Tenpure 3-2
「ハッ!」
「なにがハッなんですか、もう」
「え?誰?新キャラ?」
目が覚めた僕の目の前にはメイドの格好をしていて、マグロでいうところの中トロのような髪色をした女性がいた。
「……マグロ?」
僕は目に入った髪の色をみて思ったことをそのまま口にしてしまった。
「どこからどうみたって人間ですよ」
その人は呆れたように言いながら僕の額の汗を拭いてくれた。
その間も僕はその人の顔を見ながら自分の脳内でその人を検索してみるが、1件もヒットしない。
中トロのような髪色も、凛とした顔立ちも、服を着ただけで強調されてしまうその胸も、メイド服から伸びるスラリとした足も、見覚えがなかった。
僕はその人とコミュニケーションをとらなければならないと思った。もしもこの人が悪い人だったら、きっと隠し持っていたナイフで僕のことをグッサリと刺してしまうだろう。そこまでではないにしても、毒を盛られてしまったり、早い話が、僕は抵抗できずにあれやこれやとエッチなことをされてしまうのだ。
「えっと、名前を教えてくれませんか」
「シンギュラリティ・ギュライですよ。もしかして忘れたんですか?私のこと」
「忘れました!」
「潔い!許します!」
忘れてしまうという無礼も、誤魔化さずに正直に打ち明けてしまえばきっと許してもらえるのかもしれない。
「まあ、私達は初対面なんですけどね。ギョギョ」
「ギョギョ?」
魚魚?
やっぱり魚なのだろうか。シンギュラリティさんはそんなこと気にもせず話をつづける。僕はモヤモヤしたまま話を聞く。
「私はこの宿舎の管理人ですよ。今は夜です。他のみなさんはもうすでに寝てしまわれましたので、私が看病をしていたわけです」
「あ、それは、すいませんでした」
「違う!」
「エッ」
「そうやってカタカナで短い返答をするのを辞めなさい。外国人じゃないんだからちゃんとした言葉で話さなくちゃダメですよ」
「すいません」
もういっそのこと外国人になりたかった。起きて早々に言葉遣いで怒られるような人生を歩みたくなかった。
というより、僕の何かあるとすぐに気絶してしまう体質をどうにかしたかった。
アレニウスをセットしたら打撃に対する気絶には強いんだけどなあ。もういっそのこと常時アレニウスを起動させていようか。
「それで、」
僕は話を切り替える。
「ここはどこなんですか?」
シンギュラリティさんは何を言っているの?というような表情をしながら答える。
「宿舎ですよ」
いや、そうじゃなくてですね。
「ここはなんていう町なんですか?」
「ああ、この町はラウールですよ」
ラウール。今回の目的地であるフィストリアまでは、残り3割というところにある町である。この町は国内でも屈指の西洋的な町並みであり、フランスパン専門店なんてお店もあったりする。町にはパンの匂いにビシソワーズの匂い、それにオーデコロンの匂いがやんわりとして、カレーライスの匂いなんてものは一切しない。
「こんな深夜まで、ありがとうございます」
僕はシンギュラリティさんに再び感謝の気持ちを伝える。
「いえいえ、それに、大方の話は聞いてますよ。頑張ってくださいね」
シンギュラリティさんは僕の右手を両手でそっと包みながら話す。その手は心地よいぐらいに暖かくて、僕はその手をずっと離してほしくないと思ってしまう。
人と触れ合うなんて、すごく久しぶりな気がする。
そんな手を握られるような、なんでもない、少しドキッとするようなことでさえ、僕は感極まって涙を流してしまいそうになる。
だがそんな僕のことを知ってか知らずか、無情にもその温かさは僕の手から消えた。
シンギュラリティさんは両手をポンと打ち、さも画期的なことを閃いたかのような態度を取った後に、僕に話し始める。
「私がアレニウスを改良してあげます」
僕は予想外の提案を受けて驚いたが、しかし答えは決まっていた。
「いいです」
もう僕のアレニウスはコールラウシュさんが改良してくれたので、もう十分だった。アダージェットにスケルツォが加わったことによって、僕の力は何倍にもなった。
「いいですってことは、可って意味ですか?それとも不可って意味?」
「不可です」
「じゃあ私と一戦手合わせしてみませんか?」
いきなり何を言いだすのだろうか。こんな夜遅くからアレニウスを起動させて戦ったら、騒音が町中に響いてしまう。
「よし、私についてきてください」
そんな僕の心配もシンギュラリティさんには泡沫のようなものだったらしく、この部屋の扉を開けてズンズンと先へ進んでいく。
僕も離れないようにトコトコとついていく。ここで1人になってしまえば迷子になってしまうだろう。あわあわしてしまうだろう。泡沫だけに。
僕は部屋から出て初めて、ここが大きな屋敷であることに気づいた。廊下にはカーペットが敷かれていて、天井は一般家屋とは考え付かないぐらいに高い。部屋の向かいには大きな窓があって、そこからは街の夜景がきれいに映っていた。
突然の壮観に僕は呆然としてしまい、正気を取り戻した時にはシンギュラリティさんがいなくなっていた。
「あれ?」




