第三話:上陸せし女神の楽園、天空神国アスケイド
ロイ「はい、私の方は問題ありません。」
レイナ「…本当に?別れの挨拶とか、しなくていいの?」
レイナは言葉を選ぶことなく、率直にロイの素性を確認した。
どうやら彼には母親と、下に双子の兄妹が居るらしい。
しかし一旦家に帰らずこのままアスケイドに連れて行ってくれて構わないという彼に、レイナは再度問うが…。
ロイ「構いません。…何より私はもう、既にフィーリア様の使用人です。私用如きでフィーリア様の元を離れるなど、あってはなりません。」
フィーリア「え!…そんなこと気にしなくていいよ!」
レイナ「…まあ、彼がいいと言ってるんだからいいじゃない。」
フィーリア「でもレイナ、捜索隊がどうのって…。」
レイナ「けど彼に帰る意思がないんじゃどうしようもないわ。…それに、いい加減帰らないとマリーさんが心配してる。」
フィーリア「う…そうだね。」
なら話は決まりとレイナがまとめ、お世話になったりトラブルの一端となったオアシスを消去し…アスケイドに戻るべく近くに停めてあったライドケイターに向かう。
レイナ「それでロイ、どっちのライドケイターに乗るの?」
フィーリア「え…な、なんでそんなこと聞くの?も、もしかして私の方に乗りたくないとか…?」
レイナ「…そういうことじゃないけど、多分この子の性格からして…。」
ロイ「はい、レイナ様のライドケイターに同乗させて頂ければ。」
レイナ「ほらね。」
フィーリア「ロ、ロイ君!?私なにか気に障るような事した?」
まさかの同乗拒否に焦るフィーリアだが、レイナは多少の見当が付いていたらしく特に驚いた様子はなかった。
ロイ「使用人が主と同乗するなどおこがましいです。…なのでよろしければ、レイナ様のライドケイターに同乗させてもらえればと。」
レイナ「人間が早々女神を嫌うわけないじゃない。…こんな所で揉めてないで、さっさと行くわよ。」
フィーリア「うぅー…なんか釈然としないけど、分かったよ…。」
なんだか自分よりロイの事を理解しているようで悔しいなあと思う気持ちはあるものの、流石に優等生なだけはあるから仕方ないと割り切りフィーリアもライドケイターに跨る。
一方のレイナは、ライドケイターのハンドル部分にあるタッチパネルを操作し一人用から二人用に切り替える。
中央の胴の部分が伸び二人が座れるほどのスペースを確保し、自分たちもライドケイターに乗り込む。
そうして寮に帰るべく上昇を始め、徐々に加速していく…その最中、フィーリアはどうやって自分を見つけ出したのかをレイナに尋ねてきた。
レイナ「寮にあった魔剤を使ったの。…魔力に変換するのに少し時間がかかって見つけるのが遅くなったけど。」
フィーリア「やっぱりそうだよね。私のライドケイターがあったからそうじゃないかと思ったけど。」
魔剤というのは、体内にある魔力を何らかの方法を用いて体外に取り出したものである。
単純に魔力を放出しただけでは大気中に溶け込んでしまうため、取り出す際に加工を施さなければならない。
そうして加工された魔力のことを魔剤と呼び…主に各研究機関や医療機関などでこれを取り扱っている。
非常時の備えとして個人で所有している場合も多く、フィーリアたちを含め学園生は全て自分の魔力を摘出した魔剤を持っている。
レイナ「魔力の切れたあなたのライドケイターの回収にも少し手間どったけど、無事に見つけられて良かった。」
フィーリア「一旦寮に戻ったってことは、マリーさんにも事情を話したんでしょ?」
レイナ「ええ…けど説明する時間がもったいなかったから、『フィーリアが迷子になった』とだけ言っておいたわ。」
ロイ「あの、先程からお二人が口にしている「マリーさん」というのは…。」
フィーリア「ああ、マリーさんって言うのは私たちが住んでる寮の寮母さんだよ。マリーさん本人の希望もあって、皆「マリーさん」って呼んでるの。」
フィーリア「…そういえばもう一つ気になってたんだけど、あの強風は大丈夫だったの?こっちに来る時、結構大変だったんじゃ…。」
レイナ「…それが、私がフィーリアのライドケイターを回収する頃に風もすっかり止んでて…。そのままフィーリアを探そうとも思ったけどマリーさんに頼まれた荷物もあったし…何よりライドケイターの魔力が切れてたから、それで魔材を取りに一旦寮に戻ったの。」
フィーリア「そっかぁ…。あれって結局、なんだったんだろうね?」
