神の後継者 ローガス
「え……? 神の子どもって……」
カルミナはアートマンの言葉の意味が一瞬わからなくなり、思わず聞き返してしまう。が、目の前の青年から放たれている、正体不明の圧倒的な力を肌で感じた瞬間、とある事実が、脳内に無理矢理叩き込まれる。
この青年こそ、人間神アズバの後継者である、とーー。
「な、なぜ……あなたがここに……?」
アートマンが、喉をからしたようなかすれ声で、おそるおそるローガスに尋ねる。シルビアもいつものクールな表情とは程遠く、動揺が隠し切れないほど分かりやすく顔を強張らせていた。
ローガスはニコッと、優しげな笑みを浮かべながら、どこかやはり腑抜けた、気だるげな声で答える。
「いやさ? たまたま近くの村で仕事してたらさ? なーんか嫌な気配感じてね……。それで軽く立ち寄っただけだよ。そしたら……世界の敵が二人もいるなんてね……」
刹那ーー、それまでとは一変して、凍りついた空気がブワッと広がっていく。ローガスはにこやかなままだが、その藍色の目からは身の毛をよだつほどの冷たいモノを感じる。
ローガスは、もはや息苦しさすら感じる空気を解放させながら、ゆっくり一歩ずつ近づいてくる。自分たちの命を狙う存在が迫ってくるのに、カルミナたちは金縛りにあったかのように身動き一つとれない。
「なんでウチの人間が醜いケダモノどもと笑い合ってるんだい? 君たちのことは知ってるよ? たしかそこの《災厄》を連れてくるのが任務だったよね? ほら、早く捕まえなよ……」
気だるげな声は変わらない。優しげな笑みも変わらない。だというのに、ここまでもの殺意を出せるものなのか?
(これが、神の後継者……? 殺し屋って言われても不思議じゃない……)
カルミナは未曾有の恐怖に陥る。勝てるビジョンが見えない。しかし、それでも何か打開策を考えなければ……そうしなければ、大切な人の身が危ない……!
「ほら、早く……なんで父さんから与えられた使命を全うしないの?」
「あ……う……」
声が、出ない。何か喋らなければいけないのに、それができない。アートマンにできたのは、ただただ怯えた表情を浮かべて目をそらすことだけだった。
「ねえ、聞いてるんだけど? 何か言えよ、なあ?」
次第に苛立ってきたのか、ローガスの口調がピリッと荒くなる。笑みも消え失せ、呆然と突っ立っているアートマンとシルビアを静かに睨み付けながら、近づいてくる。
「ひょっとして……できないの? もしかして、このいたいけな少年少女に扮したケダモノに同情したとか、そんな馬鹿な話はないよねえ?」
ついにローガスが、自分たちの目と鼻の先まで辿り着いてしまった。近くにいるとさらに伝わってくる圧迫感。胸が薄い板のように、ペチャンコに押し潰されてしまいそうだ。
(ア、アートマン……! シルビア……!)
カルミナは不安げな表情で二人のエルフを見る。二人は直に圧をぶつけられているせいか、過呼吸になりかけている。そのまま睨まれ続けたら、倒れてしまいそうだ。
「さあ、その剣と弓は飾りかい? 今なら簡単に討ち取れるよ? 俺がやってもいいんだけど、それだと君たちの為にはならないからね」
ローガスは再び、子どもに向けるような優しい笑みを浮かべてアートマンとシルビアの肩に手をかける。彼の手が触れた瞬間、二人はヒッ、と悲鳴に近い声を漏らした。
「さあ、はやく……」
ローガスが二人を急かす。早くこの場から逃げなければならない。だというのに、全く身体が動かない!
カルミナ、アリシア、そしてマーリルすらも、目の前の白い青年の圧にやられたのか、石のように身体が動かない。ただ、呆然とローガスを見るだけだった。
(まずい……! このままじゃーー!!)
カルミナの焦りが頂点を迎えようとしたその時。
「おお、これはこれはローガス様。いかがなされたかな?」
突然、落ち着いた初老の男性の声が、聞こえてきた。カルミナたちはその声の方を向く。するとーー、
前方に、通りを埋め尽くす程の人だかりができていた。前方だけでなく、後方にも。ローガスに注視していたため、気付かなかった。
アートマンたちを見ていたローガスは、ゆっくりと声をした方を振り向く。カルミナたちから見れば、前方ーー。
そこに、白髪と深い白髭を携えた、一人の男が立っていた。体格は老人とは思えないほど立派なもので、腰に剣を携えている。特に派手な飾りはなく、動きやすさを重視した白のシャツと緑のズボンを身に纏い、胸あたりに鋼の鎧のような薄い板を付けていた。
「おや、誰かと思えば……アーノルド首長」
「首長……!?」
カルミナたちは目を見張りながら、その男を見る。一目で見て、その男から放たれる気高く清らかなオーラのようなものから、この男が並々ならぬモノを秘めていると理解する。
(この人も、強い……!)
次々に自分よりも強い猛者が現れ、カルミナは自分の心に、黒いモヤのようなものが生まれたのを感じた。いまだ動くことのできない者たちにできることは、黙って事の成り行きを見守ることだけであった。
「大勢でいかがしたのかな? 私の出迎えのため、という訳ではなさそうだが」
ローガスは再び仮面のような笑顔を作りながら、厳しい目を向けるアーノルドに言葉を投げる。すると、アーノルドのほうもローガス同様に、仮面のような笑みを浮かべた。
「申し訳ございません、あなた様がいらっしゃっているとは思いもしなかったもので。私たちは、この街を救ってくれた英雄のお迎えにあがったのですよ」
「ほう、英雄か。嫌な気配を感じたからきたんだが、やっぱり何かあったんだね?」
「ええ、実はこの街でついさっきまで世界の敵が暴れておりましてな? 危うくこの街は廃墟と化すところでした。その世界の敵を見事倒してくれたのが、そこにいらっしゃるお嬢さん方なのですよ」
「ふーん……」
ローガスはチラッとアリシアを一瞥する。視線に気付いたアリシアは一瞬怯んだものの、すぐにぐっと目に力を込めてローガスを睨み返した。
「ですので、ローガス様。もうこの街は安全になりました。これから、そこな四人に感謝をお伝えしたく存じますので、恐れながらその四人を連れていってもよろしいですかな?」
アーノルドは相変わらず笑顔のまま、言葉を続けた。ローガスは、その言葉にどこか訝しい気持ちになりながら、問いを投げる。
「でもアーノルド首長、まだその世界の敵が近くに隠れているかもしれないよ? 案外、すぐ近くにさ」
そう言ってローガスは、先ほどのように凍えるほど冷たい空気を、アリシアに向けて放つ。あまりのプレッシャーに意識を持っていかれそうになり、苦痛に顔を歪ませるアリシア。ただならぬ緊張感が、この一帯を支配した。
ローガスの言葉を受けたアーノルドは、少し息を吐いたあと……
「いえ、もうこの街に世界の敵はおりません。化物が跡形もなく消滅したのを、私はこの目で見ましたので」




