魅入られ人のにちじょう 〜手伝いの話〜
「四季も大きくなったから、もうそろそろ平気だと思う」
日条 四季が小学五年生になった頃合いだっただろうか。音成 御影はほとんど前触れもなくそう言った。
そのときお菓子を食べていた四季は、思わず手を止めて彼女を見つめる。
「……ごめん、なんの話?」
「そろそろ、この子たちと顔合わせをさせてもいい時期」
と、御影は両手に抱えていた黒い寄木細工の箱を机の上に置いた。
四季はまじまじとそれを見つめる。まあ、箱の中になにかが『住んでいる』ことには薄々感づいていた。他の人間に面と向かって言うと頭の中身を疑われそうな内容なのは自覚している。
小学校で他のクラスメイトと過ごすうちに、四季は自分の置かれている環境が皆と違うという事実を強く自覚するようになった。どうやらいわゆる『普通』の人というのは、御影のような存在……怪異というやつとそこまで深く関わることはないらしい。
まあ、自力でどうすることもできない問題ではあるのだが。
閑話休題。
四季の前で、箱はひとりでにカタカタと揺れている。彼にはそれが中の住人たちが心を弾ませているように見えた。
そこから視線を外し、首を傾げて御影を見つめる。
「この子『たち』ってことは、その……いっぱいいるの?」
「全部で七人いる」
あっさりと返ってきた答えに四季は目を丸くした。中に誰かいるとは思っていたが、そんな大勢の怪異が収まっていたとは。
改めて箱を見る。そこまで大きなサイズではない。この中に七人。信じがたい事実である。
「……人間じゃないんだから、中にぎっちり詰まってるわけじゃない」
「あ、そうだよね」
ぽつり、と呟かれた言葉に、四季は思わず安堵した。
やや大仰に溜息をついてみせた御影は、そっと箱の蓋を撫でる。愛おしげに。
「一度に外に出しちゃうと、四季のお母さんたちが大変だろうから。一人ずつ」
「いっぺんに自己紹介しちゃえばいいんじゃないの?」
「みんな四季と遊びたがってる。それだといくらなんでも体が持たないでしょ」
御影は困ったように言った。どうやら箱の中の怪異たちは、彼女の言うことを必ず聞くような存在ではないらしい。
でも、まあ。一人ずつなら大丈夫だと御影が言うのならばそうなのだろう。四季はそう判断し、頷いた。
その日はそれでおしまいだった。今すぐ呼び出せばいいのに、と四季は思うのだが、どうやら中で順番を決める時間がいるらしい。
なので夕飯を終え、布団に入る頃になると、その宣言はすっかり四季の頭から抜け落ちてしまったのだった。
■ ■ ■ ■ ■
翌日。四季の意識を覚醒させたのは、無遠慮に頬を触ってくる誰かの手の感触だった。
しばらく目を開ける気にならず、しばらくさせるがままにする。また御影の仕業だろうと彼は思い込んでいた。彼女は自分より遥かに大人っぽいというのに、寝ている時に限ってそういういたずらを仕掛けてくるのだ。
手の動きは止まらない。撫で方がだんだん頬が変形するほどに荒っぽくなってくる。ついには軽く叩いてくるまでになった。
これはたまらない、と四季は寝返りを打つ。休日というのもあり、まだゆっくりしていたかった。この程度では目を開けないぞ、と心を強く持つ。
妙なことになってきたのはそこからだ。両頬をいじってくる感触に加え、新たに脇腹を撫でる感触が加わった。
おかしいな、と四季は目を閉じたままに眉根を寄せる。これだと明らかに二人以上いないと不可能ではないだろうか? そんなことを考えているうちに、新たに自分を撫でる手が増える。今度は足だ。
さすがにこそばゆくなってきた。つつ、と体の各所を指がつたう。そして。
「…………わひゃっ!?」
一斉にくすぐりをかけてきたのだ。たまらず四季は飛び起きた。
いつもに比べていたずらの度合いが酷すぎる。さすがに文句の一つでも言わなければと、四季は御影の姿を探し……
「あ、やっと起きたねえ。ねぼすけさんめ」
やや離れた場所に座り込んでいた見知らぬ少女を見て言葉を失った。
