緊急事態
カルミナたちが爆発音を聞きつけてレストランエリアに到着したとき、店内には悔しそうに項垂れているハロルドの姿があった。
ハロルドと一緒にいたはずのアリシアの姿は、ない。カルミナに再び、あの時と同様の悪寒が走った。
二人は急いでハロルドの元に駆け寄った。ハロルドは苦しそうに咳き込みながら、目に涙をじんわりと浮かべていた。身体も思うように動かないのか、ピクピク痙攣させている。
「ハロルドおじさん! おじさん! 大丈夫!?」
「……あんま耳元で騒ぐな……ゲホッ……、意識ははっきりしてんだからよ」
「おじさん……良かった……」
ハロルドの無事を確認し、カルミナはひとまず安堵する。しかしーー、
「ハロルド、アリシアちゃんはまさか……」
ミランダがカルミナの代わりになるように尋ねる。ハロルドは再び悔しそうに俯いた。
「すまねえ……、油断した……! 本当にすまねえ……! カルミナ嬢……!」
その言葉を聞き、カルミナの脳内がグルングルンと回る。吐き気を催すぐらい、激しく揺れる。
(そ、そんな……。私、また同じ過ちを……。何が守るだ何が助けるだ……!考えられたことじゃないか!!……ど、どうする?アリシアがもしもうサマルカンから出てしまっていたら……!!)
その時、カルミナの背中にピシャリと衝撃が走る。
「ヒャン!!??」
突然のことに思わずカルミナは変な声を出してしまった。背中をさすりながら振り向くと、そこにはミランダがどっしりと構えて立っていた。
「何、何するのよ……、女将さん……」
「どうだい? 落ち着いたかい? カルミナちゃん」
「え……? あっ……」
先ほどの一撃で、カルミナの頭はすっきり元に戻っていた。混濁していた意識がクリアになり、ある種の心地よさすら感じる。
カルミナは、ニッと笑って……、
「ありがとう女将さん、もう大丈夫。ごめん」
「そうかい、慌てることはいつでもできる。今はアリシアちゃんを取り戻すことが先決だからね」
「うん、わかってる」
その直後のことだった。
「おい、女将!今すっげえ音がしたけど、大丈夫か!?」
「女将、実は誰かに恨みでも買われてたのかよ?」
「女将さん、大丈夫!?怪我してない??」
店やミランダを心配して近所の人々が一斉に駆けつけてきた。ミランダが皆の元に行き、元気な姿を見せる。
「ああ、私と店は大丈夫だ。それより、うちの客の一人がさらわれた。この中で目撃者はいないか?」
「まじかよ!? でも俺も今来たばかりだからなあ……」
「俺も……」
「私も……」
「そうかい……残念だ」
どうやら皆、爆発音を聞いてから飛び出してきたらしい。ミランダが収穫のないことにため息をついた。すると……、
「おーい、俺見てた!目撃したぞ!!」
集団の奥のほうで、手を上げている背の小さい痩せた男がそう叫んだ。その言葉を聞いた瞬間、ミランダが尋ねる前にカルミナが猛スピードでその男の元に行く。
「どこ!? どっちに行ったかわかる!?」
「あ、ああ……。この道を真っ直ぐ行って、あの二つ目の角……、そうあそこだ。左に曲がっていった。細い路地だから人目につきにくいと思うから選んだんだろう……二人組で、黒ずくめだった。遠くから見えただけだから、詳しくはわからん」
「わかった! ありがとう!! 女将さん、行ってきます!!」
「ああ、気をつけな!!」
「うん!!!」
そう言ってカルミナの姿は、あっという間に見えなくなる。集まった人々もそのあまりの速さに驚いたのか、ただ呆然と眺めていた。
ミランダは厳しい表情を崩さず、頭の中で現状を整理した。
(手段を選ばなくなってきたな……。こんな白昼堂々と、はっきり言って無謀だ。大勢の人に見られることだってあるだろうに……)
ミランダは集まってくれた人々に、一杯ごちそうする約束をしてから全員を帰した。帰しながら、ミランダは思う。
(しかしなぜこんな泥棒みたいな真似を……? 神軍ならば、堂々と店に入ってきて、アリシアちゃんを無理やり連れていくことだってできたはずだ。なぜだ? 奴らは、一体何を隠している?)