レイナ「さあ…理由は分からないけど、とりあえずはこの先また同じ事が起きないように祈っておきましょ。」
結局あの強風は何が原因だったのか…それは自然発生したものである可能性が高いと互いに結論付け、フィーリアたちはアスケイドへの帰還を目指す。
幸いな事にこの帰り道では天候に恵まれ、寮へと辿り着くまで雄大な空の景色を楽しむ事ができた。
…。
マリー「あらあら、お帰りなさい。…慌てた様子みたいだったけど、大丈夫だったの?」
あれからフィーリアたちは無事にアスケイドに上陸し、それぞれのライドケイターを専用の収納庫へと運び入れ、ロイを引き連れて寮の前までやってきた。
するとそこにおっとりとした雰囲気の女性が一人、箒を片手に掃き掃除をしていた。
慌てて買い物から帰ったレイナの様子を見て、只事ではないと察していたはずだが…それでもこののんびりとした口調に変化はないようだ。
レイナ「…はい、無事に見つける事ができました。」
フィーリア「心配かけちゃってすみません…。」
マリー「いいのよ、こうして無事帰ってきたならそれで。…所で、後ろに控えてる彼は誰?」
そしてマリー当然、二人の他にいる人物に対し疑問を持つ。
フィーリア「あ、えっと…この子は。」
ロイの存在を語るとするならば当然、レイナにした『あの出来事』をもう一度今度はマリーへ説明しなくてはならない。
…説明しなくてはならないのだが、やはりそれを躊躇ってしまうのは自然なこと…それを察したレイナは代わりにその質問の答えをあえて伏せたままこう答える。
レイナ「…すみません、事情は後でお話します…とりあえず、この人間を寮に住まわせる許可を頂けないでしょうか。」
マリー「それは、この寮にって事?」
レイナ「はい。」
その唐突すぎる提案にマリーはしばし考え込んだが…意外にもこれをあっさり許可。
とは言え寮母の一存だけで決定できるわけでもないため、学園長に確認を取ってくるとだけ言い残し…マリーは早々に出かけていってしまった。
確認が取れるまではひとまず寮にいていいとの事なので、ロイは二人が寝泊まりする部屋へと案内されるのであった。
…。
メルローズ「緊急の案件と聞きましたが、何があったのですか?」
マリーはあの後学園長のメルローズへ連絡を取り、学園長室へと足を運んでいた。
普段と変わらない様子で書類仕事をしているメルローズは筆を動かす手を止め、マリーの話を伺う。
マリー「ええ、『あの子』についてなんだけど…。ちょっと面白い子を連れてきてね。」
メルローズ「いつものおせっかい…ではないようですね。」
マリー「そうねぇ、それなら私だってわざわざこうして直接会いに来たりはしないわ。…彼女が拾ってきたのは人間なの。」
メルローズ「…人間?」
マリー「それもただの人間じゃないみたいで、名前を聞いてびっくりしたわ。…カースナイト。彼はどうやらその末裔らしいの。」
メルローズ「カースナイト…ですか。またその名前を聞く事になるとは思いませんでしたね。」
マリー「ね、これってすごい偶然じゃない?見た感じ、魔力保有量も相当のものみたいだし…『エデン』行きにはぴったりだと思うんだけど。」
メルローズ「…そうですね、今現在『エデン』には空きがあることですしそれは構いませんが…そうなると、『彼女』にも確認を取らなくてはいけませんね。」
マリー「ああ、ユティーナちゃんね。でも大丈夫?呼び戻したりしたら地上の『勧誘』が進まなくなっちゃうけど…。」
メルローズ「幸いなことに、現在は目星い人物が見つかっていないようなので…彼の勧誘が済み次第また戻ってもらうことにしましょう。」
マリー「ユティーナちゃんも大変よねぇ…。学園にもあまり顔を出せてないみたいだし…でも、せっかく帰ってくるんなら、何かお祝いしなきゃね。」
メルローズ「その辺りは好きなようにしてください。…話はそれだけですか?」
マリー「あ、待って。そうそう、興奮しちゃってすっかり忘れてたけど…その例の彼ね、出来れば寮に住まわせて欲しいってレイナちゃんが。」
メルローズ「ああ、そういうことですか。…分かりました、特例として認めましょう。とは言え部屋が足りていないので、あなたと一緒に管理人室を使ってもらうことになりますが…。」
マリー「そのくらい平気よ。だって相手はあの『カースナイト』だもの。」
メルローズ「…そうでしたね、その辺りに関しての問題はないと判断してよさそうですね。」
それからしばしの談笑を重ねた後、マリーは寮母としての仕事を全うするべく学園長室を後にした。
