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8 お風呂に入りたくて悪いか

 お姉さんと訳もわからず契約してしまってから、取り敢えずお茶でも、な流れになって再度聞いてみた。貴女なら、あたしを元の世界に帰せますか?と。


「無理じゃ」

「え、即答?!即答なの?!」


 人形めいた顔の表情1つ動かさず無情に言いきった彼女は、麦茶(正確にはむぎゆっていうんだって)をちょっぴり飲んだあと、狼狽えるあたしを不思議そうに見ている。


「何故、そうまでして帰りたいと申すのじゃ。ここでの暮らしに難があるようには見えぬが?」


 そりゃあ見えないだろう。桃ちゃん鶸ちゃんの努力と、泰紀さんの気前よさから部屋にはおおよそ必要と言われる物が揃っている、らしい。なんでらしいかっていうと、この時代の基準をあたしが全く知らないからだ。

 とはいえ食事も薄味で甘みがほとんどないけど、取り敢えず十分な量は提供されているし、衣服なんて困りようがないくらい与えられてる。重労働を強いられているわけでなし、上げ膳据え膳に不満なんて言えるはずもない。

 でも、1つだけわかっていることもある。それは足りないあれだ。忘れそうだったけど、本日の本題であるあれだ。


「お風呂がない!蒸し風呂じゃなくて温泉掛け流し希望!!それは贅沢だって言うなら、せめてお湯がたっぷり入った湯船で1日の疲れを癒やしたい!」


 握り拳作って、力説しますとも。例え大声にお姉さんが眉を顰めようと、桃ちゃん達がびっくりしようと、あたしはお風呂に入りたいと断固主張する!

 …本音を言えばそれはおまけで、家族に会いたい友達に会いたい元の生活に戻りたいが1番だ。だけどこれを願うと深刻になりすぎる。特に帰せないとあっさり宣言された後じゃあ、うっかり泣いちゃいそうだ。

 そんなわけで主題のすり替えをするため、本日の議題でもあった入浴についてを再度主張してみたのだけど。


「なんじゃ、湯に入りたいとういうなら、すぐにも叶えてやろうぞ」

 

 その程度のこと、とでも言いたげにお姉さんは鶸ちゃんに鏡を持ってくるように命じた。

 鏡とお風呂の関係性がわからず、あたしがきょとんとしていると、それをみとめてお姉さんがああっと頷く。


「そなた、妾がどのような力をふるう妖か、知らなんだな」

「うん。全く」


 彼女の登場シーンを思い出して、更にその後の会話を思い出しても、誰も彼女について説明してくれてない。桃ちゃん達の態度から、力のある妖なんだろうなぁと想像しただけで、誰もそれ以上を教えてくれなかったし、お姉さん自身も本名以外教えてくれなかった。………や、もう忘れさせて貰ったから全部が不明でもいいわけか。

 取り敢えずこの状態で会話に支障なかったからなぁ、とか。考えていたらお姉さんが檜扇の下でクスクス笑う。


「ほんにそなた、気をつけねば明日にも誰ぞに殺されてしまうよ。正体不明の妖と平気な顔をして茶を飲む只人など、逢うたこともない。貴族連中の習慣を学ぶのもよいが、それより先に妖について学ぶがよかろう」


 忠告をしている割に楽しそうな彼女は、結構大事なことを教えてくれたらしい。あんまり実感のないあたしより、桃ちゃんが派手に反応したから。


「そうですわね!さすが鏡の姫様、よいことを仰います。朝霞の君が関わり合いになることなどほとんどない貴族の習わしなどより、貴女様が望まずとも寄ってくる妖について学ぶ方が余程有意義ですわ」

「なんで、妖が寄ってくるって言い切れるのさ。いっくらその辺にたくさんいる彼等だって、わざわざこんな小娘を構ったりしないでしょう?」


 妖について全く知識がないから教えてもらえるならありがたいけど、向こうがわざわざ寄ってくるってのは言い過ぎでしょう。

 ありえないと彼女を見ると、表情を変えた桃ちゃんはいきなり怒り出した。


「まあ!主様は教えて下さらなかったんですか?朝霞の君は妖力に溢れ、わたくしたちからはとても”おいしそう”な存在なのですよ。大抵そういった方は幼い頃から妖術師として修行なさってらっしゃいますから、脆弱な妖など近づくだけで返り討ちに遭いますけれど、貴女はとっても無力…いえ、無防備でいらっしゃいますから、絶好のカモ…いえ、餌食になりましてよ?」


