しばしの別れ
旅立ちの朝。アリシアの体調は万全の状態であった。
カルミナは旅立ちが決まった後、毎日の自主鍛練をさらに厳しくした。どんな敵が現れても、アリシアを守れるように。何が起きてもアリシアを守る、ただその一心で修行に励んだのだ。おかげで、カルミナ自身もかなりのパワーアップを果たすことに成功した。
「カルミナ~、準備できた~?」
扉の向こうから愛しい人の可愛い呼び声が聞こえた。カルミナはその声を聞き、思わず顔がほころんだ。
「もう少し~。ごめん、ちょっと待ってて!」
カルミナは普段着から、母の形見でもある戦闘着に着替えた。全体的に黒を基調とし、所々に小さな花紋様が描かれている。袖が地面につくかつかないかというくらい長い、キモノという南東文化の服。防御力は皆無だがその代わり余計な装飾がついていないため、普段着より何倍も身軽に動ける代物だ。下の部分も、動きやすさを重視して短めの赤いスカートらしき代物になっている。
「ん、しっくりくる! これでよし! お待たせ~!!」
そう言って、カルミナは元気よく扉を開ける。目の前にいるのは、自分より少し背の小さい可愛らしい空色の女の子。顔は無表情に見えるが、待たされたからか少し頬を膨らませている。やはり、可愛い。
「もう、遅いよ…」
「中々これの着方が慣れなくて……。えへへ」
「本当に私の着ている服と似てるね……」
アリシアは、これまで身につけていたキモノを着ている。ヘンリー曰く、南東地方の神官が着ている服に似ているという。目立つから別の服に着替える提案をしたが、アリシアはそれを拒んだ。
曰く、自分の全てを奪われるような恐怖を感じるからとのこと。そう言われたら、さすがに無理に引き剥がすことはできなかった。
「カルミナのそれ……、本当に戦闘着なの? 全然見えない……」
「まあ、それで何回か敵の油断を誘ったことがあるよ。実際はかなり身軽に動けるから、回し蹴りとか食らわしたり」
「うわあ……、えげつない……」
「うふふー、どう? 可愛いでしょー? まあアリシアの可愛さに比べたら、全然だけどね!」
「戦闘着の話さえなければ、可愛いと思えた。さっきの話で台無し」
「ガーン!! 嘘~ん……」
大好きなアリシアにそんな風に言われ、カルミナはガクリとうなだれる。そんなカルミナの姿を見て、アリシアはクスッと笑った。
「そういうとこ、やっぱり面白いよカルミナ」
「……最近、アリシアが意地悪な気がする……」
「私が意地悪するなら、カルミナも嬉しいでしょ?」
「うぐっ……、ぐっ……。そ、それ、は……」
カルミナは狼狽した。気持ち的には半々。嬉しい気持ちと、このままではアリシアがワルになってしまうのではないかという危機感。どちらが勝るか、という話だった。このまま悪い子になっても困るし、かと言って構ってくれて嬉しい自分もいる。
「ダメよカルミナ! 私には、アリシアをより良い方向に導く使命もあるんだから!」
「それに関してはあなたがいなくても大丈夫」
「うわあああああん!!!!」
前途多難である。
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「お、二人ともビシッとキマってるじゃねえか」
家の外に出ると、ヘンリーが二人を待っていてくれた。
二人の顔を見ると、ニッと笑って迎えてくれた。それに応えるかのように、カルミナも同様にニッと笑った。
「そうでしょ~、アリシアったら意地悪するんだよ~」
「戦闘着の話なんかするからよ」
「事実なんだからしょうがないじゃ~ん」
カルミナは膨れっ面でアリシアにブーブー反論している。アリシアもカルミナに負けじと不敵な笑みを浮かべながら応戦する。
ヘンリーはそんな二人のやり取りを見て、
「お前らなら、何とかなりそうだな」
「当然! 私とアリシアならどんな困難も乗り越えられるよ! ねっ、アリシア!」
「………」
「なんとか言ってよ~!!」(涙)
「はいはい、夫婦喧嘩はそこまでだ」
「誰が夫婦ですか」
「そこにはきっちり反応するのね……」
「お前らやっぱ相性良いな」
ヘンリーは二人の関係を見て、素直にそう思った。
ーーこいつら二人でなら、成し遂げられるかもしれないなーー
「カルミナ」
ヘンリーは自分の愛娘の名前をしっかりと呼んだ。
「何? お父さん」
カルミナはヘンリーの方を振り向く。
すると、ヘンリーはカルミナの近くまで行き、優しくカルミナを抱き締めた。思い残すことのないよう、しっかりと。
「ちょ、お父さん……。恥ずかしいよ、こんな外で……。アリシアも見てるのに」
「絶対、生きて帰ってこいよ。俺はずっと待ってるからな」
「お父さん……」
カルミナも、同じようにヘンリーの身体を抱き締めた。お互いの想いを確かめ合うように。そして、お互いの想いが伝わるように。長く、強く抱き締め合う。
アリシアは、そんな二人の姿を見て胸がチクりと痛む。
(そうだ。私は、結果的に二人の生活を壊しているんだ……。私のせいで……)
