第十二話:地上に舞い降りた女神たち
ユティーナ「では皆さん、後のことはお願いしますね。」
ここは人間の治める国、王都ルナポワード…その一角に佇む女神専用迎賓館のとある一室。
キャリーバッグを片手に挨拶する彼女に対し、メンバーは思い思いの言葉を投げかける。
ヴァーラン「あいよ、こっちのことは任せておきな。」
ヴァーラン・ケニースト…気を司る女神。
その剛気な性格も相まってメリアンロッド内ではみんなを先導するリーダー的存在であり、またダンススタイルも非常にアクロバティック。
反面歌に関しては若干の苦手意識があるようで、細かい音程の調整が苦手である。
アスケイドにいた頃は自身の欲求を満たすことしか頭になかったが、ユティーナに誘われ渋々メリアンロッドのメンバーに加わる。
…が、アイドルとして活動を続けていく内に『自分を慕う者を笑顔にできる』感覚に喜びを感じるようになり、今ではユティーナに感謝している。
よく単独で街へ繰り出し子供たちと遊んでいるためか、ライブ会場でもその子供たちの顔を見ることも多い。
ウィーチェライト「でも、やっぱり寂しくなるわねぇ…。」
ウィーチェライト・ミルファレアス…伸縮を司る女神。
物静かなお姉さんであり、おっとりとした雰囲気を持つ彼女はファンに安らぎを与える存在。
体の柔らかさには自信があり、ダンスの中ではそれを生かした動きを取り入れることが多い。
歌ではその伸びやかな響く歌声を存分に発揮するため、優雅な曲の時はいつも彼女の独壇場である。
幼き頃からユティーナと共に過ごしてきたが、世話を焼いているのはいつもしっかり者のユティーナの方であった。
他のメンバーに比べ自分は物事を要領よくこなせない事に劣等感を覚えている。
そんな自分をどうにかしたいと努力はしているが、それが実った形跡は未だ見られない。
パルレン「まっ、仕方ないよ。これもお仕事だしさ~。」
パルレン・ユキフロワ…重力を司る女神。
自由気ままに振舞う彼女はメンバーの中でも特に目立つ存在であり、見る者全てを翻弄する。
歌やダンスなどは他のメンバーに引けを取らないが、それ以上にパフォーマンスを意識しておりよく台本にないアドリブをかます。
注目を集めることが何よりも心地よく感じ、メリアンロッドへのメンバー入りを誰よりも強く希望していた。
次のライブに向けての企画会議などをしているとそこに高確率で紛れ込んでおり、面白いと感じたことは積極的に企画組み込もうとする。
当然却下されることもあるが、ただでは諦めずアドリブとして本番にぶち込むことも。
一応問題のない範囲で収まってはいるが、あまりにそうした事例が多いためパルレンに対してのみ特別に監視のためのお目付け役を配属するかどうかが議題に上がっている。
フリスタ「…あ、あの、頑張ってきてください…ね。」
フリスタ・ネーヴェル…視覚を司る女神。
小柄で内気な彼女はこれといった特技などはないが、何事にも一生懸命な頑張り屋さん。
自分をアピールしようと常に努力はしているが、他のメンバーの個性が強すぎるため埋もれがち。
役に立たない自分でも何かできることがないかと模索していた折にユティーナがメリアンロッドのメンバーを探していることを知り、勇気を出して志願。
視覚を司る女神として、その能力を存分に生かし『エデン送り』の人間を選別を担当している。
そうして常に観察を続けなければならないせいで、時折ステージ上でミスをしてしまう。
そのことを本人は失敗だと感じよく反省しているが、ファンからはそんな姿が可愛らしいと専らの評判である。
ユティーナ「はい、お仕事を終えたらなるべく早く帰ってきますね。」
メンバーに見送られ客室を後にするユティーナ。
初めから扉の前で控えていたのだろう…ユティーナを護衛するべくシルバリオンの騎士と女神がそれぞれ数名ずつ出迎える。
外に手配してあるライドケイターまでの短い道のりではあるが、その短い道のりで一体どのようなイレギュラーが起きるのか…その全てを把握できるわけではない。
だからこそ彼らはユティーナの護衛として配備され、その使命を全うする…そしてそれはこの迎賓館内のみに限った話ではない。
彼らに課せられた使命…いや任務は、『ユティーナ・クリアレットを無事にアスケイドにお送りすること』である。
