閑話 いつもあなたのそばに
【シルビア】
生まれつき、どういう訳か私は身体が弱かった。
ほんの少し歩いただけでめまいを起こし、無理して走ろうものならものの数秒で過呼吸に陥る。私は、すぐに寝たきりの生活を強いられた。
仲間たちも、私の身に起きた現象に首をかしげていた。普通、エルフは父であり、母である神樹を守る役目があるから、身体の弱い個体を生み出すことはない。事実、私以外に身体の弱い個体はいなかった。
当然、仲間たちからは白い目で見られ、すぐに役立たずの烙印を押されてしまった。私自身も、自分のことをそう思っていて、悔しさに満ちた人生を歩んだ。大きくなっても、私の身体は弱いままだった。
なぜこの状態で生まれてきたのだろう? 私は、何のために生かされているのだろう? なぜ、死なせてはくれないのだろう?
頭の中で、常に「なぜ?」と問いかけ続ける自分。そんなことを考えたくはなかったが、それを払拭しようにも全く身体が動かないから、私には考えることしかできなかったーー。
19年の生涯のうち、およそ半分を私はベッドの上で過ごした。私の世界は、手入れのされていないボロボロの部屋と、小さい四角形の窓から見える絵画のような景色だけだった。天候の影響で少し変わるだけで、大まかな所は一切変わり映えのない、退屈で、もの寂しい世界。それでも、そんな世界を眺めることしか、当時の私にはできなかった。
退屈な日々、仲間からの蔑視、年齢が上がるにつれて私を蝕む病魔……。
(神樹よ、どうして私にこのような仕打ちを……? 私が、何をしたというの……? 私は、どうして生まれてきたのですか……?)
胸の激痛に苦しみながら、一度も見たことのない神樹に尋ねる日々。この問いが、あの方に届くことはない。そんなことはわかっている。それでも、答えてほしかった。もう、限界だった……。
アートマンと初めて会ったのは、私がちょうど10歳になった時だ。
あの時の私は、神樹のもとに還されそうになっていた。いつまで経っても身体が治らないため、これ以上待つことはできない、神樹の御元へと還して、新たな個体に生まれ変わらせようとしたのだ。今度こそ、神樹を守ることができるような、強くたくましい戦士になることを願って。
ようやく、この苦しみから解放される。次に生まれ変わる時は、今度こそ役に立てる人になろう……。そうだ、この結末は私の望んだものだ。私が生まれてきたことに、意味などなかった。神樹も、たまには間違えることはあるのだろう。そうだ、これでこんな苦しみからも、おさらばなんだ……。
「おい、大丈夫か? 生きてるか!?」
ーーあれ? 私、還されたはずじゃあ……?ーー
気がついた時には、私はいつものベッドの上にいた。どういうことだろう?
後から聞いた話では、アートマンが無理やり止めに入ったらしい。こんなことは神樹は望んでいない。私には、この身体で生まれてきた何かしらの意味があるはずだ、と。
「……何でそんな余計なことを……? 私、こんな状態で生きていたくなかったのに……どうして助けたの……?」
本当は胸ぐらを掴み、彼を責めに責めたかったが、病弱な身体ではそれも叶わない。せめて、瞳にありったけの怒りを込めることしかできなかった。アートマンは頭をポリポリと掻きながらーー、
「だってお前、なんか嫌そうにしてたから。まるで、死にたくないって抵抗するかのように……さ」
「………………え?」
ーー何この人? 一体何を言ってーー
直後、あの時の想いがフラッシュバックする。そうだ、私は解放される喜びを味わっていた。そのはずだったのにーー
次の瞬間、こんな形で自分の人生が終わることへの恐怖がわき上がっていたのだ。そうだ、そうだそうだ。私は、私は……
身体が冷えていく。必死に暖めようとうずくまるが、一向に寒さは消えない。むしろ強まっていく。息も荒くなって、このままじゃーー
「…………っ!!」
暖かいものが、私の頭上にフワッと降りてきた。ハッとなって見てみたら、それは彼の手だった。私よりもちょっぴり大きそうな、ゴツゴツした手。彼は私に憐れみや、慰めの言葉をかけるわけでもなく、ただ私を無言で見つめていた。そしてーー、
そっと、私が壊れないように優しく撫でた。今まで感じたことのない、胸の奥から込み上げてくる情熱に近い何か。私は、そのまま静かにすすり泣いた。
それから、アートマンは毎日、私の所に遊びに来て、私の話し相手になってくれた。彼の何でもない世間話はとても面白くて、荒んでいた私の心を優しく整えてくれた。彼はよく、この森を抜けた外の世界への憧れを語っていた。私には想像もつかないような話だったけど、それでも、彼が楽しそうに話す姿には、私も嬉しくなって頬が緩んだ。私の笑顔を見るたび、彼は楽しそうに笑い返す。それが、私には煌めくお日様の光に見えたのだ。
いつしか、自分や神樹よりも、私の心はアートマンに傾いていた。彼と共に歩みたい。彼と共に喜びや苦悩を分かち合い、共に助け合って生きていきたい。このひどくむずがゆい気持ちの正体はわからないが、手放したいとは思わなかった。
病弱な私が、今のように一人前の戦士になれたのも、その想いがあったからだろう。そして、想いは今もなくなってはいない。むしろ、日に日に強くなる。それを感じるたび、私の奥底から計り知れない力がみなぎるのだ。
「なあ、シルビア」
「なに? アートマン」
「本当に、良かったのか? 森は恋しくないのか?」
アートマンは定期的に、私に申し訳なさそうにそういった話をする。彼は、自分のわがままに私を付き合わせているという謎の罪悪感があるらしい。ほんと、お人好しというか、変なことでクヨクヨ悩むというか……。
私は、決まってこう返す。
「アートマン、私は自分の意志であなたについていくと決めたの。この想いは誰にも止められない。あなたの隣が、私の居場所よ。今も、これからもね」
「シルビア……」
「だからそんな悲しいこと言わないで。それとも、私がそばにいるのは、イヤ?」
私は意地悪だ。アートマンは真面目に私の言葉を受け取り、あからさまに狼狽する。私はそんなアートマンの姿を見て、心の中でクスッと笑う。
「そ、そんなことはないよ。俺もシルビアが大事だ。だからーー」
「大事だから、私を巻き込みたくはない、とかいうのはやめてね? 聞き飽きたし、いつも私は良いと言ってる」
「うぐ……ぐ……ああ、もう! わかったよ……俺もお前がいてくれると心強い」
アートマンは観念したかのように、両手をあげて項垂れる。こうして、いつも私は彼の隣を歩く。
私はね? アートマン。嬉しかったんだよ? あの時あなただけが私を見捨てずに、私を信じ続けてくれた。あなたのおかげで、私は救われたの。だからあなたに恩返しがしたかった。あなたが断っても、なんとしてもあなたの手足になりたかった。それが私のできる、あなたへのお礼だから……。
「シルビアー、そろそろ行こうぜー」
「うん、わかった」
今日も私は、アートマンの隣を歩く。この先どんな困難が待っていても、私たちは負けない。たとえ世界が敵にまわったとしても、私だけは彼を信じて共に戦う。
それが私の、シルビアの望んだ生き方なのだから……。




