憧れの過去
「リンベルさん……?」
カルミナは病人のようにやつれた顔を見せながらリンベルを見つめる。リンベルはフゥ、と軽く息を吐くとカルミナの前にそっとスープ皿を差し出した。
「様子を見る限り重いものは受け付けなさそうだったから、スープだけ持ってきたよ。それくらいは身体に入れなさい」
リンベルは穏やかな口調を崩さず、カルミナにスープを勧めた。スープはまだ熱いのか、真っ白な湯気をモクモクと生み出している。それを見た瞬間、カルミナの腹がぐううと物欲しそうに鳴った。カルミナは恥ずかしそうに顔を赤らめた。リンベルはクスッと微笑むと――――
「ほら、身体は正直だ。熱いうちに飲みなさい」
「はい……いただきます」
カルミナはリンベルの勧めに従い、ゆっくりとスープを口に含む。火傷するくらい熱々のスープがカルミナの体内に流れ、強張っていた身体を徐々にほぐしていく。あまりの心地よさに、カルミナは思わずホゥ、と安堵の息を漏らした。
「美味しい……」
その言葉しか、出てこなかった。今まで豆のスープは飽きるほど飲んできたが、これはもはや別物だ。そう思えるくらい、極めて完成された味だった。
「それは何よりだ」
ウンウン、とリンベルは嬉しそうにうなずいた。カルミナはあっという間にそのスープを飲み干し、満足したような表情で味の余韻に浸っていた。
「ごちそうさまでした」
カルミナは手を合わせて、感謝の意を表す。それを見たリンベルはほほう、と感心したように声をあげた。
「それ、ヒノワ式のマナーだね? 食事前後で手を合わせて感謝するの」
「そうですね。つい最近知りましたが……」
「たしか、君のお母さんがヒノワ出身だったっけ?」
「はい、母からは色んなことを教えてもらいました。舞道も、その一つなんです」
「やっぱり、君のお母さんは強かったかい?」
「はい、それはもう。今でも最強だと思ってます」
「そんなにかい!? それはすごいねぇ」
リンベルは感嘆の声をあげる。ローガスやガデスといった、この世界でもトップクラスの実力を持つ彼らの戦いぶりを見てもなお、そう言えるということは、かなりの実力を持っていたのだろう。
「ちなみに、お母さんの名前はなんて言うの?」
「ヨーコって言います」
「ヨーコ、ヨーコってまさか……」
「リンベルさん?」
リンベルは突然、顔をしかめて考え込む。そして、何かを思いついたようにハッと顔を上げ――――
「カルミナちゃん、もしかして君のお父さんの名前、ヘンリーって名前じゃない?」
「えっ!? どうして知ってるんですか!?」
「やっぱりそうか!! ははは、そうかそうか! 確かにヨーコちゃん、その服着てたなあ!!」
リンベルは何かわかったのか、途端に明るい表情を見せてカルミナの着ているキモノをまじまじと見る。カルミナは訝しげな表情を浮かべながら――――
「リンベルさん、私の父や母を知ってるんですか?」
「知ってるもなにも、君のお母さんのヨーコちゃんは私の弟子だった」
「うそ!? 本当に!!?」
「道理で一目君を見たときから、なんとな~く既視感があったわけだよ……そうか、君があのヨーコちゃんの娘か……髪が金色だから確信が持てなかったよ。あっ、でもそういえばヘンリー君は金髪だったなあ。なるほどなるほど……」
リンベルは嬉しそうに何度もうなずいた。カルミナは驚きのあまり、目を限界まで見開き、口を大きく開けている。
「まさか……こんなところでお母さんを知ってる人がいるなんて……しかもその人物がリンベルさんで、お母さんの師匠……すっごい偶然……」
「ちょうど、君と同じくらいの年だったよ。僕の元で修行してたのは」
「……教えてくれませんか? 母があなたの元でどんな風に過ごしていたのか……」
カルミナは真剣な眼差しをリンベルに向けて尋ねた。彼女の修業時代を知ることで、何かヒントが得られるかもしれないと思ったのだ。リンベルはどこか懐かしむように遠い目をして、ゆっくりと口を開いた。
「彼女は……ある日いきなりここに転がり込んできてね、僕の弟子になりたいと言ってきたんだ。半泣きになりながら、強くなりたいと僕に訴えた」
「なんで、半泣きだったんだろう……?」
「彼女の名字は、『カミモリ』といってね……カミモリ家は代々、ヒノワの首長を護衛する、近衛隊を率いる名家だった。ヨーコちゃんも時が来たら、家の跡を継いで近衛隊長になる予定だったんだけど……彼女はそれが耐えられなかったらしい。家や村のしがらみから解放されるために、誰にも文句の言われることのない強さを求めたんだ」
「そう、だったんだ……」
「ヨーコちゃんは教えてくれなかったのかい?」
「母は……あまり自分のことを話す人ではなかったので……名字があったことも、初めて知りました……父に名字はなかったので、てっきり母もそうなのかと……」
「そうか……たしかに、彼女は『カミモリ』に対して強いコンプレックスを抱いていた。思い出したくなかったのかもね」
「…………」
カルミナは無言でリンベルの話に耳を傾ける。今思えば、ヨーコの立ち振舞いには育ちの良さが窺えるような、そんな奥ゆかしさがあった気がする――――
