圧倒的絶望
【アリシアVSガデス】
ガデスは構えを見せたものの、全く動く気配はない。こちらから仕掛けるのを待っているかのようだ。
しかし、当のアリシアも攻めあぐねていた。付け入る隙がわずかにも見当たらない。これまでかなりの数の修行を重ねてきたのだろう。構え一つ取っても、全く無駄のない洗練された美しさを感じる。ガデスは軽くステップを踏み、いつでも動けるように準備を始めた。
「来ないのか? せっかく一撃受けてやろうと思ったのに……しょうがない。こちらから行くぞ、素人」
ガデスがため息をついたのを見た瞬間ーー、
「………え?」
アリシアの視界が、傾いた。そのまま自然の流れに従い、アリシアの身体が地面にへばりついた。同時に、アリシアの頬に鋭い痛みが響く。
どうやら自分は、思い切り横顔を殴られたらしい。しかし、その事実に気付いたのは、全てが終わった後だった。といっても、頭は全く現実に追い付いていない。どうしてこうなったのか、理解できない。
(い、一体……何が?)
あまりの現実味の無さに呆けていると、今度はアリシアの腹に痛烈な一撃が入った。
「ガハッ!?」
そのまま吹き飛ばされるアリシア。地面に着地しても勢いを殺しきれず、ゴロゴロと土煙を立てながら転がっていく。ようやく動きを止めた時には、全身が泥と擦り傷で染められた。
「あっ……ぐっ……!」
土が全身にできた傷口に侵入し、痺れるような痛みが走る。だが、それに構っている余裕はない。早く身体を回復させようとアリシアは力を行使しようとする。だがーー、
「カハッ!!?」
また、気付かぬうちにアリシアは最初の時同様、ガデスに首を掴まれていた。ギリギリと締め付けられ、回復に意識を集中させることができない。
「あ……ガ…………」
さっきより激しく絞められ、アリシアの頭が強制的に意識を終了させようとする。視界がだんだん暗くなっていき、力が抜けていく。アリシアが自分の死を覚悟した瞬間、何故かガデスはパッとアリシアを掴んでいた手を広げ、彼女を解放した。
「げほっ、げほっ!」
涙目になりながら、激しく咳き込むアリシア。しかし、身体の回復を悠長に待つ時間はあるはずも無くーー、
ガデスは、ぐっと力を込めてアリシアの腹に再度、強めの蹴りをお見舞いする。アリシアの身体の中から、何かが壊れる音がした。
「がフッ……」
あまりの痛みに、今まで発したことのないような声をあげながらうずくまるアリシア。早く立ち上がり、次の攻撃に備えなければいけないのに、身体がだんだん言うことを聞かなくなっていく。
「何だ? もう終わりかよ……チッ! 弱すぎて話にならねえ。これがあの《災厄》だと?」
ガデスは心底落胆したかのように、深いため息をついた。アリシアの光が、次第に弱まっていく。
そして、アリシアはそのまま元の姿に戻ってしまった。ここからアリシアが逆転するのは……限りなくゼロに近い。
「あ…………」
元に戻ったことで、今まで抑え込んだダメージが、貯まった負債としてアリシアの全身に襲いかかる。敵が目前にいるにもかかわらず、アリシアはその場でもがき苦しみ出す。
「う、うう……」
身体が焼けただれたように熱い。あまりの熱さに、身体を地面に擦り付ける。しかし、それが逆効果。傷口に土埃が侵入し、さらにジリジリとした痛みが駆け巡る。アリシアは声にならない悲鳴をあげた。
「あ、ああ……」
「はん! 無様だな。世界の敵らしい結末だ。だがまだだ……俺の熱はまだ収まってねえ……! ヴァルスの苦しみは、こんなもんじゃなかったはずだ……!」
覚醒が解け、痛みに耐え切れなくなったアリシアはついに、涙を流してしまう。まるで幼子のように静かに泣くアリシアを見て、ガデスの苛立ちはさらに募る。
「何だよその顔は……! 自分は悪くないみたいな、その面は何だぁ!? てめえらの存在が、どれだけの罪のない人々を苦しめているのか、まだわからねえのかぁ!!?」
ガデスはアリシアが死なないよう、力を加減しながらアリシアを蹴りを始める。何度も、何度も、何度も。蹴られるたびに、アリシアは苦しそうな声をあげた。
「ヴァルスだけじゃねえ……! てめぇのせいで神軍はめちゃくちゃだ……! 親父もてめぇの存在が気がかりで様子がおかしいし……! お前さえ、お前さえいなくなれば!! 全部元通りになるんだぁ!!」
ガデスの怒りが、次第に別の感情に変わっていく。意識を朦朧とさせながら、アリシアはガデスの顔を見上げた。
そこに映っていたガデスの表情は、どこか悲しそうで、苦しそうでーー、
そうだ、自分はいつの間に勘違いしていたのだろうか。自分はこの世界の害悪であり、人々を不幸にする存在……。
カルミナたちのような優しい人々に寄生しないと生きられない、汚れた虫。
