とある会社で
この作品はフィクションであり、実在の会社や人物と関係はありません。
「えー。我が社でも男女という性別の垣根を無くすことを目指し……」
時代の波に乗るべきだ。
古い悪習は見直し、もっと女性にも重要な仕事が取り組めるように、そして管理者となれる環境を作ろうではないか。
これまで世間で言うところのこの中堅企業は、女性が掃除や茶くみ等を行っていた。
今後は男性も行うことで、女性がより仕事に取り組めるようにと、社長が満足そうに語っているが、何人かの男性社員は露骨に嫌そうな顔を作った。
垣根を無くすことが嫌なのではない。雑用をこなすのが、平社員の若い自分たちに回ってくることが嫌なのだ。
(面倒なことを言い出したなあ……)
「具体的には掃除などは当番制とし……」
(どうせ自分たちは掃除しないくせに)
これまで掃除は、業者を入れるほどの大規模な会社ではないからと、手隙の合間に女性が行っていた。
それまで黙って社長の言葉に耳を傾けていた社員の内、突然一人の若い女性が挙手をした。
「どうした、なにか質問かね?」
せっかくの演説を中断され、若干腹立たしい気になりながらも、その気持ちを隠した社長は女性社員に声をかける。
「はい、それはセクハラになると思います」
社長を始め、その場の多くの者が意味を理解できず、きょとんとなる。
なに言ってんだ、コイツ。社長はそう思った。
だが一部社員は、すぐに彼女が言わんことに気がついた。
「掃除場所には、トイレや更衣室も含まれています。そんな女性にとってデリケートな場所に、男性が女性の目がない時に入りこむのは、セクハラだと思います」
瞬間、多くの女性がハッと気がついた。
女性トイレにはサニタリーボックスが設置されている。
男性が掃除をするということは、それを回収するのも男性となり……。人物の特定はされないが、今まさに生理中だと知られてしまう。
しかも更衣室に男性が入る? トイレも更衣室も『女性用』の聖域。そこに堂々と入る口実を、男性に与える?
動揺が広がるが、一瞬にして全女性が発言した若手女性社員の側に回った。
だが逆に女性からセクハラ親父と陰口をたたかれている男が、露骨に鼻の下を伸ばし発言する。
「いやあ、やはり垣根を無くすからには、それが当然だろう。大体そんなことを言っては、これまで君たちが私たちにセクハラをしていたことになるじゃないか」
総務部長のセクハラ親父の言葉に、数人の男性社員が頷く。
セクハラ親父の魂胆はともかくとして、これまで人に掃除を押しつけるパワハラを行っておきながら、今さらセクハラだと訴える?
無言で怒る女性社員の会話が始まった。
(あれ、許せる?)
(まさか。俺たちは忙しいとか言って、これまで平気に私たちへ掃除とか押しつけておきながら、ふざけんなって話よ)
(セクハラ親父は聖域に入って、くんかくんかと堪能したいだけでしょ? 掃除する気なんてないくせに)
(総務部長なだけに、簡単に更衣室のロッカーのスペアキーも手に入れられる。だってスペアキーを管理しているのは、総務だもの)
(絶対に阻止するわよ!)
「あ、でも自分……。セクハラとは思わないっすけど……。用を足している時に……。その、急にドアを開けられたら、嫌なんっすよ……。掃除してくれるのは、いつもありがたく思っているっすけど、せめてノックして、入っていいか確かめて欲しいっす……」
こちらの様子を窺いながら、恐る恐る声をあげた可愛い顔をした男性社員の言葉に、女性社員一同は仕方ないなあ。今度からノックしてあげようと思った。
すこし癒されたような気になったのに、それをぶち壊す男が一人。
「ほらな? 女性はそうやって俺たち男性トイレにずかずか入るのに、その逆が許されないのはおかしいだろう?」
(お前は黙れ、セクハラ親父!)
(いつもキモイんだよ! どうにかして触ろうとしてきやがって! そう言えば今朝も肩を叩かれたわ。あー、キモ!)
(欲望丸出しにしないでくれる⁉ すでにセクハラなんですけど⁉)
「分かりました。ならば男性は男性トイレと男性更衣室の掃除を。女性は女性トイレと女性更衣室の掃除を行えば、男女平等に掃除を行うという条件を満たし、双方問題ないのではありませんか? どうでしょう、社長」
女性社員の中の古参……。
お局様と男性社員が揶揄する女性が、眼鏡のツルを上げながら言う。
「これならセクハラ問題も解決。男女平等も解決。私の提案に、なにか問題がございますか?」
(ある訳ないでしょう⁉)
ぎん!
