暴獣
いよいよ第二章も終わりが近いでーす
「グルルルル……」
マーリルは獣のようなうなり声をあげてカルミナたちを威嚇した。確かに獣っぽい所はあったが、今のマーリルは完全に獣そのものだった。ヨダレをポタポタ垂らし、目は真っ赤に充血させて焦点が合っていない。身体を左右に揺らしながら、足も目で分かるレベルで震えていた。
「な、なんだ……あれは?」
先ほどまでとは比べ物にならない威圧感に、アートマンとシルビアは恐怖で身体を震わした。それは、カルミナたちも同様だった。押し潰されそうになるのを必死に堪えながら、眼前のマーリルらしき人を見据えた。
「さっきまでとは別人みたい……一体どうしたのかな?」
アリシアはマーリルを案じるようにカルミナに問いかけた。
「分からないけど、これだけは言える。今のあの子は、やばい」
カルミナがさっきとは打って変わって険しい目つきになりながら、マーリルを注視していた。額には汗が流れ、カルミナにただならぬ緊張が押し寄せていることがわかる。その様子を見て、アリシアはようやく、目の前の少年にただ事ではない事態が起きたことを理解した。
その時ーー、
「ウオオオオオオオオオンンンン!!!!」
まるでオオカミのような咆哮。脳を激しく揺らすような衝撃を受け、カルミナたちは思わず耳をふさぐ。大地がその雄叫びに恐怖したのか、ビリビリと震えた。
マーリルの姿に変化が起きたのは、すぐ後のことだった。
「……う、うそ……」
カルミナは目の前で起きている現実が信じられず、そんな言葉が思わず漏れ出した。他の三人は何も言えず、ただただ驚愕の表情を浮かべるだけだった。四人がそんな状態になるのは無理もない。なぜならばーー、
マーリルの咆哮に合わせて、彼の身体が異形のモノに変化しているからだ。小柄だった彼の体躯はアートマンが見上げるくらいまで大きくなり、充血した瞳は真っ赤に染まり尽くした。全身から何とオオカミのような、瞳より若干ほの暗い朱殷色の獣毛が生え、一瞬にして全身を覆った。人の頭サイズの手からは、一本一本が剣のような細く鋭利な爪が伸びていた。口からはサーベルキャットのような二本の牙が、半円状に出来上がっていた。
その姿はオルトスのような獣寄りの獣人に似てはいるが、発せられるおぞましさはどちらかといえば化物に近い。カルミナたちは本能的な恐怖を感じ、足をカタカタ震わせながらその場に立ち尽くしてしまう。
「あんなの……一体、どうすれば……」
シルビアが思わずそんな声を漏らした。その言葉にご満悦したのか、獣と化したマーリルは再び、大地を揺るがすほどの咆哮を放つ。カルミナたちはまた身体を硬直させてしまった。キーンとした嫌な音が、頭の中をぐちゃぐちゃに掻き回す。
四人に隙ができてしまったのは言うまでもない。
「ーーっ! しまっ!?」
その隙を突かれ、マーリルの大きな手の中にカルミナが捕まってしまう。カルミナは必死で抵抗するがびくともしない。
マーリルはそのままカルミナを握る手に力を込めた。身体がメキメキと軋む音が聞こえ、カルミナは声に鳴らない悲鳴をあげた。
「う……あ……」
「カルミナっ!!」
「くそっ! そいつを放せ! 化物め!」
三人が急いでカルミナを救出しようと向かうが、マーリルは空いている片方の腕を力いっぱい振り回した。
その腕が当たることはなかったが、振り回したことで生じた衝撃波で三人は吹き飛ばされてしまう。
「み、みんなっ!?……ぐっ……」
カルミナは吹き飛ばされた三人の安否を確認しようとするが、さらに身体を締め付けられてしまう。カルミナが苦悶の表情を浮かべたその時のこと。
『ふふふっ、いい気味だね』
「……っ!? あ、あなた……」
突如、化物の口が開き、そこからマーリルの声が聞こえてきた。化物はニヤリと不敵な笑みを浮かべると、マーリルの声で話し始める。
『どうだい? ボクがちょっと本気を出せばこの通りさ。さっきは取り乱しちゃったけど、今度はそうはいかないからね』