(カルミナたちは私を認めてくれたけど……、それはほんの一部。普通は、目の前のガデスのように、憎んでいる人の方が多いんだよね……)
ガデスもまた、次第に涙を浮かべ始める。本人は気付いていないのか、その涙を拭おうともせず、なおもアリシアを蹴り続ける。もはや、アリシアは何も感じなくなっていた。もうじき、意識も失うだろう。
(ごめん、カルミナ……。私、やっぱりダメみたい。あなたのように、強い人にはなれなかった……。あなたを巻き込んでしまった……。ああ、本当に、本当にごめんなさい……)
視界が黒く染まっていく。もはや、ガデスが何を叫んでいるのかもわからなくなった。意識を失う直前にアリシアが想うのは、自分を最後まで助けてくれた金髪の強く、明るい女の子。
(カルミナ……どうか、あなただけでも、無事で……)
そして、アリシアの意識はプツンと途切れた。
~~~~~~
【ガデス】
最近、神軍内がギクシャクし出した。原因は皆、分かりきっている。あの《災厄》とかいう世界の敵のせいだ。
世界の敵、その名を聞くだけで身体の奥底からムラムラと憎悪がわき上がってくる。奴らを根絶するために、俺は強くなった。もう二度と、俺の時みたいな悲劇が生まれないように。
《災厄》の存在が認知された時も、いつも通り冷静に対処すれば討伐できるはずだった。だけど、そう上手くはいかなかった。
それまで完璧な指揮を執ってきた親父が、こと《災厄》に関しては人が変わってしまう。何かに怯えるように、何としても《災厄》を捕まえようと躍起になったのだ。
結果的に、他の世界の敵は後回しになった。それに加え、その他の機関の職務の者も駆り出されたため、通常業務にも大いに支障をきたした。
だが、それも《災厄》を捕まえれば万事解決する……はずだった。
「なぜだ……? なぜ捕まらない……!?」
聞けば反撃することなく、ただ逃げ回るだけだという。だというのに、一向に捕まらない。挙げ句の果てには、《災厄》を追っていた部隊の一部が、謎の失踪を遂げてしまった。
「どうしてこうもうまくいかない……!? 奴には協力者でもいるのか?」
しかし、そんな情報は全くあがってこない。ただ、無意味な時間が過ぎていくだけだった。
その間も、親父の苛立ちはますます募る一方だった。表向きは普段と変わらなかったが、《災厄》の話になった途端、人が変わったように顔を歪ませた。失敗の報告をするたびに、親父はますます乱れた指揮を執る。
さすがにこのままではまずいと思い、一度親父に意見をしたことがあった。しかしーー、
「ガデス、悲しいよ。貴方は私の言葉が聞けないと言うのかい?」
「違う、親父! 俺はそんなつもりじゃ……!」
「そうか! それは良かった。じゃあ、私の願いをどうか聞き届けてくれないか? 奴さえ捕まれば、この世界に迫る未曾有の危機を回避できるんだ。今は辛いかもしれないが、どうか協力してほしい」
「……わかったよ、親父」
尊敬する神に、そんな風に言われたらどうしようもない。それ以降、俺は親父に対して何も言わなくなった。今は非常事態なんだ、俺たちが総動員して、あの《災厄》を討ち取らなければならないんだと、己に言い聞かせた。
だが、やっぱり奴は捕まらなかった。さらに悪いことに、奴をただの村人が保護したというのだ。俺はすぐにドーン村の神官に連絡を取ろうとしたがーー、
「何!? 失踪した!??」
ドーン村の神官は、俺たちの知らぬ間に行方不明になっていた。それも、村人と《災厄》がコンタクトを取る直前に。
「何が……何が起こってるんだ! くそっ!!」
俺は苛立ちのあまり、目の前の机を蹴飛ばした。本当にうまくいかない。このままでは、世界に危機が訪れてしまう。親父の言うことに間違いはない。あの方が起こると断言したら、それは確実に起こるのだ。
「何とか、何とかしなければ……!」
その焦りが、さらなる過ちを引き起こした。部下のヴァルスが、《災厄》との戦いに敗れて、廃人となって帰ってきたのだ。
変わり果てたヴァルスを見て、俺は後悔の念に押し潰された。
「すまねぇ、すまねぇ……! ヴァルス……!! 仇は、必ずとる!!」
そして今、俺はようやく《災厄》との対面を果たした。見た目は少女だが、俺は騙されない。これまでのこと、たっぷり仕返しさせてもらう。
この一戦で終止符を打たなくてはならない。卑劣なヒノワや、いまだ姿を見せない《魔王》のこともある。親父は、そいつらを後回しにして俺たち全員をこの場に配置した。
結果、ヒノワは反乱を起こし、目下戦の準備を始めているという。奴らの力は侮れない。俺たちも、命を懸けなくてはならないだろう。
(待ってろよ、親父。すぐに安心させてやるからな!)
