エピローグ
「少し、夜風にあたりましょう」
コールラウシュさんは僕に話しかける。指さす先にはスカイデッキがあった。ガラス越しに見える夜空は星が鋭くきらめいている。
会場に響く「パンツを脱ぐな!」という声を背にスカイデッキに向かう。バラールがパンツを脱ごうとしていた。バラールは脱ぎたがりの性格らしい。今度、僕のおすすめパンティーを買ってあげよう。
扉を開けてみると外の寒い風がゴウゴウと僕の体をすかしていくので、僕の顔は急激に冷たくなる。しかし体の中までは冷えていない。
デッキにある木製の長椅子に僕は腰かける。その僕に寄り添うようにしてコールラウシュさんが座る。空を見上げてみると小さな星までハッキリと見えた。この町は馬車を使ったりして排気ガスを出さないように努めているため、あのシンギュラリティさんのいた屋敷で見た時やニュークリアーとの戦いに勝った後の夜よりも僕の視界には多くの星が映っている。
「綺麗ですね」
僕は呟く。
「そうね」
コールラウシュさんが話したのはそれだけだった。
しばらく無言が続く。
僕達は会話といえばポンポンと言葉をラリーしていくことばっかりだったので長い時間なにも話さないでいるというのは珍しかった。
いつもだったら沈黙を恐れて、なにか会話をしなければという一種の緊張にかられる僕だったが、しかし不思議とそう感じることはなかった。もはや心地よいと感じていた。初めての感情だった。
きっと僕は世界で一番幸せだろう。自分が幸せであることを自分の目で、耳で、体で精神で、全てでそれを感じている。
しかし、それと共に1つの不安のようなものが存在していることも確かだった。自分が幸せなことに慣れていないのだ。大事なものを見落としているような気になる。自分が盲目であるようで、今まで忌み嫌っていたものに自分がなっているような感覚になって気味の悪さを感じる。自分で自分が嫌いだ。
正直、自分は優れた人間じゃないことは自覚していた。確かに男でアレニウスを使えるのは珍しいことであり、希少価値のあることかもしれないが、しかし抜群に実力があるという訳でもない。男であることのメリットも感じたことがない。むしろコンプレックスがたまるばかりだった。
しかし、しかしそれでも、僕は他の人とは違って、ある種達観して、自分は冷静であると、“もの”が見えている人であると感じていた。のうのうと個性のない人生を、自分の生き様にアイデンティティを見出すことのできない人生を送ってきた多くの他人とは自分は違うと感じていた。度胸が違う。修羅場の数が違う。強さが違う。レベルが違う。
どんなに頭では差別をしない、区別をしない、人を見下さないと考えていても、本能では馬鹿にしていた。表面上では自分を偽れたかもしれなかったが、結局中身は変わっていなかった。
そんな馬鹿にしていた人達は、総じてほとんど周りが見えていなかった。無知なのに威張って、愚かであると思っていた。
自分がそんな嫌っていたものになっていることを心底嫌った。だからこそ、今の自分が恋人にばかり目がいっていて盲目になっていると、なにも見えていない愚か者になっていると感じてしまう。
ということをコールラウシュさんに伝えたかった。が、
「語彙力がないから伝えられないな……」
あ!
沈黙をやぶっちゃった!
うっかり うっかり!
うっかり青少年!
そこにいるのはうっかり青少年だった。
「考えていることが言葉にでちゃう人って本当にいるのね……最初っから丸聞こえだったわよ。アイデンティティだとかなんだとかって」
とコールラウシュさんは呆れながら言った。その後にも「本当にこの子を選んでよかったのかしら。チョイスミスね」だとか言ってたような気もするけどどうでもいい。もう結婚式あげちゃったもんね。
「やっぱり」
コールラウシュさんは言葉を選びながら僕に話しだす。
「君が今、見えない人になっているかどうかは君にしかわからないけれど、それでも、私はずっと見続けているから、君が何も見えない人になろうとお笑い芸人を目指そうと好きにしたらいいわ。私は変わらず見え続けているから」
さ……最高かよ!
感動とか愛情とかそういう人として大事な類のものを一度に全て受け取りました。
さすが最終回!
ありがとうございます。
もうこれ毎日最終回でいいわ。争いも揉め事もないし、なんかすべていい感じに収まるんなら最高じゃない?
