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つづるは今朝も登校する。
昨日の内にクリーニングが終わった夏用の制服を着て。
学生鞄を持ち、体操服を入れるバッグを持ち、そして線香の臭いがしそうな柄の細長い布袋を持って。
昨晩はをみの良くない行動を止める為に彼女を斬るぞと決意したのだけれど、寝て起きたら決心が鈍っていた。
そうだよな、人を斬るなんて、普通に出来ないよな。
夏休み目前の清々しい朝なのに、つづるだけどんよりとしている。
目的地が同じで同じ制服を着た女の子の中の数人が、つづるの持っている棒状の物を横目で訝しげに見る。
決心が鈍ったので家に置いて来ようと思ったけど、もしもをみに襲われたら抵抗する術が無くなるので持って来た。
をみはもう自我を失った化け物になってしまっているらしいから。
サラシも防具のつもりで巻いている。
しかし、あのをみが、私を…。
冷静に考えると有り得ない話だ。
好きだから相手を殺して自分の物にするなんて発想は。
他人に好かれるのは、悪い気はしない。
でも、女の子同士じゃあなぁ。
でも、をみなら、別に良いか。
美人だし、気が合うし。
でも、なぁ…。
歩きながら色々考え、その時の考え通りの表情になるつづる。
つづるはなぜか子供に好かれる。
法事とかで親戚が集まると、小さい子達に遊ぼうとせがまれる。
年が近くて、でも大人だからだろうが、暇になると全員が一斉につづるに集まるのはどう言う事だろうか。
また、つづるは学校内でも人気が有る、と噂好きの友人が言っていた。
良い家で育ったお嬢様達には、つづるみたいな男の子っぽくて積極的で活発な子が珍しいらしい。
うるさくないくらいに丁度良く元気で、美人でも不細工でもないくらいに丁度良く可愛い、と言う評価だそうだ。
どう考えてもペット扱いだと思う。
そんな話を聞く度に、つくづく思う。
どうせ好かれるなら、格好良い男の人だったら良いのに。
溜息。
どうやらつづるは、無条件で他人に好かれる空気と言うか、雰囲気と言うか、そう言う物を持っている様だ。
知らず知らずの内に人気者になっている。
でも、をみだって人気者だ。
これも噂好きの友人からの情報なんだけど、他校のイベントで行われた投票制美少女ランキングで1位を取ったんだそうだ。
可愛くて、優しくて、金持ちで、人気者で、成績も優秀。
完璧超人じゃないか。
どうして、全てを捨て、化け物になってまで、私なんかを欲しがるんだろう…?
「おはよう、宇多原さん」
1人で百面相している級友に委員長が話し掛けた。
うちの学校はお嬢様が大勢通うだけあって、お車での送り迎えが当たり前になっている。
なので、毎朝校門前は大渋滞だ、と言うのは昔の話。
今は学校の決まりとして、送り迎え目的での校門前の車の乗り付けを禁止している。
だからどんなお嬢様でも、近所の迷惑にならない所で車を降り、最低でも数10メートルは歩かなくてはいけない。
家のランクによって歩く距離が変わるらしいが、つづるには良く分からない。
委員長もお嬢様なので、車に乗って来ている。
そんな委員長に話し掛けられたって事は、もうすぐ学校と言う事だ。
「どうしたの?まるで温泉まんじゅうみたいな顔色。また徹夜でゲームとか?」
「違うよ。ってか、まんじゅうみたいな顔色ってどんな顔だよ」
お前の顔だよと言いたげな視線をつづるに向けている委員長。
再び溜息のつづる。
「ねぇ、委員長」
「なぁに?」
「人を好きになった事って、有る?」
メガネを光らせる委員長。
「まさか、恋煩いなの?告白したいの?まさか、告白された?」
慌てふためいた否定が来ると予想していた委員長は、しょんぼりとしたつづるの反応におや?と思った。
冗談や思い付きの言葉ではない様だ。
