元の優しいあなたに
「あ……、が、ぐうう……」
アリシアの絞める力が少しずつ強くなっていく。カルミナは足をばたつかせ、必死で振りほどこうとするが、ものすごい力で掴まれ、全く動かない。なおもアリシアの力は強くなる。
(く、苦しい……こ、このままじゃ……)
アリシアは相変わらず、不気味な笑みを浮かべている。先ほど、ヴァルスを放したのは元に戻ったからではない。アリシアにとって、もっと良い獲物が飛び込んできたからヴァルスを捨てたのだ。その事実に気付き、カルミナはゾッとした。
「お、おね、がい……アリ……シア……や、やめ……」
カルミナは何とか声を出して、アリシアを説得する。しかし、アリシアが元に戻る気配はない。
アリシアの力がさらに強くなる。それに比例して、カルミナの力が弱まり、身体が冷たくなっていく。もはや、まぶたを開けることもままならない。
結局、自分は何も出来ないのか。何も出来ぬまま、目の前の女の子救えぬまま果てるのか。せっかく拾った命を、また無為に捨てることになるのか。
アリシアは満足そうな笑みを浮かべながら、なおも絞める力を強める。
ついにカルミナから全身の力が抜け落ちた、その時ーー
「やめろおおおおお!!!!」
雄叫びを上げながら、黒豹の獣人がアリシアに掴みかかった。突然の出来事にアリシアは驚きの表情を顕にしてその獣人を見据えた。と同時に、カルミナを絞める力が弱まり、カルミナは掴まれたままではあるが、わずかながら空気を取り込むことが出来た。
「ゲホッ……! オ、オルトス……!」
「そいつを放せ! そいつはお前にとって大切な奴じゃなかったのかよ!? いい加減に目を覚ましやがれ!!」
オルトスは全力でアリシアにしがみつきながら、アリシアに力一杯の言葉をぶつける。アリシアは鬱陶しそうにオルトスを引き剥がそうと、ちいさな手でオルトスの頭を掴み、なんとそのまま投げ飛ばしてしまった。
フワリと身体が宙を舞い、オルトスは受け身を取るもののズドンと地面に叩きつけられてしまう。
「うぐっ!!」
「オルトスっ!」
オルトスは苦痛で顔を歪めながらも、再び立ち上がる。そして、アリシアに向かって猛タックルをかけようとした。
しかし、アリシアが空いている方の手をスッと前に突き出すとー、
「う……ガアッ!!?」
オルトスは誰にも触られていないのに、突如後方に突き飛ばされた。そのまま、はるか後ろにあった木に背中から叩きつけられる。
なおもアリシアはその場から一歩も動かずにただ、オルトスに向けて片手を突き出しているだけだ。それなのに、オルトスはまるで見えない力に押さえつけられているかのように、身体を全く動かせない。それどころかどんどんオルトスにかかる負荷が強くなっていき、メリメリ…、というヒビの入るような音が聞こえてくる。
「う……ぐあ……」
オルトスは息が出来ないのか苦しそうな顔をしながら、身体を大の字にして木と背中でくっつく。ベキッ、ボキッ、メリッ、という音とともにオルトスの身体に傷が付きはじめる。口からは再び血が、零れ出す。
「だ、だめ……! やめてアリシアお願い…! このままじゃ……、オルトスが死んじゃうよ……!」
意識がオルトスに向いたからか、カルミナは首を掴まれながらも声を出せるようになった。アリシアをやめさせようと必死に自分の首をつかんでいるアリシアの手を振りほどこうとするが、まるで引っ付いたかのように離れない。なおももがくカルミナにアリシアも苛立ったのかーー
「あぐっ……」
再び、カルミナを絞める力を強める。カルミナはまた声すらも出せなくなる。
「あ……あ……あ……」
しかし、今度はそのまま力を加え続けるのではなく、フッと力を弱めた。
「……?」
カルミナは疑問に思い、アリシアの方を見る。アリシアと、目が合った。合ってしまった。
アリシアは、こちらを向いてニヤァー、と悪魔のような笑みを浮かべた。その瞬間ーー、
「が……か…は……!?」
再度、カルミナを絞め始める。カルミナが意識を失いかけるところで力を緩め、再度また力を加える。
絞める、緩む、絞める、緩む、絞める、緩む、絞める、緩むーー
苦しい、怖い、いつまで続くの? 苦しい、苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい…
愛しい人を元に戻すことも出来ない無力感、いいように痛め付けられている現状に、カルミナは悔しさ・悲しみ・恐怖などといった負の感情が一気に押し寄せてくる。その勢いを受け止める力は今のカルミナには残っておらず…、
(もう……ダメ……せめて……、あなたが無事でいてくれたら…)