一人になったメルローズの頭に浮かぶのは、やはり『カースナイト』の少年のことであった。
メルローズ「(人間がこの地に訪れることは分かっていましたが、まさかそれがベルラ…あなたの子孫だなんて。)」
メルローズ「(これもなにかの運命…なのでしょうか。…いずれにしてもここまでは予言通りですが、果たしてこの先の未来がどうなっているのか…またあの子に進捗を聞きに行かなければなりませんね。)」
窓から見える景色を眺めながら思案に耽るメルローズ。
『カースナイト』…その言葉を聞いて、あの過去を思い出さないはずがない。
自ら汚名を被る事を決断し、女神たちの礎となってくれた彼たちのことを…。
その子孫がこのアスケイドに現れた事には、何かしらの運命を感じる。
…それが、己を正当化するための見苦しいまでの願望のためだとしても。
その願望を叶え続けることが何よりの恩返しになると己に言い聞かせ、メルローズは再びペンを手にし書類仕事に戻る。
そうして何かを振り払うようにして、一心不乱に仕事に打ち込んでいくのであった。
…。
一方のフィーリアたちは、ロイを自分たちの部屋へと案内していた。
向かう道中同じ寮生に見知らぬ人物が隣にいる事を聞かれたりもしたが、『客人』を装いなんとか切り抜けることができた。
ようやく腰を落ち着ける事が出来たフィーリアは、ため息混じりにソファへと倒れこむ。
ロイ「気分が優れないようですが、大丈夫ですか?」
フィーリア「ああ、うん。だいじょぶだいじょぶ、ちょっと疲れちゃっただけだから。…結局マリーさんに魔法を無許可で使ったことは言えなかったし、帰ってきたらちゃんと報告しないとなぁ。」
ロイ「…地上で魔法を使う事に、なにか制約があるのですか?」
レイナ「私たち女神は、このアスケイドの掟として領地外での魔法の使用を原則として禁止されているの。…無断で魔法を使用した女神にはそれなりの罰が与えられるんだけど。」
フィーリア「はぁ…やっぱり百年魔法が使えなくなるのは大きいよ。」
ロイ「魔法の使用を制限されるのですか!?」
レイナ「ええ、魔法を封じる枷を嵌められて…おまけに要注意女神として監視役も付いてくるわ。」
フィーリア「…でもそれも分かって上で、あのオアシスを作ったから…そうじゃなかったらレイナが助けに来てくれるまでに蒸発しちゃうかもだったし。…一人前の女神になる道は遠ざかっちゃうかもだけど、でも死んじゃったら元も子もないしね。」
ロイ「それは、私の方から罪を軽くしてもらうよう何か助言ができたりなどは…。」
レイナ「…出来なくはないのかもしれないけど、あまり意味はないと思うわ。」
ロイ「そう…ですか。」
レイナ「それに、私が考えている通りなら…多分フィーリアは罪に問われない。」
フィーリア「え、なんで!?」
レイナ「…色々と理由はあるけど、そうね。あえて言うなら、ロイのお陰かしら。」
ロイ「私の…?」
意味深に答えるレイナ…その理由をフィーリアが問うてもはぐらかされてしまい、頭にはハテナが浮かびっぱなしだった。
そしてレイナの予言通り、フィーリアのアスケイド領地外での無断魔法使用の罪は免除される事となった。
マリーさんが学園長にこの事を報告した結果、学園長は非常事態であったことを考慮して罪を免除するとの事。
若干腑に落ちない様子のフィーリアであったが、あまり気にしても仕方がないとレイナに言われ…未消化のまま納得するしかなかった。
…。
それからロイはマリーに連れられ管理人室へと足を運んでいた。
現在寮に空き部屋はなく…ロイが寝泊りするため、管理人室にある空き部屋を使ってもらうことに。
マリー「ごめんなさいね。急なことだったから、今から物置になってる部屋を片付けないといけないんだけど…。」
その物置代わりとなっている部屋の前に案内されたロイは、ドアにネームプレートを差し込める箇所があるのに気付く。
ロイ「いえ、それは構いませんが…。ここは以前、他の女神様が使っていたのですか?」
マリー「そうね、数百年前まで私と同じ寮母をしていたディーテルちゃんが住んでたんだけど…とある『事情』があってね。」
ロイ「とある事情…ですか。」
マリー「そこについては、触れないでくれると助かるわ。」
ロイ「はい、そう仰るのであればこれ以上の詮索は致しません。…しかし、そんな場所を私如き使用人が使ってもいいのでしょうか。…私としては、野宿でも一向に構わないのですが。」
