隔てのないボーダー
スカラとヘッジがたどり着いた境目の土地ボーダー。すべてを知るまでに時間はかからない・・・。
Face3・mouth 隔てのないボーダー
炎が激しく揺れている。念じる声は揺れに合わせるように唸りながらどこまでも高く昇っていくようだ。四方が岩に囲まれた広場は、高地のため酸素が薄い。炎に岩肌が照らされることもめったくなく、まさに特別なことが起こっているのだとすぐにわかった。
「大丈夫か、ババアは」
「しっ。ロックは黙ってて。今が大事なところでしょ」
老婆の朗々とした声が永遠に続くようで、若いふたりはすっかり飽きている。ただ聞いているのもラクではない。土の間に敷かれた薄い絨毯はとっくに色落ちして、地べたの石ころの冷たさが膝に刺さってくるようだった。こういうとき、ロックは頭の中で空想して時間をやり過ごすことにしている———俺が革命をおこして、地上界に攻め込んでやるんだ。呑気に祈りなんか捧げてる場合かよ、早く救世主を見つけて地上に乗り込んでやる———こんなふうに。
長い念仏が終わると、銀髪の老婆は若いふたりに振り返った。
「ロック、リタ、どうだ。見えたか?」
老婆はニヤリと笑っている。
「見たってなにを? なにが見えたらいいの?」
「もうじきここに新しいお客が来るぞ」
「私は全然見えなかったけど。ロックはなにか見えた?」
「ケッ。そんなもん見えるかよ。ここからは岩しか見えないぜ」
「ロック、お前は一体、なにを怒っとる?」
「怒ってなんかないさ」
「ねえヒガン、なにを見たらいいの? 私はなにを見たら正解だったの?」
「リタは素直だな。素直でいい。だが、もっと自分で考えないと弱いままだぞ。ロック、お前はその逆だ。人の話を無視しすぎるところがある」
「ババア、いい加減なことばっか言うな」
「婆を欺こうと必死だろ。なにを焦ってる? ロック、白状せえ」
ヒガンの銀髪が逆立ってきた。それでもロックは抵抗して、
「うるせえな〜」
と片足を蹴り上げるようにして坂道を下っていく。広場からロックの住処までは歩いて小一時間はかかるが、リタが止めようとしてもどうにもならなかった。
「ああ〜ロックったら。今夜はヒガンのところで泊まろうって話してたのに。ヒガン、私はもう赤ん坊ロックの面倒はみれないよ」
「ハハハ。リタはほんとうに素直だ。結構、結構。ほっとけばいい。わしの孫のロックだ、そのうち嫌でもすべてを受け入れるべきときがくるわ」
風が吹いた。揺れていた炎が風を呑み込んだように、まっすぐ背を伸ばした。
「ヒガン! 蝋燭の火が立った!」
「ああ、わかっとる。まもなくだな」
ヘッジは道を見失っていた。峰を越え、はるか道を歩き歩き、緊張と疲れで倒れたスカラを背負い、あと一歩でボーダーの入り口だと思うところまでやって来たのだが。
「ヒガン! ヒガン! 私の声が聞こえたら答えていただきたい!」
岩の先端に立ったヘッジは叫んだ。進めると思った者だけに真の入り口が見える。扉が開かれた瞬間、喜びの声が聞こえるはずだ———ヘッジにとって曽祖父からの教えこそ、命を守る武器であり、道標だった———。
「いらっしゃるでしょう、ヒガン! わけあって来ました、ここを通していただきたいのです!」
ヒガンにとって価値あるものは容姿ではなく、もはや声だった。ヘッジの発した声は「値する」とヒガンは勘付いた。
「入られよ」
ヘッジの目の前に巨大な岩戸が現れて開き、ヒガンの広場がゆっくりと見えてきた。ヒガンが念仏を唱える土の間はどこまでも広く温かく、地平までもとらえているようで、ヘッジはただまっすぐに進んでいく。
「おお・・・ヒガン、感謝いたします」
ヘッジは心を震わせている。そして、背中にしっかりとスカラを載せて歩いていた。眠っているスカラはまったく気づいていない。
訪問者の心根が土の間にゆっくり沁みていき、すぐにも花を咲かせるかのように朗らかなので、ヒガンは微笑み、隣りで座るリタも安堵した。
「ようこそ、ボーダーへ。おや、わしとお目にかかったことがあったかね?」
「はい。地上界の儀式で一度。化粧師クレのひ孫のヘッジと申します」
「おお!クレの孫なのか。なんと大きくなって・・・ん、匂いがするね。背中に背負ってる子か。私に助けを求めてきた理由もその子だな」
それを聞いて、リタが駆け寄っていく。
「ヒガン、私のソファを使っていいよ。この子、とても綺麗な顔してるもの」
ヘッジは眠ってしまったスカラをソファに寝かせた。リタは興味津々だ。
