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Tenpure 3-4

「嘘よ」

「よかった」

 コールラウシュさんがシンギュライさんとタッグを組んで人を殺したとかいう趣味が最高に悪い冗談を本気で信じていたので、僕は人殺しから逃げるためにバック走で部屋の入り口まで走ったが、距離感を掴んでいなかったので頭を強く打って、あやうくバック葬になるところだった。

 幻覚のせいで距離感覚がつかめていない。

 しかしそんな僕のことを気にもとめずにコールラウシュさんは僕のことを指導する。

「小手先の情報に躍らされすぎよ。もっと物事の本質をみなくちゃいけないわ」

 そんなことを言うなら、冗談にもならない悪口を言うのは辞めてください。とでも僕が言えるような性格をしていたらいいのかもしれなかったが、ないものねだりをしても仕方がない。僕の中での最良の回答をする。

「なるほど」

 僕には同意するだけで手いっぱいだった。

 というよりも、コールラウシュさんが人殺しをしていなくて本当によかった。安堵感が全身を支配している。よかったよかった軍が体を占拠している。

「紹介をするべきかしらね」

 コールラウシュさんが話題を切り替える。

「この子はシンギュラリティ・ギュライ。私の家で雇っているこの屋敷の管理人よ。昔は私の世話係をしていたのだけれど、私はもう世話されるような年でもないから、この屋敷の管理人に左遷されたのよ」

「左遷って……」

 そのワードチョイスはどうなんだ。

「ギュラシックちゃんはアレニウス使いとしての実力がものすごく高いのよ。だから反乱が起きたとしても対応できるようにここに飛ばされたのよ。もし城内で反乱されたら対応する暇もなく全滅してしまうもの」

「めちゃくちゃ強いじゃないですか」

 強い人なら手元においておいた方が敵の襲撃に備えられるため、ある意味では定石なのかもしれないが、コールラウシュさんを今のように育て上げた人だと考慮すると、寝返る可能性も低くはないだろう。

 さすがにコールラウシュさんの痴女っぷりはなんとかすべきだ。初対面の男にキスをして気絶させるような痴女性は今後必要にならないだろう。

 この変態!エッチ!

「私達がこの屋敷に泊まった理由として、私の力強い知り合いであるギュラシックちゃんがいるから、私達が寝ているときにニュークリアーの手下が来ても対応できるように、っていうのもあるんだけれど。まあ、私的には君のアレニウスを改良するのが目的なのよ」

「え?でも僕のアダージェットはコールラウシュさんが改良しましたよね。現に僕はスケルツォを使えるようになった訳ですし」

 アダージェットの上からスケルツォを発動するようになって僕の戦い方は飛躍的に向上した。向上といっても、口から炎を出せたり雷を落としたりできるようになったということではなく、簡単に言ってしまえば身体能力が向上したのだ。

 たしかに最終兵器という名目のスケルツォを使ってみたら予想していたよりも地味だなと思ったものだが、やはりまだ最終形態ではなかったのか。

 コールラウシュさんは僕の疑問も予想していたのだろう、部屋にあったホワイトボードを使って説明を始める。

「今はアダージェットとスケルツォは2つの指輪で動いているでしょう?」

 ホワイトボードの上部に2つのアレニウスの名前が大きく表示される。

「そもそもアレニウスって1つしか起動できないはずなのに、なんで今まで2つを起動できたのだろうって話になるわよね。アレニウスを複数使いこなす人はいるけど、その人達だって起動するときは1つずつ起動しているわ」

 ホワイトボードに大きいハテナマークが出てくる。そもそもコールラウシュさんはマーカーを使っていない。ホワイトボードの上に幻術で文字を表示している。

 もうそれならホワイトボード自体も幻術で出せばいいのに。

 というか、この人っていつでも幻術使うよなあ。アレニウスを起動しないと幻術を使えないはずだから常にアレニウスを起動しているのだろうか。アレニウスを起動している間は体力の消耗が激しいからコールラウシュさんはもしかしたらきっと滅茶苦茶実力者なのではないのだろうか。

 コールラウシュさんのアレニウスを起動させたときのコスチュームは白装束だったが、今は上下黒の下着だ。女性は寝るときに下着を、とりわけブラジャーをつけないというのが通説だったはずだから、きっと服装も幻術でみせているのだろう。