ライドケイターに同行するのはこの数名のみだが、当然迎賓館の周囲にも監視の目が光っている。
その中に、まだ騎士として成熟しきっていないような…そんな印象を受ける人間が一人。
今回のユティーナのアスケイド帰還の見送りのためだけに増援された騎士だが…彼はまだその見習い、つまりは学生である。
しかしその学生が、今こうして短い時間ながらも女神に関わる任務に携わっている。
いくら優秀な成績を収めていても、こうして現場を担当することは基本的にない。
シルバリオンとしても人手が足りないわけではないのだから、わざわざ任務失敗のリスクを背負ってまで学生に任務を要請する必要はない。
つまりは、彼の方からこの任務に付かせてくれとシルバリオンに掛け合ったわけだが…今こうして迎賓館にて監視を務めているのを鑑みるに、それは許可されたのだろう。
扉が開き、ユティーナがライドケイターに乗り込み無事に出発したのを見届けた時点で今回の任務は終了。
あとは護衛のために同行した彼らに全てを託し、臨時で集められた騎士たちは一部を残しこのまま解散となる。
まだ太陽が完全に昇りきっていないような、まだ少し肌寒い早朝。
学生であるフィルブレムには任務のため本日学院を欠席することが許されてはいるが…別に登校していけないと言われているわけでもない。
生徒会長として多忙を務める彼にはこなさなければならない案件が山のようにあり、それらを全て捌くにはそれなりの時間を要する。
多忙な中こうして自由にできる時間ができたのは本当に久々ではあるが、それを無為に消費する彼ではない。
すぐさま学院へと向かうため自宅へと引き返すフィルブレム。
騎士としての誇りを掲げ邁進する彼のその姿は…騎士としてのあるべき姿を映しているのかもしれない。
…。
ヴァーラン「ん、んんーっ…っはぁ!…さーて、ユティーナがアスケイドに帰ってる間やることもないし、久しぶりに子供たちにでも会ってくるかな~。」
ユティーナがアスケイドに帰還したことによって、メリアンロッドの活動は当面の間休止となる。
ユティーナと共にアスケイドへ帰ることもできたが、メンバーはいずれもこの地上に残ることを選んだ。
ある者は帰還手続きが面倒だと一蹴し、ある者は子供たちと遊ぶ約束をしているからとの理由から。
そしてある者はユティーナ離れのいい機会だと思い断念し、ある者は勧誘のための視察を続けるためだという。
パルレン「好きにしたらいいとは思うけど、あんまりシルバリオンの人に迷惑かけないでよ?とばっちりでこっちにも護衛をーっとか言い出しかねないんだからさー。」
ヴァーラン「はぁ?それはお前が色々やらかしてるからだろ?あたしに責任擦り付けるなって!」
メンバーのまとめ役でもあるユティーナがいなくなり、早速ヒートアップし始めるヴァーランとパルレン。
一方のフリスタは、ユティーナがいなくなったことによって落ち込んでいる様子のウィーチェライトを励まそうと声をかける。
フリスタ「あ、あのあのっ。ウィーチェライトさん、元気出してくださいっ。きっとユティーナさんすぐに戻ってきますよ!」
ウィーチェライト「あらぁ、ごめんなさいね気を使わせちゃってぇ。大丈夫よぉー、ほんのちょっぴり寂しくなるだけだから。」
ヴァーラン「いや、それを大丈夫とは言わないだろ…特にあんたの場合。ユティーナがいなくなって、またあたしらに『抱っこさせてぇ~。』とか言うつもりだろ。」
ウィーチェライト「んもぅ、そんなことないわよぉ。最近はちゃーんと我慢できるようになってきたんだからぁ。」
ヴァーランが心配するのも無理はない。
ウィーチェライトは幼い頃からユティーナの姉として振舞っており、よくお姉さんぶってユティーナを抱っこしていた。
その頃の癖が抜けきっていないウィーチェライトは、今でもよくメンバーの誰かに抱きついている。
最早どちらが姉でどちらが妹か分からないが、この抱きつき癖にも困った点が。
これがメンバーである女神や人間の子供たち、同性の人間にする分には問題なのだが…成人男性にも躊躇いなく抱きつきかねないのだ。
メンバーが抑えたり、本人も抱きつき意欲をこらえたりはしているのだが…衝動そのものがなくなるわけではない。
だから普段はメンバーに思う存分抱きつかせてもらって発散しているわけなのだが、最近になってようやく本腰を入れて抱きつき癖を克服しようと試みている模様。