「……くっ……」
『ふふっ、ほら。さっきの威勢はどうしたんだい? 早く抜け出してごらんよ。最も、あんなちんけな戦い方のキミじゃあ、どうしようもないだろうけどね』
そう言いながらマーリルは、さらにカルミナの身体を強く締める。強烈な圧迫感に襲われ、カルミナは呼吸すら難しくなった。身体が壊れる痛みと、空気を吸えない苦しみが同時に押し寄せてきた。
『今ならまだ間に合うよ。これまでのボクに対する侮辱を取り消して、ボクにあんな説教をしたことを謝れ。そうすれば、命だけは助けてあげる。ほら、早く身体が無事なうちにしないと』
マーリルが勝ち誇ったように嗤いながら、カルミナに告げる。
ーーここまでしたら、こいつもボクの力を認めるだろうーー
マーリルはそう確信していた。しかしーー、
「…………い、いや……」
『あん?』
「私……、あなたを侮辱してなんか、ない……! 私は、あなたに、本当のことを言っただけ……!」
カルミナは、持てる力を使ってどうにか声を出した。マーリルはその言葉にあからさまな不快感を示し、さらに握り締める力を強める。
「アガッ……!」
メキッ! ボキッ! という鈍い音が聞こえた気がした。マーリルは息を荒げながらも、カルミナに語りかける。
『なぜだ!? ここまでされてもなんで折れない!? なんで負けを認めない!? お前にもう勝ち目なんかないんだよ! いい加減負けを認めて、ボクにひざまずけよ!!』
マーリルは先ほどのように喚き散らしながら、カルミナに訴える。
なぜここまでされても自分を曲げない? どうすればこいつに勝てる?
「……ねえ」
意識を失いそうになりながらも何とか踏みとどまり、カルミナはマーリルに問いかける。マーリルは苛立ちながら、その問いに反応した。
『何だよ!?』
「あなたは、強さを求めてるんだよね……?」
『そうだよ。だったら何?』
「さっきも聞いた、けどさ……なぜ、強さを求めるの?」
『決まってる。弱い奴じゃあ生き残れないからだ。生きるためには、強くなくちゃいけない。強さとは、ボクの命を狙う奴らや、ボクに指図する奴らを全員ぶっ潰すことができる程の圧倒的な力! これだけを言う! 誰もボクが生きていることに文句を言わせない!』
「あなたは、その強さとやらを、手に入れることができたの? それで……あなたは本当に良いの……?」
『当然だ。今もお前を圧倒してるし、これまでもそうしてきた。ボクは生きるために強くなるんだ。弱いやつらを喰うことが、ボクの極上の幸せなんだ!!』
「……だったら、どうしてそんな悲しそうな目をしてるの?」
~~~~~~
『悲しそうだと……? どういうことだ?』
マーリルは目の前の女の言葉がさっぱり理解できず、一瞬頭が真っ白になった。が、すぐに首を横に振って気を戻した。
『ふん! そんな風にボクを惑わそうたってそうはいかないぞ! もうお前のことなんか聞く耳持たないもんね!』
マーリルはカルミナを黙らせようとして、手に力を込める。この女の話を聞いていると、どういう訳か調子が狂ってしまう。そうとわかればさっさとこいつを始末しなければならない。そうすれば、万事解決だ。しかしーー、
「少し見ただけでもわかる……あなたは、どこか不満そうにしてる……あなたは、強いことが正しいって言ったときも……一瞬だけど、不安そうな目をした……まるで、その答えが正しいのか、わからないみたい……」
『嘘だ、お前の妄想だ。ボクは一度たりとも自分の言葉が間違っていると思ったことはない! 強さこそが絶対的正しさなんだ! そしてボクは強い! ボクは正しいんだ! 何を不満になることがある? 何を不安に思うことがあるって言うんだ!?』
マーリルはカルミナを握りつぶすことはせず、ただカルミナの言葉を必死に否定する。マーリル自身、どうしてカルミナの言葉を聞き入ってしまうのかがわからなかった。自分が勝つためにも、さっさとこの女を殺さなければならないはず。しかし、この女の話を聞くたびにそれをためらう自分がいるのだ。身体が思うように動かず、マーリルは歯がゆい思いになる。
