お嬢は悪魔に狙われていた
「ティカーテ様っ!!」
部屋の前に立っているはずの護衛がいない。押し寄せる嫌な予感に、礼儀もなくお嬢の部屋に踏み込んだ。
「な……っ!」
警報が鳴り始めてからさほど時間は経っていない。なのに、荒れ果てた室内。
「大丈夫、わたくしは無事です」
ザクザクと波立つ床に倒れ臥して呻く二人の屈強な護衛。後の一人は、何か黒いモノと対峙している。
お嬢は唯一そこだけ乱れのない、ベッドの天蓋の中にいた。滑らかな髪を汗で張り付かせ、祈るような格好をしている。実際、何らかのスキルを発動しているのだろう、お嬢の周りが淡く光って見えていた。
警報は、間違いなくコレだ。侵入者。
一瞬の逡巡の後、オレはお嬢に駆け寄った。ギビドに鍛えられたとはいえ、一流の護衛が3人がかりで倒せない相手だ。オレじゃ到底太刀打ちできない。
お嬢に向かう攻撃があればオレが受ける。この身をもって。命じられたその通りに。
……いや。違う、オレがそうしたいからだ。お嬢を何がなんでも守りたい。
「中にいらっしゃい、アマネ」
近付くとベッドの天蓋がまるで光の壁のように感じられた。非常事態だ、お嬢のベッドなんて私的な場所に登るのは大目に見てもらおう。それにしても……この中、入れんの?
「あなたは白。だから問題ないわ」
なんか、前にも言われた言葉だ。
「ぐ……っ!」
背後から剣戟の音と苦戦する護衛の声。
くそっ、迷ってる場合じゃねえっ! オレは思い切ってお嬢のベッドに土足で登った。
何の抵抗もなく、光の壁を突き抜ける。
オレは戦法も何もなく、ただただ、お嬢を背に庇うように立った。足場の不安定さは如何ともしがたいが、やるしかない。手持ちの武器は護身用の短刀のみ。
護衛の男が対峙している黒いモノは、どうやら鎧のようだった。光沢のない、むしろ光を吸い込むかのような漆黒の鎧。
目も口も見えない不気味な全身鎧が、隙のない構えで立っていた。
「なんだ、あれ……?」
全身が粟だった。気味が悪い。例えるなら、幽霊を見たかのような…………
「悪魔よ」
背中から、聞き慣れない単語がとんできた。お嬢の声だとわかるのに、理解できない。
……まぁ、ここに来てからそんなことばっかだけど。
「あくま???」
「天使と対をなす者。神ならぬ邪神の遣い。アレはワタクシを狙っているの」
「は……?」
視界の隅で、倒れていた護衛の一人がヨロヨロと身を起こした。満身創痍。あちこち擦り切れ、血が出ている。
「アマネ、こちらを向いて」
敵の黒い両手剣がギラリと光った。と思った瞬間、「ぅぐっ!」護衛が膝をつく。
あまりのことに呆気にとられたオレを、
「アマネ!!」
お嬢が強引に振り向かせた。
「聞いてアマネ! ワタクシはアレを退けたい! そのためには力がいるわ! ワタクシを信じて共に祈ってくれる者が必要なの! 強い心の力が欲しいの!!」
鬼気迫る形相、とはこういうことを言うのかもしれない。
ただでさえ白い肌が色を失って土気色だ。豪奢な金の髪は乱れ、空の色の瞳は血走っている。貴族らしい気品は失っていないものの、正気とは思えない形相だった。
「イイ!? ワタクシ達が生き残るためよ、ワタクシが教えた通りにおやりなさい!」
肩を掴む力の強さが恐ろしい。オレはガクガクと頷いた。
お嬢を守るために来たのに、そのお嬢を怖いと感じるなんて……。
「ワタクシと同じ姿勢になって。それからワタクシの言う言葉を繰り返すの。その時に絶対、ワタクシを疑ってはダメよ。苦しいかもしれないわ、それでも強くワタクシを信じなさい!」
「はい……」
オレにアレを倒す力や方法はない。お嬢ができると言うのだから、アレを退けられるよう協力するのみだ。
教えられるまま、フカフカのベッドの上に膝立ちになり両手を組む。額に手を当てると同時にキツくキツく目を閉じた。
「天井におわす……」
「ぅわぁぁぁっ!!」
「ひ……っ!」
「集中なさい!!」
