16
「綴!」
いつも通りに学校に行こうとしていた所を、母に呼び止められた。
玄関で茫然と立ち尽くすつづる。
あれ?
私、今まで何してたっけ。
何だか、凄い悪夢を見ていた様な気がする。
「夏休みに制服着てどこに行くの?」
母が心配そうな目で呆けている娘を見ている。
「あ、あ、もう夏休みだっけ?うっかりしてた。アハハ」
無理に笑いながら部屋に戻るつづる。
ベッドに腰掛け、TVを点ける。
朝のニュースで夏休みの開始を報じていた。
本当に夏休みだった。
ヤバイ、ここ最近の記憶が無い。
長い話がかったるくて嫌な気分になれる、かなり印象の強いはずの終業式に出席した記憶も無い。
母に止められなければ、誰も居ない教室で、1人で授業を受ける所だった。
TVを消し、落ち着いてみる。
自分が着ているスカートが短めのお嬢様学校の制服には綺麗にアイロンが掛っていて、パリッとしていた。
中学生の時は、終業式の日の制服は、毎日着ていたせいでヨレヨレになっていたと思うんだけど…。
本当に夏休みなのか?
どうなっているのか分からず、頭の上にハテナマークを何個も浮かばせるつづる。
と、ポケットの中に何かが入っていた。
細長い、袈裟みたいな柄の布袋。
一気に現実に引き戻されるつづる。
色んな光景が脳裏に蘇る。
「をみ…!」
それでも夢だと思いたいつづるは携帯を取り出し、親友に電話を掛ける。
しかし、無機質な声で使われていない番号だと言われた。
をみの携帯が、解約されている。
もう持ち主が居ないから。
彼女は、つづるの腕の中で息絶えたから。
つづるが心臓を貫いたから。
「ああ…」
絶望と後悔の溜息を吐き、両手で顔を覆うつづる。
でもまぁ、今更ウジウジしてもしょうがない。
お互いに覚悟を決めて、納得して迎えた結果だもんな。
そう言えば、心絶ちはどうなったんだろう。
をみが事切れてすぐに、廃工場に大勢の人が入って来た。
真っ白な宇宙服みたいな物を着た怪しい人達と、黒服の男2人。
白い宇宙服の人達がをみの遺体に手を掛けたので、抱き締めて抵抗するつづる。
をみをどうするつもりかと訊いたら、黒服の男が応えた。
心食みの正体を探る為、色々と調べたい。
親御さんにも了承を得ている、と。
それでもつづるはしぶとく抵抗した。
その時はただ単に反抗しただけだったと思うけど、今考えれば理由が有る。
どう考えても、をみは怪しい人達に解剖される。
謎だらけだから、きっと、隅から隅まで。
どうして、をみの親は了承したんだろう。
普通の親なら、自分の娘がそんな事をされるとしたら、絶対反対する。
何も知らされていない、って事はないだろう。
理由も知らずに子供の遺体を他人に渡す親は、いくらなんでも居ないと思う。
いや、待てよ。
をみが言ってた様に、娘に興味が無いのなら有り得るのか?
もしそうなら許せない。
でも、結局奴等にをみを渡したつづるも同罪だ。
黒服の男が言った。
君が遺体を抱いていても、どうにもならない。
明日には腐り始めるだけだ。
友人の死を無意味にしない為にも、今後の心食み対策の為にも、我々に彼女を渡して貰いたい、と。
彼等の主張は正しい。
だから渡した。
10数年後、また心食みが現れるだろうから。
私のこの判断は、友人としては罪だけど、心絶ちを持つ者としては間違っていないはずだ。
そして、心絶ち所持許可証と黒い携帯も返した。
ここまでは覚えているけど、心絶ち自体をどうしたのか、全く記憶が無い。
白い宇宙服の人達は、をみの遺体と、地面に広がっていた血にしか関わっていなかった。
黒服の男も、つづるに新しい制服を持って来ただけで、長い棒状の物は持っていなかった。
あ、をみの血で汚れていた制服と交換したから、制服がシャキッとしていたのか。
新品なら縒れていなくて当たり前だ。
あれから何日も経っているだろうから、もうをみは自分の家に帰ってるのかな。
もうお墓に入っているかな。
それとも、まだどこか知らない所で解剖が続いているのだろうか…。
知りたい。
そうだ、情報通が居るじゃないか。
つづるは携帯で噂好きの友人に電話を掛けた。
『もしもし。正気に返った?』
開口一番、そう言われて面食らうつづる。
「やっぱり、私変だった?」
『夢遊病だった』
「そっか。で、ちょっと訊きたい事が有るんだけど、良いかな」
『良いよ。海瀬さんの事かな?』
「うん。をみ、もう家に帰ってるかな、って思って」
『ん~…。どう言う事?』
「あ、えーっと、ニュースとかで言う、無言での帰宅って意味で」
『覚えてないの?クラス全員で海瀬さんのお葬式に行ったじゃん』
「…覚えてない。全員でって事は、私も行ったんだよね」
『本当に覚えてないんだねぇ。つづるは行かなかったよ。海瀬さんの事は耳に入らないって感じで、ガン無視された。1人で教室に残って、先生も困ってたんだよ』
「うわぁ…。私、マジで壊れてたんだなぁ。ちゃんと学校行ってたよね?」
『来てたよ』
「そっか。でも、をみはちゃんと家に帰ってたんだね。良かった…」
『納骨はされてないけどね』
「え?」
『遺体が無いのか、家の墓に入る資格が無いのかは分からないけど、海瀬家の菩提寺では供養されてない。葬式の棺桶も空だったって』
「そんな…」