マーリルの力が緩まったからか、カルミナもほんのわずかに余裕ができた。なおもカルミナはマーリルに自分の思いをぶつけてみようと試みる。
「口は否定しててもね……身体は正直なんだよ……目は口ほどに物を言うってね。あなたの目には、陰りが見える……本当は、あなたもわかってるはずだよ……」
『黙れ……黙れっ! 会ったばかりのお前に何がわかる! 甘っちょろい考えのお前に何がわかる! ぬるい人生を歩んできたお前に、何がわかるってんだ!!』
「わか……るよ……だって、あなたと同じ目をしていた人を、私は一人知っているから……」
『……何だと?』
カルミナは、かつてのアリシアを思い浮かべながらマーリルに言葉を投げかける。マーリルにも気付いてほしい、という思いを込めて。
「その子もね、会ったばかりは誰も信用できないといったような、暗い陰を帯びた目をしていた。どうして自分は皆と同じように生きてはいけないのか……? どうして自分はこんなに憎まれるのか? その子は自分を認めてくれる人を探していたの」
『ふん! 勘違いもいいとこだ。強いボクとそんな雑魚が同じだと? ふざけるのも大概にしとけよ……』
「ふざけてなんか、いないよ……マーリル、あなたが強くなりたいのはなんで?」
『くどいなあ、だから生きるためだってーー』
「そう……あなたは強くなりたいから生きてるんじゃない。生きるために、強くなりたいんだよね……あなたは、今を生きるために自分に何ができるのかを模索してる……話を聞く限りはそんな感じだよね……」
『そうだよ。だから何?』
ドクン、とマーリルの心臓が大きく音を立てたような気がした。
「じゃああなたは、どうしてそこまでして生きたいの?」
『ーーーーっ!? そ、それ、は……』
そうだ。なぜ自分は生きているんだ? 単に死にたくないから? それならばどうして人を襲った? 自分にスキルを教えてくれた師匠の後を継ぐため? いやそれも違う。あのクズには何の思い入れもない。別に殺し屋を続ける必要はなかったはずだ。
マーリルの頭がグルグルと回り出す。それと同時に、マーリルの心の中の深いモヤが少しずつ晴れていくような感覚に襲われた。
「ただ生きるなら、森の中で獣を狩り、山菜を採りながらでも暮らせばいい……でもあなたは、こちらの世界にやってきて、人殺しをして自分の存在を証明した。なんで、人を殺すようになったの?」
なんで? そうだ、ボクはあれだけ嫌っていた師匠と同じ道を歩んできた。なぜだ? そもそもあの時も、ボクはあいつらを殺すつもりはなかったーー。
師匠が突然死んだことで、師匠の代わりにボクが依頼を遂行することになってーー。あの時は手足が震えたし、何も考えられなくなった。
確か依頼人は中年のガラの悪い男だった。殺害対象は、そいつとトラブルを起こしていた隣の家の男。金が前払いだったことと、当時のボクにはこの依頼を達成する以外に生きる道はないと思っていたからーー。
偶然、その男の子どもに見つかった。子どもがボクを見て叫び出して、男とその妻が目を覚ましてしまった。相手が子どものボクだったから、男はボクに敵意をむき出しにして睨んでいた。だけどボクはその男なんて眼中になかった。
ボクが見ていたのは男の後ろ、母親に守られた男の子に目がいっていた。両親に愛され、その愛を当然のように受け取っている男の子。その男の子を見た瞬間、突然抑えることのできないナニカがボクの身体を支配して、ボクの意識は途絶えたんだ。
気が付いた時には、ボクの前には血と肉片になった三人が転がっていた。それ以来、ボクは人を殺すことにためらいがなくなったどころか、楽しむようになった。
なぜだ? なぜだ? なぜだーー? なんでボクは、あの時ーー?