「私、人を好きになった事無いからさぁ。そう言う気持ち、分からなくて」
周りを見渡すつづる。
同じ制服を着た女子がうじゃうじゃと歩いている中で、たまにつづるに笑顔を向ける名前も知らない子が居る。
彼女もつづるが好きなのだろうか。
そして、校門前通りの奥に数人の男の子も居る。
どうやらお目当ての子が居る様で、登校時の女子を見る為に来ているらしい。
校則で恋愛は禁止されているし、ストーカーになられても困るので、教師やら警備員やらが追い払っているが、人数を増やしたり減らしたり、なんだかんだと毎朝居る。
猟奇殺人が起こって神経質になっているので、少々荒っぽく注意されるのにも関わらず、だ。
どこからそんなパワーと根性が出て来るのか。
「好き、かぁ。そうねぇ。あの喫茶店のクリームモンブランが一番好き、と言う事とは違うんでしょうね」
親身な口調の委員長。
つづるは、つい昨日食べたふたつのケーキを思い出した。
ショートケーキも美味しかったが、結局食べたシフォンケーキも最高だった。
夏ミカンの爽やかな香りが口の中に蘇る。
思わず生唾を飲み込んだつづるを見て微笑む委員長。
「帰りに寄る?」
「いや、今日は止めとく」
「そう」
並んで校門を潜るふたり。
校舎の中には、数人の男性職員を除いて、女性しか居ない。
そんな環境で恋愛を語るのは、想像と妄想を公開しているだけの行為でしかない。
委員長がそんな事を言うと、つづるは深くて大きな溜息を吐いた。
「そっかぁ。まぁ、そうだよねぇ」
「本気で悩んでいるなら相談に乗りますけど、この学校の生徒に満足出来る答えは期待出来ないわね。彼氏持ちでも、それを自慢する子は居ませんし」
今はもう無い校則だが、男性と話すには親の許可が必要だった時代も有った学校なので、現代でも不純異性交遊でマジ退学も有り得る。
そんなリスクを冒してまで男の話をするお嬢様は居ない。
「おっはよー。どうしたの?」
噂好きの子が手を振りながら駆け寄って来た。
まぁ、今はこう言う子も居るので、普通の先生なら目くじらを立てて注意もしないのだが。
「この子に相談なんかしたら、明日には校内中に広まってるわよ」
小声で言う委員長に頷くつづる。
「何でもない。委員長が、私の顔色が温泉まんじゅうみたいだって言うから、文句言ってた所」
そう言ったつづるの顔を指差して大笑いする噂好きの子。
「温泉まんじゅうなんて可愛いもんじゃないよ。コーヒーに浸した肉まんだよ」
「言いやがったなてめぇ殴ってやる!」
「きゃあきゃあ!」
騒がしく追い駆けっこをする級友2人を見て微笑む委員長。
「真面目な話。その顔色は不健康だわ。具合が悪いなら、保健室で休みなさい」
追い掛ける足を止め、健気に微笑み返すつづる。
「うん。ありがとう、委員長。体調が悪い訳じゃないんだ。大丈夫」
やっぱり、ウジウジ考えるのは苦手だ。
意味も無い。
をみ本人に、直接訊くか。
「所で、それは何?教室に持ち込むつもり?」
校内に入り、教室に向かって廊下を歩き始めた所で、委員長が細長い布袋を指差した。
「これは、うん、色々有って、持ってないといけないの。事情は訊かないで」
「…分かった。どうせ先生に訊かれると思いますけど」
しかし委員長の予想は外れ、机に立て掛けられた辛気臭い柄の布袋を視線だけで確認した担任の先生は、それを見て見ぬ振りをした。
この刀については、警察から学校に説明が行っているからだ。
それを使って何をするかは伝わっていないが。
クラスメイト達もつづるの持ち物を訝しんだが、朝のホームルームで先生が何も言わないのならと無視を決め込んでくれた。
悪く言えば無関心なのだが、良く言えば空気を読んでくれているので、面倒が無くて良かったと思うつづる。
始めて行儀の良いお嬢様学校に居る事に感謝した。




