哀しき覚醒
「……え?」
アリシアには何が起こったのか、分からなかった。
カルミナとオルトスが目の前の化物に対して構えたと思った瞬間、瞬きをした後には二人の姿がなくてーー
代わりにその場にいたのは、件の化物であった。化物は勝ち誇ったかのように、天に向かって高らかに吼えた。まるで、その先にいる存在に勝利報告をするかのように。
「カ、カルミナ……! オルトスさん……!」
アリシアは急いで二人の行方を探す。二人は、すぐに見つかった。
だがーー
「………っ!!」
オルトスは、飛ばされた先で生い茂っている木々のひとつを背にして倒れていた。身体を激しく叩きつけられたらしく、意識を失っているのか動かない。だが肩が上下にかすかに動いているのを見ると、死んではいないようだ。
対して、カルミナは……、全く動かない。
オルトスとは真逆、つまりアリシアの後ろに生い茂っている木々の近くで倒れていた。ピクリとも動かず、伏している。まるで死人のように。
「あ……あ……あ」
アリシアは頭の中が一瞬真っ白になる。そしてーー
「カ、カルミナ……? え……うそ……? 冗談、だよね……?」
慌てて近くまで駆け寄る。最悪の事態になっていないことを祈る。しかしーー
(獣人族のオルトスさんは身体が丈夫だからあれで済んでるけど……、人間族のカルミナは……! もしかしたら、死ーー)
ぶんぶんと首を横に振りながら倒れているカルミナに飛びつくようにして隣に座り込んだ。そして、必死に呼び掛ける。
「カルミナ……、カルミナ!!!! しっかりして!!! こんなところで死んじゃダメ!!!」
これじゃまるで、私のためにーー
すると、
「ゲホッゲホッ!!! ア……リシ……ア……」
カルミナは思い切り咳き込み、今にも閉じそうな目を薄らと開けながらアリシアを見た。生きていたことが分かり、アリシアはひとまずホッと安堵の息を漏らす。
よく見てみると、カルミナの服は薄着にもかかわらず破れるどころか傷一つなかった。カルミナ自身も外観上骨折している部分は見受けられない。せいぜい、擦り傷や切り傷、土煙による汚れくらいだ。しかし、口から血を吐いていることから、身体の中はかなりのダメージを負ってしまっているらしい。
「カルミナ!! 良かった……、生きてた……」
「ゴホッ!! う……アリ……シア……! 早く逃げて……! わたしは……、しばらく、動けない、から……!」
「い、嫌だ! カルミナを置いていけない!」
「ダメだよ……!このままじゃ……、あなたまで……」
「嫌だ! 逃げるなら、カルミナと一緒に逃げる!!」
ーーもう、独りになるのは嫌だった。せっかく、自分を認めてくれた、好きだと言ってくれた人を、ここで見捨てるわけにはいかない!!ーー
「まさかとは思いましたが、あなたの服はやはり加護が付与されていたのですねぇ~? それでも、衝撃を受け切ることはできなかったようだぁ~」
「!!??」
いつの間にか、カルミナをこんな目に遭わせたヴァルスと聖獣が真後ろに立っていた。ヴァルスはニヤニヤ笑いながら、カルミナとアリシアを見下ろした。
「良い様ですねぇ~……。さすがのあなたも、この聖獣の速さにはついていけなかったようだ」
「くっ……」
カルミナは悔しそうに歯噛みしながら、何とか身体を動かそうとするが身体が悲鳴を上げて言うことを聞かない。まるで石になったかのようにピクリとも動かないのだ。言うことの聞かなくなった身体をどうにかして動かそうともがくカルミナを見て、ヴァルスは満足したのかさらに口角をつり上げる。
「ギャハハハハハ!! 無様ですねぇ~! 我らが主を侮辱し、世界の敵など庇うからそんな目に遭うのでぇ~す……。選択を誤りましたな、お嬢さん?」
ヴァルスの後ろに控えていた聖獣が、とどめを刺そうとゆっくりと近づいてくる。アリシアは尻餅をついて、恐怖のあまり失神しそうになる。
「ヒッ……あ……、あ……」
「安心なさい、あなたは後で始末して差し上げまぁ~す。まずは数々の無礼を働いたそこの愚か者に、天誅を下さねばなりませんからなぁ~」
聖獣はアリシアには目もくれず、まっすぐカルミナの所に向かう。カルミナはなおも身体を動かそうとするが、まだ動かない。間に合わないーー!
