Episode.1-1
「輝かしい朝だ……」
僕は馬車の荷台にとりつけられた窓から空を見た。
客席よりもランクが低い荷台は少し埃っぽくて、これなら客席を予約した方がよかったのかもしれないと後悔してしまう。
道路が石造りのため、馬車が走るたびに荷台がガタガタと音をたてて揺れる。
窓から外の景色を見た。
果物屋、小道具屋、八百屋に鮮魚屋、そしてカレー屋が並んでいる。
近くにカレー屋があるため、馬車内までカレーの匂いが充満してくる。
「この街はカレー屋なんてあるのか。珍しいな」
僕は思わず口にする。この世界ではカレーを食べるときは家庭で作る方がメインであり、飲食店という形でカレー屋を目にするのは初めてだった。
「お、どうした坊主。この街は初めてか?」
僕の向かい側に座っているマントを背負って髭を蓄えた中年の男性が僕に話しかけてくる。
「はい」
「若いのに珍しいな。それにしても、どうしてこの街に?」
この街は国内で最大の規模を持つ街である。田舎から仕事を求めてこの街に働きに来たり、旅行でこの街を訪れる者もいる。
「この街の学校に入学するんです」
この街には仕事も観光施設もあるが、最新の殺戮兵器であるアレニウス使用者を養成するための学校がある。その代わりにこの街には初等教育機関などが一切存在していなくて、この街で学校といえば養成学校の一校のことを指す。
「へえ。男でもアレニウスを操作できる人がいるんだな。俺は聞いたことがなかったよ」
男性は話す。
「ええ、まあ、女子が主流ですけどね」
最新の殺戮兵器であるアレニウスは誰でも簡単に増大な力をもてるようになるため、強靭な肉体を必要としない。そのため、より戦闘に向いた、しなやかな体躯を持っている女性がアレニウスの操縦者になっている――はずだったのだが。
なぜか僕はそこに入学してしまったのである。よくある話だ。
「それにしても、その右手についている指輪の紋様は珍しいな。どんなアレニウスを使うんだ?」
男性は興味津々で僕の指輪に顔を近づける。
アレニウスは指輪の中に収められていて、呪文を唱えることによってアレニウスは解放されて自分に装備される。
「武器もテーマも珍しいんですよ。僕のアレニウス」
アレニウスにはそれぞれに固有の武器とテーマを持つ。前者は刀だったり弓だったり、後者は炎だったり水だったりする。
そうしていると、さっきから続いていたガタガタという揺れがピタリと収まる。
「ついたようだぜ、アレニウス使い」
僕は窓から外の景色を見る。
そこには古代ローマをモチーフとして、白と青を基調としたドッシリとした風合いの校舎があった。校舎の周りは高い壁、というよりも城壁のようなもので覆われていて、しかしそれでも校舎が見えてしまうほどに大きな校舎だった。
僕は馬車から降りる。
「頑張れよ、アレニウス使い」
僕は馬車から聞こえてきた声援を背中で受け取りながら、サムズアップをした。
馬車から降りると、その校舎の大きさが嫌というほどに感じとれた。
左を見ても右を見ても、いったいどこが終わりなのか分からないほどに城壁が続いている。
5メートルはあろうかという高さの門が目の前にあった。
僕は門を押して学校の中に入る。
「遅いぞ!」
僕が学校の中に入った途端、横から何者かがいきなり声をかけてきた。
「すいません!」
突然怒られたので僕は焦って、声のした方向に振り向きながら謝る。
振り向いた先には女の子がいた。
金髪で長く伸びた髪を耳の下あたりで2本に分けている。身長は僕よりも小さく、なぜかぷりぷりと怒っていた。
「まったく、今年は男の新入生が来るというから、どんなものかと思っていたら、ろくに時間も守れないのか」
その少女は呆れながらそう言って、持っていた記録用紙にチェックを入れた。
「集合時間って決められてましたっけ?」
「なんだ。郵送した書類に入ってなかったか?新入生は9時までに集合する予定になっていたはずだが」
「えぇ」
今は12時過ぎである。
この人は3時間も僕のことを待っていたことになる。なんだか、とても申し訳ない。
「すいません、3時間も待たせてしまって」
僕は再び謝罪した。
「まあ、これも学生会長の務めだからな。そう気にするな。新入生が今のうちから無駄な心配事を増やさないほうがいいぞ」
どうやら学生会長だったようだ。この学校にも学生会のような組織があるらしい。
「だが、なにもせずに見過ごすというのも、私の君に対する心証が悪いのはわかるな?ヘルムホルツ君」
「わかります」
3時間も待たされたのに心証が悪くならないわけがない。
「じゃあ、ここで一発ギャグをしろ」
「は?」
「いくら新入生とはいっても先輩に向かって、は?という返事は無いだろ」
本気のトーンで怒られた。
「でも、」
僕は抵抗する。
「これから新しい学校で頑張ろうと思っているのに、いきなり学生会長に無茶苦茶なことを言われたら思考停止して無礼な感じになっちゃいますよ」
「うーん、一理あるな」
学生会長は僕の説得に納得したようだ。
雑魚かよ。
「じゃあ、一発ギャグは辞めよう。一発ネタにしよう」
「ちょっとまってください」
僕は話を止めざるをえなかった。
「お、成長してるな。敬語になってる」
学生会長は感心していた。
新入生で遊ぶな。
「一発ギャグと一発ネタって意味が一緒じゃないですか」
「そうだな」
学生会長は欲しいツッコミをくれた、というように満足げな顔をしていた。なんだこれ。
「すいません、僕もう行っていいですか」
僕は話をはやく切り上げたくて、というよりも、一発ギャグをやらされるのが嫌だったので、先に行こうとした。どうやら僕は遅刻をしているらしいので、さらに遅刻を重ねる訳にはいかない。
「別にいいが、」
学生会長は続ける。
「これからどこに行けばいいか分かるのか?」
……。
分からなかった。
…………。
「分からないです」
分からなかった。
正直、どこから校舎に入ればいいのかも分からなかった。
「そうだろうな、だって私は君の案内を任されているからな」
「そうだったんですか」
「まあ、本当は新入生の点呼をするだけだったんだけど、誰かが3時間も遅刻するから案内も任された」
「ごめんなさい」
三度目の謝罪をした。
謝ってばかりの人生である。
「なに、気にするな。私もこの学校唯一の男子がどんな人かを見てみたかったからな。冗談が通じる相手でよかったよ」
「え」
なにか聞き捨てならないことを聞いたような気がする。僕のこれからの学校生活に影響がありそうなことを聞いたような気がする。これからの学校生活が波乱万丈になりそうな事柄を聞いたような気がする。
「この学校の男子って全部で何人いるんですか?」
僕は聞いた。
「ん?そんなこと聞いて何になる?」
ええ……。まさかすんなりと教えてくれないとは思わなかった。
「いや、別にいいです……」
予想外の答えだったので遠慮してしまった。
往々にして、女性のための学校なのだから男子が1人でも変な話ではない。女性専用列車に男性がいないのと同じ仕組みであろう。よくある話だ。
「じゃあ、これから校内を案内するから。付いてきてくれ」
学生会長は僕に背を向けて歩き始めた。