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7 綺麗なお姉さんは、怖いですか?

 パラレルワールド、7日目。

 とってもキリのいい一週間になっても、あたしが慣れることのできない生活は続いている。

 テレビがないとか、携帯がないとか、パソコンがないとか、大抵そんなんだけど1つだけ我慢できないこともあるんだな、これが。


「お風呂、入りたい」

「おふろ、ですか?」


 ぽつりと零した願いに、桃ちゃんと鶸ちゃんが首を傾げるのはしかたないんだ。

 だって、そもそもお風呂ならあるでしょっていうのが、彼女たちの言い分なので。サウナみたいな蒸し風呂がね。

 そうじゃなくって体が洗いたいって言ったら、なんか廊下の端っこの方で、木製の屏風みたいなもん立てて盥で体を洗ったり、頭だけ桶にお湯くんできてがしがし洗ったり、これだけなんだよ。シャンプーも石けんもないなんて、なんて世界だ!いくら米ぬか化粧品があったって、米ぬかのシャンプーもどきなんていやだ!


 ………そう、ここは過去だったね。ええ、なーんにもない、過去だったよ。

 ともかく望みだけでも伝えてみようと、相変わらずだらしない姿勢で脇息に凭れながら、お風呂ってものの現代形を教えると、桃ちゃんも鶸ちゃんもぶつぶつなにごとか呟き始める。

 どうやら言葉の端々から、温泉らしき存在がうかがえますよ?!あるの?入れるの、お風呂!!


「行く!温泉行きたい!!」


 挙手して元気に宣言すると、2人は困った顔をするのだ。なんでよ、あるんでしょうが、温泉!


「有馬や、七久里ななくりに参りますには、10日ほどかかりますが…」

「パス!それじゃ着くまでにますます汚れるじゃん!」


 言いづらそうに教えてくれた鶸ちゃんには申し訳ないけど、あたしは今すぐにお風呂に入りたいのだ。そんなに待てるわけがない。

 でも、捨てがたい…お風呂に入る選択。

 うーんうーんと唸りながら、なにか方法はないものかと考えていると、


「ぱす、とはなんじゃ?おかしき言葉を話す娘じゃのう」


 不意に背後からかかったお姉さんの声に、びっくりして振り返ってまたびっくり。

 こっちを見上げてる、この人、なんすか、この美人度。とても人間に見えないんですけど。

 一重ではあるけれど筆で描かれたような優美な線を描く瞳は薄い空色で、長く濃紺に見える髪は床を引きずる長さ、お雛様が着ているような十二単を纏って煌びやかな檜扇で口元を覆っている。こんな風に顔の一部を隠しているっていうのに、なんでだか綺麗なんだよ、この方。

 なんか目に見えないオーラ?みたいなもんが彼女から出てて、それがすっごい迫力で美女主張をしてるんだよねぇ。神秘的っていうか、妖しいっていうか。いるんだね、本気で綺麗な人ってさ。目の前に立たれるだけで、気圧される人って。


 ってか、だから人間じゃなくない?


「すいません、この世界?時代?の人間じゃないので、たまにおかしなことを言います」


 へらっと笑いながら、あたしは逃げ腰だ。

 人外の者は、おっかない姿をしているか、この世の者とは思えない美しさをしているっていうのが、物語の定番だ。その論理からいえば、彼女は限りなく後者に近い。

 なにしろいきなり、この・・家に現れたんだから。泰紀さん、言ってたもんね。妖が住んでるって。現に桃ちゃんも鶸ちゃんも妖だし。つーか、人間見たことないな。

 話題の2人にちらっと視線を送れば、予想通りに平伏していた。主である泰紀さんにも見せない最上級の礼、頭を深く下げた、一見土下座に近い様だ。


 はい、決定。彼女はとっても強い、妖みたいです。


「ほほほ、そうであったか。妾が僅か留守にしておる間に、新しき客人が増えたということか」

「あ、ですね。留守中に勝手にお邪魔してます、安藤 礼です。のっぴきならない事情により…」

「朝霞の君!!」


 強い妖なら怖い妖でもあるんだろうと、知りうる限りの丁寧さで目をつけられないように挨拶をしていると、背後から桃ちゃんが悲鳴のようにあたしの名前を呼ぶ。そのあだ名みたいな呼称に、しまったと思ったって後の祭りだ。


「あ~ごめん…。名乗っちゃいけなかったんだけ?」


 へらっと笑って身のない謝罪をしたのは、いったん口から出た言葉は戻らないと知っているからだ。

 命に直結する忠告を簡単に忘れるんじゃないと怒鳴られそうだが、仕方ない。自己紹介といえばずっと名乗ることから始めていたんだから。

 しかもここ1週間ほどは新しく誰かに会う機会もなく、泰紀さん達だってわざわざあたしを『朝霞の君』と呼びかけてくること自体少ないんだから、妖のお姉さんにテンパってた状態で、咄嗟にその約束事は思い出せなかったのだ。


「あの~あたしってば、お姉さんに殺されちゃいます?」


 妖遭遇2度目にして、1度目と同じ台詞を繰り返すことになろうとは夢にも思わなかったが、取り敢えず本人確認が1番良いだろうと聞いてみる。

 するとそれまでじっと此方を観察していた彼女は、その一言にころころと笑い出した。そりゃあもう、おかしそうに、腹の底から笑ってらっしゃる。


「自ら名を与えて、殺されるかと問うた人間は、そなたが初めてじゃ。殺されるに、決まっておろう。いや…そなたほど妖力が有り余っているのなら、それをじわじわ吸うてやるのもよいなぁ」