『私も気になるから情報収集してるんだけど、肝心な所が分からないんだよね。猟奇事件の被害者って事になってるけど、対応が変なんだよ。情報を隠しているって言うより、警察でさえ詳細を知らされていないって感じ』
「じゃ、をみが今どこに居るかも分からないの?」
『鬼籍に入ってる事は確かだけどね。海瀬の家も特に動いてない』
「をみ…」
『何か分かったら教えるよ』
「ん…。ありがと。あとひとつ、訊いて良い?」
『うん』
「私の噂、何か聞いてる?」
『この流れでそれを訊いたらダメじゃん。私、確信しちゃうよ?』
「良いよ、別に。私から明かしていなんだから、私のせいじゃないもん。バレた所でどうにもならない事だし」
『子供の言い訳ね。まだ壊れてるのかよ。うーん、つづるの噂ねぇ』
「何でも良いから教えて」
『そうね。とある男子高校生から告白を受けて、返事を保留している、って事くらいね』
ブッと噴き出し、鼻水が垂れた。
新品の袖で鼻を拭う。
「それ、忘れてた。うわ、どうしよう。って言うか、そっちがバレてるのか。目撃者は居ないと思ってたのに」
『隅に置けませんなぁ、宇多原綴さん?うっへっへっ』
「くそ…。それ、言い触らさないでよ?」
『そりゃもう。こんな特ダネ、タダでは洩らしません』
「タダじゃなかったら洩らすのかよ。でもまぁ、ありがと。をみの事は、多分調べても分からないと思うよ」
『もう事件も終わってるしね。安心して外に遊びに行けるよ。ああ、数日中に委員長から遊びの誘いが行くと思う。都合が悪くないなら受けてよね。彼女もつづるを心配して誘うんだから』
「分かった。じゃ、切るね。突然変な事訊いて、ごめんね。ありがとう」
『良いって事よ。じゃーねん』
向こうが電話を切った。
そっか。
世間では、もう事件が終わってるのか。
終わったんだ。
そういや、和菓子屋の男の子に告白されてたんだっけ。
返事、待ってるだろうな。
うーん…。
をみとの決着は付いたが、次の決着も強敵だ。
どうしたら良いかなぁ。
動物園のクマみたいに部屋を歩き回って悩んでいると、携帯が鳴った。
知らない相手からだった。
もしかして、件の男の子からだろうか。
番号を教えていないのに、なぜかそう思うつづる。
無視しようかと思ったけど、呼び出し音がしつこく鳴り続けるので渋々出る。
「もしもし」
心臓をドキドキさせながら、やっと言うつづる。
しかし返って来たのは大人の女性の声だった。
『もしもし。初めまして、つづるさん。私は、心食み対策室の者です』
予想範囲外の言葉に、理解するのに数秒の時間が必要だった。
「え?事件は終わったんじゃ?って言うか、どうして今更?」
『私は心絶ち所持者のカウンセリングを担当させて頂いています。例によって名前は明かせませんが。夜眠れないとかは有りませんか?』
カウンセリング、か。
そうだよな。
あんな事をしたんだから、心に傷を負うのは当然だよな。
実際に数日間壊れてたみたいだし。
「いえ…。あ、そうだ。訊きたい事が有るんですが、良いですか?をみの遺体の行方なんですけど」
微かな間。
『それは…。ごめんなさい。私にはお友達の情報は知らされていないの。私もつづるさんにそれを伝えたいのだけれど』
何だかウソ臭い大人みたいな言い方だな。
心絶ちを持ってないせいか、どうしてそう思うかまでは頭が回らないけど。
「あ、じゃ、心絶ちはどうしましたか?私、アレの事、すっかり忘れてて」
『次に刀を受け取る少女を待つ為に、何処かに飛んで行ったそうよ。その時が来るまでは、人目の無い所で休んでいるんだと思います』
「そうですか…。私の想いも、あれに込められたのかな。この数日の意識不明は、その影響なのかな」
電話の向こうで紙を捲っている音がする。
『意識不明だったの?学校は、休んでいませんよね?』
どう言う意味だ?
もしかすると監視されてるのか?
噂好きの子に電話して、切った途端に掛って来たし。
まぁ、正気に返る前に何度も電話して来ていて、私が無視し続けていたのかも知れないけど。
そう言う状態だったみたいだし。
『心配だわ。詳しく健康状態を調べたいので、病院に行きましょうか。明日、つづるさんのお家に伺っても宜しいかしら』
「私もをみみたいに解剖されちゃうのかな」
『そんな事は絶対にしませんよ』
返しが早い。
をみの事、かなり知ってるかも。
そして、私の予想が当たっている確率が上がった気もする。
「をみのご両親には、をみの事を話したそうですね。私の事も、両親に話すんですか?」
『つづるさんがそれを望まないのなら、決して話しません。じゃ、お家に伺うのは止めておきましょうか。待ち合わせ、約束しても良い?』
「そう、ですね。私も事件について色々とお聞きしたいので、答えてくれるのなら。以前、警察の方で貸し切りにした喫茶店。分かりますか?あそこで」
『えーっと、はい。分かりました。今回も貸し切りにしましょうね』
「それは…」
そんな派手な動きをして、それにつづるが関わってるとなると、噂好きのあの子が聞き付けて来るぞ。
そう忠告しようと思ったけど、別につづるが気にする事じゃないか。
「そうですね。そちらにお任せします。明日、ですよね。何時頃向かえば宜しいでしょうか」




