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開店前の喫茶店を貸し切りにしてまで会った女性は、清潔感の有る格好をした若いお姉さんだった。
優しくて美人だから、人気が有る小学校低学年の先生、って感じ。
この喫茶店でのお勧めは何かと訊かれたので、650円のイチゴのショートケーキと応えた。
自分はその高級シリーズの中からリンゴのケーキを頼んだ。
ついでにどこに居るかは分からないけど店内に居ると思う黒い服の男の人にも何かを食べて貰ってと、注文を取りに来たお姉さんに伝えた。
早朝に開けて貰ってるんだから売上げに貢献しないと、と言ったら、女性はそうねと言って微笑んだ。
それから小1時間ほど話したけど、つづるが知りたい情報は殆ど得られなかった。
本当にカウンセリングで終始した。
をみを殺した私がこのまま生きていても良いのかと呟いてみたら、生きていて貰わないといけない、と必死に説得してくれたし。
それでも色々な予想と妄想を交えてしつこくをみの事を訊いたら、つづるが今後不安定にならなくなる程度の情報はくれた。
をみは、調査が終わったら、キチンと海瀬家の墓に入る事。
身体の一部を別の場所で保存する様な真似は絶対にしない事。
つづるの情報は、心絶ち所持者リストには残すが、決して電子処理はしない事。
どう言う事かと訊くと、歴代の心絶ち所持者の情報は劣化しにくい紙に事細かに書かれ、心食みが現れた時にのみ開かれる金庫に仕舞われる。
パソコンに情報を入力しないので、外部流出は絶対にあり得ない、らしい。
心食みの情報も同じ様にして別金庫で保管される。
最後に、男の子から告白されていて返事に困っている、と相談してみた。
事件とは完全に無関係な事なのに、女性は親身になって相談に乗ってくれた。
その事についてだけは、かなり気が軽くなった。
雑談の様なカウンセリングが終わると、タクシーに乗って隣町の大きな病院に移動した。
賑わっている玄関とは対照的な人気の無い廊下を進む。
その先で入った診察室では、優しそうな中年の女医さんが待っていた。
周りの大人がみんな優しいってのは、騙されているみたいで逆に怖いな。
ここまで来たらまな板の上の鯉だからそんな事は口にしないけど。
女性が待合室で待ってると言って部屋から出ると、普通に診察が始まった。
言われるままに上着を脱ぐと、女医は息を飲んだ。
つづるの左胸に手の形の痣がクッキリと残っていたから。
爪を立てた五指が皮膚に食い込んだ分、指の部分が少し短い。
痛いかと訊かれ、もちろん痛いと応えた。
指先の部分は未だにへこんだままなんだし。
サラシとタオルとダンボールを巻いて防御していなかったら、をみと合打ちになっていたと思う。
我ながら無茶な戦いをしたもんだ。
でも、痣の治療だけは断った。
これは一生消えないと思うし、消したくない。
これからもつづるの命が続くのなら、背負って行かないといけない罪だから。
そして長い時間を掛けて隅まら隅まで調べて貰ったけど、痣以外は健康そのものだった。
詳しい結果は、重大な問題が無い限りは知らせなくて良いとした。
つづるに知らせたくても、郵送するにしても手渡しするにしても、警察や病院からの物と分からない様に偽装するのが面倒だからだ。
警察の方の手間とかは関係無く、健康だと知らされるのに回りくどい事をされるのが純粋に面倒臭い。
そして病院近くのファミリーレストランで遅めの昼食を奢って貰ってから、タクシーで自分の街に戻って来た。
タクシーの中で、最後に忘れて欲しくない事が有る、と女性に言われた。
それは、心絶ちを入れていた布袋の保管だった。
刀を受け取った少女が保管し、次の少女に渡すのが代々の習わしなんだそうだ。
次が有るなら、10数年後。
つづるが30台になっている頃か。
かなり遠い未来だけど、了承した。
って言うか、どこに仕舞ったっけ。
自分の部屋の中に有る事は確かだ。
我に返った時、部屋の中で見たから。
ただ、新品の制服のポケットから取り出した後、どこに置いたかがサッパリ思い出せない。
