人間神の思惑①
辺り一帯、どこまで行っても真っ白な空間。無限の白亜が広がる世界、通称始まりの地。
そこにポツンと、三階建ての巨大な宮殿が建っていた。この場所こそが、世界を支配する神軍の総本部である。
当然、この宮殿も壁面は何の装飾も施されていないただの真っ白な壁であり、中庭にも一切の植物は生えていない。何色にも染まらない、物寂しい美しさだけが存在する空間だ。
その宮殿内部の大広間の円卓に、五人の男女が座っていた。さすがに人となると様々な色を持っているが、皆それを隠すかのように白のフードがついた白い神官服を身に纏っている。
椅子の背にもたれかかって行儀の悪い座り方をしている者や、反対に背筋を伸ばしてきちんと座っている者、肘をついて物思いに耽っている者、他の五人より背が小さくて足をブラブラ遊ばせている者、そして寝ている者。
それぞれ特徴的な座り方をしている五人が、一同に集まっていた。
椅子の背にもたれかかっている者が初めに沈黙を破る。
「んで、今日俺たちが集まった理由は何だ?」
若い、二十代くらいの男の苛立ちが含んだ声。時折舌打ちしながら、椅子をゆりかごのようにガタガタと乱暴に動かしている。ローブから覗く眼光は、今にも殺戮を開始しそうな程恐ろしく鋭い。殺気を隠すこと無く、むしろ他の四人にわざとぶつけている。
「……知らん。我らのような矮小な存在が、主の御意向を解するなど不可能な話だ」
背筋をピンと伸ばし、礼儀正しい座り方をしている、いかにも真面目な性格をしていそうな者が両手を合わせてそう答えた。悪態をついている男より、野太くしわがれた男の声だった。少なくとも、ある程度の歳はとっているのだろう。男はその後、何やらブツブツと教義のようなものを唱え始めた。
自分を意にも介さないようなその態度に、最初に喋り出した悪態男はより苛立ちの感情を強くした。
「チッ! 会話が成立しねえ…! おい、フィーリスの姉貴! あんたは親父からなんか聞いてねえのかい?」
フィーリス、と呼ばれた肘をついてボーッと虚空を見ている女性は、悪態男の方に目線だけ一瞬動かして、
「……知らない。どうでもいい」
とだけ呟き、再び物思いに耽り始めた。薄桃色の髪が白のローブからはみ出ており、同じ色をしたしっぽを振り子のように左右に揺らしている。再び適当にあしらわれてしまい、悪態男はさらに苛立ちを募らせる。
「ああ、くそ……! だからこいつらと一緒にいるの嫌なんだよ……! 人として最低限の会話くらいさせろってんだ!」
ついに我慢の限界に達したのか、悪態男がテーブルを蹴る。背の小さい者がその蹴りによって、驚きのあまり危うく椅子ごと倒れそうになった。
桃色髪の女性が、じろりと悪態男を睨む。
「ちょっと、やめてよ。考え事してたのに……」
「うるせえ! てめえの事情なんか知るか!!」
「……ほんと、なんであんたみたいな粗暴な奴がここにいるのかね……」
「なんだと? やるのかてめえ……」
「たまには姉として、お灸を据えてやるのもいいかもね」
「おもしれえ……」
二人が席を立って、互いに白のローブをとる。男の方は、茶色いショートヘアに獣のような鋭い目つき。口角をニヤリと突き上げ、舌なめずりしている。まるで、これから起こるであろう闘いに心踊らせているかのように。
一方、女の方は桃色の髪に、気だるそうな垂れ目。そして、猫のような耳が頭の上にくっついて、ピョコピョコと動いている。尻尾もあてもなく彷徨うかのように動きまわっている。女は持っていた弓を構えた。
「近接じゃあ、あんたは不利なんじゃねえの姉さんよ?」
「なめないことね。ちゃんと近接戦闘の心得もあるの。いくつもの状況に合わせられるのが私の弓術。速いだけがご自慢のあんたとは違ってね」
「へっ! 強がりは今のうちだ。すぐにその生意気な顔を泣き顔に変えてやるよ!!」
二人が互いに殺気を放つ。間違いなくやる気だ。
背の小さい者はアワアワと二人をどうやって止めようか悩んでいるようだ。手を合わせてブツブツ唱えている男は、気にしていないのか、それとも気付いていないのか、二人のことは無視して自分の世界に入っている。
いよいよ二人の争いが始まろうという、その時。
「何を、しているのかな?」
時が、止まった気がした。
さっきまでやる気であった二人も、人が変わったようにピタリと手を止め、おそるおそる声の主の方を見る。
若い男だった。見た目は二十代くらいで悪態男とさほど変わらない。しかし、まるで全てを見透かすような藍色の瞳に周りの風景と同じ白い髪。穏やかな笑みをしているが、二人を捉える視線は決してそうとは言いがたい、むしろ正反対の、ひどく冷たいものだった。
それを察したのか、今にも争おうとしていた二人もその場で男に対し、忠誠の証を示すようにひざまずく。悪態男が、先に声を発した。
「も、申し訳ありません、親父……。このような場であなたの嫌う醜い争いをやろうとしたこと……」
「この場、だけではないよ、ガデス。子供達の手本となるべき君たちが争い合ってはいけないな。そうだろう?」
「は、はい……! おっしゃる通りでございます…!」
ガデス、と呼ばれた悪態男は全身から汗を吹き出して謝罪を続けた。口元はガタガタと震わせ、それに合わせて瞳も弱々しく揺れている。そしてそれは、もう一人の桃色獣人、フィーリスも同様であった。
二人とも、一瞬にして牙を抜かれた獣と成り果てた。
「ローガス、いつまで寝ている気だい? もう起きているんだろう? 身体を起こしなさい」
白い男は、まるで父親が子供を注意するかのようにゆっくりと、しかし厳しい声でテーブルに伏して寝ている男、ローガスに言った。その声に反応して、ローガスはゆっくりと身を起こす。その顔は、今ローガスに命じた男と、見間違えるくらい瓜二つの顔をしていた。目をトロンとさせ、口元からヨダレが垂れている。同じ服を着ているため、パッと見ただけではどっちか判断がつかない。
「あーあーローガス兄さん、テーブル汚しちゃってるよ」
「兄上……、ほらこれでお拭きなされ……」
いつの間にか唱え終わっていた隣の真面目男が、手拭いを差し出した。
ローガスはそれを受け取り、軽くサラッと拭いた。
「ん、ありがと。デイス」
「とんでもございません。兄上のお役に立てれるのならば、このデイス至上の喜びでございます……」
「あっ、そう。それならいいけど」
ローガスはうやうやしくお辞儀しながら答えたデイス、と呼ばれた真面目男に対して、抑揚のない淡白や声で答えた。
「ひとまず、いつもの家族会議を始めよう。フィーリス、ガデス? 今回のことはもういいから、早く席につきなさい」
「「は、はい!! ありがたき幸せ!!」」
フィーリスとガデスは二人同時に声を出して、自分の席に戻った。
その言葉にニコッと優しい笑みを浮かべた白い男は、そのまま円卓、ではなく……、
円卓から少し離れた玉座に座った。その姿はまさしく、王者の風格。そう、この宮殿の主だと言って、疑う者はいないだろう。
彼こそ、その昔勇気と愛を用いてこの世界を救った伝説的英雄にして、現人神。
その名は、人間神アズバ。