いまだに思う。あの時、カルミナが行くことを了承して良かったのかと。カルミナやヘンリーと繋がりを持って良かったのかと。世界の敵たる自分が、こんなに優しい二人を自分の都合で危険に晒してよかったのかと。もしも自分と出会わなければ、二人はここで平和に暮らしていたのではないかと。
今、この瞬間も悩む。そして、今の二人を見てその悩みは一層大きくなる。アリシアが、二人にその表情を見られないように俯いていると、
「アリシア、お前も来い」
いつの間にか、二人は離れ、今度はアリシアをヘンリーは手招きした。
アリシアは怪訝そうな顔をして近づいた。
すると、
「………え?」
ヘンリーは、先ほどカルミナにしたようにアリシアの身体を抱き締めた。
突然のことに、アリシアは驚いて固まってしまった。
「ちょ、ヘンリーさん……? 何を……」
「なに、カルミナだけにするのは不公平だろう。俺はお前の安全も願ってる。その気持ちに嘘偽りがないことをお前に伝えたいだけだ」
ヘンリーは、アリシアの背中を優しくポンポンと叩きながらそう言った。アリシアは困惑してしまう。
「私は、ヘンリーさんの家族じゃないのに、どうしてこんな……」
「何言ってる。たった一ヶ月だったが、俺たちにとっちゃアリシアももう立派な家族だよ」
「………!ヘンリー、さん……」
「俺は少なくとも、勝手なことだがお前はもう一人の娘だと思ってる。だから、お前も俺たちのことはどうか家族だと思ってほしい。ここはもう、お前の家でもあるんだ。いつでも帰ってこいよ、アリシア」
「ヘンリーさん……、何から何まで、ありがとう……。私、あなたには返しきれない恩をもらった…!」
「俺があげたくてあげただけだ。気にするな」
「気にするよ……!私はこのままでは納得できない……!だから、私は生きて帰って、あなたに少しでも恩を返すよ……!」
「……そうか。んじゃ、その時を楽しみに待ってるぜ。五体満足、無事に帰ってこいよ? カルミナ、アリシア」
「「はい!」」
ヘンリーは最後に名残惜しそうに二人を見たが、すぐにいつもの笑顔になった。顎の髭を触りながら、
「じゃあな! 気をつけて行ってこいよ!」
まるでピクニックに送り出すように、元気な声で二人を見送った。二人は、いよいよ家を後にする。
「お父さん、いってきます!元気でね!」
カルミナは、顔だけヘンリーの方に向けながら、片手を振った。
ヘンリーはその姿にどこか見覚えがあるのを感じる。そうだ、それはまさしく……、
「お、おう! 元気でな!」
二人は、見えなくなるまでこちらに手を振り続けたのだった。
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「あの服着てるからかな……。あの姿、ますますお前に似てきたよ、ヨーコ」
二人が見えなくなり、ヘンリーは先ほどのカルミナの姿を思い出す。
かつて、共に旅をし、互いに愛し合った女性。気高く、優しく、何より美しかった、最愛の女性。
「もし魂というのが本当にあるのならば……、どうか、どうか二人の旅路を最後まで見守ってやってくれ。俺からも、お願いするよ」
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「さ~てと! まずは馬車に乗って、中継都市であるサマルカンに行かなくちゃいけないんだったね!」
二人は、自分たちの素性がなるべく隠せるよう、黒いローブを羽織っている。かつて、ヘンリーとその妻、ヨーコが使っていたものだ。
無いよりはましだろう、ということでヘンリーが持たせてくれたのだ。
「確か、ヘンリーさんのお友達が運送屋をやってるんだよね?」
「そうそう! 私もよく知ってるし、あらかじめお父さんが伝えてくれてるよ!」
「……何から何まで、お世話になりっぱなしだね、私」
アリシアは自嘲気味に笑う。そんな姿を見て、カルミナはアリシアの頭を撫でた。
「アリシア! もうそういう暗いのは無しだよ! アリシアにはやることがあるんだから、今はそれだけを考える!」
「……でも、カルミナ……」
「アリシアは優しいから納得できないかもしれないけどね…。まあ、そこは慣れていくでしょうよ、ってね」
「な、慣れるかなあ……」
「そこはおいおい何とかなると思うよ。ほら、そんな話してたら着いた」
「え?」
カルミナたちがドーン村を出て少し街道を歩いた所。木造の平屋と、隣には馬小屋がある。二頭の茶色い馬が、大人しく食事をしていた。
「ここが……、ヘンリーさんのお友達の運び屋さんの家?」
「そうそう! じゃあ、私呼んでくるから……」
「その必要は無い」
不意に、家の方からいかにも中年男性っぽい、渋く野太い声が聞こえてきた。そして、玄関のドアがゆっくりと開かれる。そこから現れたのは……、
「ふああ……久しぶりだな、カルミナ嬢ちゃん」
茶色い髪の毛を限界まで伸ばした男が、ダルそうにあくびをしながら立っていたのだった。