すぐに返せって言われてたらピンチだった。
ヤバイヤバイ。
そして、見慣れた風景の我が街に着く。
ついでに寄るからと、街でただ一軒の本屋の前でタクシーから降ろして貰った。
きっと二度と会えない、本当のさようならの挨拶をするつづると女性。
走り去るタクシーを見えなくなるまで見送ったつづるは、ほっと肩の力を抜く。
これで、心絶ちの件も終わった。
袋の保管と言う役目も有るから完全には終わってはいないけど、気持ち的には全て終わった。
しかし、遠回りに色々と聞いて来たカウンセラーの女性や女医に言っていない事が有る。
それは、心絶ちの中に感じた人間の気配は、2人分しかなかった事だ。
以前会った先代の人の想いみたいな物は有ったが、泣きホクロを持った人間の気配は無かった。
気配を探ったり恋愛に興味を示していた人が、多分最初に食べられた人だ。
前面に出ていた心絶ちの意思みたいな物は、基本的に彼女がメインだった。
彼女が1人目として、それならば2人目も食べられた人だろう。
2人目の人は優し過ぎた人だったそうだけど、歴代の刀を受け取った少女達の想いを抱え込み過ぎて、かなり好戦的になっていた。
心食みは弱っていたらしいけど、心絶ちも精神的に爆発しそうな感じだった。
刀の方も長くは持たないだろう。
どちらが先に消えるか…。
心絶ちが先だったら心食みの暴走と言うか独走が心配だけど、次は無い可能性も有る。
次の人に布袋を渡さずに済めば良いな。
「あ」
背後で声がしたので、ゆっくり振り向くつづる。
「…ああ。こんにちは」
「よう。偶然だな」
夏らしいラフな格好をした和菓子屋の息子がそこに立っていた。
つづると目が合ったら、妙にソワソワし出した。
「本当に偶然?もしかして、この辺りで張り込みしてる?」
口の端を上げ、少し意地悪く訊くつづる。
短期間で偶然が3度も起こるのはおかしい。
しかも1度目は偶然じゃなかったって本人が言ってたし。
「ぐ、偶然だよ。家の使いで、そこの郵便局に用事が有るんだ」
本屋の先に有る小さな郵便局の看板を指差す男の子。
それから手提げ鞄を開けて見せて来た。
中にはたくさんの封筒が詰まっていた。
本当に偶然の様だ。
「そう」
1度足元に視線を落としたつづるは、覚悟を決めて顔を上げた。
暑さと緊張で脇が汗ばむ。
「返事、遅れてごめんね。その、色々有って」
「あ、ああ…」
男の子は気の毒な位に挙動不審になっている。
ここでつづるに会い、しかもそのまま告白の返事をされるとは思っていなかったんだろう。
「取り敢えずは、お友達って事で良いかな」
「え…」
あからさまにがっかりした顔をされる。
カウンセリングの女性が言った通りの反応だ。
プロって凄い。
人間の気持ちや行動をこんなにも把握出来るとは。
将来、そんな仕事がしてみたいと本気で思った。
それが出来れば、未だに理解出来ないをみの気持ちにもっと近付ける気がするから。
をみみたいな想いを持った子を、心食みなんかに頼らなくても救える様になれたら、良いな。
「お断りって意味じゃないよ。まずそこから始めましょうって事。だって、私は貴方の名前も知らないくらい、貴方とは他人だから」
携帯を取り出すつづる。
「もちろん、一緒に遊んだりしてみて、こいつとは無いなって思ったらそれで終わりだけどね。上から目線でごめんだけど。それでも良いなら、番号交換しよう」
「そう、だな。うん。分かった」
男の子も携帯を取り出し、番号を交換した。
「名前も教えて。私は、宇多原綴。うたはらつづる。知ってるか」
「ああ。前に警察の人と一緒にお前の学校に行った時、おっかないバ、…先生がお前の名前を呼んだから」
こいつ、生活指導の先生をおっかないババァって言おうとしたな。
まぁ、つづるも最初の頃はそう呼んでたけど。
だから、口の悪さでの減点は、今回はしないであげよう。
「それと、私の事をお前って言うの止めて。他人なら別に気にしないけど、友達にそう呼ばれたらムカつく」
「分かったよ。気を付ける」
素直に頷いた男の子は、咳ばらいをひとつした。
「俺の名前は…」