「うっわぁい。早々に死亡フラグ立てちゃったよ。そりゃそうだ。桃ちゃんや鶸ちゃんみたいに友好的な妖ばっかじゃないわな」


 限りなくマジな顔して言い切ったお姉さんに、懇願するのも面倒くさくて、どう逃げたものかと算段していると彼女は楽しそうに聞いてくる。


「妾から、逃げおおせるつもりか?」


 ずいっと顔を近づけられ、人形めいた目に見つめられて、悟る。逃げられない。無理だって。

 冷酷で、感情があるのかすら疑いたくなるその瞳は、奥の方で不気味に光っていた。人間ではありえない、純粋な狂気と狂喜を宿して。


「…楽しんでますね、お姉さん」

「当然じゃ。何しろ妾に名を取られて、逃げようなどと考えた人間には逢うたことがない」

「そりゃあ、そうでしょうね。だけど、窮鼠猫を噛むっていうし、命かかってたら逃げます。無理でも」


 怖くないわけじゃない。こんな恐ろしい空気を一瞬で纏える相手に、怯えるなっていう方が無理だ。

 でも命汚いあたしはワケわかんない場所に強制的に呼び出されて、その上大人しく殺されてやる気になれるほど人生諦めてるわけでもない。

 ってことで逃げる、と宣言したら、ニヤニヤと口元を緩めていたお姉さんが一瞬驚いた顔をして、そして、


「ほう…本気なのじゃな、そなた。ふ~ん、そうか。面白い」


 すっと表情を引き締めると、口調とは裏腹にガラスのような瞳で人の心の奥の奥まで、比喩じゃなく覗いて、頷く。


「そなたを殺すのは、やめじゃ。膿んだ人間ばかりじゃと思うておうたに、妾に媚びず、欲でも権力のためでもなく、己の生にのみ固執する純粋さは面白い」

「はあ、それってあたしが無知だからだと思うんですけど…」


 お姉さんに媚びる意味が、わかんない。権力は望んでいないけど、素敵な文明社会に帰りたい欲と、そこでの物欲に関してはかなりある方だと思う。

 なんで、きちんと訂正してあげたっていうのに。


「無知、のう。そうは見えぬが?貴族の娘共より余程世間を知っておるし、平民よりは知識もあるではないか」


 ひらひらと檜扇振って、否定された。しかも全否定。ひっどいなぁ。この世界については、無知もいいところだっていうのにさ。


「違う時代で生きてたからです。教育は誰でも受けられるありがたい制度があったし、お金なかったから庶民でいるしかなかった。理由なんてそれだけで、お姉さんに媚びると良いことがあるってわかったら、そうするかも知れないですよ?」

「…望みは、なんじゃ?」

「元の時代というか、世界に帰ること」


 その為になら、妖の1人や2人騙すことだって躊躇わない。

 相変わらずあたしを品定め中のお姉さんに、包み隠すことなんかないと言い切って胸を張る。

 これで無知じゃないことは証明され、煩悩まみれの凡人だと彼女にも知れたことだろう。それはこの妖の逆鱗に触れ、殺される危険性を高めたってことだけど、誤解されているよりはいい気がした。

 人間より余程正直で、本能が勝っているのが妖だと、桃ちゃん鶸ちゃんとの短い付き合いで知った。彼女たちを口先だけで騙してもすぐばれるし、機嫌を損ねる羽目になる。


 正直、あたしは嘘が上手くないし、他人を騙して自分の欲求を上手く飲ませられるほど頭が回らない。

 だから、目の前のお姉さんに嘘はつかない方が良いのだ。名前を取られるってアドバンテージを与えちゃった後なら、尚更。

 じっと、言葉の嘘を、心の疚しさを探っていた彼女は、あたしの考えまで読んだのか、バサリと広げた檜扇に口元を隠して、深く深く溜息をついた。


「それ、この家の流行かなんかですか?泰紀さんにもよくやられるんですけど」


 最近では馴染みとなった、顔を見る、溜息をつくってパターンにうんざりして、胡乱な目でお姉さんを見やる。

 一体あたしのなにが彼等を呆れさせるのか、まともに聞いたことはないけど、この様子なら山ほど理由はありそうだ。

 力ある妖に対するあたしの言動に、桃ちゃんと鶸ちゃんはおたおたしていたけど、当の本人は気にした風もなく、吐息の理由を話してくれた。


「そなた…長生きの難しそうな娘じゃな。妖の恐ろしさを知らず、己の内に眠る妖力を知らぬ。人の浅ましさにも疎い上、あっさりと名を明かすようなうつけでは、出会い次第で明日にも屍じゃろうて。人嫌いの妾でも、思わず同情してしまうよ」


 そうかい。その溜息は同情の溜息かい。なんつーかもう、バカにされてるよね、誰彼構わずさ!

 持って行き場のない怒りにそっぽを向くと、ふっと頭の中に文字が浮き上がった。


鏡華裏きょうかり


 意味のない漢字の羅列で、名前というには随分奇をてらっているそれが彼女の名だと知ったのは、びっくりして振り返った先で彼女が訳知り顔で微笑んでいたからだ。


「契約じゃ。妾はそなたの名を、そなたは妾の名を、受けて成り立つ約定じゃ。あんまり愚かで見ていられぬのでな、力の及ぶ限りは護ってやろう」


 その申し出はありがたい。ありがたいが、何遍いわれても自分から名乗る前科持ちだ。同時に震え上がるのは当たり前。

 その後、更に呆れ顔になった彼女に、記憶を封じて貰ったのは、自分としては最高に理性ある判断だったと思う。



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