暴獣の力
「大丈夫? 怪我はない?」
間一髪のところでカルミナは、マーリルの餌食になりかけていた少女を助ける。抱きかかえられた少女は、驚きからか目を丸くしながらコクコクと何度もうなずいた。少女の無事を確認できたカルミナは安心したように、ニコリと笑いかける。
カルミナはマーリルからすぐさま距離を取り、後から追いかけてきたアリシアの隣に立った。
「カルミナっ!」
「アリシア……この子を安全なところまで避難させて。それまで、私があいつを食い止める」
カルミナはそう言うと、抱えていた少女をそっと優しくアリシアに渡す。カルミナに少女を託されたアリシアは不安げな目でカルミナを見つめた。
「カルミナ……」
情けない声をあげたアリシアに対し、カルミナは思い切り力を込めて言い放つ。
「早く行きなさい! その子がどうなってもいいの!?」
「……!! わ、わかった。カルミナも気をつけて!!」
アリシアはカルミナの気迫に圧倒され、急いでその場を離れる。それを見たカルミナはふぅ、と一息ついて改めてマーリルに向き直る。
獲物を取られたからか、マーリルは不機嫌そうに唸りながらカルミナに顔を向けた。ヨダレを垂らし、太く伸びた牙を覗かせる。カルミナを、次の獲物と定めたようだ。
「必ず元に戻してみせるからね……マーリル!」
カルミナは自分を鼓舞するかのように、届くことはないであろう言葉をマーリルにぶつけるのだった。
~~~~~~
アリシアはカルミナから託された少女を抱えながら、急いで非常用の門のところへ向かう。一刻も早くこの少女を安全地帯に置き、カルミナのところへ向かわねばならない。
アリシアの脳裏に、先の聖獣戦がフラッシュバックする。あの時は何もできず、ただ守られていただけだったが今は違う!
(私も、カルミナの役に立つんだ! カルミナを死なせないためにも!)
アリシアは緊張か、はたまた決意によるものか、自然と身体を強張らせる。焦る気持ちを押さえるために、ぐっと全身にどっしりとした力を込めた。早く、早く、早くーー!
「い、痛い……痛い、です……! お姉さん……」
「っ!? あっーー!」
いつの間にか、アリシアは少女を抱えていたことを忘れていた。少女は苦しそうにアリシアに痛みを訴える。
「ご、ごめんなさい! 私、なんてことを……」
アリシアは一度止まり、少女を座らせてからどこか怪我をしていないかチェックする。うろたえるアリシアを見て、少女は申し訳なさそうな表情になった。少女はもじもじしながら、アリシアにそうっと話しかけた。
「あ、あの……わ、私ここからなら一人でも大丈夫です……お姉さんはあの人のもとに戻ってください……」
「えっ……?」
「大事な人、なんですよね? だったら、助けにいってあげてください。私のせいであの人に何かあったら……、耐えられないから」
少女はそう言って、確かな想いを宿した目でアリシアを見つめた。先ほどの恐怖が癒えないのか、身体はいまだに小刻みに震えている。おそらく、今の少女では満足に歩くこともできないだろう。
それでもなお、目の前の少女は自分より他人を優先したのだ。自分のに振りかかるかもしれない危険を差し置き、無様に焦る自分に気を遣ったのだ。
(何やってるんだ、私……カルミナの言葉を思い出せ! カルミナは私にこの子を任せたんだ。だったら、私はその想いに応えなきゃ!)