マリー「流石にそれは、アスケイドの女神として見過ごすわけにはいかないわ。…言い方は悪いけど、この寮に住まわせることであなたの動向を監視するの。気を悪くしたらごめんなさいね。…でも建前とは言えこういうことは必要なの。例え他の女神が気にしないとしてもね。」
ロイ「いえ、やましいことをするつもりは毛頭ありませんが、そういった姿勢を貫くことは大切だと思います。…それが女神様にとって必要なことであるなら、尚更。」
マリー「ロイ君はいい子ね。じゃあ一緒にお片付け、手伝ってくれる?」
ロイ「そんな!私一人で十分ですよ!…ナーナディア様のお手を煩わせるなど。」
マリー「でも、何をどこに運んだらいいかは私にしか分からないし…それにロイ君には、他に手伝ってもらうことがたくさんあるから…ね?」
マリーが学園長にロイのことを伝えに行っている時、ロイはフィーリアに対し使用人としてどうしたらいいかを訪ねた。
特に内容を決めていなかったフィーリアに対しその場に同席していたレイナは呆れ顔を見せ、結局マリーが戻ってくるまで唸りながら首を傾げ続けていた。
そしてそのことを帰ってきたマリーに伝えると、なら当面の間自分の手伝いをしてくれないかと提案し、フィーリアもこれに賛同。
ロイはいまいち納得しかねたが、主であるフィーリアの決定であるならばと強くは逆らえなかった。
ロイ「…分かりました。では、よろしくお願いします。」
マリー「はい、一緒に頑張りましょう。…それと、今後私のことは「マリーさん」って呼んでくださいね♪」
ロイ「はい、マリーさん。」
それは、寮母と寮生という壁を感じて欲しくないというマリー本人の希望なのだろう…決して強要するつもりはないが、ほとんどの寮生がマリーのことを「マリーさん」と呼ぶ。
ロイにも同じようにそう呼んで欲しい…それがマリーの純粋な願いであると察したロイは、恐れ多いと感じる心を押し殺しマリーの名を口にする。
…それがロイ本人にとってどれほどの苦痛を伴うか、マリーには知る由もなかったが…もし仮に知った所で対応を変えることはないだろう。
それはマリーが、人間であるロイに遠慮する理由がないからだ…最も、ロイが『カースナイト家の末裔』であることが、一番の理由かも知れない。
何にせよ、日常の一コマに何気なく潜む感覚のずれ…これは後に、ロイにとって…またフィーリアにとっても大きな壁となって立ちはだかる。
しかしそれも致し方ないことなのかも知れない…その理由を簡潔に答えるとするならばそれは…ロイが人間で、フィーリアが女神という存在だからである。
…。
それからマリーとロイは物置と化した部屋の清掃を開始し、日が落ちる頃にはひとまずの作業を終え休憩していた。
物置に使っていたといっても、それほど荷物を詰め込んではいなかったのが幸いした…が、ロイはフィーリアたちの部屋を訪れた時から疑問に思っていた『ある物体』についての質問をここでマリーに投げかける。
ロイ「そういえば気になっていたんですけど、あの人が入れそうなカプセルはなんですか?フィーリア様たちの部屋にも似たような物がありましたが…。」
そう、最初にフィーリアたちの部屋を訪れた時から疑問に思っていたのだが…この空き部屋も同様、寝具が見当たらなかった。
そして本来そういった寝具を置くであろう場所に、卵型のカプセルのような物が鎮座している。
埃を被っているが、マリーがコードを繋ぐと無事に起動したのかランプが点灯する。
マリー「これはポータランと言って…そうね、ロイ君たち人間で言う所のベッドのような物かしら。女神が休眠を取る時はこのカプセルの中に入るの。」
マリー「でもロイ君には必要ないものねぇ…。そうするとベッドを運び入れないとならないし…まだまだ使えそうだけど、このポータランは廃棄しないといけないかしら。」
他にもいくつかボタンを押したりなどして動作を確認するマリー。
長年使われていなかったが、どうやらどこにも異常は見当たらないようだ。
ロイ「何かに再利用できたりとかはしないんですか?」
マリー「と言うよりも、再利用する理由がないわね。女神なら皆、自分専用のポータランがあるから。」
ロイ「…すみませんでした。」
マリー「なぁに?いきなり謝って。」
ロイ「いえ、前任の寮母さんのことについては触れるなと言われていたのに…そのことに関する質問を、うっかりしそうになってしまったので。」
マリー「ふふっ、それで謝るなんて律儀ね。別に聞いた所で怒ったりはしないわよ。」
