ローガスVSアーノルド
(え!? 私たちの正体は気付いているはずなのに……どうして?)
おそらく、ここにいるローガスは、すでにアリシアとマーリルが世界の敵であると気付いているだろう。それは、アーノルドたちもわかっているはず。
だというのに、住民たちはアリシアをローガスに引き渡そうとする素振りすら見せなかった。
カルミナたちは、アーノルドたちが何故そのような、下手をしたらこの場で殺されかねないような行為をするのか、さっぱり理解できなかった。
「へえ……世界の敵はいない、ねぇ……」
ローガスは、近くにいるアリシアを横目で見た。凍えるような冷たい視線を受け、アリシアは再びゾクリと身震いする。
「首長よ、あなたはきちんと確認したのかな? 世界の敵が討ち滅ぼされたのを」
ローガスは、その冷たい視線を今度はアーノルドに向けた。目を細め、ジッとアーノルドを見定めるかのように、彼の隅々まで注意深く見つめた。一挙一動、おかしな所がないか念入りにチェックする。
無論、この行為に意味などない。なぜなら、すでにアーノルドがローガスに対して嘘をついているのは明白だからだ。数多いる神軍のなかでも、ローガスは特に目がいい。
そのため、ただ見るだけでその者が世界の敵か否かを簡単に判断できる。ならば、なぜローガスはすぐにアーノルドを断罪しないのか?
それは、ひとえにローガスの気分であった。アーノルドはかなり信心深い人物で、神軍にも多額の寄付をしてくれている。そんな男が、今回に限って世界の敵を庇うのには、なにか理由があるに違いない。
その理由を、ローガスは知りたいのだ。
「ええ、しかとこの目で。私だけでなくこの街の住民のほとんどが、それを確認しております」
「ほう……? 住民のほとんどが……」
「なにせ、それはそれは思い出すだけでも恐ろしい化物が、時に宙を舞い、時に大地を蹴りあげながら暴れていたのですからなあ。それを、そこな少年少女が勇気を振り絞り、命懸けでその化物を止めてくれたのです」
アーノルドは、さぞ怖い目にあったと言わんばかりに身体を震わせながら、ローガスに報告する。
「サマルカンの人間は、受けた恩は決して忘れません。彼らは私たちの命とこの街を救ってくれました。その恩は、なんとしても返したいのです」
アーノルドはそう言って、真っ直ぐな瞳でローガスを見つめ返した。しばらく、辺りが静寂に包まれる。ローガスとアーノルドは、互いに何も言わずにただ、視線をぶつけ合っている。
やがて、ローガスはフッ、と軽く笑いーー、
「なるほど、あらかた把握したよ。どうやらこの街にはもう、世界の敵はいないらしい。邪魔したね、アーノルド首長」
なんと、ローガスはアーノルドの言葉を真実として結論付けたのだ。アリシアたちが世界の敵だと気付いているはずなのに、だ。カルミナたちは目を丸くさせて、ローガスとアーノルドを交互に見る。
「申し訳ありません、今度またいらしてください。その時には此度の謝罪をさせていただきましょう」
「うん、ここの酒場の料理は旨いからね。弟たちと一緒に遊びに来るよ」
「ぜひお越し下さい。我ら一同、心より歓迎いたします」
「ふふっ、ありがとう。しかしそうか、ここには《災厄》はいなかったか。一度顔くらいは見ておきたいと思っていたんだけど」
ローガスはアリシアを一瞥しながら、そんなことを言った。目が合った瞬間、彼は微かに不気味な笑みを浮かべた。アリシアは一瞬、自分の心臓が飛び跳ねたのを感じた。
「《災厄》というと……最近話題になっている世界の敵ですか。たしか、我らが主が最も警戒なされているとか……」
不自然さを隠すために、アーノルドはローガスの話を合わせようとローガスの呟きに食い付く。いつの間にか、ローガスは最初の気だるげな声音に戻っていた。
「うーん……警戒、というよりあれは……執心だね」
「は?」
ローガスの言葉に、思わずアーノルドは聞き返してしまう。カルミナたちも、ローガスの言っていることに首を傾げながら、事の成り行きを引き続き見守った。
「執心……とは?」
「俺も知らないけど、父さんは《災厄》を捕まえたら、生死問わず連れてこいって言ってるんだよね。いつもはその場で処刑すればいい、なのにさ。しかも他の世界の敵のことは後回しでもいいから、そいつを捕まえろってさあ。明らかに何かあるじゃんって話」
「それは……主が何か特別な想いがあって、《災厄》を欲していると?」
「そうだろうねえ。それが何なのかは知らないけど。俺にも教えてくれないし、あの人」
(…………え? どういうこと? 神様は私に何を……?)
アリシアの胸が、ドクンと大きく脈を打つ。自分を使って、神は一体何をするつもりなのか? そもそも自分に、どんな力があるというのか?
「ま、いいや。とりあえず俺もそろそろ戻らなくちゃいけないし、せわしないけど帰るよ。またね、アーノルド首長」
「はっ、道中お気をつけて」
「一瞬だよ、帰るのなんて」
そう言って、ローガスはシュン、とその場から幻影の如く姿を消した。姿が見えなくなったのを確認した途端、四人に一気に疲れが押し寄せる。ハァー、と大きなため息をつき、その場に崩れ落ちた。
「大丈夫かね? 皆の者」
「あ、ありがとう、ございます……首長様」
「アーノルド、で結構だ。あまり首長という呼び名は好きではなくてね。君たちも呼びづらいだろう?」
アーノルドはニコッ、と好好爺のように優しく微笑んだ。さっきまで凛々しい目つきでローガスとやり合ったとは思えないほど、穏やかな表情。その表情は、四人の張り詰めた心を一気に溶かしていった。
もう、大丈夫ーー
四人はようやく、それを実感することができたのだった。
~~~~~~
サマルカン近くの森。ローガスは、森の中の木の上に腰を落ち着けながら、先ほど出会った世界の敵を思い出していた。
「あれが……《災厄》か……」
そのコードネームをつけるにはあまりにも大人しい少女。あの二人のエルフが、勘違いしてしまうのも無理はない。実際、自分も初めて目を疑った。
「父さんは何であんなのが欲しいのかなー……? いつか教えてくれるといいけど」
どこか他人事のようにブツブツつぶやくローガス。それよりも、彼が懸念していることが一つある。
「それよりもサマルカンだよなあ……首長、ありゃ完全に怒ってたな」
先ほどの睨み合い合戦で、ローガスが感じたアーノルドの怒り。実際、予見通り世界の敵はいたし、神軍もあの若造二人だけ。隊長級もいないのに、とめられるはずがない。さらに最悪なことに、世界の敵を止めた奴が、同じ世界の敵であるあの少女。
「あれが《災厄》かぁ……確かに見た目良い子だよなぁ……」
ローガスは先ほど見た空色の少女を思い出す。世界の敵というより、もっと神秘的な、例えば精霊のようにも見えるあの姿と気配……。
「しかも、全てが終わった後に俺、参上! だよ……ああー、完全に間が悪いじゃん……」
ローガスは自分の犯した失態に舌打ちする。もう少し早く着いていれば、あのケダモノどもを滅ぼしていたというのに。そうすれば、彼らの心があそこまで傾くことはなかった。
「何はともあれ、これでサマルカンは、中立となってしまったわけか、名実ともに。ああ~、父さんに叱られる~」
神軍にとって、かなりの痛手を受けたことを悟り、ローガスは一人でうなだれるのだった。