たしかに物語的には最終回になるのかもしれないが、僕とコールラウシュさんとの生活はここからが本格的なスタートであるから、きっと明日も明後日もずっとずっと幸せな日々をすごしていくのだ。これは僕にとって希望である。
どんなに辛くても愛する人が近くにいるというのはそれだけで明日を生きる活力になりえる。自分が愚かでいてもそれでいいと言ってくれてる人が近くにいる。その代わりに私がしっかりすればいいのだからと言ってくれる人がいる。
「ヘルムホルツ君」
コールラウシュさんは僕の手を握りながら僕の名前を呼ぶ。
「どうしたんですか」
手を握り返して僕も名前を呼んだ。
「もしも、もしも私が世の中に疲れちゃって、なんでも思うようにいかなくなって自暴自棄になって今までの私とは全然違う私になったら、ヘルムホルツ君はどうするの」
「そんなの決まってるじゃないですか」
僕は答える。
「コールラウシュさんが別人みたいになったとしても、それでも僕はコールラウシュさんを愛しますよ。僕はコールラウシュさんを愛するために生きているんです。この命が途絶えようとも、僕はどんなコールラウシュさんでも完全肯定して、そして愛し続けますよ」
愛だの恋だのを軽々しく使っているのかもしれない。言い訳のように、きれいごとのように使っているだけかもしれない。詭弁だと馬鹿にするかもしれない。でも、それでも僕は愛にこだわりたいのだ。
かつて親から愛されなかった分だけ、他の人を愛したい。こんな死と隣り合わせの地獄みたいな世界でも、すぐに投げ出して逃げ出したくなるような日々でも、僕は人を愛さなくてはいけないから生きているのだ。
人生に意味なんてつけられないけれど、でも死ぬには惜しすぎる。
僕は空に向かって1つの約束をした。
この日は僕の人生にとって大きなターニングポイントとなった。学校にも毎日通うようになり、それどころか真面目に勉強に励んでいたら一流のアレニウス使いになっていた。そのままテレビ出演とかもしてしまい、ベストジーニスト賞まで受賞してしまった。アレニウスを装備したときは服装がジーンズになるわけではないし、というかむしろジーンズを履くことなどあまりないので僕が一番ビックリした。アレニウス使いを引退した後にはレジェンドとしてトークショーを開いたりテレビにでたりしている。人の人生ってここまで変化するものなのか。愛の力ってすげえ。
コールラウシュさんは僕と結婚式を挙げた後、早々にアレニウス使いを辞めて研究者として第二の道をスタートさせていた。誰も血を流すことのない世界を目指すために色々とやっているが、僕は学歴がないので具体的に何をやっているとかは分からない。討伐の時にニュークリアーの行っていた遺伝子組み換えのデータを盗んできたらしく、「研究者はみんな友達よ。1人の研究データは友達みんなのもの」と言いながらデータの再現性をとったり応用へと広げたりしているらしい。遺伝子組み換えは悪と思っていたけど、なんか国の許可をとれば問題ないらしく、なんだかよくわかっていない。
せっかくなので学生会の面々がどうなったかだけ伝えておこう。
シャルルさんはあのまま学園に残って学校長になったらしい。「第44代目の学校長なんだ。凄い不吉だろ!」と自慢していた。従来の学生が教師になるシステムを廃止して、専任の教師を設置したらしい。なんで今までやらなかったんですか?そのシステム。と聞いたら、「OBからの反発が凄いんだよ。やっぱりどこの世界も一番やっかいなのはOBだな」と言っていた。結婚式の時にいたシャルルさんの子供はスクスクと成長したようで、リニアモーターカーの運転手をやっているらしい。父親が誰とかは結局聞けていない。というか聞ける訳がない。
ローリーさんもそのまま学園に残って学校長補佐になったらしい。定期的に電話しては辛辣なことを言われる関係が続いている。自分でもよくわからない関係になっているとは思うが、たまに一緒に飲みに行くこともある。なんだかんだで愚痴を聞いてくれるので根は良い人なんだろう。
ウィルヘルミーさんは海外に行ってしまった。海外に行ってからは連絡がつかなくなってしまったので何をしているのか分からなかったが、どうやらハリウッドでムービースターになっているらしい。コールラウシュさんと一緒に映画を観に行ったら大画面にウィルヘルミーさんがいたのでビックリして横にいるコールラウシュさんと驚きを分かち合おうとしたが、コールラウシュさんは寝ていたので叶わなかった。映画の後に一応聞いてみたら「ああ、そういえば出てたわね。びっくりしたわ」と起きていましたよ感をだしていたので、じゃあどんな役で出てたか覚えてますか?と聞いてみたら「ライオン役よね?」と言っていた。この映画に動物は登場していない。当てるセンスゼロ。
バラールはニュークリアーがいなくなったフィストリアで町長になっていた。駅前に大型ショッピングモールを誘致したらデパートが潰れそうで大変だと愚痴を言っていたので、じゃあデパートの空き店舗にまたショッピングモールを誘致したらいいんじゃない?と適当なアドバイスをしたら駅前がヨドバシカメラとドンキホーテでいっぱいになってしまった。なんだか地元商店を潰してしまって、申し訳ない気持ちがあったので謝ったら、「経済も活性化してるしいんじゃない?どうせ競争力ないところはいずれ潰れるでしょ」と言われた。大丈夫なのか、この町。名物がヨドバシカメラにならないだろうか。
というふうに、みんななんだかんだ上手くやっているようだった。
それではこれにて。
終