膝を立てて座っているその少女は、御影に比べるとやや幼いように見える。丈の短い着物を着ているせいで、大事なところが見えそうになっていた……が、四季がそれを見て赤面するようなことにはならなかった。
なぜなら、見えないように手で覆い隠されていたからだ。少女自身の手ではなく、床から生えた数本の腕によって。
そもそも、その少女には腕がなかった。肩から切り落とされたかのように両腕がない。
無論、四季にはそんな姉も妹もいない。
「あー、その顔。御影お姉ちゃんが言ってたこと、すっかり忘れてるね?」
少女の傍らから新たに生えた腕が勢い良く四季を指差す。面喰らう四季を見て、その少女は大げさな溜息をついてみせた。
「まったくもー、ぼんやりしてるんだから……まあはじめましてははじめましてだし? あたしの顔に覚えがないのは当然だけど? 昨日のことをもう忘れてるなんて」
少女の両脇の床からまたも新たな腕が二つ。それらは「やれやれ」というジェスチャーを取ってみせた。四季は呆然とそれを見つめる。
部屋の中を見渡すとなかなか壮絶な風景が広がっていた。床のみならず、壁から、天井から。いくつもの生白い腕が生えている。四季の体を触っていたのもこのうちの一部だろう。
それにしても彼女はいったい? 御影のことを姉と慕っているのは確かなようだが……
「……あ」
そこに来て、ようやっと四季は思い出した。
「あの、御影がいつも持ってる箱の中にいる……?」
「そーだよ! つくしっていうんだ。音成 尽。よろしくね!」
少女がにっこりと笑う。同時に方々から生えていた手が一斉に揺れだした。彼女が手を振っているのだと理解するのに、四季は少しばかり時間をかける必要があった。
天井からぶらさがってきた手が、ひらひらと目の前で揺れる。身を仰け反らしながらも、四季はその手を握った。そうでもしないと邪魔だったからだ。ひんやりしていた。
途端に、握手を求めるかのごとく手が殺到する。
「あはー。四季ちゃんの手、あったかい。もっと握って握って」
嬉しげな声。四季はといえば、群がる手たちに対応するのに忙しく返事をする余裕がない。なにせ握手した先から腕が伸びてくる。余った手はまた体にべたべた触ってくる始末。
さすがにうんざりしてきた四季は、手たちを押しのけ尽に声を投げかける。
「あの、尽? そろそろやめてほしい……」
「尽『お姉ちゃん』」
「え?」
「お姉ちゃんって呼ばないとやめてあげない」
唐突な宣言に、四季は思わず言葉を詰まらせる。その間にも、腕たちは彼を取り囲み、覆い尽くすように手を伸ばしてくる。
もみくちゃにされながら、なんとか言葉を絞り出した。
「わ、わかったよ! 尽お姉ちゃん、そろそろやめてくれないかな!?」
「……えへへ。仕方ないなあ四季ちゃんは」
照れくさそうな声。それと同時に、ようやく手たちが引いていく。
いつの間にか彼女は四季の傍に立っていた。
「もう目が覚めたよね? 御影お姉ちゃんがご飯用意してくれてるから、早く着替えて下に行こうね」
「ああ、うん。……お母さんたちは?」
「買い物に行くって言ってたよ。箱の中で聞いた」
四季は思わず溜息をつく。買い物についていくとだいたいろくなことにならないので仕方ないとはいえ、置いていかれるのも悲しいものだ。
ぼんやりそんなことを考えているうちに、再び手たちが四季の体に群がり始める。その手の一つが寝巻きのボタンにかけられた。
「……あの、尽お姉ちゃん。なにしてるの?」
「お手伝い!」
「はい?」
「お着替えのお手伝いしてあげる。はやく着替えて、ご飯食べて、今日はずっと一緒に遊ぼうね!」
満面の笑み。それと同時に、四季を掴んでいた手の力が強まる。
「ま、待って! 着替えくらい自分でできるから! そんな引っ張らなくていいって破れる……あ、あ、あああー……」
……その後のことは、四季の記憶の奥深くに封印されることとなる。
下に降りてなぜか尽とともに叱られる羽目になった四季は、世の理不尽さを嘆きつつもふと思う。
尽一人でこの有様。箱の中にはあと六人も怪異がいる。
果たして、顔合わせを済ませて自分は無事でいられるのだろうか。
柄になくそんな不安を覚える四季なのだった。