11 正答のない問題
青さん夫婦は里に戻り、鴉もまだ手が必要だからと集落に帰った。赤くんとおじさんは最近はまっている『正義の味方』ごっこ(怪しい)をするために夜の町へ消え、桃ちゃん鶸ちゃんが用意してくれたご飯を前に良い笑顔の家主様と2人取り残されたあたしは…怯えている。
「どうしました?今日は、ずいぶん静かですね」
黙々とお膳の食べ物を消費していたら、猫なで声と評するに相応しい泰紀さんの問いかけが鼓膜を揺らした。恐る恐る顔を上げれば、明らかに含み満載のいーい笑顔なんだな、これが。
「いやーほら、美味しいもの食べると人間、黙るっていうか、なんていうか」
「ほう。ではこれまでの食事は朝霞の君のお口には合わなかったわけですね。喋り通しで召し上がってましたから」
「えっ!や、そんなことは全然、全く、爪の先ほどもっ」
墓穴掘りましたー!だね、この言い方はまずかったよね。だって食べてたのは毎日大して変わり映えのしないメニューだもの。今日だけおいしいとかいったら失礼極まりないよ、馬鹿だよあたし!!
おろおろにしどろもどろもお付けした出血大サービスで、ご飯は毎日おいしいし口に合わないなんてことはあり得ないと必死に苦しい言い訳をしていたあたしを、マストアイテム抜きのため息とともに苦笑いを零して泰明さんが眺めていた。ほんとマジモンの呆れ顔で。
「では、嘘はやめて正直に今日あったことをお話しなさい。貴女は何故、鵺と共にいたのです。なにか理由があるのでしょう?」
ま、隠すようなこと…だけど隠しても仕方ないし。正直に言っちゃおうかな。
ということで説明した昼間のやり取りと、あたしが予測したトラの真実。口を挟まず最後まで聞いていた泰紀さんは、やはりそうでしたかと顔を曇らせた。
「やはり…?ってことはみんな知ってたの?」
知らないからトラを止められないんだと思ってたんだけどと首を傾げれば、そうではないとすぐさま否定が降ってきた。
「わかったのは最近です。猫又の殺された老人が医者でね、他の襲われた里や人の村も彼が妻の治療法を求めて訪ねたところばかりだったんです。一人二人と会話して離れた里もあったので中々この事実に行き着けなかったのですが、もしや番を助けられなかった者たちを害して回っているのではと調べてみれば、妻は子を宿していたという。そこでほぼ確信しました」
それから泰紀さんが語ったのは、鵺の不思議な生態と家族という小さくて無二のコミュニティについてだった。
残る長い人生を1人で生きなきゃいけないと決まってしまったトラは、とても辛かったのだろうと妖達も理解はしているんだって。でも、傷ついた人が彼を許せるわけじゃない。何より己の悲しみに溺れてそれを解消する術を他者を攻撃することに見出すなんて、絶対やっちゃいけないことだもん。
「だから、みんなが怒ってたのか」
理由も知らずに呑気にトラと昼寝してたあたしは、さぞ腹立たしかっただろう。
彼を子猫にしたのは無力を味わわせて罰を与えるためだったのに、安全な泰紀さんのお屋敷でぬくぬく惰眠を貪られたんじゃ楽しい1日になっちゃうもんね。
「そういった意味ではないと思いますけどね。まあ、貴女はそう理解するのが良いでしょう」
「は?」
「気づかないのも優しさなのですよ」
「はぁ」
なんか釈然としないけど、いいか。この人が知らなくていいというなら、あたしに必要な情報じゃないんでしょ。
ともかくこれで秘密はないと、追及に怯えることもなくなったあたしはようやく美味しくご飯を食べられるとお膳に向き直ったんだけど。
「…鵺は、2度と貴女の前に戻りません」
ひどく重々しい声で、泰紀さんは言った。
何を急にと訝しんで顔を上げると、いつになく真剣な顔でこちらを見ているじゃないの。怒る時ですら薄笑いを浮かべているのがデフォの人間がどうしたんだと、箸を持ち上げた手が膝に落ちた。
「なに、急に」
なんでいきなりそんな話しになったんだと言外に問えば、怖いほどの無表情が淡々と理由を並べ立てていく。
「姫は、めったなことではご自分で手を下すことがないのですが、今回は妖の総意ということで鵺の仕置に介入された。けれど殺さずに脆弱な生き物の姿で野に放ったのは、カラスの里で翼に傷を負った子供がいたからです。彼が永遠に翼を奪われるのならば、鵺の処遇は我々ではなく害された本人が決めればよいと姫はおっしゃっていた。その誓約付きの自由が、今日終わったのです」
「…それって、その子、もう…」
「いいえ、飛べますよ。他のカラス天狗のように長旅はできず、疾くあることも叶いませんが、翼を使うことはできる。だからこそ、彼は鵺を封じることで全てを許したのです」
制約はあるけれど、飛ぶ自由を奪われなかったことは素直に嬉しかった。顔も見たことの無い子だけど、未来のある子どもがこんなに早くから絶望して生きていくのは辛すぎるもんね。
