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Tenpure 3-5

「私にアレニウスを預けてもらえますか?」

「はい」

 僕は2つ返事で右手につけているアダージェットとスケルツォの指輪をシンギュラリティさんに預ける。本当なら抵抗を示すなりした方がいいのかもしれないが、コールラウシュさんに基礎がなってないと言われたことによって僕の自尊心はボロボロに砕かれてしまっていたので思考が制御できていなかった。

 イエスマンの誕生である。

「じゃあ私がキッチリと最強の武器にしておきますんで期待しておいてください」

 シンギュラリティさんは喜々としながら部屋を出ていった。部屋には僕とコールラウシュさんだけが残っていた。

「さて」

 僕は変な雰囲気にならない内に発言をする。

「僕はもう寝ますね」

 そう捨て台詞を残して部屋から出ようとするが、

「あら、私も一緒に寝るわ」

 予想していたようにコールラウシュさんは僕をからかうように話しかけてくる。さりげなく“一緒に”と発言するのだから聞き逃してしまいそうになる。

「僕って1人にならないと寝られない性格なんですよね」

「あら、それなら仕方がないわね。おやすみなさい」

 意外にもコールラウシュさんは僕が急にでっちあげた設定に納得してくれたようで、僕に手を振っている。

 さすがにコールラウシュさんも人の睡眠を妨げるようなことはしないのだろう。人間は睡眠がないと生活できないので、いくらなんでも生活までも邪魔することはしてはいけないと分かっているのだろう。ああみえて良識がある人だ。

「おやすみなさい」

 そう言いながら僕は部屋を出た。

 部屋を出ると目の前には大きな窓ガラスが変わらずに存在していて、街の明かりが冷酷に僕を照らしていた。この屋敷はやっぱり大きかった。決して幻術などで作った偽りの大きさではない。

 僕の背後からガチャン、と音がきこえた。ドアを施錠したのだろう。

 何があるか分からない世の中、どんなに己を磨いたとしてもリスクを避けた方がいいのは万国共通である。己の強さに埋没してしまい、うぬぼれてしまい、リスクと不必要に向かい合うことは賢い判断ではないのだ。

 僕も自分の部屋に戻って体を休めよう。明日はいよいよニュークリアーとの決戦だ。僕にとって人生最後の日になるかもしれないし、僕の人生にとっての膿を出しきる日になるかもしれない。どちらも自分次第だ。

 殺されないようにして、殺す。僕はそのことの難しさを理解したつもりだ。相手も1人だけではない。もしかしたら村の人を使ってくるかもしれない。村の人も命をかけて僕達を殺そうとしてくる。何十人何百人という命を、たった1つの命を奪うための邪魔物として奪わなければいけないのだ。

 僕は昔、死んだときのことをよく考えていた。

 死んだらどこに行くのだろうか、もしかしたらどこにも行けないかもしれない。ただ、夜に、寝ているときの状態が永遠に続くだけなのかもしれない。天国にも地獄にも、極楽浄土にも無にすらも行けないかもしれない。輪廻転生もない、ただ、ただの終わりが僕に訪れるのかもしれない。

 そう考えて眠れない日もあった。

 僕は生まれた町であるフィストリアを逃げてから、つまりは僕が父親を殺してから、そういうことを考えるようになった。

 死を身近に体験することによって、自分が誰かを死に陥れることによって、僕は死ということを考えるようになった。

 だが、僕はもう考えることは辞めた。

 夜になって死のことを考え、涙を流し、何か適当な結論をつけて自分をだまし、安心して眠る。それの繰り返しの中で、僕は死というものと近くに寄り添いすぎたのだ。簡単に言うならば飽きてしまったのだ。

 ああ、こんなことを思っているうちに夜が更けている。さっきはあんなにも明るかった街の明かりが、1つ、また1つと消えていく。この街には夜に活動している人がいないのだろう。どんな人でも、夜には寝てしまうのだろう。