 なんで黒の下着をチョイスしたのかは知らない。知ったところで幸せな結末にはならないからだ。

 知れば知るだけ不幸になる、とは言い得て妙だ。

「ねえ、話を聞いて」

 コールラウシュさんは僕にそういいながらアイスピックを投げた。

 そのアイスピックは僕の方へまっすぐ進み、僕の左胸のあたりに突き刺さった。アイスピックはグッサリと5cm、僕の体の中へと侵入した。

「いってええええ!!!」

 僕は痛さのあまり、不意に左胸を押さえようとするが、アイスピックが邪魔をして押さえることが出来ない。

 胸からはとめどなく血が流れていて、僕のシャツは血で真っ赤になった。

 心臓にダメージはあるだろうか。僕は痛さの中でも心臓の心配をする。ところが結果がどうであれ出血多量で死んでしまいそうだ。

 僕は仮に自分が死ぬとしても、きっとニュークリアーとの戦いで、しかもクライマックスで死ぬのだろうと考えていたが、まさか道中の宿泊施設で死ぬとは思わなかった。

 しかもバトルですらない。

 冗談のような会話をしているときに僕は殺されてしまったのだ。

 しかも、ただ話を聞いてなかっただけで。

 来世からは人の話をしっかりと聞くようにしよう。

 僕は痛む左胸を庇いながらそっと横になり、目をつむった。

 さようなら、さようなら。

 さようなら人生。

 また今度。

「こら!」

 僕は目を覚ました。

「勝手に死なないの!」

 コールラウシュさんに怒られた。

「あれ?」

 僕の左胸の痛みはなくなっていて、もちろんアイスピックなど刺さっていなかった。

「さっきのは私の幻術の応用みたいなもので、対象の1人だけにかかる幻術よ。私やここにいるギュラシックちゃんからは、君が1人で悶えているようにしか見えなかったわ。おかしな子ね」

 幻術だと分かっていても、痛みは感じるし出血も目に見えて触れるためヒヤヒヤドキドキハラハラしてしまう。

 1人だけにかかる幻術、と説明されても僕からしたら本当に僕だけなのかは判断のしようがない。実はいつもと変わらないけど嘘つきました、みたいな話だったっていうことも可能性としてはある。

「シンギュラリティさん」

「なんですか?」

「僕の左胸に何が刺さっていたかわかります?」

 僕は唯一の第三者であるシンギュラリティさんに聞く。シンギュラリティさんはコールラウシュさんの知り合いだ。できることならまったくの関わりを持たない第三者に聞きたかったのだが、生憎なことに今は夜だ。他には誰もいない。

 シンギュラリティさんは少し考えたような仕草をして、答える。

「えっと……ずっと自分の左胸をワサワサとしていたので、ちょっとエッチだと思いました」

 つまり刺さっていないということでいいのか?

 刺さっているかいないかで答えてほしかった。エッチかどうかなんて僕は聞いていない。これからも聞くことはないだろう。それから、エッチな話はあんまり得意じゃないから辞めてほしかった。

 僕は黙ったままでコールラウシュさんの方に体を反転させて、頭を囲うようにして「もうダメだー」のポーズをした。

 コールラウシュさんはサムズアップをする。

 一連の流れが終わったので、僕は再びコールラウシュさんの話を聞く。話をまともに聞かないでもう一度あの体験をするのは精神的に疲れるので辞めてほしい。おしおきだとするならば最上級にランク付けされるだろう。

「つまりアダージェットとスケルツォをギュラシックちゃんが改良することによって初めて君のアレニウスは完成するのよ」

「私に任せてください!」

 シンギュラリティさんがミュージカルのようにグイッと前に出てきて話す。

「1つ質問いいですか」

 僕はコールラウシュさんに質問をしようとするが、シンギュラリティさんが「何ですか!?」とグイグイくるので質問しづらい。

「僕達が今まで特訓してきたのはなんだったんですか」

 あの練習漬けの1週間はなんだったんだろうか。スケルツォに慣れるため、という名目で朝から晩まで特訓していた日々はなんだったのだろうか。日常の全てはちょっとした手違いで無常に浪費されていくのだろう。

「ああ、あれは」

 コールラウシュさんはマズイことを言われた、というような表情を見せずに、さも予定通りのように答えた。

「君が基礎をできていないから特訓したのよ」

「……」

 僕は絶句した。

 杜甫もビックリである。



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