ピンチは唐突にやってくる
お待たせしました寝落ちした定期
カルミナ一行がサマルカンにやってきて、早一週間が過ぎた。
その間、特に神軍が襲ってくるということもなく、カルミナとアリシアは二人で修行に明け暮れていた。
どうやら余程の緊急事態でない限り、人が大勢集まる場所で神軍が剣を抜くことはないらしい。これは、人間神アズバがなるべく人に不安の種を植え付けないようにするためだと言われている。
「でもそれって変だよね?」
朝、いつものように鍛練を終えたカルミナがお茶を飲みながら、ミランダから話を聞いて首を傾げた。ちなみにアリシアは、ハロルドと食後の後片付けのために台所にいる。
「ああ、変だよ。だってそんな姿勢では、人々を守護するという使命が果たせていないのだから」
そう、ミランダの言うとおり、人が集まっていたら剣を抜かないのならばーー、例えば神軍は泥棒などの軽犯罪は取り締まらない。彼らの言い分では、それは当事者間で解決させるのが一番良い、とのことだ。
つまり、彼らは人類ではどうしようもない脅威からは人々を守るが、逆に言うと人類で何とかできる問題ならば手を貸さないのだ。彼らの前では、犯罪者も被害者も同じ人の子であり、守るべき対象だからーー。
「神軍がいるにも関わらず村ごとに警備隊がいるのはこのためさ。あの方々は要するに、世界の敵以外眼中にないのさ。世界の敵を見つけたら、地の果てまで追いかけ回すけどね」
ミランダはため息をつきながら、どこか呆れたように言った。カルミナはその話を聞いてゾッと寒気がし、思わず身震いした。
「ストーカーかな? 何ていうか……、神軍って結局何なんだろうね?」
「さあねえ…。でもあの方々が果たしている役割は大きい。特に功績として挙げられるのはやっぱり、治療院と学院だね。すべての村にこの二つを造り、人々の教育及び衛生環境が整えられた。今こんなに平和で豊かになったのも、その二つのおかげだと言っても過言じゃない」
「そうなんだ、うちの村にも確かにあるなあ。今は誰もいないけど」
「誰もいない? どういうことだい?」
「実は、アリシアと出会う前にドーン村の担当神官様が謎の失踪を遂げたのよ。いまだに理由はわからないけどね」
「失踪? ふーん……、珍しいこともあるもんだね……」
今度はミランダがカルミナの話に首を傾げた。謎の失踪、そしてその後に現れた世界の敵、アリシア……。
(ドーン村、ねえ……)
ミランダは少し目を細めてカルミナを見た。カルミナは急に黙り込んだミランダを見て、少し不安げな表情になった。おそるおそるミランダに声をかける。
「ミランダさん? どうしたの、そんな険しい顔して」
「ん? あ、いや。すまないね、ちょっと考え事してた」
「話の途中で!?」
「私も老いたということさ」
「老いと……、関係あるのかなあ? そういうの」
カルミナは頭に?マークを浮かべながら、お茶を静かに身体に流し込むのだった。
~~~~~~~~~
一方その頃、台所では、アリシアとハロルドが朝食の後片付けをしていた。アリシアは慣れていないのでまだぎこちないが、意外にもハロルドは慣れた手つきでパッパッパッとこなしていく。
アリシアはそんなハロルドを横目に見ながら、ハロルドの手際の良さに驚きで目を丸くした。
「ハロルドさん、すごい。プロみたい」
「プ、プロ? 一体何のプロかは知らないが、こんなのは家でもやるしな。仕事の都合上、一人でいる時とかに家事全般がある程度できると楽なんだ」
「なるほど……」
「それよりどうだ、その後の調子は? 上手くやれそうかい?」
ハロルドがニヤリと笑いながらアリシアに修行の経過を尋ねる。アリシアは少し影を帯びさせながら答えた。
「やっぱり、力の加減とか色々と難しいです……。力を入れすぎると人形が壊れてしまうし、かといって力をセーブし過ぎたら人形は全く倒れないし……」
アリシアは悔しそうに歯噛みしながら、そう答えた。そんなアリシアを見て、ハロルドはウンウンとにこやかに何度も頷いていた。その姿はまるで、孫の話を聞いて楽しんでいるお爺さんのようだ。
「まあ、カルミナ嬢の操る舞道ってやつは素人目から見ても難しそうだからなあ。色々課題が出てくるのはしょうがないだろう」
