アリシアの苦悩
アリシアがカルミナの家にやってきて、早くも二週間が経った。
アリシアの傷は想像以上に重く、またきちんとした食事を摂っていなかったからか、体も見ていられないほど程痩せ細っていた。今のアリシアの状態は、生きているのが奇跡と呼べるものだったのだ。当の本人は、よくわかっていなかったが――――
「はい、アリシア! あ~ん♪」
今日もカルミナが嬉しそうにアリシアにご飯をあげていた。固形物を食べれる程の力は無いだろうと判断し、消化吸収の早い麦粥や細かく切った野菜スープをアリシアに与えていた。
アリシアはどこか不機嫌そうにカルミナを見た。
「…………もう、一人でも食べれます」
「念には念をってね! 可愛いアリシアが火傷なんてしたらと思うと……! うん、危ないわ!」
「…………私は生まれたての赤ん坊か何かですか……?」
「…………アリシア、もしかして私、邪魔?」
「もしかしなくても邪魔です」
「ば、バッサリ……! ふ、ふふん! でも私も最初に比べたら慣れてきたもんね! これもあなたの愛情の裏返しと思えば……!」
「邪魔、鬱陶しい、近寄らないで変態」
「う、うわあああああん!!!!」
全然慣れていなかった。
「ア、アリシア……あなた意外と毒舌よね……」
「勘違いしないでください、カルミナさん」
「え?」
「あなたにだけ毒を吐いてるんです」
「う、うわあああああん!!! あっ、でもでも! 私だけってことは! さては私のことを特別な人だと……!」
「勿論、マイナスの意味で特別です」
「う、うわあああああああん!!! アリシアが私を虐めるううう!!」
ここ二週間、ずっとこんな調子である。
アリシアは毎日、言われたとおり大人しくベッドで横になっている。いつも窓からの景色を眺め、物思いに耽っているのか時折ため息をつく。
基本的に無表情だが感情に乏しいわけではなく、カルミナとはご覧の通りのバトルを毎日繰り広げている。カルミナが全敗しているが。
だが、やはり今までの境遇のせいからか、アリシアは本当の意味で心を開いてはいないようだ。アリシアが人を見るとき、常に他人に対する恐怖の感情がチラッと顔を覗かせている。
少しの物音にも怯える、人が近付くと無意識に遠ざかろうとする、そして何より――――
アリシアは、全く笑わない。
「今日も拒絶されたか? クククッ」
「笑わないでよもう!! 私にとっては真剣な悩みなんだからね!」
「はいはい、分かってるっつーの」
ある日の夜。いつも通りカルミナがアリシアに食事を渡したあと、カルミナとヘンリーは広間で夕食を摂っていた。二人は、自分たちで採ってきた山菜を使ったスープとパンを美味しそうに口に運んでいる。特にヘンリーは木こりの仕事を毎日こなすため、カルミナの倍の量は食べるのだ。
「まだ心は開いてくれないか」
「そうだねえ……境遇が境遇だし、しょうがないよ。別に私も、あの子が自分に懐いてほしいから面倒見てるんじゃないし」
「それは俺も同じだ。あんな痛々しい姿した子供、初めて見たよ」
「追われてるって言ってた。なんでだろう……」
「そこら辺に関しては、あの子にも記憶も無いみたいだし、俺たちで調べてみるしかなさそうだな」
「うん……そうだね……」
アリシアの痛々しい身体を思い出したカルミナは、食事の手を止めた。辛そうな顔をして、目の前の料理を見つめる。そんな娘の姿を見たヘンリーも、辛そうな顔をしてカルミナを見る。
「………やっぱり、心配かい? あの子のことが」
「当たり前じゃない。一目惚れした女の子だしね……それに……」
「それに?」
「私はどうしても、アリシアが悪いことをする人には見えない。色眼鏡とか無しに見てもさ」
「そうだな。これでも俺は色んな人間を見てきたからな。あの子は決して誰かを傷付けるような子じゃねえ。目を見りゃ一発で分かる。目は口ほどに物を言うからな。追われてる原因のよくあるモノといえば、あの子の家族に問題でもあったか」
「そんなの……アリシアには何の関係も無いじゃん……」
「カルミナ、そういうもんなんだよ昨今の家族は。家族のなかの誰かがやらかしたら、家族で責任を取らなきゃいけねえ。親がやらかしてそのツケを払えない場合は、必然的にその子供にいくことになる」
「それは! ツケを払わない親が一番悪いじゃん!!」
「当然だ。だがもしその親がツケを払えない、例えば払う前に死んでしまったら、迷惑被った奴がまず目にいくのは、その親の子供だからな。子供は大人のように力があるわけじゃない。だから、ろくでもない奴らは子供なら御しやすいと考えちまうのさ」
「……いつだって、尻を拭くのは子供なんだね」
カルミナは怒りか悲しみか、あるいはそのどちらも混ざったようなやるせない思いに駆られる。もし、アリシアがそういう例で追われてるんだとしたら――――
「そんなの、おかしいよ……」
「ああそうだ。そんな家族の在り方は間違ってる。本来家族内の責任を取るってのはな、子供のしたことに親が責任を取るってことだ。良いことも、悪いこともな。だからよカルミナ……」
ヘンリーは向かいの席から身を乗り出して、カルミナの頭を優しく撫でた。
「どんな理由であれ、お前が今回アリシアにしてやったことは正しい。そして誰が何と言おうと、俺はお前の意見を尊重する。だから、お前はアリシアに対して、お前のしたいようにすればいい。お前が悪いことをする奴じゃないってのは、家族の俺が一番分かってるからな。だから……」
そう言ってヘンリーは、席に座って真っ直ぐな瞳でカルミナを見つめ、そしてニカッと爽やかな笑顔を見せた。
「胸を張れ、カルミナ! お前の尻拭いは俺がしてやる」
そう言って、ヘンリーは感謝の祈りを捧げて食べ終えて残った皿を片付けに台所へと向かった。そんな頼もしい父の後ろ姿を見て、
「ありがとう、お父さん」
カルミナは安堵したのか、笑顔がこぼれるのだった。
~~~~~~
目が覚めた時、日差しが異様に痛かったのを覚えている。
辺りを見回すと、大小様々な人たちが通りを行き交い、自分を邪魔くさそうに見つめる。
なぜ自分はここにいるのか? そもそも、自分は誰だ?