「この世界で人を殺し続ければ、嫌でも注目を浴びることになる。悪い意味であっても、手っ取り早く自分の存在がより多くの人に認知される……マーリル、あなたは本当はーー」
ドクン、ドクン、ドクン……
マーリルの胸の高鳴りが、一段と大きくなる。まるで死刑宣告を受ける前の囚人の気持ちに近い、張り詰めた緊張がマーリルを襲う。
やめろ、やめろ……その先を、言うな!!!
「知ってほしかったんじゃないの? 自分という存在を」
『ーーーーーー!!』
ーー思い出した。ボクがどのように生まれ、どんな存在であったか。
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『何ということをしてくれた! よりにもよって暴獣を生むなど!! ただでさえ人間族と獣人族の間の子どもは問題があるというのに!』
『そんな忌み子など捨ててしまえ! 生きているだけでもおぞましい!!』
周りの奴らが、生まれたばかりのボクを非難した。暴獣? 忌み子? 何のこと? なんでボクを嫌うの?
『僕たちが生き残るためにも、この子にはすまないが犠牲になってもらうほかない……大丈夫、子どもはまた作ればいい』
『……そうね、ごめんなさいね坊や……これは仕方のないことなの。あなたはこの世界にいてはいけない存在。生きていても、良いことなんてないわ』
何勝手に決めてんだよ? 嫌だ……せっかく生まれたのに! 身体が思うように動かない! 嫌だ、死にたくない! 死にたくないよ!!
『この子に、次の人生で幸があらんことを』
どうして……どうしてボクを生んだくせに! お前らの都合で生んだくせに! どうしてこんな目に合わなきゃいけないんだ!
いくら叫ぼうとしても、言葉にならない声が出るだけ。いや、仮に言葉がでたとしても、どうすることもできなかっただろう。
なんでボクは生まれてきたんだろう? なんでボクは憎まれたんだろう? なんでボクはボクを生んだ両親に、殺されなければいけなかったんだろう?
忌み子だから? 人間族と獣人族のハーフだから? 暴獣とやらだから?
そんなの、なりたくてなったわけじゃないのに……そういう風に生んだあいつらが悪いんじゃないか。天罰を下すならあいつらだ。ボクじゃない。
誰もボクを助けてくれない。誰もボクを好きにはならない。
ならば上等。何もしなくても嫌われ者になるんなら…こっちから嫌ってやる。ボクの存在を否定する奴らはーー、
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『全員……皆殺しだああああああああ!!!!!』
突如、マーリルに異変が生じる。マーリルの悲哀のこもった雄叫びとともに、マーリルの身体から赤黒いオーラのようなものが噴出した。それは渦のようにマーリルの周囲を駆け巡り、まるでハリケーンのような突風を生み出した。
それと同時に、マーリルは自分の頭を押さえ苦しみ始めた。カルミナを掴んでいた手もパッと開き、カルミナはドサリと地面に落ちる。
「ゲホッゲホッ! 一体、何が……?」
咳き込みながらも、カルミナがマーリルの方に向き直る。するとーー、
「ーーーーっ!?」
そこには、赤黒いオーラを放ちながら巨体を宙に浮かせ、息を野獣のように荒げながらこちらを見下ろす、変わり果てたマーリルの姿があった。