「くっ……、うう……」
「覚悟なさぁ~い、背徳者!!」
カルミナが死を覚悟した、その時だった。
「だ、ダメ!!!」
動けないカルミナの前に、小さく震えた身体が見える。それは、カルミナが世界で一番愛しい人の後ろ姿ーー
「アリシア……! な、何してるの!? 早く、逃げて!!!」
カルミナを庇うように、アリシアが両腕を広げて聖獣の前に立ち塞がった。カルミナは後ろにいるのでアリシアの顔が見えないが、肩を動かすほど息は荒く、足は痙攣しているかのように激しく震えている。顔が見えなくても分かる……怯えている、恐れている。
それでも、アリシアは逃げ出そうとせずに両腕を広げた。
「ギャハハハハハ!!何のつもりでぇ~す?」
「この人は……、やらせない」
「そんなことで後ろの彼女を守れると? 片腹痛いとはまさにこのこと!! ギャハハハハハ!!」
「アリシア……! ダメ、逃げて!」
「に、逃げない」
「逃げなさい!!」
「逃げない!!!」
アリシアは力の限り叫ぶ。それは、自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
「分かってる……。これが無駄なことなのは……。でも、それでも! 少しでも時間が稼げるのなら!!」
「お願い! やめてアリシア……ゴホッガホッ……!! あなたに、死なれたら私は……!」
「あなたの私を想う気持ち、嬉しかった」
「!?」
「私を守ると言ってくれたこと、私を好きだと言ってくれたこと、嬉しかった……。私は、そんなあなたの想いに応えたい! あなたが私を守るというなら……、あなたがピンチの時は私が守る……!」
「アリシア……嫌、やめて……!」
「カルミナ……」
聖獣の凶爪が、アリシアの小さな身体めがけて振り下ろされようとしている。アリシアはカルミナの方を振り向いてーー
「ありがとう、カルミナ。短い間だったけど、あなたに逢えて良かった」
涙を流しながら、今までで一番綺麗な笑顔をカルミナに見せた。
「ーー!!!!」
カルミナはそんなアリシアの顔を見て、何も言えなくなる。
(これでいいんだ。私はどうせいつ死ぬかどうかも分からなかった存在。それならいっそーー)
誰かの役に立って、死にたいーー!!