狂いかけている神軍を建て直すために、俺は《災厄》の前に立ちふさがったのだ。
(そうだ、俺は! 負けるわけにはいかないんだ!)
~~~~~~
「はぁ、はぁ、はぁ……!」
息を切らしながら、ガデスは動かなくなったアリシアを見下ろす。
まずい、やり過ぎた。感情のままにいたぶるような下衆な真似をーー
「まあ、いいか……どうせこいつは世界の敵……どのみちここで殺すんだからよ……」
ガデスは頭を冷やすために一旦呼吸を整え、それから改めてアリシアの状態を見る。意識は失っているようだが、肩は微かに動いている。まだ、生きている。
「ふん、見た目に反して頑丈な奴だ。だが、これで終いだ。誰もお前を助けてくれる奴はいない。他の仲間も、今頃兄弟にやられてーー」
その時だった。突然、ガデスの横顔に衝撃が走る。何が起きたのかわからないまま、ガデスは勢いのままに吹き飛ばされてしまう。
「ゴハッ!!?」
視界が歪んでいるのを、首を振って何とか元の状態に戻す。しかし、何故吹き飛ばされたのかがわからない。ジーンと響く痛みに顔をしかめながら、ガデスはアリシアがいる方向に向き直る。そこにはーー、
「なっ……!?」
フゥー、フゥーと息を大きく荒げながら、こちらを憤怒の形相で睨み付けている、カルミナが立っていた。争った直後なのか、衣服は乱れ、ちらほらと切り傷や擦り傷が見える。
ガデスは信じられないといった表情で彼女を見た。
(ばかな……! あいつはフィーリスの姉貴と戦っていたはずだ……! 姉貴はどうした……!?)
嫌な予感がよぎり、ガデスは周囲を見渡した。すると、カルミナたちから少し離れた場所で、うつ伏せになって倒れているフィーリスの姿を捉えた。ガデスの熱がサーッと一気に冷えていく。
「あ、姉貴……! そ、そんなばかな!!」
ガデスは一瞬のうちにフィーリスのもとへ向かう。顔には殴られたような跡が残っているが、命に別状はなく、ただ気を失っているだけのようだ。
「姉貴……よかった」
ガデスは、ホッと胸を撫で下ろす。その後、フィーリスを抱きかかえてローガスたちのいる場所へ運んだ。この間、わずか数秒。
「フィ、フィーリスお姉さま……!」
ローガスの隣にいた末っ子のエヴァスが、血相を変えながらフィーリスの隣に寄って状態を見始める。ローガスも驚いたように目を丸くした。
「フィーリス……一体何が……?」
「何があったのかは、これから確かめてくる」
ガデスはそう言うと、アリシアをかばうように立ちふさがっている少女、カルミナのもとへ向かう。そして、目を血走らせながらこちらを睨む少女と
対面した。
「よくもやってくれたなぁ、てめぇ……世界の敵に味方する背徳者が……!」
ガデスは怒りに満ちた声をあげながらも、冷静に相手を観察する。
フィーリスは医者であると同時に、一級クラスの戦士だ。最初に感じた闘気のことを考えても、目の前の少女がフィーリスに勝てるとは思えない。たが、現実はーー、
「よくもやってくれた? それは、こっちの台詞だよ」
ひどく冷めた声がガデスの耳にスーッと入る。ゾクッと肌寒い何かが、身体の内側から発生した。思わず、身体を小刻みに震わせて暖める。
最初に見た時と、闘気が桁違いだ。随分軟弱そうな、いかにも年頃の女らしいなどと軽く思っていたがーー、
(聖獣の相手にもならなかったと聞いているが……本当かよ? 思わずブルっちまったぞ、ちくしょう!)
目の前の少女がゆっくりと構えを作る。片足で力強く地面を踏んだ瞬間、裂け目が入った。大地がビリっと揺れたのを感じる。ガデスは、ごくりと生唾を呑んだ。
少女、カルミナは獅子のような顔をして、吼えた。
「これ以上アリシアには、触れさせない!!! 覚悟しろ、神軍!!!!」