アリシアと神軍の戦いに、どこかキナ臭さを感じずにはいられないミランダであった。
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一方その頃、サマルカンのとある裏路地。常にどこかに人がいるサマルカンであっても滅多に来ることのない場所。建物が左右に覆い被さるように並んでいるため、昼間なのに夕暮れ時のように薄暗い。
中央酒場から北北西に少し離れた所にあるこのエリアには、一部の者しか知らない秘密の抜け道がある。その抜け道を通っていくと、白い結界陣がある。
結界陣とは、神の作りし超常の力の一つで、作る際にあらかじめ二つの場所を指定し、結界陣を通じて二つの場所を一瞬で行き来できる代物、早い話がワープである。
基本的にこの結界陣は神がいる白の宮殿に通じている。当然、神に認められた者しか反応せず、一般人が偶々やって来たとしても反応しないどころか、それがあることすら視認できない仕組みだ。
つまり、この結界陣は神軍が世界のあらゆる場所を自由に往来するための、連絡通路なのである。
今、このサマルカンの結界陣を使おうとする二人組の神軍がいた。うち一人は、気絶している空色髪の少女を担いでいる。黒ずくめの衣装に身を包んでいた二人は、鬱陶しげに顔に付けていたマスクを外す。
「ふぅ~……上手くいったな」
「これ、上手くいったって言える?」
「こいつらもびっくりしてたじゃん。あとは結界陣通って帰るだけだ」
「まあ……そうなんだけど……」
二人組の横に長く尖った耳を付けた美男美女、アートマンとシルビアが作業を始める。結界陣を開くには、神言と呼ばれる合言葉を唱えながら、あらかじめ持たされている神晶を起動させる。これには多少の時間を要するため、シルビアが結界陣を開く係、アートマンが周囲を警戒する係で役割分担させている。
シルビアがふと、アートマンが下ろした空色髪の世界の敵、アリシアを見る。薄暗い路地裏の中でも一際光輝くその姿は、どこか神がかっているようにも思える。
「こうして見ると、全然世界の敵に見えないね、この子」
「……そうだな、見た目普通の女の子だ」
アートマンは万が一アリシアに逃げられないように、縄で両手両足を縛る。二人はアリシアの無垢な姿に、だんだんこちらが悪者なのではないかという錯覚に駆られていく。
「……ねえ、本当にこの子世界の敵なのかな?」
「何言ってんだ。ほら、ここにアザがあるだろう。これが何よりの証拠だ」
そう言ってアートマンは、アリシアの額に神晶の光をかざす。すると、そこには、「災厄」という文字が浮かび上がった。
「覚醒したって聞いてたけど、こうやってかざさないと見えないってことは実はまだ覚醒してないのか?」
アートマンは事前に聞かされていた情報と違い、首を傾げた。
「さあ……? まあ、どうでもいいじゃない。覚醒していないのならばむしろ好都合。覚醒した世界の敵を相手にするのは、私たちには荷が重すぎる」
「まあ、それもそうだな。よし、それならとっとと仕事終わらせてしまおう!」
「はいはい、じゃあ始めるわよ」
シルビアが面倒そうに神言を唱えようとしたその時。
「あれえ? 気配を辿って来てみたら……。お兄さんたちだあれ?」
アートマンとシルビアはとっさに構えて声のする方向に振り向く。人懐こそうな子供の高く透き通った声。しかし、二人の全神経一つ一つが、その声に対し最大限の危険信号を鳴らす。辺りの気温が一気に冷えたような感覚を覚え、二人の身体は小刻みに震え出す。
そこにいたのはーー、
ボロボロの黒マントだけを身につけた、血のように真っ赤な髪をした少年が、まるで肉食獣のような黄色い目を光らせていた。肌はこの世の者とは思えないくらい真っ白だった。少年は極上の獲物を見つけることができたからか、満足そうにニヤリと嗤う。
その顔を見た瞬間、アートマンとシルビアに、突然心臓をナイフで突き刺されたような感覚に襲われた。ブワッと全身から汗が噴き出す。震えが抑えきれず、口の中からガチガチと歯の当たる音が響く。
「だ、誰だ……? お前は……? ここはお前のような子供がいるような場所じゃない。さ、さっさと立ち去れ……!」
アートマンが何とか息を整えて、目の前の少年に言い放つ。その言葉を聞いて少年は滑稽そうにクスクスと嗤った。
「な、何が……! 可笑しい……!?」
「いやあ、そんな腰が引けた状態で命令してくるもんだからつい、ね。ごめんごめん。でもさ……、もう気付いてるんでしょ?ボクの正体」
「な……何っ!?」
(まさか、まさか本当にあのーー!)
アートマンの脳内に、最悪の人物の名前が浮かび上がる。上層部から言われていた、遭遇したら絶対戦ってはならない敵。その者の名はーー
「初対面だし名乗っておくね。ボクの名はマーリル。君たち神軍が殺したがっている、世界の敵の一人さ。よろしくね、お兄さんたち」
そう言って、少年は子供らしい、いたいけな笑みを浮かべるのだった。
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