「当時の僕も結構な数の弟子をとっていたから、断る理由もなかった。事情を諸々知ったのは、弟子にしてしばらくだったなあ。しかもヨーコちゃんの家も何回か連れ戻しにやってきて……本当、あの時は大変だった……」
そう言う割にリンベルの表情はまんざらでもなさそうで――――むしろ自分の武勇伝を若者に話す老人のように楽しそうだった。
「よくお母さんの家の人、引き下がりましたね……」
「これがね、全く引き下がらなかったんだよ。それくらい、ヨーコちゃんには期待してたんだと思うけど……埒が明かないから、僕はある提案をした」
「提案?」
「それは、当時のカミモリ家の当主――――つまり、彼女の母親と真剣勝負をして、勝った方の言い分を聞くというものだった」
「――――!!」
ヨーコはその提案をすぐに受け入れたという。そして、一ヶ月後に勝負を行うことになった。勝負の日までの期間、ヨーコは――――
「彼女は大変な努力家で、自分の実力を客観的な視点で推し量れる子だった。多少の荒さはあったものの、磨き方を間違えなければ確実に勝負に勝てると僕は思っていた」
「――――そして、お母さんは勝ったんだね?」
「そうだね。ちなみにヨーコちゃんのお母さんは、当時ヒノワで首長の次に強かったんだよ。歴代のカミモリ家当主と比較しても、その強さは上位に位置する方だった。好き嫌いを抜きにすれば、彼女はヨーコちゃんの憧れの人で、乗り越えるべき目標だったらしい」
「そう、なんだ……すごい、やっぱりお母さんはすごいや――――」
カルミナは改めて、自分の母親の強さを再確認した。自分と同じ年の時にすでにトップクラスの実力を手に入れているとは――――しかも、それに驕ることなく研鑽を重ね、技にさらなる磨きをかけた。その結果、彼女は自分の望む自由を手に入れたのだ。
(それに比べて、私は――――)
カルミナに再び暗い影が落とされる。自分の小ささを実感させられた。ギリ……と思わず歯のこすり合う音を鳴らした。そんなカルミナの様子を見たリンベルは全てを察したのか、カルミナに寄り添うかのように隣に座った。
「――――やっぱり親子だね。よく似てるよ、君たちは」
「え……?」
「ヨーコちゃんは、さっきも言ったようにすごい努力家だった。向上心を忘れず、客観的に自分の実力を推し量り――――」
リンベルは、気を沈ませているカルミナに顔を向ける。
「よく、一人で落ち込む子だった」
その言葉を聞いた瞬間、カルミナは驚いたように目を見開きながらリンベルの方を見た。リンベルは嬉しそうに微笑んだ。
「お母さんも……落ち込むこととか、あったんですか……? お話を聞く限り、そんな風には見えないけど……」
「彼女は自分の実力を推し量れるあまり、自分で自分の限界を勝手に決めてしまう子だったんだ。だから、その限界が彼女の母親に届かないと思ってしまって、ここで一人うずくまってたよ。今の君みたいにね」
信じられなかった。カルミナの知るヨーコは、いつも明るくて、優しくて、強くて――――落ち込んだり、泣いたりしている姿を見たことがない。彼女が、死ぬ寸前まで――――
「信じられない、といった顔をしてるね」
「それは、見たことないから……そんな姿……」
「カルミナちゃん、当たり前だけどヨーコちゃんも血の通った、正常な心を持ったヒト族だ。人並みに喜ぶし、人並みに悩むこともある。彼女の場合は、自分の弱い部分を他人に見せないという、何とも不器用な性格だっただけさ。それが、彼女が強いという錯覚を見せる」
リンベルの言葉に、カルミナはハッとさせられる。そうだ、自分もできることなら他人に弱っている部分は見せたくない。自分のことで、他人に余計な不安を与えたくないから。
(お母さんも、そうだっただけなんだ……)
「僕としてはもう少し、頼ってほしかったけどね。そのために師匠やってたんだから……だからね、カルミナちゃん」
リンベルは、カルミナの頭を優しく撫でる。カルミナのざわついた心を沈めるかのように。カルミナは不思議な安心感に包まれていく。
「ヨーコちゃんにも言ったけど、弱さを他人に見せるのは悪いことじゃない。君の弱さは、今は僕が受け止めよう。一人でそうやって思い悩むのも大事だけど、それを続けると君が崩壊してしまう」
「リンベルさん……」
カルミナはどこか懐かしい感覚に満たされていた。リンベルの言葉、挙動の一つ一つがカルミナの重たい心をフッと軽くしてくれた。
「私に……教えてくれませんか? どうすれば、強くなれるのかを」
カルミナは意を決したようにリンベルに言った。リンベルはウンウン、とうなずくと――――
「もちろん、そのために僕がいるんだからね。君に、僕がヨーコちゃんに教えていたことを余すことなく教えよう。最初に言っておくと、今日よりさらに厳しくいくからね?」
「それはもう。むしろドンドン遠慮なくきてください。今からやりましょう。善は急げなので」
「えっ? 今から? 今からは……」
「教えてくれるんですよね?(ニコッ)」
「……そういう強情なとこも、すっごいよく似てるよ……」
この日から、リンベルとカルミナの個別レッスンが開始されたのであった。
ちなみにこの後、カルミナはアリシアに滅茶苦茶怒られるのだが、それはまた別の話。