救出
「う、嘘…。あれが、アリシアなの…?」
カルミナはとても信じられないと言わんばかりの表情をしながら、眼前の凄惨たる光景を見る。オルトスも、緊張で毛並みを逆立てながらごくりと息を呑んだ。
「ぐ……が、が……ァがぁ……」
強く絞められているのか、ヴァルスは激しく抵抗しながらも声にならない悲鳴を上げている。アリシアはヴァルスの身体を片手で軽々と持ち上げて愉しそうに笑っていた。
「ーー!! アリシア……」
その顔を見たカルミナたちは、まるで剣を首に突きつけられたような圧迫感を覚えた。カルミナに至っては、大好きな人があそこまで変わり果てたことに、脳の理解が追い付いていない。
「い、一体……、アリシアに何が……?」
「……多分、覚醒だろうな」
「か、覚醒……? な、何なのそれ?」
「俺たちが世界の敵と呼ばれる所以の一つさ。俺たちが皆から恐れられる理由は、俺たちには皆、生物を遥かに凌駕した特異な力を持っているからだ。そして一度その力が発現されると、アズバはどうやってか知らねえが、額に世界の敵の刻印を刻むんだよ。そして力を解放した時とか、暴走した時とかにその刻印が光るんだ」
「その現象が、覚醒?」
「ああ、見えにくいだろうが現に今、アリシアの額に刻印が浮かび上がってる。何で世界の敵全員に、こんな力が生まれつき宿ってるのかは知らないがな」
「……まるで、神様が意図的に作り出してるみたいだね」
「実際、アズバならやりかねない。確証はないから、真相については奴と対面した時に聞けばいい。それより問題なのは今だ」
オルトスの額から、冷や汗が湧き出る。身体は震え、全身の毛が逆立っていた。
「今のアリシアはヤバイ。完全に暴走してる。何があったか知らねえが、あのままじゃ戻れなくなっちまうぞ!」
「そんな…、アリシア…!」
アリシアが暴走した理由。カルミナには心当たりがあった。
「……私のせいだ」
「あん?」
「私のせいでアリシアがあんなことになったんだ……。それなら、私が止めないと」
「お、おい! 待て待て! どうやって止める気だ? 何かいい方法でもあるのかよ!?」
「ない。でも、あのまま放っておくこともできない」
「ないなら余計なことはよせ! 下手なことして取り返しのつかないことになったらどうするつもりだ!?」
「でも!!」
「お前の気持ちは分かるが落ち着け! こうなった以上、今の俺たちにはどうしようもない! そもそも、今のあいつの状態は覚醒にしては異常すぎる! わからないことだらけなんだ! ここは一旦引いて、対策を練るぞ! 俺も協力する!」
「………私は」
カルミナは俯きながらしばらく沈黙する。そしてーー
おもむろに、立ち上がった。オルトスは必死の形相でカルミナを止めようと呼び掛ける。
「バカ!! お前は、それでも行くというのか!! やめろ! 殺されるぞ!! 死ににいくようなもんだ!!」
「それでも! 今のあの子を放っておくのはどうしてもできない。今こそ、私とあの子との約束を果たす。あの子を、私の命を懸けてでも助ける」
「何も助からないなんて言ってるんじゃない!! 一旦退いて解決策を考えようと言っているだけだ!!」
「その間に被害が出たらどうするの?」
「それは……」
「私はねオルトス。あの子に本当の意味で世界の敵になってほしくないの。あの子は優しくて他人を思いやれる。仮にあのままにして、あの子が人殺しなんてしたら……、きっとあの子は戻れなくなる」
「だからと言って……!」
「大丈夫だよオルトス。私はあの子を信じてる。必死に呼びかければ、必ずあの子は戻ってくるよ」
「そんな曖昧な感情論で片付くなら苦労しない! 今一度言う…! 考え直せ!!」
「オルトス、あなたは逃げて。おカシラさんにこのことを報告するのよ」