アリシアは両手で自分の頬をパシッと思い切り叩いた。その音に反応したのか、少女はビクッと肩を震わせながら、不安そうにアリシアの顔を覗いている。
「お、お姉さん……? 急に何をーーってきゃっ!?」
アリシアは再び少女を勢いよく抱えて、そのまま走り出した。
「お、お姉さん!? 私のことはいいから、早くあの人をーー!!」
「あなたの安全を確保するのが先。確か、この近くに非常用の門があるはず。ひとまずそこにあなたを連れていく」
少女の言葉に被せるようにして、アリシアは淡々とそのように告げた。
「でもっ!? そんなことしてたら、お姉さんの大事な人が!!」
「大丈夫」
今度は力強く少女に言うアリシア。そして、少女を安心させるように優しい笑顔になって、続けて自信ありげにこう告げた。
「私の師匠は、強いから」
~~~~~~
「くっ……やっぱ、手強いなあ……」
アリシアが少女を連れて駆け回っている頃、一人残ったカルミナはかろうじてマーリルの猛攻を回避し続けていた。しかし、マーリルが平然としているのに対し、カルミナはすでに息が上がりつつあった。
(さっきと違って、行動パターンがでたらめ……まるで濁流ね)
マーリルの動きは、時に速く激しく、時に遅くのんびりと己の行動の流れを変えている。これは別にマーリルに何か策があるとかではなく(というよりあんな状態では策を考える頭もないと思う)、気の向くままに暴れまわっているだけだ。
厄介なことに暴走すれば動きが単調になるかと思いきや、マーリルの動きは非常に変則的で、さしものカルミナも流れを掴めないでいるのだ。おまけに家の壁すらも粉々に砕いてしまう筋力に、より磨きがかかったお得意の迅速もある。そこから放たれる攻撃を一度でも食らったら、加護があるとはいえ、ひとたまりもないだろう。
「飛車!!」
カルミナがマーリルの隙を何度かついて打撃を食らわせるのだがーー
「ぐ……硬いーー!!」
鎧のように頑丈な獣毛に阻まれ、有効打を与えられない。逆にあまりの硬さにこちらがダメージを負うほどだ。蹴ったほうの足から、じんわりとした痛みが波紋のように広がっていく。
すかさずマーリルの反撃。長く鋭い凶爪が、カルミナの身体を突き刺さそうと迫る。カルミナは何とか身体をひねって避けるが、頬にチッとマーリルの爪がかすった。
(まずい……身体が段々追いつかなくなってきてる……! このままじゃ……)
カルミナの弱点、それは圧倒的な力不足にある。そのため、防御力のある相手には、その者の流れをいち早く見切り、その者から放たれる力を逆に利用してカウンター技を駆使するのだがーー
今回の場合、動きが非常に読みにくいためにその戦法ができない。避けているのも、実はカルミナ自身の勘頼りなのだ。
(考えろ……考えろ!! どうすればこの状況を打開できる!?)
当然、勘に頼った避け方ばかり続けていたら、心身ともに不安定な状態が続くのでーー
捕らわれるのも、時間の問題だった。
「ーーっ!? 足がーー!?」
カルミナの動きを見切り、マーリルが逃がすまいとカルミナの足を掴む。そしてーー、
カルミナを、力の限り振り回して近くの壁に向かって放り投げた。カルミナはどうにかして受け身をとるが……
「…………!!!!」
加護も働いたはずなのに、それでも全身が破裂する錯覚を受けるかのような痛烈な衝撃を受けた。壁にはクレーターができ、めり込んだカルミナは無抵抗のまま落下する。
「あ…………」
意識が朦朧としていて、身体も所々ねじ曲がっているのか思うように動かせない。必死で起き上がっているつもりでも、端から見たらジタバタともがき苦しんでいるようにしか見えない。
「また……この前の時と同じだ……。私はやっぱり、お母さんみたいには、なれないのかな……」
じわりと赤い瞳に悔し涙を浮かべながら、カルミナは己の不甲斐なさを呪う。もっと力があれば、もっと頭がよければ、こんなことにはならなかったはずだ。
視界がぼやけるなか、微かに映るのはどこか悲痛な声で吠えるマーリルの姿。カルミナは震える手で地面をギュッと掴む。何かに、すがりつくように。
(ああ……目の前の子どもが、苦しんでる……。私が助けなきゃ……。私が助けなきゃ、いけないのに……)
マーリルがこちらに向かってくるのがわかる。ドシンドシンと、歩くたびに大地が揺れた。どうすることもできないカルミナは、ただ静かに目を閉じるのだった。
「させねえっ!!!!」
不意に、聞いたことのあるハスキーな声がカルミナの耳に入り込む。慌てて声のした方向を向くカルミナ。そこにはーー、
「まだ生きてるか!? カルミナっ!!」
先ほど別れたエルフ族の青年が、カルミナに伸びていた腕を斬り落としていたのだ。カルミナは生存報告をするために、持てる力を使ってその青年の名を呼んだ。
「ア、アートマンーー!」