ついに聖獣の爪が目にも止まらぬ速さで振り下ろされる。一秒もたたずに、アリシアの身体は四散するだろう。その事実に恐怖しながらも、アリシアは黙って目を閉じ、自らの死を待った……。
「あれ……? 何とも、ない……?」
数秒経ったはずなのに、アリシアの身体は四散するどころか、傷一つついていなかった。自分はもう死んだのか? いや、その割には意識がハッキリしている。それどころか、暖かい感触がーー
ピチャッ……、ピチャッ……
アリシアの頬に、何やら液体らしいものが落ちてきた。何だろうと思い、アリシアはそれを手で拭う。それはーー
「えーー?」
美しく光り輝く赤い液体が、一定のリズムで落ちてきていた。どういうことなのか? それより、この液体の正体はーー
「ぅう……アリ……シア……、無事……?」
途切れ途切れのかすれ声が、自分に声をかけてきた。それは、さっきまでアリシアの後ろにいたはずのーー
「カ……ルミ……ナ?」
ようやく、自分の状況が把握できたアリシア。
アリシアに覆い被さるように、カルミナがアリシアを抱き締めながらもたれかかっていた。そしてーー
背中は、目を瞑りたくなるほど痛々しい、三本の爪痕が出来ていた。皮は失くなり、皮で守っていた赤く美しい肉が露になっている。そこから、おびただしい量の血がドハドバと流れている。
「な、何、でーー」
「は、はは……。な、何か、ね……、頑張ったら、少し、動け、たの……。ま、まあ、私は、ドジ、踏んじゃった……ゴフッ」
「もういい!! 喋らないでカルミナ!! ダメ、死んじゃダメ!!」
「あなたが……、無事なら……、それ、で……いいの……。ねっ……? 私の、思いは……、本当……、だった……で、しょ……?」
「!? カ、カルミナ……?」
「ま、間違ってたら……ゴメン、だけどさ……、アリ、シアは……、まだどこかで、私を……、信じ、切れてない……、ところがあったでしょ……?」
「!?? 気付いて、たの……」
「なんと……なく、だけどね……。なん、か……、まだ、私にも……、怯えた顔するとき、あった……から……ゴホッゴホッ! しょうが……ない、けどね……今まで……、ひどい目に……、遭ったんだし……」
「だから喋らないで!! 分かった!! あなたの思いは、分かったから!!だから……!!」
カルミナの声が、呼吸がだんだん弱くなっていく。先ほどまで元気な声をしていた時とは、別人のように。
「お礼を……、言うのは……私のほう……。あなたという人に、出逢えて………、う、嬉し……かっ……た……」
「カルミナ!! カルミナ!!! 嫌、死なないで!! 私を置いていかないで!!!!」
アリシアは泣きわめきながら、必死にカルミナの名を呼ぶ。アリシアの思いとは裏腹に、カルミナの力がみるみる弱まる。そして遂にーー
「い……生きて……、アリ……シ…………ア…」
カルミナは、今度こそピクリとも、動かなくなった。そのまま、アリシアの横にどさりと倒れる。
「あ……あ……あ」
アリシアは、おそるおそるカルミナの顔を見る。あんなに光に満ちていた赤い瞳は、今は漆黒の闇に染まっていた。
アリシアの心の中に、カルミナとの思い出が幾重にもフラッシュバックする。それらは渦のように、アリシアの頭の中でぐるぐる回る。
「ギャハハハハハハハハ!!! 最期は庇って死ぬとは!! 背徳者らしい、無様な結末でぇ~す!!」
目の前で、ヴァルスは満足そうに笑う。アリシアは、ペタンと座り込んだまま、口を開けてただ呆然とカルミナだったモノを見つめていた。
「しかし……。その娘も憐れな……。こんな世界の敵に会わなければ、幸せな暮らしを謳歌していたでしょうに……。今頃、我らが主の所に召され、浄化されていることでしょ~う……」
ヴァルスは祈りのポーズをしながら、カルミナの死を悼むような仕草を見せる。そして、そのままアリシアに向かって、
「この娘はあなたに殺されたようなものでぇ~す。あなたという存在がいるだけで、世界は不幸を生み出す。あなたみたいな邪悪がいなければ、我らも剣を振るう必要はありませんからなぁ~」
ニヤリ、とヴァルスはおぞましい笑みを浮かべた。その言葉が、アリシアの耳に入る。
私が、私が殺した? 私に出会わなければ、この人は死なずにすんだ? あの村で、ヘンリーさんと仲睦まじく暮らしてた?
お前が殺したーー
私が殺した。
お前がーー
私がーー
殺した。
アリシアの中で、プツンと何かが、弾けとんだ。瞬間ーー
「あああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
アリシアの咆哮とともに、アリシアの周囲が眩い光に包まれるーー!
「な、何です!!?」
そして、光が治まった後、ヴァルスの目の前にーー
「な……、何です……? こいつは……?」
背中に白い翼を生やし、身体を白く発光させたアリシアが立っていた。




