快楽者
マーリルーー
その名を聞き、アートマンとシルビアにゾワッと戦慄が迸った。とうに冷めきったはずの体温が、これでもかというくらいに一段と下がる。もはや寒さの限界を通り越して痛みすら感じるレベルだ。
「やはり……、お前、快楽者か!!」
世界の敵にはそれぞれコードネームが付けられており、その由来は額に浮かび上がる文字からきている。どういう原理なのかは不明だが、現時点でその文字が浮かび上がる存在は五人。
《災厄》
《快楽者》
《反逆者》
《巫女》
《魔王》
その中で、《災厄》と呼ばれる世界の敵は、アートマンたちの隣で気絶しているアリシアのことである。
そして、《快楽者》と呼ばれる世界の敵こそがーー、
目の前にいる赤髪の少年、マーリルなのである。
「ふふ、やっぱり知っていたね。話が早くて助かるよ」
「最も危険と言われる世界の敵サマが、こんな所に何の用かしら?」
シルビアは、何とか己の意識も保とうとあえて挑発的な口調でマーリルに尋ねた。マーリルはクスクスと年相応の無邪気な笑みを浮かべながら、懐から錆びたナイフをスッ、と取り出す。漆黒に染まったナイフから放たれる異臭が二人の所にまで届き、あまりの醜悪さに二人は思わず鼻を覆う。
「いやあ、何でもね? 最近このボクよりも恐ろしい世界の敵が現れたって話を聞いたから、どんな奴なのか見てみたいと思ってね? この街に入って気配を辿ってみたら、ここに着いたってわけ。まさかこんな弱いヒトたちに捕まってるとは思わなかったけど」
マーリルはそう言って再びクスクスと嗤った。まるでご馳走を前にした子どものようだ。
「へっ……弱いってのは俺たちのことかい? これでも喧嘩には自信があるんだが、なめられたもんだね……」
「世界の敵からすれば、神様以外は皆か弱い存在だ。ボクたちには生まれながらにしてお兄さんたちにはない、圧倒的な力がある。だから皆はボクたちを危険視してるんじゃないか。そうでしょ?」
「被害者面してる所悪いけどね坊や、その力を悪用してはダメって親御さんから教わらなかったの?」
「残念ながらボクに両親はいないんだ。お兄さん方と違ってね。それにボクは一度たりとも悪用したとは思っていない。ボクがこの力を使うのは、生きるためさ。ボクの命を脅かす奴らから、自分の身を守るためにね」
「じゃあなぜ罪のない人々を殺し回っている? お前の悪行は知っているぞ、快楽者。人を殺すことで依頼主から報酬をもらう殺し屋稼業を営み、これまで確認されているだけでも殺した数は数百人以上。今もその被害は拡大し続け、世界中の人々がお前を恐れている」
「へぇ~、さすが! よく知ってるね」
「なぜ人を殺し続ける? 生きるための金を稼ぐ方法くらい、いくらでもあるだろう? お前が殺してきた人たちには全員、一生懸命歩んできた人生があり、愛し愛される人がいて、守るべき営みがあったんだぞ……。その人たちが積み上げてきたモノを、お前は簡単にぶち壊したんだ!」
アートマンたちは、事前にマーリルの情報を聞かされていたため、彼に関する概略は把握していた。
この世界で唯一人の殺し屋であり、その殺し方は非常に残忍極まりない。遺体は全て損傷が激しいのだが、不思議なことに急所は外れているのだ。その証拠に、心臓や頭には一切の傷がない。つまりマーリルは、対象が失血死するまで、可能な限り長く対象をいたぶっているのだ。
なぶり殺し。それがマーリルの殺害方法だ。アートマンたちが初めてその話を聞いたときはとても信じられなかった。これが人間の、しかもまだ十三歳の子どものすることかと。
もはや、今の自分たちには勝てないかもしれないという問題はどうでもいい。アートマンの心に、悪を決して許さないという清らかな炎が燃え上がっていた。
「お前はただ殺すのではなく、できる限り長く苦しませて殺しているな?どうしてそんな酷いことができる?どうして、そんな風に命を弄ぶことができるんだ!!」
アートマンはハァ、ハァ、と息を切らしながらも自らの思いをマーリルにぶつけた。不当に命を奪う行為は、たとえ年端のいかない子どもであったとしても絶対に許されてはならないタブーだ。それは、目の前の少年も分かっているはず。それなのに……、
