強者と弱者
目にも止まらぬ速さで、マーリルはアリシアの胸を一突きしようと間合いを詰める。マーリルは、簡単にアリシアの懐に侵入できたことに落胆を感じながら、そのままナイフを突き出した。
「なにっ!?」
しかし、そのナイフがアリシアの胸に刺さることはなかった。
なぜならば、アリシアはナイフが胸に当たるか当たらないかのギリギリの所で身を翻したからだ。予想外の出来事に、マーリルは目をギョッと丸くする。
すぐさま、アリシアはマーリルに対してカウンターを放つ。思わぬ反応に驚いたせいか、かわすタイミングが一瞬だけ遅れてしまう。マーリルの脇腹に、アリシアの裏拳が入った。
「うぐっ!?」
久々のダメージに、マーリルは顔を歪めた。マーリルの身体は衝撃を受け止めきれずに遠く吹き飛ばされてしまう。
マーリルが遠く離れたのを機に、アリシアは急いで二人の神軍の元に駆け寄った。二人ともぐったりと身動き一つとれずにいるようだが、男の方はまだ意識があるらしく、理解できないといった視線をアリシアに向けていた。女のほうは息はあるが弱々しく、意識もない。
「な…なんで、俺たちを、助けた……? 俺たちが誰なのかは、分かってんだろ……?」
乱れた息を何とかして整えながら、エルフの男ーーアートマンーーはアリシアに尋ねた。
「……はい、神軍ですよね? さっき私をさらった……」
「そうだ……いわば、俺たちはお前たちの敵……あの化物の言っていることに、間違いはない……」
そう言ったアートマンの表情はどこか暗い影が差していた。アリシアはそれに返答することなく、アートマンたちに小さな手をかざした。
すると、アリシアの両手がポウッと光り出した。そして、アートマンは直後、信じられない光景を目の当たりにした。
アートマンたちの傷が、みるみるふさがっていくのだ。アリシアは全神経を集中させているのか、額から脂汗が流れていた。
やがて、アートマンとシルビアの身体は、元のきれいな状態に戻った。アートマンが言葉も出ずに自分の身体を何度も確認しているとーー、
「さっきの話ですけど」
いつの間にか立ち上がり、アートマンたちに背中を向けていたアリシアが、こちらを振り向くことなく話し出した。
「私があなた方を助けた理由は…………何となくです」
「何と……なく?」
「大切な人の教えというのもありますけどね」
「馬鹿かお前!? 何となくで助けただと!? どういうつもりだよ! 相手は最も危険だといわれている世界の敵なんだぞ! 俺たちだって、お前の命を狙う敵なのに……」
アリシアは無言のまま、相変わらずアートマンたちの方に顔を向けない。よく見ると、身体が小刻みに震えていた。
「ほら見ろ! 身体が震えているじゃないか! 俺たちのことはいいから逃げろーー」
そう言いながらアートマンは、自分の言った言葉に疑問符を浮かべた。
(あれ……? なぜ俺は今、こいつの心配をした? こいつは俺たちの敵のはずなのに……)
アリシアはアートマンのその言葉を聞き、クスッと微笑んだあとにアートマンの方を振り向いた。輝きに満ちた空色の瞳を見て、そのあまりの美しさにアートマンは息を呑んだ。
「やっぱりあなた、優しいです。敵であるはずの私のことを心配してくれるなんて」
「い、いや……! これは、その……」 たじろぐアートマン。
「あなた方には、これからを生きる資格がある。あなた方のような心のきれいな人を、ここで死なせるわけにはいかない」
アリシアはそう言うと、改めてマーリルの方に向き直した。脇腹に相当なダメージを入れたはずなのに、少し汚れているだけで傷一つ見えなかった。
「やってくれたなあ……身体を元に戻すのに時間がかかっちゃったよ」
「脇腹を思い切り殴ったはずなんだけどな」
「全部じゃないけど、ボクはある程度なら身体を自力で回復させることができるんだ。ケガをした部位に意識を集中させれば……」
そう言ってマーリルは、切り傷がついた左腕をアリシアに見せる。そして、ぐっと力を込めているのか全身を震わせた。するとーー、
身体が意志を持っているかのように、断裂した皮膚や肉がウネウネと動き、元の綺麗な腕に戻っていった。
「ほらね? ボクはちょっとのことじゃ傷一つつかない。治るスピードのほうが早いのさ。さてと、それじゃあ……」
そう言った瞬間、マーリルの姿が消えた。直後、
アリシアの脇腹に、鈍器で殴られたような衝撃が走る。
「がは……?」
そのまま吹き飛ばされたアリシアは、アートマンたちとは反対の壁に激突した。マーリルはすかさず、飛ばされたアリシアに追い打ちをかけにいった。ナイフを突き立て、アリシアの首を狙う。だがーー、
ガシッ!!