 …部分的にあたしを馬鹿にする表現があったことはともかく、ちらりとその手の忠告は泰紀さんから受けた気がしてきた。ただあの人はここまで詳しく教えてくれなかったから、重要なことだって認識はほとんどなく聞き流していてけど。

 しかしそれって、本気で命の危険があるんじゃないのと、眉根を寄せるとお姉さんが愉快そうに笑みを深くした。


「なにを心配しておる。そうならぬよう、先ほど契約したではないか。無力なそなたは黙って妾の庇護の元におればよい」

「…ただじゃないんでしょ。なんとなくそれに見合っただけのものを払わされる気がするんだけど」


 昔話でだって鬼と取引するには相応の見返りが必要だ。

 彼女が力の強い妖だっていうなら、守って貰う代わりに絶対なにかを要求されるだろうと警戒していると、お姉さんの檜扇がちょんっとあたしの胸を突く。


「妖力じゃ。なに、心配はいらん。無駄に溢れ出ておるそれを、ほんの少し妾がふるう力にするだけで、血肉を喰らったりはせんから安心おし」


 ニタリと笑われて、安心できる人間がいるなら教えて!怖いから、マジヤバで怖いから!!


「食べるの?!食べちゃうこともあるの?!」


 非常に取り乱して後ろに後ずさりながら叫ぶと、桃ちゃんが困ったように眉根を寄せて冷静に言うんだよ。


「主様ときたらそれもお教えしてなかったんですか?基本的にわたくしたちは妖力のある人間を食べますのよ。そうして取り込んだ妖力で自分の位をあげてゆきますの」


 こーわーいーっ!!

 なに小学生が人間食べるとか言ってるかな!いや、小学生の見かけで人外だけど、可愛い子がそんなこと言っちゃいけません!つーかお姉さんも「もっと婉曲にお言い。朝霞が怯える」とか冷静に注意しないで~!!ストレートだろうがカーブだろうが、頭からばりばり食われる自分想像して怯えないわけないっしょ?!

 まずいよこの世界!危険だよパラレルワールド!!

 ぷるぷる震えていると、爽やか笑顔の桃ちゃんがご安心下さいって小首を傾げる。


「わたくしたちは主様から妖力を頂いておりますから、朝霞の君からはなにも奪ったり致しません。…でも、本音を申しますと主様より貴女様にお仕えしとうございました。だって、格段においしそう…」

「わーわーわーっ!!美味しくない、不味いからあたし!!」

「いや。そなたの力は美味いよ。でなければ哀れんだ程度で名をくれてやったりはせぬ。殺して喰らうより、生ある限り妖力を搾取する方が長く楽しめるのを見越したまでのこと」


 ほほほほほ、とか優雅に笑うところじゃないから!

 乳牛になった気分だよ。生きてる限り乳を出し続けなくちゃならない彼女達の苦労が、今やっとわかった。あたしってば一生、このお姉さんに食べられて生きていくんだね…。

 自分の未来を憂いてしくしく泣いてると、タイミング良いんだか悪いんだか、鶸ちゃんがでっかい箱もってやってきた。

 奥の部屋にある重くて写りの悪い銅鏡だ。あれ、なんか端の方が歪んでんだよね。ま、顔は見えるから用は足りるんだけど、現代の鏡に慣れていたあたしにとってはあんまり良いものだとは言い難い。

 それでも高価な物らしくて基本的には箱の中に大事にしまわれ、いる時だけ出てくる代物なんだけど、さてお姉さんはこれをどう使おうって言うのか。


「話しがそれたけど、これとお風呂の関係って何?」


 元はここから派生したスプラッターな会話だったと思い出しながらお姉さんを振り返ると、彼女は少々呆れ顔であたしを見ていた。


「なんと、立ち直りの早い…まあよい。妾はね、鏡の中に住まう妖なのだよ」

「………さいですか」


 もう何が出てきても驚かないけどさ、なんだその都市伝説みたいな設定は。パラレルワールドの次は異次元ですか。あんな中に住めるんですか、人ってか妖は。

 どうにもこう、あたしを投げやりにさせる要素満載な世界だと言わざるを得ない状況に、呆れるより疲れていた時、更に場を混乱させる人が帰って来やがりました。


「鏡の姫、何故ここに?…朝霞の君、貴女、またなにか厄介なことをなさったんじゃないでしょうね?」


 あんまりな言いようじゃないかね、泰紀君。

 温厚なあたしだって、キレるよ?



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