 明日は早いしもう自分の部屋に戻って寝よう。そう思った。が、

「あ、僕の部屋ってどこにあるんだ……」

 僕は取りあえずさっき曲がった角まで戻ってみるが、僕がさっき通ってきたはずの道にはKEEP OUTと書かれた黄色いテープで塞がれていて、先に進めなかった。

 僕はコールラウシュさんの部屋の前まで戻る。

「コールラウシュさん」

 僕はドアに向かって話しかける。

 返事はない。

 僕が考え事をしている間にコールラウシュさんは寝てしまったのだろう。

 寝ている人を起こすのは僕の趣味ではなかったが、さすがに知らない屋敷で1人っきりにされては起こさざるをえない。

 ドアを開けようとしても鍵がかかっている。

 少し抵抗があったが、コールラウシュさんの部屋のドアを叩きながら呼ぶ。

「コールラウシュさん、助けてください!」

 僕は数回それを繰り返すと、ドアの向こうから

「どうしたの」

 というコールラウシュさんの声が聞こえた。

「自分の部屋が分からないんですけど」

「知らないわよ」

 コールラウシュさんは眠たいからなのか僕を冷たくあしらう。

「部屋に入れてくれませんか」

 僕はドアの前で土下座をしながらお願いする。当然コールラウシュさんには見えていない。

「えー」

 難色を示すコールラウシュさん。

「お願いしますよ、なんでもしますから」

 僕がそう言った途端、ゆっくりとドアが開いて土下座をしていた僕の頭にぶつかる。あまりにも力強くドアが来たものだから、ドアにバリバリと僕の形にそっくりな穴が開いた。

 ドアからヒョッコリとコールラウシュさんが顔を出す。

「なんでもするって言ったわね?」

「いってません!」

 ドアが閉まった。

「すいません冗談です。入れてください。お願いします」

 ドアは再び開いた。

「入りなさい」

 僕はコールラウシュさんにありがとうございます、ありがとうございますと口癖のように呟きながら部屋の中に入る。

 コールラウシュさんの服装はさっきと変わらない黒い下着だった。

 ふと、疑問に思う。

「コールラウシュさんってどれくらいの時間、アレニウスを起動できるんですか?」

「そうね、正確には測ったことがないけど、たぶん3日はもつんじゃないかしら。でも、どうしてそんなことを聞くの?」

「さっき白装束じゃないのに幻術使ってたじゃないですか」

 僕がそう聞くと、コールラウシュさんは合点がいった、というような匂いをさせながら僕に話してくれた。

「ああ、最初に見せた白装束はパフォーマンスよ。私はアレニウスを起動させても服装は変わらないのよ。幻術使いはみんなそうじゃないかしら。だって服装が変わったら今から攻撃しますよってバレバレになるじゃない?」