アリシアはそれを、両手でかろうじて受け止めた。口からはツーッと赤い液体が垂れ流れていた。
「さすが! この程度じゃあ、やられないか! 面白い!」
マーリルはウキウキしながら、ナイフに力を込めた。グググ……とアリシアの首まで一突きしようと押し出すが、アリシアもそれに負けじと踏ん張っている。
アリシアは必死の形相であるが、マーリルは比較的まだ余裕そうだ。アリシアはさらに身体を発光させて力を解放するが、それでもマーリルを押し返せない。
「さっきの話の続きだけどさ」
突然、マーリルがアリシアに語りかけた。アリシアは返事することなく、押し返すことに集中する。
「なんであいつらを助けようとしているわけ? あいつらを助けたとしても、またキミの敵として立ちふさがるんだよ? ここで殺しておいた方が絶対いいって」
「……私は……、私と同じヒト族を殺してまで、生き永らえたくはない……!」
アリシアの身体が、さらに光を増していく。アリシアの言葉を聞き、マーリルはそのことに鼻で笑った。
「同じ? 違うね。ボクたちと奴らでは、越えることのできない大きな隔たりがある。ボクたちは選ばれたんだよ……。世界の敵だなんて言うけど、奴らはボクたちに嫉妬してるだけなんだ……力を持てなかった者たちが抱く、不細工で情けない想いだよ」
マーリルはさらに流暢に語り続ける。
「せっかくもらった力なんだ……。もらったからには、有効活用しなくちゃいけないだろう? それを適当な因縁つけてボクたちを排除しようなんてさ。それで、はいそうですか、じゃあ死にます、とはならないでしょ」
「……あなたは、どうして戦うの? どうして生きているの?」
アリシアは、マーリルを見定めるかのような鋭い視線を送りながらそのように問いかけた。マーリルはその問いかけにニヤリと笑うとーー、
「ボクが強者であることを示すためさ。そうしていれば、ボクの邪魔をする愚かな奴がいなくなるだろ? いずれは神軍どもにも、ボクの邪魔をしないくらい恐怖のドン底に叩き落としてやるのさ」
「そんなことを続けてたら、あなたはずっと一人だよ……? 寂しくないの? 辛いとは思わないの?」
アリシアは悲しげな瞳で、マーリルを見つめた。自分を憐れむかのような視線に、マーリルは少し苛立ちを覚えた。
「はんっ! 群れるのは弱者の特権さ! 一人で生きられないから仕方なく群れを作ってるんだろ? ボクは違う。必要がないんだよ……。強者だからね! 一人で生きるのは、強者の特権なのさ! 寂しいだとか辛いだとか、これっぽっちも思ったことはないね!」
マーリルは、ふてくされた子どものようにアリシアに対して声を荒げた。その言葉を聞いたアリシアは、さらに憐れみの視線をぶつける。
「違うよ……違う。群れるのは、弱いからじゃない。誰かと一緒にいたい、誰かの役に立ちたいから、私たちは集団を作るんだよ」
まるで子どもに注意する母親のように、優しく、そして厳しくアリシアは言葉をぶつけた。それがさらにマーリルの心を逆撫でする。
「はぁ? それこそが弱者の思想じゃないか! 要はこれはできるけど、あれはできないから一緒にやろう、みたいなことだろう!? ボクに依頼してくる奴らもそうだ。自分じゃできないから、強者のボクに頼るしかない。そんな思考そのものが、弱者を弱者たらしめてるんだよ!!」
マーリルはムキになって、さらに声を荒げる。同時に、ナイフにさらに力を込めた。アリシアは徐々に押され、ナイフがあと数センチの所まで近づいてくる。
「お前もそうさ! そんな想いでいるから、弱いままなんだ! 見てみろ! もうお前も限界じゃないか! ボクにはまだまだ余裕がある。もうお前を殺すことなんて簡単なんだよ! 何が災厄だ! 何が最強だ! お前も結局、一人じゃ何もできないような、弱者の一員だ!!」
マーリルの姿はもはや、癇癪をおこした子どもそのものだった。自分の正しさを喚き散らすマーリルに、アリシアは諦めずに力を出し続ける。全身が、さらに一段と光り輝いた。
「私は、ついこの前までは、自分は化物で強くもないから、生きている価値なんてないと思ってた……。でも、とある人が私を認めてくれた……。私がどんなに迷惑かけても、あの人は笑って許してくれた。私の命を狙う相手にも、命を懸けて私を守ってくれた。だから私はその人のために頑張りたい、その人が困っていたら、私が助けてあげたいって思えたの」
「……何の話だよ?」
マーリルは苛立ちを隠さずに、荒々しく尋ねた。アリシアは顔をキッと引き締めて、鋭く強い視線をマーリルにぶつけた。
「強者というのは、多分そういう人のことを言うんだと思う……。誰かのために命を張って、困っている誰かのために全力を注ぐことができる人のこと。だから誰からも愛されるの。その人が困っていたら、助けてあげたいって思えるの。あなたの言う強さはね……」
アリシアは一呼吸おいて、ハッキリと伝える。
「ただの、独りよがりだ。強さというのは、誰かが評価して初めてわかるもの。あなたのように一人で生きてたら、誰もあなたを評価してくれない。あなたが今の生き方を続ける限り、あなたは永遠に強者になれない」
「…………!!」
マーリルは限界点に達したのか、今までで一番強い力でナイフをアリシアにねじ込もうとした。アリシアは必死で押さえるが、ナイフはさらに近づいてくる。ついに、ナイフの切っ先がアリシアののどにチリッと触れた。
「もうしゃべるな、お前。お前の話を聞いてると頭がおかしくなりそうだ。オレが強者になれないだと? 言ってくれるじゃねえかよ雑魚のくせによ……。そんなにさっさと死にたいなら……」
マーリルは黄色い野獣の目をカッと見開く。
「お望みどおり殺してやるよボケがああああああ!!!!」
マーリルが雄叫びをあげながら最後のヒト押しをしようとしたその時!
「させるかあああああああ!!!!!」
マーリルの側面から、鋭い一撃が飛ぶ。アリシアに注視してたせいで、さっきのように反応が遅れてしまった。その一撃を放った人物は、すかさずアリシアの前に立つ。
「大丈夫!? ケガはない、アリシア!?」
アリシアはその言葉を聞き、胸が安心感で満たされた。そして、来てくれた喜びを隠すことなく、その愛しい人の名を呼ぶ。
「うん……! ありがとう、カルミナ!」




