……」
「また私、迷惑かけちゃってる……リンベルさんも、私なんかに出会わなかったら――――」
「やめろ」
低く唸る声が聞こえた。カルミナたちが声のした方を向くと、オルトスがこちらに厳しい視線を向けていた。
「自分を責めるのはやめろ。お前の悪い癖だぞ、アリシア」
「ご、ごめんなさい……」
「カシラなら大丈夫だ。あの人の強さは、俺たちが誰よりも知ってる。あんな所で負ける人じゃねえ……大丈夫、大丈夫だ……」
そう言うオルトスの身体は小刻みに震えていた。自分に言い聞かせるかのように、何度も「大丈夫」とつぶやいている。
――――そうだ、本当はオルトスたちが一番辛いはずなんだ。それなのに、私たちのために、必死に我慢して強く振る舞ってる……
アリシアは己の情けなさを恥じ、気合いを入れ直すかのようにバシッと自分の両頬を叩いた。カルミナと後ろのバンクとボンクは驚いたようにギョッとさせていたが、オルトスだけは微かに笑みを浮かべ、再び前を向いた。
「本当に大丈夫? アリシア」
カルミナがさらに不安げな顔をしてアリシアを見つめている。アリシアはどこか勇ましい笑みをカルミナに見せると――――
「大丈夫、今ほっぺに虫がついただけだから」
「虫? 両方同時に?」
「両方同時に」
「そ、そう……それなら、いいんだけど」
カルミナはなおも不安げな表情を崩さずにアリシアを見ていた。
「カルミナ」
「な、何?」
アリシアはもう一回、満面の笑みをカルミナに見せる。
「頑張ろう」
「――――! うん、頑張ろう!」
愛しの人の最高の表情を見て、カルミナも自然と満面の笑みが出るのだった。
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「そういえば、結局ヒノワってどんな所なんだろう? ほら、どんな人が住んでるの~とか美味しいもの~とか文化~とか」
丘を半分まで下りて来たころ、カルミナが思いついたように疑問を投げた。
「実は俺ら、ヒノワ村の中に入ったことないからわかんないんだよな」
「え!? そうなの!!? こんなご近所なのに!?」
オルトスの答えに、カルミナは驚いたような声をあげる。
「ヒノワの連中と付き合ってたのは、専らカシラだけだからなあ……俺らもあっちこっち飛び回ってたし」
「そうか~それじゃあ、オルトスたちも私たちと同じ、ワクワクドキドキ気分でヒノワに行けるね!」
「ならねえよ、お前みたいに頭お花畑じゃねえんだから」
「オルトス、私のことそんな風に見てたの……」
カルミナはジロリとオルトスを睨み付ける。オルトスは気づかないふりをして、変わらず前方に注意を払っている。カルミナはムスッと頬を膨らませながら――――
「いいもん、オルトスなんか知らない! ねえねえ、アリシア? ヒノワ村って何が美味しいのかな?」
「やっぱり食べ物なんだね、カルミナ……」
話し相手になったアリシアが、呆れたようにため息をこぼす。
「人間はね、美味しいもの食べて好きな人と他愛ない話で盛り上がっていたら幸せなんだよ!!」
カルミナはフフンと決め顔になる。名言を言ってやった感を前面に出しながら。
「いやいや、もっと色々あるでしょうが……」
「ほほう、アリシアくん。他に何があるのか言ってみたまえ」
「急にウザくなったなお前……」
アリシアがお怒りモードに変わりつつあった。しかし、カルミナはそんなことを気にせず、それからもアリシアと「他愛ない話」を続けていく。時折オルトスたちも混ざり、最終的にはこれからピクニックにでも行くような盛り上がりを見せた。カルミナを中心に、明るい笑いがわき起こっていた。
――――そうだ、自分はこれを望んでいたんだ。大好きな人と美味しいもの食べたり、お話したり、時々誰かのお手伝いをしたり――――
そういう、普通の生活をアリシアとしたいだけなんだ。
他には何もいらない、だからどうか、どうかお願いです。
これからも、アリシアと平和な暮らしをさせてください。他には、何も望みませんから――――
~~~~~~
「よし、もうすぐでヒノワ村だ」
「やっと、ここまで来たね」
ようやく丘を下りきったカルミナたち。カルミナたちはここまで何事もなかったことに安堵感を覚えた。後は前方に広がる平野を少し進めば、その先に目的地であるヒノワ村に到着する。
「さっ、早く行こう! そしてヒノワ名物を平らげるのだ!!」
あと少しと分かり、浮かれ気分になるカルミナ。ヒノワ村に入れば、しばらく身の安全は保障されるだろう。その間に、アリシアの存在を認めさせる方法を考えなくては――――
「ちょ、待ってよ! カルミ――――」
「早く早く! アリシ…………ア…………」
――――誰かの迷惑になるつもりなんかない。ただ、他の人同様に生きていたかった。それだけで良かったんだ。それなのに――――
悲劇というものは、物事があと一歩で達成される時に起こる。
それは時には、非情にも取り返しのつかない事態に陥ることもあるのだ。今現在、平穏を望む二人の少女が直面したのは、その類いの悲劇だった。
「残念だが、君たちの旅はここまでだ」
冷たい男の低い声が響き渡る。その声の正体を、カルミナたちは嫌になるほど知っている。なにせつい先ほど対面し、今はリンベルと戦っている最中のはず――――
いや、そんなことはどうでもいい。それよりも、それよりも!!
「あ……ああ……あああ……」
カルミナの思考が止まる。考えられない、考えたくない。今自分は、夢を見ているんだ。そうだ、そうにちがいない。そうだと言って!! でなきゃ――――
――――アリシアの胸から、剣が突き出るなんてあり得ない!!!!
「アリシアああああああああ!!!!!」
突如胸を貫かれ、何が起きたのか分からず呆然としているアリシアを見ながら、カルミナは腹の底から悲痛な叫びを上げるのだった。