それなのに、何故あの少年は嗤っていられるのか。アートマンには、それが不思議でならなかった。
「………………」
アートマンの言葉を受け、マーリルは顔を俯かせて押し黙る。何かを我慢するかのように、肩を震わせていた。そしてーー、
「あっはっはっはっはっは!!!!」
突如、腹をかかえて大声で嗤い出した。二人はビクリと身体を震わせ、呆気にとられる。
「な、何が可笑しいのよ……?」
震える声でシルビアは尋ねる。普段の彼女からは想像もつかないようなか細い声だ。
「いやあ、ごめんごめん! いかにも正義の味方らしい言葉が聞けたもんだから、思わず笑っちゃった! あははっ!!」
そう言いながら、マーリルはいまだ嗤い続けている。そして、黄色く光る野獣のような目を薄らと開けた。その目を見た二人は、まるでヘビにでも睨まれたかのように硬直してしまう。
「しかし、お兄さんたちはやっぱり育ちが良いんだね! でなきゃそんなおめでたい言葉は出ないよ! 確かに耳長さんの所は長いこと平和だってどこかの話で聞いたことがあるから、育ちが良いのは当然か」
耳長、という言葉がマーリルの口から出た瞬間、二人は慌てて自分の耳を覆う。
「俺たちがエルフだって気付いてたのか……」
「さすがに子どもだからってバカにしすぎだよ。そんな特徴的な耳をしてたら、気付かないほうがおかしいって」
マーリルはそう言った直後、不思議そうな顔をして二人を見つめた。
「でも珍しいな。たしかエルフ族は、父であり母である神樹のある森から離れることはないって聞いたことがあるけど……? しかも神軍と繋がっているなんて話も聞いたことがない。どういうことなんだい?」
マーリルは顎に手を当てて考える仕草をする。うーんと唸りながら二人を置いて押し黙り、そしてすぐにーー、
「うん、どうでもいいや! どうせここで殺すんだし。ボクの命を狙う神軍を生かしておく理由はないしね」
マーリルは屈託のない笑みを浮かべながら、息をするかのように物騒な言葉を吐いた。
殺すーー、その言葉を聞いた瞬間、エルフの二人は武器を取って身構えた。その姿を見て、マーリルは恍惚の表情になる。
「ああ……、いい闘志だあ……。エルフと戦うのは初めてだからね。お兄さんたちならもしかしたら、ボクの求めてる答えを教えてくれるかもしれない」
「答え……だと? どういうことだ?」
アートマンはマーリルの言葉の意味が分からず、顔をしかめる。マーリルはどこか上の空を見つめながら、黄色い瞳を揺らした。
「さっきのお兄さんの質問の答えにもなるんだけどね、ボクが誰かを殺す理由として、一つ目はボクが生きるため。ボクは殺し以外の生き方を知らないんだ。もう一つはね、ボクの心に欠けている何かを見つけるため」
「心に欠けている何か……?」
シルビアが不思議そうに、マーリルの言葉を繰り返す。
「ボクはね、ずうっと満たされないままなんだ。どれだけ美味しいものを食べても、どれだけお金をもらっても、どれだけ人を殺しても常に一つだけ満たされていない感覚に襲われるんだ。これが何なのかがてんで分からなくてね。でも、あることをしたら何となくだけど、答えに近付いた気がしたんだ」
「それが……、なぶり殺しだと?」
「そう、まさしくその通り。もう死ぬと分かっているにも関わらず、それでも生きようと足掻く人々を見るたび、ボクの心の隙間が一瞬だけど埋まった気がしたんだ!」
マーリルは次第に声を荒げ、まるで財宝を探す子どものように目を輝かせている。
「だからお兄さんたちも協力してほしいな……。ボクの自分探しにさあ!!!!」
マーリルが邪悪な笑みを浮かべながらそう告げた次の瞬間ーー、
「……なっ!?」
目の前にいたはずのマーリルの姿が、一瞬にして消えた。アートマンは慌てて辺りを見渡す。
「ど、どこに……?」
「アートマン!!! 下!!!」
唐突にシルビアの叫びに近い声が響く。すぐに下に目を向ける。そこにはーー、
黄色い目を鈍く光らせた深紅の髪の少年が、無垢な笑みを浮かべながらこちらにナイフを突き立てていたのだった。
寝ます、すやぁ…




