怪しげな運び屋さん?
無精髭がチラホラ見えるその男は、簡単に言うなら、いかにも怪しげな錬金術師であった。まったく手入れされていないボサボサの長い茶髪。あまりにも長いので、前髪で目元が見えずどんな表情をしているかさえ、判断するのが難しい。自分の頭をワシャワシャ掻きながら、男は再び大きなあくびをした。
「何? 今起きたの? ハロルドおじさん」
ハロルド、と呼ばれたその男は寝起きのせいなのか、無愛想にムスッとした声で答える。
「ああ……帰ってきたの、真夜中だったからな……。さすがに大陸の端から端は遠かったぜ…」
「時間、自由に決めれないからね。遅くまでお疲れ様だよ~」
「まあ、サマルカンで泊まっても良かったんだが、ちゃっちゃと早く帰りたかったからな。なるべく休憩時間削って帰ってきたんだ」
「馬に無理させちゃダメだよ?」
「お前さんに言われるまでもねえ。ちゃんと馬の体力も考慮してるよ」
「そこらへんはさすがだね……」
男は無愛想ながらも、カルミナとしっかり会話できていた。ひとまず、とてつもなく変な人では無さそうだ、とアリシアはホッとする。しかし……、
「んでだ」
ハロルドは、今度はアリシアの方にぐるりと顔を向けた。
「そっちの嬢ちゃんが、ヘンリーの言ってたアリシアって奴か」
アリシアはビクッと肩を震わして、背筋を伸ばした。前髪が邪魔で見えないが、じっとこちらを品定めするかのように自分を見ているのは分かる。何とも言えない恐怖を覚え、アリシアはカルミナの後ろにそそくさと隠れた。
「ちょっとおじさん! 私の可愛いアリシアを威嚇しないでよ!」
「いや何もしてねえんだが……。何だそいつ、人見知り激しい奴?」
「人見知りじゃなくてもそんな姿でジロジロ見られたら怖いって! おじさんも事情知ってるんだから、これ以上そんな目で見る必要ないでしょ!」
「え……、どこまで知ってる、んですか……?」
アリシアはカルミナの影に隠れながらチラリと顔を出して、ハロルドに尋ねた。ハロルドは少しため息をついて、
「お前さんが記憶無いのと、世界の敵ってことは聞いた」
「……! わ、私が怖くないんですか……?」
「そんなヒトの背中に隠れてビビってる奴を怖がるなんてねえよ」
「………」
「おじさん! 言い方!! 要するにね、アリシア? このおっさんもアリシアが世界の敵なのは気にしてないってこと! だから安心していいからね?」
「……ハロルドと言う。まあ、依頼内容としてはサマルカンまで連れていくよう言われてる。そっからは、サマルカンから南東地方に向かうルートへスムーズに行けるよう手引きしてやるよ」
「やった! ありがとハロルドおじさん!」
「さて、あんまここに長居するわけにもいかねえだろう。すぐに支度してくるから待ってろ」
「………」
ハロルドは最後にアリシアを一瞥したあと、家の中に入っていった。
ハロルドの姿が見えなくなったのと同時に、アリシアはカルミナから離れた。アリシアは不安そうにカルミナに尋ねた。
「……あの人、大丈夫なんだよね……?」
「ハロルドおじさん? 確かに、あんな姿じゃ不安になるのもしょうがないよねえ! 実際、私も初めてこの家に行った時も、あんな感じでもそっと現れてさ! 怪物か何かかと思ったもん」
「そこまでは思わなかっけど……」
アリシアは、ハロルドという男をどこまで信用しても良いのか判断がついていなかった。会ったばかりで当然ではあるのだが、自分に協力すると言ってくれた人に対し、猜疑心を持ってしまったことにアリシアは罪悪感を感じていた。
「待たせたな。さっさと行くぞ、乗れ」
「え…?」
しばらく経って、ハロルドの声が聞こえてきた。アリシアがハロルドの姿を見て、呆気にとられて声を失った。
そこにいた男は、長い髪を後ろに束ね、髭もきっちり剃っており、完全に別人であった。前髪も後ろにやって、鋭い眼光が顕になる。ガタイの良さも相まって、その姿は今まで数多の修羅場をくぐり抜けてきた戦士に見えた。
「え、誰?」
「誰ってなんだよ。さっきまで話をしてたろ」
「え、ハロルド、さん?」
「他に誰がいるんだよ……」