カルミナはそのままアリシアに向かって、歩もうとした。すると、オルトスはカルミナを、行かすまいとカルミナの手を掴んだ。カルミナは驚いて自分の手先に視線をやる。オルトスは、今にも泣き出しそうな顔をして、こちらを見つめていた。
「カルミナ! やめろ!! 何度でも言う、今は耐えるんだ!!」
オルトスは必死でカルミナに訴える。カルミナはフフっ、と笑顔を浮かべてオルトスの頭を撫でた。
「ーーなっ!?」
予想外の行為に、オルトスは思わず手を離してしまう。
「心配してくれてありがとう、オルトス。でもごめん、これは私の気持ちの問題。私は、あの子にはもうこれ以上苦しんでほしくない。あの子は充分苦しんだし、今も苦しんでる。だから、少しでもその苦しみを私は肩代わりしたいの」
「カ、カルミナ……」
「じゃあね、オルトス。今日だけだったけど、あなたに出会えて良かった」
そう言って、カルミナは駆け出した。オルトスはそのまま、立ち尽くしてしまう。もう、彼女を追うことは出来なかった。
あんな綺麗な笑顔を、見せられてしまったらーー
オルトスは、しばらくその場に呆然と立ち尽くすのだった。
~~~~~~~~~
「ぐ…ガ…ガアッ…!!」
一方、アリシアは邪悪な笑みを浮かべながらヴァルスの首を絞め続けていた。ヴァルスもまた、目の前の存在に恐怖の色を浮かべながら必死にもがく。しかし、自分の首を掴む腕はピクリとも動かない。
(こ、このままでは……。し、死ぬ……! 死んで、しまぁ~う……!!)
アリシアはまるで獲物が徐々に弱っていくのを愉しむかのように、徐々に力を入れていく。それと同時に、ヴァルスの意識が薄れていく。
(わ、私は……。こ、ここで、死ぬわけには……。あ、あのお方のご恩に……、報いなければ……。私を救ってくれた、神子様のためにも……)
走馬灯のように、ヴァルスの脳内に様々な思い出がフラッシュバックする。浮かぶのは、敬愛する二人の人物の笑顔ーー
(も、申し訳ございません……アズバ様、ガデス様……。私は、ここまでのようでございます……)
遂にもがく力も無くなり、いよいよ死を覚悟したその時ーー
「ダメっ!! アリシア!!!」
カルミナがアリシアの身体に飛び付いた。そして、決死の形相でアリシアと顔を見合わせた。
「お願いアリシア! 元に戻って! あなたは人を傷付けちゃいけない!! あなたは本来、優しい人のはず……! 私はこのとおり、無事だよ!! だから、その手をはなして!! お願いだから……」
カルミナは涙を浮かべながら、必死にアリシアに呼びかける。アリシアは無表情でカルミナを見つめ、次にヴァルスを見つめるとーー
ブゥーンーー
アリシアは持ち上げていたヴァルスを適当に放り投げた。ヴァルスはそのまま地面に叩きつけられ、意識を失ったのかピクリとも動かない。
「ア、アリシア……! それで良いの……。さっ、もう敵はいないよ? 私たち、助かったんだよ? だから、元に戻って……。一緒にハロルドおじさんの所に戻ろう? ねっ?」
カルミナは、いつものようにアリシアを優しく抱き締める。背中をさすりながら、アリシアを何とか落ち着かせようと試みる。
「さっ……アリシア……。いい子だから……」
まるで母親のように、カルミナはアリシアに優しく語りかける。そうして、為されるがままのアリシアはーー
「っ!? がっ!!?」
先ほどのヴァルス同様に、カルミナの首を片手で掴んで持ち上げた。突然の事態にカルミナは驚いた顔をしながら、必死にアリシアの腕を掴んで抵抗する。
「ア、アリシア……ど、どうして……や、やめ……」
カルミナがアリシアの顔をみた瞬間、背筋が凍りつく。
アリシアは、まるで新しい獲物を見つけたかのような愉しそうな笑みを浮かべるのだった。