分からない、思い出せない。ただ一つ、アリシアという名を持っているということ、そして恐らく私に親はいないという情報だけが、ほぼ空っぽの頭にしがみつくように残っていた。
それからあちこちを無目的に彷徨った。常に自分は何者なのかを問い続けながら。追われるようになったのは、目が覚めてからさほど時が経ってない、名も分からぬ大きな町にいた時からだ。
走って、走って、走った。後ろからは毎日毎日、自分を殺さんとする黒く冷たい視線。時が経過するたびにその視線は増えていって…。
起きている時も、寝ている時も、隠れている時も感じる視線。
恐い、恐い、恐い、恐い……死にたくない死にたくない死にたくない……
逃げて、逃げて、これでもかという程逃げて――――
とっくに身体は限界だったのに……それでもなんとか逃げ切れた。
しかし、ついに身体が機能を強制終了させた時に――――
自分、アリシアは彼女に出会った。
~~~~~~
真夜中。村の皆が一日の活動を終え、寝静まっている最中――――
アリシアは、いつものように空を眺めていた。白色に光る月が、灯のように世界を照らしている。美しく堂々と光る月に、アリシアは羨望の眼差しを向けていた。
ここに来てからというもの、アリシアはなかなか寝付けずにいた。心が落ち着かないことが日常だったアリシアにとって、この場所は非常に心安らぐものであった。ゴツゴツした石はフカフカのベッドに変わり、泥水は温かいスープに変わった。
だからこそ、余計に落ち着かない。唐突に未知の世界に連れてこられると、本当に同じ世界なのかと身体が逆に困惑してしまうのだ。だが、外の月を見ると、やはり同じ世界であると再認識させられる。
「………」
アリシアは、自分にかけられている布に触れる。白くて柔らかいモノが、アリシアの指を包む。何でできているかは分からないので、モノとしか表現できないが。
(こんなによくしてもらって良いのかな……?)
脳裏にいつも浮かぶ、追っ手の殺意と罵声。
彼ら曰く、自分は生きていてはいけない存在らしい。
「世界の敵」と、彼らは自分をそう呼んでいた。
もし、本当にそうだったとしたら? 彼らの勘違いではなく、自分が記憶をなくす前は本当に世界を滅ぼそうとしていたら?
(そうだとしたら、私はあの二人の優しさを受ける資格なんて……)
アリシアはギュッと、布を握る力を強めた。唇も強く噛み締める。
――――私は、私は――――
その時――――
「あれっ? 起きてたの、アリシア?」
部屋の入り口のほうから、あの人の声が聞こえてきた。自分を助けてくれた、勇敢で変な人。
「な、何の用ですか……? カルミナさん」
部屋の入り口に、寝間着姿のカルミナが突っ立っていた。
「なんでいるんですか? 確かあなたの部屋は下でしょう?」
「あっはは、まあそうなんだけどね……なんか寝れなくてさ。折角だから愛しのアリシアちゃんの様子でもこっそり覗こうと思ったんだけど……」
「今こっそりって言いました? 私が寝ている間に変なことするつもりじゃないですよね?」
「しないよ!? 私を何だと思ってるの!?」
「変態」
「ぐっは!? あ、相変わらず容赦ない……」
目の前の金髪少女は、アリシアの言葉を聞いてあからさまに落ち込んでしまった。カルミナは少しため息をついた後、
「まあいいや。アリシアももうそろそろ寝なさいね? 夜更かしは美容の天敵なんだから! と言っても、アリシアならその心配は無さそうだけどね」
そう言って、カルミナは自分の部屋に戻ろうとした。
「ま、待って!!」
アリシアが、どこか慌てたようにカルミナを呼び止めた。カルミナはそれに反応して、部屋の入り口まで戻ってくる。
「どうしたの、アリシア? ま、まさかどこか痛むの!? 傷が開いちゃった? それともお腹が痛いとか胸が苦しいとか!? ど、どうしよう……」
「何勝手に私を重症化させてるんですか……違います、私はおかげさまで元気です。そうじゃなくて、ちょ、ちょっと……こっちに来てもらえませんか……? お聞きしたいことがありまして……」
アリシアが顔を赤くし、目を逸らしながらそう言った。それを見たカルミナは、幼子のようにパアーッと表情を明るくさせて、
「う、うん! いいよ……ってかいいの!? もう撤回出来ないからねはい行きました!!」
などと早口で叫びながら、目にも止まらぬ早さで椅子をベッドの隣に設置して、そこに座る。まるでご褒美を待つお子さまのように目を輝かせている。そんなカルミナの姿に、アリシアは若干たじろいだ。
「で? で? 話って? 話って??」
急かすカルミナ。興奮しているのか、身体を椅子ごと左右に揺らしている。アリシアは一呼吸置いてから、勇気を振り絞るかのように話を切り出した。
「何で、私を助けてくれたんですか?」