「気持ちは分かるよ、アリシア。別人だよね完全に」
「人をどんな目で見てやがる……いいからさっさと乗れ」
「はーい、じゃあ行こう、アリシア」
「え? う、うん……」
「ちなみに馬車に乗ったら、この人がどんな人が少しは分かるよ」
「? それってどういう…」
「まあ、乗れば分かるわ……」
そう言葉にしたカルミナは、嫌いな物を無理やり食べさせられそうになるヒトのようにげっそりとした表情になる。
そんなカルミナを見たアリシアは、どこか嫌な予感を感じながら馬車に向かうのだった。
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「こ、これ、は……?」
「うわ……、前に見た時よりも増えてるし……」
馬車自体は、何の変哲もないシンプルな木製。何の飾り気もなく、乗りやすさだけを重視したかのような設計だった。そこまでは良かったのだが……。
「何? この絵……」
馬車の中には、壁一面埋まるほどの大量の絵が飾られていたのだ。しかも、皆描き方は違うが対象は同じーー
可愛らしい、金髪碧眼の少女の絵であった。
「こ、これは一体……?」
アリシアはおそるおそる、不敵な笑みを浮かべているハロルドに尋ねた。
「馬車に乗る客の中にはな……。訳アリとかで金を持ち合わせてない奴がいるんだよ。俺はそういう奴らをタダで乗せるかわりに、ある条件を課すんだ」
「条件?」
「それは、俺の娘の絵を描くことさ。もちろん、俺の納得のいく絵をな。どんな顔してるとかは口頭で説明して、あとは下手だろうが上手く描いてもらう。案外、上手く描いてくれるんだなこれが! ほら、これとかいいだろ? 絵なんて描いたことないとか言ってたけど、めちゃくちゃ上手くてさ!!」
ハロルドは楽しそうに、一枚一枚誰がその絵を描いたのかを説明していく。その顔は、あまりにも楽しそうで先ほどのまでの無愛想な人と同一人物とは思えない。子供のように目を輝かせており、声もどこか少年のように弾んで聞こえる。
「ねっ、面白い人でしょ?」
「ソ、ソウデスネ」
「……気持ちは分かるから。これに乗らなきゃいけないのかという恥ずかしい気持ちは分かるから。私も一緒に乗るから、ね……今は、我慢だよ……アリシア」
「わ、分かってる……。ぜ、贅沢は、言ってられないからね……」
「なんだよお前ら。人が折角説明してるのによ」
ハロルドが再び、ジロリとこちらを睨む。アリシアはもう、このハロルドという男がそこまで怖い男ではないことは分かったので、怯えることは無くなったのだが……。
これからこの馬車の中に入って街中を通ると思うと、恥ずかしさで死にたくなるかもしれない。
「さて、と。ひとまず内容確認だ。お前らを交易都市サマルカンまで連れていって、そこから南東地方行きの行程を案内する。ここまでだが、それでいいな?」
「うん! 大丈夫!」
「よし、それじゃあカルミナ嬢はよく知ってるから良いとして……」
ハロルドはアリシアに対して、おもむろに片手を差し出した。
アリシアはキョトンとした顔で、ハロルドを見る。
「あ、あの……?」
「なんだ嬢ちゃん、挨拶の仕方も覚えてねえのかい? 握手だよ、握手。ここらへんはきっちりやっとかないとな」
ハロルドは、相変わらず不敵な笑みを見せる。それが何を意図するかは、アリシアには分からない。しかし……、
「よ、よろしく、お願いします……」
「よしっ! よろしく!」
「ひゃっ!?」
アリシアはハロルドの手をおそるおそる握り、それに対してハロルドは強く握り返した。思わずアリシアは変な声を出してしまう。
「それでいい。そうやって、少しずつ学んでいけばいいさ。先は長いんだからよ」
「……! は、はい……」
ハロルドはそのまま、馬の方に行き、運転席に座った。
「おら、早く乗れ!! 時間はねえぞ!!」
「はーい! さ、行くよアリシア!」
「わわわ……ひ、引っ張らないで…」
分かっている。これは、決して楽しい旅ではない。これまでのように、命の危険に陥ることはたくさんあるだろう。しかしーー
以前と違い、心を弾ませている自分がいることに、アリシアは不思議な感情を覚えるのだった。