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4 睨みあい

短いうえに主人公は出ません

 最も手軽に手に入るのは、水か。


 茂った木々を縫うように走りながら、近場の川を思い出していた鵺は思う。

 あの脆弱な生き物のために山を駆けるなど、昨日までの自分では考えられなかったと。


 数か月前、心を分かち合っていた伴侶を抗いがたい運命で失ってから、鵺の世界は闇色に染まっていた。荒ぶる心のままに目に映るもの全てを壊し、殺して、もがいていた。

 いっそ狂ってしまえたらどれほど楽であっただろう。誰かが殺してくれたなら、彼女のいないこの無意味な世界を終わらせてくれたなら。そんな都合のいいことを考えながら、命を絶つ勇気さえない彼はひたすら暴れまわって絶望を忘れようとしていた。


 昨日、あの娘を攫ったのは偶然ではない。

 仲間うちで度々話題に上がっていた妖を手なずけた人間を、奴らから奪うためだ。

 あのように下等な存在に、鏡の一族や気位の高いカラス天狗が傅くなど許せない。人嫌いであるはずの鬼どもがちやほやと周りを囲んでいるなど反吐が出る。

 目を覚まさせてやるのだ。そんな大義名分をつけながら、本音は別のところにあった。

 ただただ、幸せに笑う姿が許せなかったのだ。大切なものをまだ隣に置ける奴らに嫉妬したのだ。そうして、彼らであれば鵺の自分も易々と殺してくれるだろうと考えた。


 大切な存在が手を出す術もなく殺されて、絶望するがいい。皆、自分と同じように闇の中に落ちればいい。


 そんな身勝手で食らいついた娘の血は、美味かった。乾いた身に染みて、体中が湧きたつほど力に溢れていた。死を願っていたはずの鵺が、生かしてエサにすると愚かな宣告をするほどに。

 しかし助けた娘は、なにも力だけで彼に気力を与えたわけではない。

 狂ったように暴れ出してから誰も視線を合わせようとしなかった鵺を正面から見据える瞳、人間の分際で恐れなく妖に触れる手のぬくもり、今日はそのうえ対等だとでも言いたげな口調で自分と気安く会話していた全てに、もうどこにもいない伴侶との日々を思い出した。


 あの人間がいるからといって、この喪失感が消えるわけはない。だが、どうにもやり場無く荒れ狂っていた感情は少なからず落ち着いて、己を律するだけの理性が戻り始めたのは事実だ。


 死なせたくない、死なせるわけにはいかない。


 縋るように願うことが依存だと、気づきながらも鵺は夜を走った。




「朝霞を返せよ」


 大人というには少し高い男の声に、どう水を汲もうか思案していた鵺は顔を上げる。

 水面に姿を映してしまった時から薄々覚悟はしていたが、視線をやった先には予想通りの面々がずらりと顔を揃えていた。


「あれを傷つけたのか…それとも喰ろうたか?」


 能面のような無表情が放つ殺気と相まって、女は不気味なほどに美しい。この容姿を持つのは妖のうちでもめったに姿を見ることのない、鏡の一族だと知れる。


「姫、落ち着けって。殺したら朝霞を取り戻すのが遅れる」

「そうだな、鵺の隠したものを見つけるのは容易でないからな」


 青鬼とカラス天狗、隣りで不機嫌に顔を歪めているのは赤鬼の子供で、独立独歩、一族至上主義の彼らがともに行動するのは極めて珍しいことだった。


「どうする、あるじ。逃げられては面倒だ、絡めておこうか?」

「そうですねぇ…尋問するならば彼等に任せるのは得策ではありませんしね」


 妖術師の気配は相変わらず不快で、隣の蜘蛛が人型などを取り奴に傅いているのは業腹だったが、あの娘が纏っていた匂いは確かにそこの人間のもので、下手を打てば鵺はこの場で殺されようやく見つけたぬくもりも奪われると決まるらしい。

 ならばなおさらしくじるわけにははいかないと、ぞろりと這い出た妖力を鵺は四肢に纏わせた。


「……あちらこちらの里へ、単独で襲撃をかける阿呆というのは嘘ではないようだな」

「いくら鵺が強くっても、俺たち全員に勝てる道理はないよね」

「2人で十分だろう」

「なんじゃ、妾がやろうと思うたに」

「儂が巻いた方が方が早いんじゃないか」

「殺さないで下さいよ」


 鵺に誘われるように進み出たカラス天狗と赤鬼は、成程彼等だけで敵を抑えることができるだけの力を発している。それに見物を決め込んだ背後の妖が1人でも加われば、彼は逃げるどころか命さえ危うい。

 正面切ってやり合うのは、愚かだな。

 にやりと口角を上げた獣は、グンと体を低くした。


「確かに俺は阿呆だが、常々無謀であるわけじゃない」


 訝しんだ相手が動きを止めてくれれば、それで十分だった。

 ウォンっと短い咆哮に合せて、鵺の生んだ雷が幾筋もカラス天狗や鏡の姫を襲う。

 中でも念入りにいけ好かない妖術師の元に雷の雨を降らせてやった獣は、逃げ惑う敵を横目に四肢に込めた妖力を開放して、素早く森の奥へと身をひるがえした。


「あっ待て!!」

「赤!」


 背後の声は急激に遠ざかる。

 地を、木を、蹴るごとに守られるあのぬくもりを思った鵺は、さて次はあの獲物、どこに隠そうかと思案した。


 

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