でも一方で、トラとはこれからずっと…死ぬまで会えないっていう現実がずしんとお腹の底におもりとなる。
彼がやったことを考えれば当然で、被害者からしたらこれでも生温いっていう人はいるのかもしれない。それでもさっきまでそこにいた人ともう2度と会えないのは、なんとも寂しい気がするのだ。
「…猫又のおじいさんの家族は、それでいいって?家族殺されてるんだし、封じるだけじゃダメっていう人、いたんじゃない?」
2度と会えないというなら、死んだ人の身内の絶望はそれ以上だろうと泰紀さんを見上げたら、幸か不幸かと彼は首を振った。
「医者の彼は、元より天涯孤独で独り身だったのです。若い頃に連れ合いを失くされて、ずっとお一人だったとか。ですからなおのこと、鵺に同情されたんでしょうね」
「そっか…」
トラはそんな人の命を奪っちゃったのか。
初めて会った日、あたしを殺すことに何の迷いもなかった獣を思い出す。あの時、腕から流れる血を啜った彼の気まぐれで生かされたけれど、猫又のおじいさんのように死んでいたって何の不思議もなかったんだ。
思い出したように痛んだ腕の傷に、最悪の現実だってあった事実を再度突きつけられた気がして、あたしは持ったままだった箸をお膳に戻した。
「ちゃんとお別れしたかったなとか、一瞬思っちゃったんだけどね、殺された人もできなかったことをトラにやらせてあげてっていうのも変なものだよね」
罰を受けるのは相応の理由があるからで、彼の犯した人の命を奪うっていう行為はその中でも最も重い罰が相当なんだと思う。勿論、人殺しにだって理由はあるから、一概に殺した人が全部悪いとは言わないけど、今回トラがしたことは一番いけない殺人だとあたしは思う。
「じゃあ、ちゃんと反省してくれることを祈ろう、うん」
きっと今日のトラなら大丈夫。
ほんの短い間しか一緒にいなかった大きな妖を思って、あたしはひとつ頷いた。
「…随分とあっさりしたものですね。貴女なら鵺を解放しろと騒ぎ立てるのではないかと心配していたのですが」
「あのさ、泰紀さんの中であたしどんだけ非常識な迷惑女に定義されてんのよ」
扇の陰で疑わしげな視線を送ってくる男を睨みつけると、こともあろうか奴はこの場所に飛ばされてからあたしが取った理解できな行動をあげつらい始めたじゃないの。
「まず女性があのようなはしたない格好で男を踏みつけることはありません。無暗に名を名乗るなど百姓でもしませんし、雑色に頭を下げる姫もいない。妖に名を与えて殺されても仕方ないと開き直る人間もいなければ、我々より遥かに力の優れた彼等と対等な口を利き、極めつけは殿上人まで怒鳴り飛ばして無事でいる、なんというか我々の常識で貴女は理解出来かねるのですよ」
「よく覚えてるね、昔のことまで。ある意味カンドー」
反論が難しいことを流れるように言われたんじゃ、ちょっとばかり言葉に詰まっちゃうってもんですよ。だからって黙ってないけどね。言っちゃうけどね。
「時代だか時空だかが違うんだから、服装についての苦情は認めない。泰紀さんのお兄ちゃんについては…あっちが悪いけど今思えば衆人環視の元やりすぎた…と思わなくもない。9割方思わないけど。名乗る云々も所変わればってことで納得して頂戴。ついでに姫じゃないから一緒のくくりにあたしを入れないで。妖については認識不足だって認める、あたしの不注意と非常識の賜物です。ごめんなさい。帝と東宮に至っても、そうだよね。どんな理不尽でも我慢しなくちゃならないのが、専制君主制だった。あたしが悪いです」
ああこうして改めて擦り合わせてみると、あたしとこの世界のなんとずれてることか。これはもう、修復不可能な齟齬だよね。どこまで行っても噛みあわないよね。
いい機会だとばかりに泰紀さんに身を寄せたあたしは、ここ最近口にしてなかった約束を引っ張り出して訝しむ家主様に問うてみた。
「…で、いつ帰してもらえるわけ?」
大前提が現代ジャパンにカムバックなんだから、常識云々も元に戻れば誰の迷惑にもならない。いい加減、帰り道が見つからないもんかと急かしてみたんだが。
大仰に眉を顰めた泰紀さんは、仰った。
「近頃民の間で、羽衣を隠された天女のお話が流行っているそうなんですよ。それに例えて言うのなら、差し詰め朝霞の君は羽衣焼き捨てられた天女となりましょうかね。…少々役が過ぎる気もしますが」
「ほっとけっ。…てかそれ、あたしの帰還は絶望的って聞こえるんだけど?」
「その通りです。物わかりがよろしくて、助かります」
「いやいや、わかってないし。納得しないし」
あのさ、なんでトラに会えない話しからあたしが帰れない話しに発展したわけ?認めたくないんだけど。
責任者、出て来いヤァ!!
高田総統の、ファンです。




