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憂鬱でやり切れない気分で下校し、街で唯一の本屋に寄り道するつづる。
幼い頃にはもう何件か本屋とかおもちゃ屋とか有った気がするけど、いつの間にか潰れてしまった。
世知辛い世の中だ。
適当にマンガやライトノベルの新刊をチェックしたけど、買いたい物は無かった。
今夜はヒマを潰すのが大変そうだ。
こう言う時は、ネット電話を通してをみと一緒のTVを見て、あれこれツッコミを入れたり文句を言ったりするのが楽しいんだけどな。
あー、もう面倒臭い!
私に超能力でも有れば、パパッとをみを見付けてやるのに。
こんなに色々考えるのは受験の時以来だ。
何だか肩が凝る。
本屋を出て、雲が多い夕方の空に向けて右手を突き上げる。
思いっ切り身体を伸ばすと気持ち良い。
左手も上げたいが、鞄を持ってるから上げられない。
と、その右手に何かがぶつかって来た。
「!?」
丁度良く掌に収まったので、反射的にそれを握る。
それは意外に重くて腕が後ろ方向に回ろうとしたので、肩が外れる前に上半身を捻って重量を下方向に逃がした。
「あっぶな…。何なのよ全く」
自分の右手が握っている物に視線を落とす。
それは微かに反りが入っている白い木の棒だった。
鍔の有る木刀、かな?
マンガとかを良く読むので、部品の名前くらいは分かる。
「誰だよ、こんな物を投げたのは。危ないじゃない」
まず第一に、子供がちゃんばらをしていて、すっぽ抜けて飛んで来たのかと思った。
でも、辺りに子供は居なかった。
大人は数人居るが、遊んでいる様には見えない。
良く考えたら、本屋の駐車場でちゃんばらをしてる奴なんか居る訳ないよな。
住宅街から少し離れた、車の往来の多い街中だし。
遊ぶなら安全な公園か自宅の前だろう。
数歩ほど歩きながらキョロキョロと周囲を見渡しても、誰もつづるに注意を向けていなかった。
木刀を投げ飛ばしたら、例えいたずらだったとしても、その行方が気になると思うんだけど。
結局、どこからこれが飛んで来たのかは分からなかった。
それにしても、木にしては重い。
鉄の棒だと思えなくもない。
下手したら鞄より重いんじゃないだろうか。
本屋の壁に寄り、鞄を足元に置く。
まさかとは思うけど、本物、じゃないよね?
試しに抜いてみるか。
柄を右手、鞘を左手に持ち、縦に開ける様に力を込めてみる。
最初は抜けなくてやっぱり木刀かと思ったけど、もう少し力を入れてみたらタガが外れる様に銀色の刀身が姿を現した。
包丁とは違う、冷たい刃文。
「ヒッ」
慌てて納刀する。
「本物じゃん…。マジかよ…」
白い木の棒を背中に隠し、誰かに見られていないかと周囲を見渡す。
数人の大人が、駐車場に停めてある自分の車を目指して普通に歩いている。
ふう、誰も気が付いていない。
こんな危険物を持っているのがバレたら、余裕で前科者になっちゃうよ。
ただでさえ変な事件のせいで警察が増えているらしいのに。
誰の物か分からないからって捨てて逃げる訳にも行かないし。
もしも本物だったとしたら、それこそ子供がちゃんばらをして遊んだらヤバ過ぎる。
いや、待てよ。
こう言う日本刀には、切れない偽物が有るんじゃないだろうか。
確か、模造刀、って奴。
それかも知れない。
確信は無いが、それなら持ってても大丈夫、だろう。
しかし、この場でそれを確かめる訳にも行かない。
コソコソキョロキョロしながら本屋から離れ、商店街の裏道に入る。
傍から見れば超不審人物だけど、取り敢えず人気の無い路地裏まで来たから安心だ。
大きく胸を上下させ、深呼吸。
良し落ち着いた、と自分に言い聞かせて思考をクリアにする。
スポーツとかでもそうだけど、慌てたまま動くとロクな事にならないからね。
さて。
鞄を土の地面に置き、今度は刀身を完全に抜き放つ。
日本刀は芸術品だと言うけど、冷静に見ると本当に綺麗だった。