お嬢の言葉を真似しようにも、聞こえてくる戦闘の音に気が散ってしまう。見えないから尚更だ。
仕事に失敗してムチで打たれた時も、兄貴達に気まぐれに責められた時も、黒蜘蛛の親分にスキルのことを話した時も、このまで底知れない恐怖は感じなかった。
悪魔というのがお嬢の説明の通りなら、人間の敵にあたるのだろう。本能的な恐怖。それがオレを支配していた。
「……アマネ、大丈夫。ワタクシを信じて」
ふいに、右側に熱を感じた。恐怖に冷え切った体に、じんわりと染み込んで来る温かさ。
お嬢が、ぴったりとオレの右側に並んでいるのだ、と気付いたのは数秒ののち。すぐ近くから落ち着いた声が聞こえたからだった。
「取り乱してごめんなさいね。ワタクシは強い。あなたがいればもっと強くなれるの。悪魔なんて怖くないわ。ワタクシにはアレを倒す力があるの」
感じる体温は、オレにボロ屋の仲間達を思い出させた。狭い寝床に折り重なって寝ていた頃を。
10歳にならない子どもの中で、オレはいつでもリーダーだった。ベソかくガキ共を叱咤してた。なのにオレ今……カッコ悪りぃ。
「ティカーテ様、行け、ます。大丈夫」
「そう。ならばワタクシの声だけお聞きなさい。
天井におわす慈愛深き我らの母よ。天井におわす果敢なる我らの父よ」
「天井に、お、わす、慈愛深き我らの母よ。天井に、おわ、す、果敢なる、我らの父よ」
スキルが……『メンティー』が反応している。まるで聞き漏らさまいとするかのように、『メンティー』がオレの集中を高めて行った。
「遍く世を見通す、尊き御方に畏み申す」
「あま、ねく世を見通す、尊き、御方に、か、しこみ、申す」
護衛達の、悲鳴のような呻き声がどんどん遠くなっていく。オレの中に、スッと抵抗なくお嬢の声が入ってきた。
「我は御身に縋り、慕う者。御身に全てを捧げ従う者」
「我は御身に縋り、慕う者。御身に全てを捧、げ従う者」
「我が血肉と魂魄を以て、御身の慈悲を与え賜え」
「我が血肉と魂魄を以て、御身の慈悲を与え賜、え」
お嬢の言葉から、独特の揺らぎを感じた。ただの音声にはない、金属的とも牧歌的ともいえる不思議な揺らぎ。『メンティー』が、感じ取ったそれを拙いながら再現していく。
「清浄たる世に紛れたる不浄、清浄たる世に出でし異端、一切を正しき姿に」
「清浄たる、世に紛れたる不浄、清浄たる世に出でし異端、一切を正しき姿に」
急速に言葉の紡ぐリズムが整って行く。慣れない言い回しばかりなのに、繰り返すだけだからか、普段よりスムーズに口から出た。
瞼の裏に感じる光が強くなる。お嬢と触れ合ったところも熱いくらいだ。
「悪魂清浄! 悪鬼を祓う神意をここに!!」
「悪魂清浄! 悪鬼を祓う神意をここに!!」
カチリ。合った! と感じた。
お嬢の揺らぎとオレの揺らぎ。
「(うわ)っ!?」
次の瞬間、凄まじいまでの脱力感がオレを襲う。身体中の力という力を持って行かれるかのような、魂を抜かれるかのような脱力感だ。
あ。と思う間もなく、横向に倒れた。お嬢がいたのとは逆方向にボスンと崩れる。
それでもオレは、辛うじて祈りのポーズだけは保っていた。
組んだ手を額に当て、教えられた通り一心に「祓え! 祓え! お嬢頑張れ!!」と念じ続ける。
眩しい光が閉じた目を焼き、力を失った意識が朦朧とし始める。
どのくらいそうしていたのかわからない。
ふと我に返った時、オレはお嬢に優しく肩を揺すぶられていた。
「マネ……アマネ……」
遠くで聞こえていた何かがはっきりと聞こえるようになり、しばらくして、それが自分の名だと気付く。
「ティカ……テ様……?」
「アマネ! 良かった……っ」
ゆっくりと目を開ければ、憔悴したお嬢の姿。そっと体を起こし……
「つっ!」
胸のあたりを激痛が走って固まった。
「慌てないで。もう大丈夫だから。寝ていてイイわ」
ありがたくお言葉に甘えて、そろりと首だけ巡らせる。お嬢の向こうには荒れ果てた室内……と思いきや、
「???」
なんで???
