夢の桜
「桜の下で待ってます」
夢で出てきた名も知らぬ女の子は、やっぱり夢の中で僕にこう言った。でも夢の中なのに僕は身体も口も動かなくて何も言い返せなかった。
「本当に待ってますからね」
穏やかで少し物寂しさを帯びた女の子の声でなぜだか僕の胸が苦しくなったように思った。夢の中なのに。
――懐かしい夢を見た。まだ小さい頃のオレが女の子と対峙する夢。
最初に見たのがいつなのかは思い出せない。でも最後に見たのは三年前の桜の花びらが散る季節だった。
オレは夢を見るたびに何か焦燥感のようなものに駆られて彼女を捜してきた。その最後が中学の入学式だった。新しい生活への期待に胸を溢れさせて、何かが始まるという期待。それで今度こそ彼女と出会えるんじゃないかという確信に似た根拠もない期待。
でもその期待は風に煽られた桜の花びらのように高く高く舞い上がってどこかに飛んでいって落っこちたのだろう。
それ以来オレは夢見ることはなくなった。女の子の夢も将来のとかそういう類いの夢も。
「年甲斐もなく何を夢見てるんだよ。オレは……」
高校の入学式で校長の長い話のせいだ。いつのまにか今朝の夢を考えていた。
三年前に終わったはずの夢をなぜ今頃見たのだろうか。もしかして新しく始まる高校生活に期待を持っているのだろうか。
確かに環境の変化は起きる。通学時間は多少延びて起床が少し早くなるし勉強も難しくなる。
周りの人だって初めての人が少なくない。でも、中学からの友達の延長線上に新しい友達関係が作られる。つまりは、オレは何もしなくてもいいと言えるわけで。
夢見るのは馬鹿らしい。期待は裏切られるものだ。なら夢も期待も最初からしなければいい。『新入生諸君。夢を持ちましょう。それが輝く将来へと繋がるのです』という校長の演説。夢を持った結果がその輝く頭ではないのか……少しこじつけだったかもしれないが、オレの本心だった。禿げたくないという夢は総じて叶えられることはない世の中だって校長が証明してくれている。
教室で自己紹介といった行為を乗り越えれば今日は終わりだった。授業は明日からで午後は何もない。だから中学からの友達が遊びの誘いをしてくれた。それはとてもありがたい提案。用事がないのに断る理由はない。でもオレの口は何故か断ってしまっていた。
もしかしたらオレはまだ夢を引きずっているのかもしれない。夢見るだけ無駄なのに。なぜこうもオレの胸を掻き立てる焦燥感があるのか。
夢を見たら女の子捜すという習慣が出来てしまってるのだろうか。三年もやっていなくても身体は覚えているというのか。
ともかく、友達の誘いをふいにしてしまったのだ。代わりの時間つぶしの方法を考えなければならない。だからオレは花見をすることにした。
高校からそう離れていない公園に大きな桜があった。
そして桜の下に女の子がいた。胸の動機が一気に高まった。もしやと淡い期待。
誘い込まれるようにゆっくりとオレの足は桜の方向に歩み出した。ゆっくりゆっくりと歩いて、彼女と目があう。その瞬間にオレの身体はあの夢の中でもそうであったように動けなくなった。彼女はオレの高校の女子制服を着ていた。リボンの色からオレと同じ新一年生とわかる。背丈も服装も違うけど、だけど夢で出てきた女の子だと思った。彼女との距離は二、三メートルは離れていて、話をするには遠い距離だったけど身体が動かない。
「君は?」
しっかりと耳に入る声音で言った彼女に返事をしようとしたけど口もよく動かない。彼女が本当にいるなんて信じられなくて。
「私と同級生かな? 初めまして」
けど彼女からの初めましてという言葉で身体を縛っていた金縛りがとけた気がした。あれだけ早かった胸の鼓動がゆるやかになっていく。
「桜きれいだね」
彼女が桜を見上げながら言って、オレもつられて見上げる。満開の桜は風でゆさゆさと枝を揺らしながら花びらを彼女とオレに振りかけてくる。
「君は何でここにいるのかな?」
「……少し捜してたものがあったんだ」
彼女の問いにオレはそう返した。
「そう。その捜してたものは見つかったのかな?」
「見つかったけど見つかってない……と思う」
「見つかったけど見つかってないかぁー」
「……あなたこそ何でここに?」
「私はここで待ってると捜してたものが見つかると思ってたんだ。それは見つかってないけど見つかったよ」
彼女はいたずらが成功したような笑顔をした。その笑顔のせいで一度収まっていた動悸がまた速くなる。
「君に似た小さな男の子をみたことあるんだ。夢の中でね」
「うん……」
「桜の下で待ってました」
彼女が僕に手を伸ばしてくる。オレは足を踏む出して距離を縮める。
「……お待たせしました」
そして彼女の白くて細い手とふれあう。とても温かくてやわらかくて。なにより彼女は満開の笑顔でオレを受け入れてくれた。
三年前にどこか高く遠くに消えてしまったものが、再びオレの目の前に現れていた。
捻りが足りない。