自分に素直に
時は、少しさかのぼるーー
「う……ううん……ここ、は……?」
部屋のベッドでは感じたことのない違和感でアリシアは目を覚ます。
(変だな……ベッドにしては石みたいに硬い……って、あれ?)
そうしてむくりと身体を起こして辺りを見回す。そこは酒場の部屋とは違い、どこか分からない路地裏だった。建物に両側から挟まれ、太陽の光も入らない、薄暗い場所。そして、下を向くと石造りの道。どうりで硬いわけだ。
アリシアは、なぜ自分がこんなところで寝ているのか分からずに困惑する。
(何で私……こんなところで?…………あっ! そうか、私!)
ようやく自分の身に起きた出来事を思い出し、緊張が走る。自分をさらった敵が、この近くにいるはずだ。するとーー、
アリシアは、目の疑うような光景が広がっていた。
(あ、あれ……は……)
アリシアがいる場所から少し離れた場所。そこに、三人の人影があった。一人は少し小柄な赤髪の少年。背筋が凍りつくような雰囲気を纏っている。そして、その少年に首を絞められている二人の男女が苦しみにもがいていた。
薄緑の髪をした、筋肉質だがバランスの良い体型をしている男と、白銀の髪をした、クールビューティーを体現したかのようなキリッとした鋭い目をした女。二人とも、異様に横に長く尖った耳をつけている。今は死が近づいているせいか、だいぶ衰弱しているようだ。男のほうはまだ意識を保てているようだが、女のほうはもうほとんど意識がないのか、全身から力が抜けたようにのびてしまっている。
命の灯火が消えるのは、時間の問題のようだ。男は、迫り来る死の恐怖からか、たくましい体つきとは裏腹に全てに絶望したかのような表情になっている。
(ど、どうしよう……このままじゃ、あの人たちが……!)
助けを呼ぼうかと考えたが、自分たち以外近くに人がいる気配はなく、誰かが来る様子もない。叫んだとしても、間に合わないだろう。
つまり、今彼らを助けることができるのは、アリシアのみなのである。アリシアはさらに緊張感を募らせ、頭の中を必死にグルグル回転させる。
首を絞められている二人は、おそらく神軍だろう。その証拠に、黒いローブの胸部分に彼らの紋章が刻まれたバッジを身につけていた。アリシアを連れ去ったのは、この二人の仕業とみてちがいなさそうだ。
一方、二人の息の根を止めようとしている少年に対して、アリシアは何ともいえないビリビリとした肌の痺れを感じていた。
(間違いない……! あの子も世界の敵だ……!)
直感が告げる。この感覚は、オルトスの時と同じだった。少年は不気味な笑みを浮かべ、愉しそうに二人の男女を痛めつけていた。二人には痛々しい傷跡があって少年にはないのを見るかぎり、少年の力はオルトス以上の化物クラスだとわかる。アリシアは震えが止まらなくなっていた。
(早く止めなくちゃ……! で、でも……)
足がすくむ。あんな化物に今の自分が勝てるとは思えない。それに殺されかけているのは、自分の命を狙う神軍だ。今は自分の身を守るために、ここから逃げ出す方法のみ考えればいいーー
(本当に、それでいいの? 神軍の一員だからって切り捨てるの?)
アリシアは己の心の中で自問自答する。確かに、彼らを仮に助けることが出来たとして、再び自分に刃を向けるかもしれない。別にここで無視したところで、アリシアに害が及ぶことはないのだ。
しかし同時に、二人を見捨てた場合を想像してしまい、アリシアは深い罪悪感に襲われた。
(こういう時……カルミナだったらどうするのかな……?)
アリシアは、自分をいつも守ってくれる大切な人の姿を思い浮かべる。彼女だったらこういう状況の時、どう判断するのか?
今までの彼女の行動を振り返り、アリシアは気付く。彼女は、悩みすらしていなかった。
(そうだ……! あの人は悩まない! 常に自分が正しいと思う行動をする。すなわち、誰であろうと困っている人がいたら助ける!)
