Tenpure 3-8
「くっせええええ!!!!魚くせええええ!!!!!」
「そこまで言われると流石に傷つきますね。私も一応女の子ですし」
決戦当日、僕はシンギュラリティさんに起こされた。コールラウシュさんが起こしてくれるときはツッコミ的な役回りだったが、シンギュラリティさんのときだと僕はボケへとジョブチェンジする。
「あれ?コールラウシュさんは?」
ベッドで一緒に寝ていたはずのコールラウシュさんの姿はなく、その代わりにシンギュラリティさんがベッドインしていた。
「お嬢様はすでに食事を済ませてお風呂に入ってますよ。朝風呂」
「朝風呂」
「いやらしいことをするなら今がチャンスですよ」
「いや、僕はそういうことしないんで」
「本当にいいんですか?もしかしたら今日死んでしまうかもしれないのに、人生最後に女性の裸を触っておかなくてもいいんですか?後悔しますよ?」
うーん。
ちょっと悩んでしまう僕だった。
結局のところ僕はお風呂でイチャイチャタイムをすることなく食事を済ませた。もうすでに全員が食事を済ませていたようで僕はシンギュラリティさんと2人っきりで朝ご飯を食べることになった。メイドって同じタイミングで食事するのか?まあメイドではないけれども。
「マクスウェルには慣れてきました?」
食事中、シンギュラリティさんはそんなことを、まるで今日の天気でも聞くような軽い感覚で僕に聞く。
「まあ、昨日の今日なんで慣れているかどうかは戦ってみなければわかりませんね」
「それもそうですね。ですけど、マクスウェルは今までのアダージェットやスケルツォと基本的な動かし方は変えていませんから全然対応できないということはないと思いますけど。まあ、なんとかなりますよ。私が保証します」
「シンギュラリティさんに保証してくれると頼もしいです。めちゃくちゃに強いですし」
僕がそう言うとシンギュラリティさんはポッと顔を少し紅潮させる。
「照れますね」
僕は残っていたサンドイッチを全て口の中に入れて水で流し込む。今の気分とは裏腹に食欲はあまりなかった。
「あの」
席から立ち上がって少し屋敷の中を散歩してみようと思いドアに手をかけたところでシンギュラリティさんに呼びとめられる。
「頑張ってくださいね」
「ここからは目立たないようにリニアモーターカーで行く」
シャルルさんはそう言いながらチケットを1人1人に手渡していく。
僕達の通っている学校がある街は、国内最大級の都市であるにも関わらずリニアモーターカーは届いていない。あの街は昔からの文化や風習を大事にする街であるため、積極的な近代化は行われていないのである。ショッピングモールができるようなこともなく、あくまでも個人経営店が並んでいて、行き来する人はみな馬車に乗っている。もちろん地下鉄も敷かれていない。外観を守る街であり、昔の時代を切りとって保存したような街である。
対して僕達が今いるこの街、ラウールは都市開発をバンバン進めていった街だ。リニアモーターカーの終点はこの街であり、つまりは初めてリニアモーターカーが通った時はこの街が始発駅として機能していたのだ。
しかし、まさかリニアモーターカーが僕の生まれ故郷であるフィストリアまで届いているとは思わなかった。僕があの街から逃げたのは10年ぐらい前になる。当時はリニアモーターカーどころか地下鉄すらも1時間に1本ぐらいしか通ってなくて、レジャー施設なんてものは0に等しかった。それがまさかまさかである。
確かに僕はあまりニュースをみないタイプの性格ではあるが、フィストリアの情報を意図的に得ないようにしていたが、まさかここまで情報をいい感じに遮断できているとは思わなかった。僕の遮断能力を自分で褒めたい。
リニアモーターカーの乗り場は屋敷から数分の距離だった。駅は予想よりもお金がかかっていないようなチープな造りである。長い木をただ釘で打ちつけたかのような造りで、ちょっと強い風が吹いてしまえば飛んでしまいそうだ。
「なんでこんなに脆そうなんですか?」
僕は見送りに来てくれたシンギュラリティさんに聞く。
え?
なんでまだシンギュラリティさんいるの?
僕の頭の中では、シンギュラリティさんが屋敷の中に居座ることが当たり前のような気がしていた。だってメイドだし。
メイドがそんな簡単にウロチョロしていいものなのか?
まあ、いいか。
「節税です」
思ったよりもどうでもいい理由だった。いや、町からしたらどうでもよくない由々しき事態なのだろうが僕には関係ない。だって町民じゃないし。
「そんなことよりも、ちょっといいですか」
シンギュラリティさんは口に手を当てて、内緒話をするときのようなポーズをする。僕はシンギュラリティさんの話を聞こうと、膝を少しかがませて頭を少しだけ傾ける。
僕はキスをされた。
それはコールラウシュさんのような情熱的な精根尽きてしまうようなキスではなく、小学生同士が大人びたようにするようなキスだった。
僕の頬はうっすらと濡れた。
「このキスのせいでリニアの中で気まずい感じになるといいですね」
「世話ないですねえ」
シンギュラリティさんが言った物語ではド定番のセリフに、僕も予定調和のセリフで返す。この時ばっかりは僕でも空を見上げて意味ありげな表情をしてしまう。そんな僕達を若干斜め下からカメラは狙うのだ。後ろには黄昏色の空が綺麗に映っていて、僕達の体や顔には、いささか濃すぎるくらいに影が入っているのだ。そのままカメラは僕達を徐々にズームアウトしていって空だけを映すのだ。
ということを理解しているのはどうやら僕達だけだったみたいで、他の面々はボケッ―と口を開けながら僕達を見ている。
いや、僕達すら見ていなかった。僕達の後ろにあるテナントを見ていたようだ。どうやら今日はカレー市をやっているようで、ここまでカレーライスの匂いがプンプンと漂っている。カレーライスの人気が高すぎる。
「もういいですよ」
僕はカレーライス大好き軍団に話しかけるが、軍団員は僕を無視してヒソヒソと話しあっているので僕も聞き耳を立ててみる。
「あいつモテてると勘違いしてそうですよね。もうすぐ偉そうな態度とりだしますよ。タメグチで馴れ馴れしく話しかけてきますよ」
あいつ呼ばわり……。
というか別に僕の方からキスしたわけじゃないしね。シンギュラリティさんが勝手に、僕の意思を汲まずに、僕にとっては不本意な形でキスという状況になったわけだ。
自衛できたのなら自衛していた。これからはキスの危険があるときにはサイレントとか鳴らしてくれればいいのに。ムードぶち壊しである。
今度からは素っ気なく接しよう。
そんなお遊びをしている内にリニアの時間はもうすぐだったようで、シャルルさんが僕にハンドサインを出しながら、
「もう行くぞ」
と言ったので僕は、
「チッ」
と素っ気ない舌打ちをした。
「毎回私がこういう役回りになるのか……」
シャルルさんが落ち込んでいたので言いすぎたか、と思ったが気にしないことにした。どうせすぐに忘れるだろう。
僕達は駅の中へと入っていく。最後に後ろを振り向くとシンギュラリティさんが両腕を使って目一杯に手を振っていた。
「また会いましょうねー!」
僕はその言葉に無言のサムズアップで答えた。
決戦の時は近かった。