ほぅ、と溜息が出る程。
鏡の様につづるのショートカットの顔を映している。
いくらつづるが男勝りだと言っても、やっぱり女の子。
綺麗な物は大好きだ。
が、これはただ綺麗な物ではない。
本物なら立派な武器なのだ。
人を斬り殺す事が目的の、凶器。
じゃ、本物かどうかを確かめてみよう。
抜き身のまましゃがみんで鞄を探ろうとしたけど、刀が重くて片手では持って居られなかった。
だから鞘を脇に置き、しゃがんで前に突き出ている自分の太股に柄の頭を置いた。
太股の上に縦で乗せる形。
その格好のまま左手を鞄に突っ込んで適当なノートを取り出し、それの1ページを片手で千切る。
そして、刃に紙をそっと押し付けた。
音も無く、手応えも無く、冷たい葛菓子がつるりと喉を通る様に、ノートの1ページが真っ二つに切り裂かれた。
「本物、だ」
新品のハサミを使うより気持ち良い切れ味だった。
ヤバイ。
マジヤバイ。
どうしよう、これ。
道で拾いましたぁ♪とか言って交番に届けるか。
うん、そうしよう。
面倒事はさっさと然るべき人に任せた方が良い。
決意して立ち上がったその時、小石を踏みにじる足音に耳が反応した。
全身が硬直し、頭の中が真っ白になった。
人気の無い路地裏で真剣を抜いている今の自分は、滅茶苦茶怪しい。
何て言い訳しようかと考えながらゆっくりと振り返るつづる。
そこに居た人を見て、再び身体が硬直した。
「をみ!」
丸っこい顔、長くて真っ直ぐな黒髪の少女が、笑顔でつづるを見ていた。
制服ではなく、白いYシャツと紺のロングスカート。
「無事だったんだね、をみ!良かった、良かったよ!」
安心したせいで涙が出て来たつづるは、目を手で擦ろうとして持っている凶器の事を思い出した。
「あ、えっと、これは、そう、おもちゃなんだ!気にしないで、あはは」
鞘を拾い、納刀しようとしたけど、興奮して上手く穴に刀が入らない。
「今までどこに行ってたの?をみ。みんな心配してたんだよ?私服なんて始めて見るから、一瞬誰だか分かんなかったよ」
漸く鞘に刀を納めたつづるは、返事の無い親友に不自然さを感じて顔を上げた。
「をみ?」
親友は、仁王立ちでつづるをただ見詰めていた。
目を細め、口の端を横に伸ばしているその笑顔も、何だか奇妙だった。
何と言うか、欲しかった玩具が目の前に落ちていて嬉しいな、って感じの笑顔だった。
上品じゃない、子供っぽい表情。
をみらしくない。
「つづるさん」
やっと言葉を放つをみ。
この4日、聞きたいと渇望していた声だったのに、つづるは寒気を感じた。
「私、私ね」
一歩前に出るをみ。
蛇に睨まれた蛙状態のつづる。
何?
どうして私はをみを怖がってるの?
「ずっとつづるさんの事が…」
目の前まで歩み寄るをみ。
「ち、近いよ、をみ」
背はをみの方が気持ち高いが、顔の位置は殆ど同じなので、このままキスでもされるのかと思うほどの距離。
が、予想に反して、左胸を鷲掴みにされた。
「なっ?!ちょっと、をみ、何するの?…っ!」
普通、女の子の胸を触るのは、乳房を揉むのが目的だと、つづるは思う。
しかし、つづるの左胸を触ったをみの右手は、乳房ではなく、胸板に食い込んだ。
物凄い力で胸の筋肉に5本の指が減り込んで行く。
「い、痛い!何やってるのよ、をみ!止めて!」
つづるは左手でをみの右腕を掴んで払おうとしたが、びくともしなかった。
女の子の力じゃない。
それ所か、人間の限界も超えた力だ。
「大丈夫ですよ、つづるさん」
「え?」
「これで、私の願いが叶うんです。私とつづるさんは、ひとつになるんです。なれるんですよ」
「な、何を言って…、あうぅ!」
右手に持っていた刀を落とし、両手でをみの右手を外しに掛かるつづる。
本気で暴れても、をみの右手は外れない。
骨がミシミシと鳴り、胸に食い込んだ指が制服を突き破るんじゃないかと思う程痛い。
このままでは冗談抜きで肋骨が折れる!