護衛の3人こそ、くたびれた顔をしていた。こびりついた血も見える。けど。
「あぁ。大丈夫だと言ったでしょう? これが神の御力の一旦なの」
室内が整っていた。
オレの記憶の中ではザクザクメタメタグシャグシャになっていた部屋の中が、普段通りに整っている。
メイド達が急いで整えたのだろうか……と思って、すぐにその考えを却下した。だって、さすがに絵とか花とか……スペアがあったとしても、ここまで寸分違いなくできるわけない。護衛達の制服だって整っている。
「アマネのおかげで助かったわ」
「は???」
「アナタ、適性があるのではなくて? そういうスキルなのかしら……。説明したことがなかったわね。ワタクシのスキルは人々の祈りを自分の祈りに上乗せして神通力を発揮できるの」
ちょ……この状況で語り出すとか……。いや、説明は欲しいけど……。
「普通なら、そうね……ワタクシの祈りを10と考えると、共に祈る者との共鳴によって、一人あたり1から4くらい上乗せできるわ。その幅は簡単に言えば、どのくらいワタクシを信頼できているか、という度合いの違いよ。ワタクシは先程、あなたに4の共鳴を期待したの。ワタクシ一人の10の祈りで得られる神通力では、あの悪魔を打ち祓うのは無理だった。けれど14あれば、なんとか打ち祓える可能性があったからよ」
体が重いせいか、頭がいまいち働かない。
……つまり、お嬢は神様の力が使えるってこと? すげー……。
「なのにアマネ。アナタは9の祈りをワタクシに寄越した。……いえ、正確には違う感じがしたけれど……事実はそういうことだわ。14の祈りで得られる神通力ならば倒せるかもしれないと思った相手に、19の神通力をぶつけたのよ。おかげで、悪魔を祓うだけでなく、室内の清浄まで行われた」
細かいところはよくわからんが、勝てたってことでしょ? じゃあイイじゃん。も、面倒くさいことは後にしようよ。
「アナタのスキル……『メンティー』と言ったかしら。一度調べてみた方が良さそうね」
知りたいような、いらないような。ま、とりあえず、お役に立てたんなら良かったよ。
「お嬢様、失礼致します。パーサが参りました。少しお休みになられてはいかがでしょう」
何事かを考え込むお嬢に、護衛のおっさんがオズオズと声をかけ、ほぼ同時に、開いたドアからメイド長が入ってきた。
慣れた動きで着替えと薬湯を用意する。
「今回もご無事でよろしゅうございました。ギビドが部隊を率いて突入する準備を整えたところでございましたが、お早い決着だったようで一堂安心しきりでございます。お嬢様のお力の賜物でございますね」
「いえ……今回は本当に危なかったわ。アマネがいて助かったの」
「左様ですか。ではお嬢様、こちらをお飲みになったらお召し替えを致しましょう。アマネ、いつまで寝ているの。無礼ですよ」
「イイのよパーサ。アマネは動けないのだから、寝かせておいて?」
お嬢ってのも大変だよな。大人並みの重責があるくせに、実際は成人もしていない、ただの子どもだ。オレの1つ上、だっけか?
「そうはいきませんわ。誰か、アマネを運びなさい。ここはお嬢様のお部屋です。このままではお嬢様のためのベッドの用意ができません」
メイド長が人手を呼ぶためにパンパンと手を打った。
オレは護衛のおっさんに支えられ、ようよう身を起こす。さすが戦闘職は力持だ。くたびれてるのはアンタも同じなのにご苦労さん。おかげで、立ち上がるのに激痛とまではいかずに済んだ。
「明日までゆっくりお休みなさい。アマネも、護衛のあなた方も」
そろそろと足を踏み出しドアへと向かう背中に、お嬢の声がとんできた。
午後の勉強は免除らしい。まぁ実際無理だけど。
「ありがとうございます」
護衛のおっさん達とオレの声が揃った。お嬢のお申し付けなら、メイド長が異議を挟む心配もない。ホント、できたお嬢だよ。ちょっと性格がキツいとこを治せば天使もかくや、だ。
「こちらこそ。ありがとう」
「……さぁお嬢様。お薬湯を」
ソロリ、ソロリと一歩ずつ歩み廊下に出る。入れ替わりで入って行くメイドの群れを見送って、護衛のおっさんが
「お前はよくやった。初めてなのに頑張ったな」
と褒めてくれた。
「ハハ……わけわか、りません、でしたけどね。……それより」
「どうした? 何か気になることでもあったのか」
「……もう保、ち、ません。すみません……」
「ん? おぃ、坊主!?」
お嬢の部屋を辞したとたん、どっと来た。痛み、疲労、恐怖、困惑、疲労、痛み。
「ぐ、ぅ……っつ……っ」
ガクリと崩れた体をおっさんが慌てて支えてくれる。
考える余裕はなかった。気持ち悪い。吐きそうだ。あちこち痛いし意識が…………。
「おい、運ぶぞ? 走るからな?」
動揺したようなおっさんの叫びを最後に、オレは意識を失った。
「お前のおかげで助かった。死ぬなよ」