パルレン「えー、ほんとかなぁ~?ウィーチェライトの部屋に等身大のユティーナ人形があったと思うんだけどー…あれは何に使ってるんだろーねぇー?」
ウィーチェライト「ちょっ、ちょっとぉなんで知ってるのよぉ。みんなに見つからないように隠しておいたのにぃ。」
その一環として、本人ではなく人形を抱きしめて欲求を解消しようとしているのだが…残念ながらあまり上手くいっていないようだ。
パルレン「あっははっ!そりゃあベッドの下なんていう安直な隠し場所じゃあすぐ見つけられるよ!どうしても秘密にしておきたいなら、もっと頭を使わなきゃ~。」
フリスタ「も、もうダメですよ!勝手に部屋に上がり込んじゃ!」
パルレン「えー、別にいいじゃん。見られて困るものがあるわけじゃないし…第一、部屋を漁られる君たちが悪い!」
ヴァーラン「あたしらの責任にしてんじゃねーよ!…つか、この間あたしの部屋にあった菓子勝手に食ったのまだ許してねーからな!」
パルレン「だって美味しそうだったんだからしょーがないじゃん!代わりに置物上げるって言ったのに…。」
ヴァーラン「あんな趣味の悪いもんいるか!あれ中々手に入らないんだぞ…。」
パルレン「そうは言うけど、ヴァーランはよく人間から色々もらってるじゃんか。僕はほんのちょこっとそのご相伴に与ろうとしただけで。」
ヴァーラン「ばっかやろっ、あれはなぁ…あたしが地元の人間と仲良くして『厚意』でくれるもんなんだ!そんなに欲しかったら、お前も人間と仲良くすりゃーいいじゃねーか!」
パルレン「えーそんなめんどくさいことしたくないよー。…と言うか、目の前に美味しそうなお菓子があったらつまみ食いしちゃうのは仕方のないことなんだよ。これは女神としては至極当然のことで…。」
ヴァーラン「まぁーたそうやって正当化しやがって。大体、お前が勝手に部屋入らなきゃすむ話だろ!」
フリスタ「あ、あのー、そろそろケンカはやめませんかぁ~?」
ヴァーラン「ちょっと黙ってろフリスタ。いい加減あたしも我慢の限界だ。今日という今日は謝るまで許してやんねーからな!」
パルレン「へっへーん!ヴァーランなんかちっとも怖くなんかないやーい!別に許してもらわなくてもいいもんねーっ。」
ヴァーラン「んだとこらぁ!…待ちやがれっ!」
パルレン「わっ、おっかない顔のヴァーランが襲ってきた!逃げろーっ!」
フリスタ「で、ですからケンカは…っ。」
ウィーチェライト「もう無理よフリスタちゃん。こうなったらもうユティーナちゃんにしか止められないわ。」
フリスタ「う、うぅ…やっぱり私じゃぁ止められませんよね…。」
ウィーチェライト「安心してぇ。私にも止められないからぁ~。」
フリスタ「そ、そんな呑気なこと言ってる場合じゃないですよ!こんなに騒いじゃったらユリアンヌさんにまた…。」
ユリアンヌ「あなたたちいい加減になさいっ!ここには他の女神も滞在しているって何度言わせれば分かるの!?」
勢いよく開かれた扉から出てきたのは、メリアンロッドのマネージャーを務めているユリアンヌ・マーベラ。
憤怒の形相を浮かべ客室に足を踏み入れる彼女を見て、パルレンとヴァーランは戦慄する。
パルレン「うげっ、ユリアンヌ帰ってたの!?」
ユリアンヌ「…ええ、ユティーナが不在の間はあなたたちの監視を優先しようと思っていましたからね。」
ヴァーラン「あー、そのぉー…ユ、ユリアンヌさん?これには深いわけが…。」
ユリアンヌ「どのようなわけがあるのかはこれからお聞きします。反省室は手配してあるので、そこでお説教です。」
パルレン「ちょっ、反省室はシャレにならない!僕あんなところで何時間も正座したくないよ!」
ヴァーラン「そんなのあたしだって嫌だよ!大体、パルレンがあんなことしなければ…。」
ユリアンヌ「はいはい、言い訳は結構ですのでさっさと行きますよ。」
パルレン「うおっ、相変わらずの馬鹿力!…くっそー、はーなーせーっ!」
ヴァーラン「違うんだよユリアンヌさん。あたしはただコイツに反省して欲しくて…っ!」
彼女たちの必死の訴えを華麗にスルーして、首根っこを掴んだユリアンヌはズルズルと彼女たちを引きずり客間を後にする。