「ちょっと、マジヤバイって!をみ!をみぃ!」
委員長の言葉が脳裏に蘇った。
『心臓の無い死体が見付かって、警察が街にいっぱい居る』
その話題と今の状況が繋がる。
「まさか、をみが猟奇殺人の犯人…?私の心臓を、抉る気、なの?」
あはぁ、と息を吐くをみ。
その口はつづるの鼻先に有るので、それを直で嗅ぐ。
生肉を食べた野良犬の息みたいな臭いだった。
勿論野良犬の息なんか嗅いだ事は無いが、生物の本能としてそう感じた。
「ええ、そうよ、つづるさん。でもアレはただのお食事なんです。つづるさんのは、特別なんですよ。本当ですよ?」
「をみが何を言ってるか分からないよ!どうしちゃったの?をみ!」
「もう少しで全て分かりますわ。色んな不安が無くなるんですよ。素敵でしょ?うふふ」
白魚の様な指が更に身体に食い込んで行く。
本気で心臓を抉る気だ!
数秒後につづるの心臓が身体の外に出ている光景が容易に想像出来る。
「いやぁああぁ!止めて!をみぃいいいぃっ!ぎゃあああああぁ!」
生まれて初めて感じる、死に繋がる痛み。
その恐怖に、つづるは形振り構わず絶叫した。
「何をしてるんだ!」
ただならぬ声を聞き付け、1人の男の子が路地裏に現れた。
近所の共学高校の制服。
「た、助けて!」
縋る様な声でそう言われた男子は、全力でをみに体当たりをした。
吹っ飛ばされるをみ。
「ううぅ」
「痛ぁっ!」
唸りながら土の地面に倒れるをみ。
左胸を掴まれていたつづるも引き摺られる様に倒れ、その衝撃でをみの手が外れた。
外れたのは良いけど、離すまいとした最後の足掻きで、乳房が千切れるかと思うほど握られた。
制服の生地やボタンがブチブチと音を立てた感触も有った。
激痛で胸を押さえて蹲るつづるの前に立つ男子。
「お前が猟奇殺人の犯人か?まさか、お前みたいな女子が…」
この男子も事件の事を知ってたんだな。
だからすぐに助けに入ってくれたのか。
その男子の向こうで、をみがゆっくりと立ち上がっている。
「…女の子同士の事です。男の子は、消えてくれないかしら…?」
口を横に伸ばした笑顔のをみは、男子に襲い掛かろうと身構える。
「違う。お前はをみじゃない」
可愛いと評判の名門女子校の制服がしわくちゃの土塗れになったが、そんな事はどうでも良い。
顔を上げたつづるは、髪の長い少女を改めて見る。
口が異様に大きいをみは、まるっきり化け物の顔になっていた。
「をみ、をみは、どこ?お前は、誰?」
「つづるさん?私が…。いえ、そうね。突然の事で驚いたんですね。ごめんね、ごめんね…」
しゅんとなったをみは、滑る様に走って路地裏から出て行った。
同時に死の恐怖も消え、身体から緊張が抜けて行く。
「をみぃ…」
つづるは、痛みと混乱で訳が分からなくなった頭を地面に擦り付け、声を殺して泣いた。
マジ泣きなんて、物心付いてからは初めてじゃないだろうか。