一斉に鋭い目で女性社員に睨まれ、社長は……。
「……うん、問題ない。それでいこう。それならお互いセクハラにならないし、お互い掃除することで平等に仕事に割り振る時間も出来るし、うん。流石の提案だね」
その言葉に、総務部長が舌打ちしたのを多くの女性社員は見逃さなかった。
社長はその立場から、ほとんど社員に逆らわれることはない。
しかし女性社員を敵に回せばどうなるか……。
女性の恐ろしさを知っている社長は、用意していた演説をそれ以上は語らず、その後は適当に浮かんだ言葉を述べ、その場を解散とした。
◇◇◇◇◇
「なんで俺たちが掃除しなきゃならないんだよ」
「こういうのはやっぱり、女がやるべきだろ」
モップでトイレの床をこすりながら、二人の男性社員は愚痴をこぼす。
あれから数日。管理職の多くが男性であることに、変わりはない。
そういった者たちに掃除を行わせるのはどうか、またそんな時間はあるのか。そんな暗黙の強制力が働き、危惧した通り、結局は平社員だけで掃除を行っているのが現状だ。
その点女性は管理者であろうと、ローテーションに組まれており、円滑に掃除が行われている。羨ましい話である。
「なにが男女の垣根を無くすだよ」
「こんなのパワハラじゃねえか」
「適材適所って言葉を知らねえのかよ。掃除は女の仕事だっつうの」
自分たちがセクハラ発言をしていると自覚していない、今年入社したばかりの新人二人は、週の半分近く役割を与えられているトイレ掃除を、今日も愚痴りながら行う。
◇◇◇◇◇
「女性が活躍できるように改革するのは良いけれど、触れてはいけない領分があるわよね」
「あのセクハラ親父、露骨に鼻の下を伸ばしていましたしね」
「きっとスペアキーを使って、ロッカーの中を漁るつもりだったのよ!」
「おえー、キモっ」
女性社員だけでの女子会。
話題はもちろん、先日社長が発表した男女の垣根を無くそう問題になっている。
「気がつきました? あの時セクハラ親父の言葉を聞いて、喜んでいる奴が何人かいましたよ」
「マジ? 誰よ」
「親父の腰巾着の総務課長と、営業の……」
続々と挙がる名前を聞き、全員の顔がどんどん嫌そうに歪まれていく。
「うわっ、最悪っ」
「そいつらの領収書の精算、後回しにしてやるわ」
「生ぬるいですよ。そもそも経費として認めないくらい、してやって下さいよ」
酒も入り、誰も本音が止まらない。
「とにかく」
静かに空になったグラスを机に置いたのは、お局様だった。
「また男女の垣根を無くすとか言い出し、私たちの聖域に入りこむようならば……。訴訟覚悟で労働基準監督署に相談するわ」
全員が大きく頷いた。
お局様は有言実行でも有名。きっと次に女性の聖域を汚すようなことがあれば、本当に訴えを起こすだろう。
でも、もしそんな頼れる彼女が退職したら?
(次のお局は誰よ)
(社長にも意見できるのは……)
年齢は若いが、あのセクハラだと訴えた彼女。
次世代は彼女を中心にまとまろうかと多くの女性社員が思う中、まるで彼女たちの心を見透かしたように、笑みを浮かべながらお局様は口を開く。
「……あの社長に意見した子、結婚すれば退職するかもねえ……。若いから退職しなくとも妊娠すれば、その間は育休等で休むわよねえ」
新しく注文し運ばれてきたワイングラスを片手に、お局様は言葉を続ける。
「大丈夫よ。聖域を汚されたくないのは、全員一致の意見だもの。でもね」
一口赤ワインを口に含み、お局様はさらに笑顔で言った。
「いつまでも人任せでは駄目よね? そうは思わない、皆?」
引きつった笑いで、その場の皆が頷いた。
お読み下さり、ありがとうございます。
職場で男女の垣根を云々と話をしていた時、ふと浮かんだ話です。
以前勤めていた所で、管理職は掃除しないし、そういうのは平の女性だけがやっていたなと。
そして私は掃除は面倒だけど、その間は苦手な電話番から逃げられると、嫌いではありませんでした。
大きな企業とかになると、専任の者や業者が掃除でしょうが、そうでない会社は自分たちで掃除をすると思うので……。
そういった会社の中だと、こんな話もあるかもなー。
と、勢いで書きました。