その様子を見てフリスタは大きくため息を付いて安堵し、ウィーチェライトはあらあらまあまあといった感じで彼女たちが連れ去られたことに関しては特に気にしていないようだ。
フリスタ「…はぁ、やっと静かになりました。それにしても、ユリアンヌさんいつの間にか帰ってきていたんですね。」
ウィーチェライト「なにかお土産とかあるのかしらねぇ、楽しみだわぁ。」
フリスタ「…あのぉ、ウィーチェライトさん?ユリアンヌはお仕事が忙しくていつもいらっしゃらないんですよ?決してどこかに遊びに行っているわけではありませんからね?」
…。
それから数時間後、雲の影に邪魔されることなく太陽の光が真上から注がれている頃…午前授業を終えたアルデミオンの生徒たちは平等に与えられた休み時間を思い思いに過ごしていた。
学食にて昼食を摂る者、昼食を持参し教室や屋外で食す者、食事は後回しにし課題提出のためペンを執る者、己を鍛えるために屋外演習場を延々走り回る者…そして。
今朝方任務を終えたばかりのフィルブレムは、生徒会室にて書類の束と向き合っていた。
書面を一枚一枚丁寧に確認し、問題がなれば認可の印を…不明瞭な点などがあれば保留印を、そして到底許可できない申請があれば不認可の印をそれぞれ押していく。
そうして生徒会長としてなすべき業務をこなしていると、目付きの悪い気怠げそうな雰囲気の少年が扉を開けて入ってくる。
ケインアスト「あれ、会長来てたんだ。任務あるって言ってたし、てっきり今日は休みかと。」
フィルブレム「任務は早朝の内に終了したからね、特にやることもないし溜まってる書類でも片付けようと思ってね。」
ケインアスト「ふーん…そういや決闘申請書、結構溜まってきてるんだっけ。新入生狩りかどうか判別するために一々目を通すのめんどくせーんだよな…。」
フィルブレム「備考欄には『私闘のため』としか記載されていない場合も多いからね。まあ心配せずとも、何人かに見張りを頼むから問題ないよ。」
ケインアスト「ま、俺としちゃーどっちでも構わないけどな。新入生がぼこられようと上級生がぼこられようと…。ただ、自分から手の内を晒すようなアホが相変わらず多いなこの学院は。」
フィルブレム「ははっ、ケインはこうやって無差別に自分の力を鼓舞したがる連中とは相性が悪いかもね。」
ケインアスト「単純にアホが嫌いってだけだ。今現在において力関係が上でも、数年後…十数年後がどうなってるかなんて誰にも分からないだろ。戦いにおいての情報は戦局を左右するものだって理解できねーのかな、こいつらは。」
フィルブレム「確かにそうかもしれないが…今ある力関係を明白にしておくというのは、それだけで抑止力になる。現に私は、戦闘に関する手の内をほぼ知られているわけだけど…それでも君は私に勝てると思うかい?」
ケインアスト「…いくらなんでも想定する相手が悪すぎんだろうが。あんたみたいな規格外の人間を倒せる奴なんてそうそういるわけねーだろ。」
フィルブレム「ふふっ、そうかもね。…まあそれは置いておくとして、お昼を食べるなら早くした方がいいよ。ここから君の教室までは遠かっただろう?それに彼女も隣で待っていることだし。」
ケインアスト「…あ?彼女…って、うおっ!ロトリアお前いつの間に…っ!」
ロトリア「…。」
フィルブレムの視線の先を追うようにして横を向くと、そこには一人の少女が無言で立っていた。
その長い前髪は鼻先まで垂れており、こちらからはその少女の目を拝むことができない。
ケインアスト「驚かせんなよ…。毎回言ってるだろ、近付いてくるんならもっと存在感出せって。」
ロトリア「…ごめんなさい。」
ケインアスト「別に謝らなくていいけどよ…。…あー、なに?また一緒に飯食おうってか?」
ロトリア「…。(コクコク)」
ケインアスト「はいはい。構わねーけど、俺も少し書類整理しておきたいんだ。急ぐけど、いいな?」
ロトリア「…問題ない。」
ケインアスト「そういや、会長は飯食わねーのか?なんなら購買で買ってきたパン、いくつかやるけど。」
フィルブレム「…察しがいいな、君は。」
どこかキリの良いところまで…と今まで書類整理を続けていたフィルブレムだったが、ついつい作業にのめり込んでしまって昼食のことなどすっかり頭から抜け落ちてしまっていた。
ケインアスト「いやー、完全に当てずっぽうだったけどな。部屋に食い物の匂いはなかったし、俺の持ってるパンの袋に向けられた視線がそれっぽかったからってだけ。」