「へえ~そうなんですねえ~」

「自分で聞いといて適当な返事ね……まあ別にいいけれど」

「眠たいです」

「偶然ね、私もよ」

「今まで散々寝ていたはずなのに眠たいです」

「気絶と睡眠は別物なのよ。寝るっていっても、この部屋のベッドは1つしかないわよ。私が床に寝るから君はベッドで寝てね」

 コールラウシュさんは寝ぼけているのか僕の予想とは違う発言をする。

 ベッドは大きなサイズなので2人で寝ることが難しいということではない。なんなら少し距離を離した状態でも寝ることができる。

 さっきまではあんなに強気だったコールラウシュさんが、実際にそのシーンになってみるとチキンになっていた。

 弱点を見つけて少し得意げになる僕。

「2人ともベッドで寝ましょうよ」

 僕はコールラウシュさんの弱点を見つけたからか、少しニヤニヤが顔から出てしまっているのが自分でも分かった。

「だって」

 コールラウシュさんは困ったような顔で僕に話す。

「一緒に寝たら絶対に君を襲っちゃうもの」

 ……。

 ガッツリだった。

 ある意味では弱点ではあったが、強者であるが故の弱点だった。

 僕は腹をくくった。

「一緒にベッドで寝ましょうか」

「いいの?」

 コールラウシュさんは困惑したような匂いを漂わせながら上目遣いで僕に聞いてくる。

 僕はベッドに腰かけていたコールラウシュさんの肩を掴んでゆっくりベッドに押し倒す。コールラウシュさんの匂いが僕の体に入ってきて脳の裏側にまで行きわたる。

 コールラウシュさんの目には涙が溜まっていて、今にもこぼれ落ちそうだった。

 僕はコールラウシュさんに覆いかぶさるような体勢をとる。

 そのとき、部屋のドアが開く音が聞こえた。

 しまった、鍵を閉め忘れていた。

 僕はドアの方を向く。

 そこにはシャルルさんがプリプリと怒った表情をしながら立っていた。

「私は個人の自由は最大限まで認められるべきだと思うから、その行為に関しては何も口を出さない。明日しっかりやってくれれば問題はないさ。でも、」

 シャルルさんはコールラウシュさんを指さして言う。

「コールラウシュが発する匂いがこっちの部屋まで入ってくるんだよ!エッチな匂いをこっちまで漂わせないでくれ!アレニウスを外せ!」

 僕はコールラウシュさんの方を向く。

「忘れてたわ」

 なんだか匂いでコールラウシュさんの気持ちが分かると思ったら、アレニウスのおかげだったのか。てっきり僕は異能に目覚めたのかと思った。

「コールラウシュさんのアレニウスってなんでもありなんですね」

「幻術なんてのは何でもありの世界なのよ。本人に力があればなんでもできるの」

 こうやって話を聞くと僕も幻術のアレニウスを使いたくなるが、きっと僕は力が弱いから何も使えないというオチが予想できるから使わない。

 僕のアレニウスも改良してくれる最中だからきっと帰ってきたら最強になっているだろう。

 他力本願だった。

「ねえ、シャルちゃん」

 コールラウシュさんはシャルルさんに話しかける。

「どうした?」

「ヘルムホルツ君が自分の部屋を持っていないからシャルちゃんの部屋で寝させてあげてくれないかしら」

 シャルルさんは紅潮することもなく了承した。眠たいのでアッサリとしている。僕も流れに身を任せる。みんな眠たかった。

「私の部屋はこっちだ」

 僕はシャルルさんの後ろを歩く。いつもならば2つに結んでいる長い金髪はほどかれていて、いつものようにユサユサと揺れない。

 こうやってまじまじとシャルルさんの髪を見てみると、本当に綺麗な色の金髪だ。

 世の中に存在するものの中で綺麗な混じりっ気のない金色ってものは滅多にないのだ。それこそ純粋なAuだったりとか、燦々と照らす太陽を直接肉眼で見た時ぐらいでしか金色と形容できそうなものはない。

 と思っていたのだが、しかし僕の目の前に3つ目があった。

 それは遠そうに見えて、本当は僕の目の前に、長い時間、ずっとあったのだ。気付かなかった僕が悪いのか、気付かせてくれなかったシャルルさんが悪いのか。

 そんなことはどうでもよかった。

 これは僕が後になってから思った後付けの理由で、もっとダサく言ってしまえば逃げの言葉で、その時の僕はただ見とれるしかできなかったのだ。その筆舌に尽くしがたい金髪を、あえて言葉で表してみようものなら、「休みの日で天気がいい午前中の太陽」と無謀にも形容してみたかったのだ。

 僕は思わずシャルルさんの髪を抱きしめようとする。両手で柔らかく包んで、そのまま匂いを嗅ぎたくなる。よだれでベロベロのテカテカにしてしまって、そのまま口に含んで咀嚼したくなる。

 僕はその欲望を汚いと思わない。

 欲望の内容は汚いかもしれないが、あくまでも主観として、体感としては、ある一種のすがすがしさのような、ゆっくり寝た時の寝覚めのようなすがすがしさだった。

 心は穏やかだった。

 街明かりに照らされているシャルルさん、それを後ろで見守っている僕。

 その瞬間は短い時間だった。横の部屋に移るだけだったから時間にして1分もなかっただろう。

 しかし、その時だけは時間が止まっていたかのような、永遠と時間が続いているような感じがしたのだ。

 ああ、この気持ちはなんだろうか。

 それは後付けでは片付けられないような気持ちだったのかもしれない。

 僕はそんなことを考えたりもした。

 我に戻ったのはシャルルさんの部屋で、バタンという扉の音を聞いた時だった。

 どうやら僕はシャルルさんの後ろ髪を追いかけているうちにシャルルさんの部屋に入っていたようだ。

 和室だった。

 入口でこそ洋風の玄関みたいな造りになっているが、そこからはずっと畳が広がっている。15畳ぐらいだろうか。

 そこには布団が4つ敷かれていて、その4つがそれぞれ誰のものなのかが簡単に予測がつきそうだった。

 というよりもコールラウシュさんが自分だけ1人部屋を使って、他の人は4人部屋の和室を使うっていうのは、どうなのだろうか。

 どうなのだろうか、という表現をしているのも、今までにこのようなことを経験したことがないから過去の事象と照らし合わせて判断することができないのだ。

 どうやら他の3人はすでに寝ているようで、僕が入ってきたことに一切の変化をせずにグッスリしているようだった。

「ふわあああ」

 と、大きなあくびをしたシャルルさんは部屋の中で唯一、人が入っていない布団へと一目散に歩いていった。僕もそれについていく。

 そのままシャルルさんはもぞもぞと布団に入った。

 僕は困った。

 どうしたらいいんだ、これ。

 という悩みも早々に解決へと向かっていったのだ。シャルルさんは布団の中に入っている状態で掛布団の片方を持ちあげ、僕の方を向く。

 あー、なるほどね。

 入れってことか。

 結果から言うならば、僕はシャルルさんと一夜を共にした。

 一夜を共にした、というと肉体接触があったのかと思うかもしれないが、ただ同じ布団で一緒に寝ただけだったのだ。

 僕もシャルルさんも眠たかった。シャルルさんは布団に入ってからものの数秒で眠りにつき、僕もそれを確認してから寝た。

 



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