カルミナは自ら抵抗する力を止め、諦めたかのようにダランと全身から力を抜く。その姿にアリシアはつまらないと感じたのか、不愉快な表情を見せる。そして、とどめを刺そうと本格的に手に力を込める。
(ごめんなさい……お父さん、お母さん……アリシア……)
カルミナは己の無力さに悔し涙を流し、ゆっくりと目を閉じるのだった。
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『いい、カルミナ? この世にね、愛されない人なんていないの。皆、誰かを愛し、誰かに愛される権利がある。生まれながらにね』
『どんな悪い人にも?』
『悪い人にも、悪い人になった何かしらの理由があるはず。まあ、中には本当にどうしようもない理由もあるかもしれないけど、私はねカルミナ、よく知りもせずに決めつけたくはないの。良いことをしている人には、良いことをする決意に至った素晴らしい理由があるし、悪いことをしている人には、悪いことをする決意に至った悲しい理由がある。笑っている人には、笑うに至った楽しい理由があるし、泣いている人には、泣くに至った辛い理由がある。人が何かしらの行動を起こす際には、必ずそれを決意するに至る理由・原因があるはず。私は、それを知るまで人となりを断定したくない』
『お母さん……』
『カルミナ? あなたには、たった一人でもいい。自分の信念を以て誰かの光になれる人間になってほしい。私にはヘンリーっていう光がいたし、ヘンリーにも私という光がいた。自分で言うのもおかしな話だけどね』
『うん! 分かったよ、お母さん! そのためにも、私は強い人になる!』
『そう! その意気よカルミナ。いつかあなたなら、きっと色んな人の光になることができると信じているわーー』
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『誰かの光になる』
お母さんのその言葉を信じて、今日まで生きてきた。村の人たちが困っていたら、可能な限りその人の力になるよう努めた。
お父さんやお母さんは愛想がよくて、村の人たちからいっぱい頼られて、二人とも笑いながら快くその全てを引き受けた。そんなお父さんとお母さんのまわりには、いつも人々の暖かい想いで包まれていて……、私の目から見たら、それがとても輝いて見えた。憧れだった。
いつか私も二人みたいな人間になりたい。そう思って、まずは自己の研鑽に励んだ。どんなことを頼られてもいいように。困っている全ての人をできる限り助けられるように。いっぱい、いっぱい頑張った。早く、二人に追いつきたかったから。
彼女に初めて出会った時、いきなり男の人数人に追われているというとんでもない状況だった。
初めてその顔を見た時の彼女は、まるでこの世界全てを恐れているかのような暗い瞳をしていて、でもその中にわずかだけど、一筋の美しい光が見えた。その光がとっても綺麗で、私はこの子をずっと離したくないって思った。
多分、一目惚れというものはこんな気持ちなのだろう。それから、懸命に看病して何とかして彼女の光になろうと頑張った。最初はもしかしたら一時の感情ではないかと疑ったが、時間がたつたびにますます彼女を愛しく思う気持ちは強くなっていった。彼女の生き様、彼女の思いを一端ながらも知って、知ったことで私はーー
生涯、この女の子を守ろうと、愛そうと誓った。そうでなければ、あまりにも非情ではないか。気が付いた時から神に憎まれ、人に憎まれ、もう充分憎まれたじゃないか。それなら、もういいだろうと思った。
誰も彼女を愛さないのならば、神すらも彼女を嫌うのならば、世界が敵になろうとも私は、何があろうと彼女を愛する。彼女を守る。
私が、彼女の光になるんだーー!!!
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(そうだ……そうだった……!! 私は、私たちはこんなところで終われない!! アリシアは、私が守るって決めたんだ!!!)
カルミナは目をくわっと見開いた。そしてなけなしの力を全身に込める。
苦しくても、辛くても、それが目の前の女の子を諦める理由にはなり得ない!! しっかりしろ……しっかりしろ!! カルミナ!!!!
「アリ……シア……!!」
カルミナは目に生気を取り戻し、力強くアリシアを見つめた。そんなカルミナを見て、アリシアは再び愉快そうに笑った。
しかしーー、カルミナは気付いたのだ。
(アリシア……! あなた……!!)
邪悪な笑みを浮かべたアリシアの二つの瞳から、何色にも染まらぬ雫が、溢れ出ていたのである。