フィルブレム「顔に出やすい方ではないと自負してはいるが…やはり君の観察眼には適わないか。」
ケインアスト「それで、いるの?いらないの?」
フィルブレム「…せっかくだ、変に見栄を張らずに厚意に甘えよう。」
学院外で適当に昼食を済ませようかとも考えていたが…ここは素直に仲間の厚意に甘んじることに。
ケインアスト「うっし、ならそういうことで。…なんなら会長も一緒に食う?」
フィルブレム「…ケイン、私は常々思うのだが…君はもう少し、周りに気を使うということを覚えた方がいい。」
ケインアスト「は?なんだよいきなり。」
ロトリア「…会長、私は…気にしてない。」
フィルブレム「そうは言うが、私としてはもどかしくてたまらないのだよ。口を挟みたくなる私の気持ちも分かってくれ。」
ケインアスト「…なんか色々言われてる気がすんだけど、なんのことについて言われてんのか分かんねー俺が原因だってことはなんとなく分かる。」
フィルブレム「そこまで理解できるのなら、その『なんのこと』の部分についても理解して欲しいのだがね…。」
…。
各々昼食を済ませ事務作業に没頭する中、なにか書類に不備でもあったのかケインアストが一枚の書類を手に取り席を立つ。
ケインアスト「会長、この書類認可印押してあるけど空白だらけじゃねーか。間違って印押したのか?」
そう言ってフィルブレムに見せた一枚の書類…それは今年このアルデミオンに入学してきた新入生の情報が記載されている。
しかしケインアストの言う通り、所々必要記入事項の欄が空白になっており…これでは正式な書類として受理できない。
フィルブレム「ん?…ああ、これはこれで問題ないんだ。彼は今回の『調査対象』の一人だからね。」
ケインアスト「なんだ、こいつもそうなのか。…情報操作にしちゃああからさますぎるから、普通に記入漏れかと思っちまったぜ。」
戸籍や出生…過去の経歴など、公にできない…したくない情報はこういった場面でもしばしば秘匿される。
だがその大半は偽りの情報を記載し隠匿しようと試みるのだが…このターチャ・ティクラスは違った。
記入されているのは氏名と年齢…あとは志望動機のみ。
通常ならば記入漏れありと、不認可印が押されるはずだが…なにやらフィルブレムには考えがあるようだ。
フィルブレム「私も最初はそう思ったのだが…実は彼、魔力測定器でエラーを起こしたそうなんだ。」
ケインアスト「…はあっ!?魔力測定器がエラーって…まじかっ!?」
フィルブレム「どうにも信じがたいことなのだが、その場にいた教師と生徒が同じ証言をしたのだ。…それに私も、この目で魔力測定器の一台が壊れているのを確認している。」
ケインアスト「いやいや、測定不能なケースがいくつかあるのは知ってるけどよ…ぶっ壊れてたって、そんなんありえるのか?」
フィルブレム「その生徒の測定を行った教師に話を聞いたが、当初その生徒は測定を拒んでいたらしい。…だが測定をしないわけにはいかないので半ば無理やり測定したところ。」
ケインアスト「測定器がぶっ壊れた…ってのか?…会長の話を疑うわけじゃねーが、どうにも信じがたいな。」
フィルブレム「だから私は、彼を『調査対象』に選んだんだ。他に気になる生徒は何人かいるが、彼だけは私が直々に調査しようと思う。」
ケインアスト「…まあそこら辺は会長の判断に任せるわ。とりあえずこの書類はこのままでいいんだな?」
フィルブレム「ああ、元の場所に戻しておいてくれ。」
それからケインアストは書類整理へと戻り、昼休み終了のチャイムが鳴る頃にはロトリアと共に生徒会室を後にした。
一人残されたフィルブレムは変わらず書類整理に没頭していたが…時計の短針が十四時を示そうとする頃、ふと手首に装着してあるフリーリングが震える。
こんな時間に…?と疑問に思いつつフリーリングに表示された発信元の名前を見て納得し、フィルブレムはその人物の用件を確かめるべく通話に応じる。
フィルブレム「はい、こちらフィルブレム・ジスト。」
???「ああフィルブレム、休みのところすまないね。少し時間をもらえるか?」
フィルブレム「ええ、構いませんが…少々お待ちください。念のため防音魔法をかけます。」