「この子、どこの子? 私と同じボーダーの子? 地上の子?」
「リタ、お前は素直でいい。が、矢継ぎ早に尋ねるのはいかんな」
「ああ、ごめんなさい」
ヘッジはさすがに疲れて眠くなってきた。帽子のツノはここまでの道のりで折れて、かなり汚れていた。
「ヘッジとやら、その帽子を洗ってやろう。それに、温かいベッドと食べ物も用意しよう。その子の分もな。しばらく休むがいい」
「ありがとうございます」
ヒガンが腕をあげると、すぐそばにベッドが、テーブルの上に食べ物が出てきた。魔法のようなもてなしが、果たしてリアルなものなのか、疲れ切った頭ではヘッジもわからなくなってくる。リタがヘッジの帽子をうやうやしく洗濯場へ運んでいくと、ヘッジの身体はもうベッドにあった。ソファで眠っていたスカラもベッドで寝ている。そうか、ボーダーではすべてがショートカットで起きる、と曽祖父クレに聞いたことがあったな、とヘッジは思い出した。
安全なルートを考えたとき、ヒガンが束ねるボーダーを通るしかないと即決したことはよかった。まさかボーダーには行くまいと、スカラの家を襲った犯人たちはメインルートを待ち伏せしているにちがいないのだ。さて、問題はヒガンにどこから説明したらいいのかだろう。とにかくスカラの亡命を申し出ないといけない。
ヘッジが目を開けると、スカラのベッドの傍にヒガン、リタ、それに若者もひとり増えて立っていた。スカラの美貌はどうしたって誰かを引き寄せてしまうようだ。
「ヒガン、そのロングヘアの若者は?」
ヘッジが起き上がって尋ねると、無愛想な若者がヘッジに答えた。
「俺はヒガンの孫のロックだ。いいか、ヒガンの孫だぞ、よく覚えとけ」
「ああ、覚えとく。ヒガンの孫の中でいちばん出来が悪そうだってこともな」
「お前〜〜〜!」
「ハハハハハハ。さすが、稀代の化粧師クレの血を受け継ぐ者だけあるな。ロックは困った孫だ。だが、鼻が効く。この娘の匂いを感じて戻ってきた。婆なぞ知らんと出て行ったくせになあ」
「ババア、説明しろ。この子は特別な子だろ、どうなんだ?」
「特別って? ねえ、ロック、特別ってどういうこと?」
「俺もわからねえ。そこまでは透視力がないからな。でも、この子はものすごく磁場を持っているし、特別だっていうのはわかる。おい、お前も関係してるんだろ、教えろ! この子はなんなんだ?」
ヘッジは瞬間に、若いふたりはスカラの味方になる、と予感した。
「まだ私にもわからないが、その子を地上界に連れていく必要がありそうなんだ。私はもう二度と、バカな顔の争奪戦には関わりたくないと思って地下に逃げた。それが一ヶ月もしないうちに逆戻りだよ。その子、スカラに会ってしまったからね・・・」
「スカラ、スカラっていうのね、この子は」
リタは瞳を輝かせた。
「・・・スカラ」
ロックは名前を口にして、どこか懐かしい響きだと思った。そして、スカラの顔を見た。骨格も、目も鼻も口も、デジタルフェイスではなかった。美しい顔は素の顔で、地上界の金持ちたちが欲しがる顔だろうとロックは思った。しばらく黙っていた老婆ヒガンは頷いて言った。
「炎があがった理由がわかったぞ。わしはこの子に力を与えないといかんらしい・・・積年の思いを込めてスカラに」
老婆ヒガンはスカラの肩に手をあてると目を閉じた。弱々しいスカラの輪郭が太線でなぞられていくように・・・ヒガンから送られるエネルギーでスカラの内面が活き活きと満たされていくのがわかる。
「ヒガン、なんてすごいんだ」
ヘッジも初めて見る魂の儀式だった。
数時間が経ち、立っていた炎が小さな灯火となった頃だった。
「ヘッジさん、ヘッジさんはいるの?」
スカラが目を覚ました。
「ああ、スカラ!」
隣りのベッドから起き上がり、ヘッジはスカラの元に駆けよった。
「私、どこまで歩けたの? 山道の途中で記憶がない・・・」
気がつくと、ヒガン、リタ、ロックがスカラのベッドの周りにいた。
「お目覚めかな、スカラ。おお、顔色がいいな」
「あなたは誰?」
「もう半分はスカラの中にいるんだがねえ」
「私の中、ですか?」
スカラは不思議に思って、身体のあちこちを確かめた。
「私、サングラスとマスクをもらわなくていいの? どこの街に行ったらいいの?」
「スカラ、なにを知りたいんだい? いちばん知りたいことを教えてやろう」
ヒガンが丁寧に問いたので、リタもロックも背筋を伸ばした。やはり、これまにないことが起きつつある。ヘッジも少年のように口を真一文字にして姿勢を整えた。
Face4へ続く