ロイ「それでもです…私はただ、女神様に対し正直でありたいと思っていますから。」
マリー「…本当に、ロイ君は優しい子ね。そんなに女神様のことが大切?」
ロイ「はい…私の生きる理由の全ては、女神様にありますから。」
マリー「…そうね、あなたの一族はそう生きると決めたものね。」
ロイ「カースナイト家を…ご存知なんですか?」
マリー「昔からの知り合いがいて、それでちょっとね。…カースナイトに関しては、彼女から色々と聞いているわ。」
ロイ「あの…できればその詳細については。」
マリー「大丈夫よ、無闇に口外したりはしないわ。…あなたが特に気にしているのは、彼女のことかしら。」
ロイ「はい、あの方にはこれ以上…迷惑をかけたくはありません。」
マリー「そう…でもね、ロイ君がこうしてこのアスケイドに来たことには、きっと意味があると思うの。」
ロイ「意味…ですか?」
マリー「ええ。…だから女神を怖がらないで、あの子たちと接して欲しいの。そうすればきっと、あの子たちも喜んでくれるはずよ。」
ロイ「…いえ、私は決して…女神様を恐れてなど…っ。」
心の奥底に感じる感情を見透かされ動揺を見せるロイ。
…ロイにとって女神とは、神格化された何かである。
それはロイが『カースナイト』の末裔であることからマリーは推測したが…それはマリーが思っている以上にロイに染み付いている感覚だった。
…己が女神様に触れることなど、あってはならない。
それは何も物理的な接触に限った話ではなく、ロイにとっては女神とこうして顔を合わせたり会話をしたり…視界に入れることすらも、ロイにとっては苦痛でしかない。
その罪悪感は今後、一生ロイにまとわりついて離れないであろう…それが女神を穢した『カースナイト』のあり方であると、ロイは受け入れている。
マリー「それは嘘よ。…だって、ほら。私に確信を突かれて、こんなに震えているじゃない。」
この時ばかりは、マリーのその優しい声が心を抉るようにロイに突き刺さる。
両手で頬を包まれ相手を見つめることを強要され、ロイの全身は凍り付き、そして冷や汗が流れ始める。
マリー「ふふっ、可愛いわね。そんな怯えた顔をしなくても、私はあなたから生きる意味を奪ったりはしないわ。…これは私が望んでしていることだもの。だからあなたが気にする必要はないわ。」
ドクンッドクンッと、早まる心臓の音が次第に大きくなっていくのを感じる…今こうしてある状況は、今目の前にいる女神によって許されているが…それでも、ロイに罪の意識を感じるなという方が無理であった。
ロイ「あ…あぁっ…。」
自分が今どんなに罪深いことをしているのか…それを極力考えないように努めようとするが、頬に感じる温かな感触が否が応にもロイを現実から離さない。
流石にやりすぎたと感じたのか、ロイが壊れてしまう前に頬にあてたその手をそっと引っ込める。
マリー「ごめんなさいね、まさかここまでとは思わなくて…。でもこんな調子じゃ、フィーリアちゃんの使用人は務まらないわよ。」
どこか他人事のようにその事実をロイへと投げ掛ける…しかし未だ動機の収まらないロイは呼吸を荒くしたまま俯くだけであった。
蚊の鳴くような声で、辛うじて謝罪の言葉を口にすることはできたが…しかしそれはマリーにとって必要のないもの。
メルローズは、このロイという少年に対し多少なりとも罪悪感を抱くかもしれないが…マリーにはそれがない。
むしろ完全に無関心であるからこそ、こうして僅かに湧き上がる悪戯心でロイに接することができるのである。
…それがどれほどの苦痛をロイに与えているか、多少の検討は付いていながらも。
しかしこれも、一応はメルローズのため…致し方ない理由があるとは言え『エデン』は存続させなければならない。
そのためにこの少年が必要であることは理解している…だからこそ確信が欲しいのだ、ロイが女神に命を捧げることを厭わない保証が。
それはレイナから伝え聞いたことである程度分かっていたが、他人が見たものと自分が見たものの差異を埋めるために確かめたかったのだ。
…結果としては言わずもがな、むしろ想定が僅かにでも外れていれば少しは楽しめたのかもしれない。
しかしそれ以上はあくまでも個人的感情によるもの…公私の分別が付かないほどマリーは子供ではない。
と、ここで不意に部屋のドアがノックされる。
外から聞こえてきたのは、未だ動悸の収まらない様子のロイの主人…フィーリアの声であった。