「はい……。カルミナも丁寧に教えてくれるんですが、いざ実践となると感覚が全然わからなくて……。カルミナのすごいのは、私が最もできていない所をピックアップしてから、そこを優先して教えてくれます」
「ほう……、一丁前に先生やってんじゃねえか。やっぱ厳しいかい?」
「別人みたいに厳しいです。拳が飛んでくるとかはないですけど、少しでも動作が間違っていたら、すぐに指摘してくれます。圧を私に与えながら……」
アリシアはその時のことを思い出したのか、肩を微かに震わせている。どうやらよほど怖いらしい。
「フッ……、中々良い師弟関係じゃないか。カルミナ嬢はお前さんを一番に想っているから、お前さんができるようになるまでずっとその調子で教えてくれると思うぞ」
「はい、だから一刻も早くその想いに答えなきゃ……」
アリシアはそう言って、勇ましい目をして気合いを入れるかのように、フンと鼻を鳴らした。空色の瞳が、力が入っているのか激しく揺れた。
「変わってきたな、お前さん」
ハロルドがニヤリと不敵な笑みを浮かべながら、横目でアリシアを見た。その言葉にアリシアは自覚がないのか、再び驚いたように目を丸くする。
「そ、そうでしょうか……?私、何もできていませんが……」
「変わろうとする意志が見えるだけでも充分だよ。世の中の大抵の奴らはその意志すら見せないからな。皆、心のどこかで現状に満足してそのままでいつづける。だから、お前さんのように意志を持って行動すること自体がすげえことなんだよ」
「ハロルドさん……」
「俺はお前さんの評価を改めなくちゃいけねえ。まさかお前さんにここまでの負けん気があったとはな。最初見た時は、ビクビク震えていた雛鳥のようだったのによ、ククッ」
「……あの時の私は、本当に先が見えなくて、このまま何もわからないまま野垂れ死んじゃうのかなって思ってたんですけど……。カルミナやヘンリーさん、ハロルドさんやミランダさんに出会って、こんな私でも前を向いていい、生きていいって教えてもらいました。皆の想いには応えたい……。それが、私の今の生きる意味でもあります」
アリシアは瞳を力強く輝かせた。以前のように暗く濁った瞳はどこにもない。今の彼女からは、はっきりと闘志を感じることができたのだ。
ハロルドは作業を終え、アリシアの頭の上に、力強く自分の手を置いた。大きな手のひらが、アリシアの頭をそっと優しく包み込んだ。
「今のお前さんには自信が見える。これからも、困難に遭うたびにそれが崩れそうになるかもしれない。だけど、今お前さんが自分で言った意志を忘れないかぎり、その自信がなくなることは決してない。諦めるなよ、アリシア嬢」
「……はい!」
アリシアはしっかり目を見開き、ハロルドの目を真っ直ぐ見てはっきりと答えた。ハロルドは満足そうに頷いた。
「よし、それじゃあ片付けも済んだし戻るか。お茶飲みたい」
「フフっ、ハロルドさんここのお茶、ほんとお好きですよね」
「馴れ親しんでいるのもあるからか、どうも他所より旨く感じてなあ」
二人が談笑を始めたその時だった。
ガチャリ…………
まだ開店していないにも関わらず、店の入り口の扉が開いた音がした。
「え……?」
おかしい。というのも、入り口の扉は当然内側から鍵がかけられているため、中から鍵を開けなければ扉が開くことは決してない。にもかかわらず、今、外側から扉が開いたのだ。
アリシアたちが身構えてカルミナたちを呼びに行こうとした次の瞬間ーー!
パンンンーーーー!!!!
開かれた扉から何か白くて丸いモノが投げられ、それが地面に着いた瞬間、店内を真っ白な煙で包んだ。
ハロルドは突然の事態に驚いて大量に煙を吸ってしまい、ゲホゲホと咳き込みながらその場から動けなくなってしまう。目にも煙が侵入したため、視界は遮られてしまう。
(な、なんだ……!一体何が……!?クソッ、声が出ねえ……)
ハロルドは何とかしてアリシアの元に行こうとしたが、肺に思い切り煙を入れたせいか、身体が思うように動かない。それどころか、声もろくに出ないのだ。
やがて、煙が晴れてハロルドの視界が回復するとーー、
「ア、アリシア嬢……。ち、ちくしょう……やられた……!」
さっきまで目の前にいたはずのアリシアが、忽然と姿を消していた。