どのような用件があったとしても、この人物と繋がりがあることを他の者に知られるわけにはいかない。
この生徒会室に盗聴を試みるような愚か者がいるとは考えにくいが、それでも万一のことを考え周囲に音が漏れないよう…また、会話が盗み聞きされないよう魔法を発動する。
???「おや、外にでもいるのか?…今日は任務があったはずだから、てっきり自宅にでもいるものと思っていたが。」
フィルブレム「片付けたい仕事が山のようにあるので、今は学院で書類の束と格闘していたところですよ。」
???「それは申し訳ないことをしたな。…今は一人か?」
フィルブレム「ええ…学院生は皆、今頃迫り来る睡魔と闘いながら授業を受けているかと。」
???「…なら本題へ入ろう。君が目を付けていたあのターチャという少年だが、ようやく居場所を掴めた。…いや、掴めたというよりはやつがどういった行動を取っているのか把握したと言った方が正しいな。」
フィルブレム「今回はやけに調査に時間がかかっていたようですが…なるほど、今の言葉を聞いて納得しました。」
???「それで、どうする?引き続きこちらで調査を請け負っても構わないが。」
フィルブレム「…そうですね、思っていたよりも手強い相手のようですし…もしかしたら手を借りるかもしれませんが、基本的には私が調査しようと思います。」
???「…了解した。時間が空いたらこちらに来るといい。それまでに報告書を仕上げておく。」
フィルブレム「では明日にでも受け取りに伺います。報告、ありがとうございました。」
???「何、このくらいはお安い御用さ。…君が組織のために尽力してくれているのは知っているが、あまり根を詰めすぎるなよ。…君は貴重な人材なんだから。」
フィルブレム「ええ、自分の立場は弁えているつもりです。組織の命令なしに無茶なことはしませんよ。」
???「…分かっているのなら結構。また何かあれば連絡する。」
世間話の一つも出ない非常に事務的な会話が終了し通話が途絶える。
それと同時に発動させていた防音魔法を解き、改めて今入ってきた情報を頭の中で整理する。
恐らくこのターチャ・ティクラスという新入生…フィルブレムが目を付けた中で最も警戒するべき要注意人物である。
これまでに何度か自ら直接出向いて調査を行ったことはあるが、そのほとんどが世間に公開出来ない事情を抱えるだけの人物であり有用性を見い出せなかった。
なにか後暗い事情を抱えている人物は、こちらからの裏取引に応じてくれる可能性は高いが…それはあくまでも一方的な要求であり利害関係を結べているとすら言い難い。
フィルブレムは同じ志…或いは同じ心の傷を抱える者を常に探し求めているが、やはりそう簡単に見つかるものでもなく最早『調査』はただの事務作業と化していた。
組織に属する者の数は年々増加しており戦力的には申し分ないほどだが…敵対する組織の内情をある程度把握しているだけに、決定打が足りないことも理解している。
だからこそ誰か有用な人材はいないかと、表の立場や裏の人脈等を使って探し回っているというわけだ。
フィルブレム「…さて、ああは言ったものの、今回のターゲットは中々に手強い相手のようだ。」
フィルブレム「早々に組織を頼るようなことはしたくないのだが…場合によってはそれも致し方なし、か。」
いくら組織に属しているといっても、表向き平常を装って生きていくためには普通の生活を送らなくてはならない。
そしてその表向きの顔を利用している者は少なからずいる…そのため組織による調査が行われれば、大抵は数日で情報が手に入る。
…が、今回フィルブレムが目を付けた新入生ターチャ・ティクラスの調査を依頼したのはおよそ一ヶ月ほど前。
また、フィルブレムが今回依頼したのはターチャ・ティクラスの『潜伏先』だけであり…それだけの調査にこれほどの時間を要することなど今までにはなかった。
どれほどの逸材なのか期待が膨らむ反面、それ以上に警戒をした方が良い人物であることは確か。
今の所学院内で目立った噂はないものの、やはり魔力測定器を破壊したということもあって注目はされているらしい。
やはり情報が不足している以上調査は必要不可欠だが、それでも単独で調査をこなすことができるのかどうか…。
フィルブレムは、このターチャ・ティクラスという人物に対し…何か言い用の知れぬ不気味さを覚えるのであった。