いつだって誰かのことを考え、自分のことは二の次だった。誰かの役に立つことに、喜びと生き甲斐を感じるような人だ。それが、カルミナという人間なのだ。
アリシアは思い出す。自分が何のために修行を始めたのか? それはーー
(私は、あの人のように誰かの役に立てるような人になりたい!)
~~~~~~
そして、今に至る。アリシアは、力強くマーリルの腕を握り締めた。マーリルはそんなアリシアの挑発的な態度に苛立ちを募らせた。
「何のつもりかな? キミ、確かボクより危険だと言われている災厄さんだよね? もしかして、この二人を助けたいの?」
「そのまさかだよ」
「正気? この二人は神軍だよ? ボクたちの命を狙う不倶戴天の敵なんだよ? それを助ける? キミが? 面白い冗談だね……」
マーリルは軽く嗤いながら、アリシアにおぞましい殺意を向けた。アリシアは恐怖で足がすくみそうになるが、必死にそれを耐える。
「たとえどんな人であれ、命まで奪っていい理由にはならない。ましてや、この二人からは邪気を感じない。そんな人を、むざむざ殺らせるわけにはいかない」
アリシアはさらに力をこめる。全身から、ピリッとわずかだが稲妻のような光が現れた。マーリルはそんなアリシアを見てーー、
「いいね、その目……気に入ったよ。どのみち今日ここまで来た理由は、キミと戦ってみたかったからだし」
そう言ってニヤリと口角をつり上げたマーリルは、二人のエルフを解放した。二人とも、かろうじて生きていたのか思い切り咳込み出した。
「私を狙って、ここまで来たって……?」
アリシアは首を傾げながら、マーリルに尋ねた。
「世界の敵に強さのランク付けはされていないけど、危険度みたいなものがあるんだ。ついこの前まで、ボクが一番危険だと言われていたんだけどね……。キミが現れてから、ボクはキミの次になっちゃった」
マーリルはつまらなそうに口を尖らせながらそう言った。その言葉にアリシアは顔をしかめる。
「私が狙いだったのなら、なんでこの二人を襲ったの?」
「ボクたちの命を狙う奴らを生かしておく理由はないだろう? 何か拍子抜けしたよ。こんな甘っちょろいことを言う奴が、ボクより危険だなんて」
「あいにく、私もそのことについてはてんで知らないからわからないけど……少なくともあなたの聞いた噂はデタラメだと思う」
「まあそれは、これから確かめればいいだけのことだよ」
途端にブワッと、辺り一面にどす黒いモノが充満した気がした。アリシアは、胸を突き刺されたような極度の緊張状態に陥ってしまう。しかし、それに負けじとアリシアは歯を食いしばりながら耐える。
「へえ、頑張るね♪ これは中々期待できそうだ」
「……ここであなたに負けるわけにはいかない」
「なんでそこまでして頑張るの? 彼らは他人。それどころかボクたちの命を狙う奴らの一員なんだよ? 助ける理由ないじゃん」
「……だからといって殺す理由もない。私たちを狙っているのは、あくまでも神様。この人たちの意志は、まだわからない。それに」
「それに?」
「私は、大切な人の教えを守りたいから。だからあなたを止める」
アリシアはまっすぐな瞳で、マーリルに言い放った。直後、アリシアから稲妻のような光たちがうねりを上げてアリシアの身体を纏う。
(落ち着け、アリシア……カルミナに教わったとおりにいけば、大丈夫……)
アリシアは息をゆっくりと吐き、そして構えを作った。それは、カルミナと全く同じ、舞道の構えーー。
マーリルは額に青筋を立てながらナイフを取り出した。どす黒い怒りの渦がマーリルの周囲に広がる。
「気に入らねえなお前……分かった、お前はできる限り苦しませながら殺してやるよ。そして、オレが一番だって証明してやる」
そう言った直後、マーリルは地面を蹴り、真っ直ぐアリシアにナイフを突き立てるのだった。




