12 化けよう!
「朝霞の君、こちら方はいかがなさいます?」
騒がしいお兄さんに注目していて忘れていたけど、姫の妖力と一緒に飛び出してきた小さな影は鶸ちゃんで、何故か、その手の内にはおっさんが鎮座ましましていた。
「ど、うもしませんよ、しません。っていうか、危険だから放して!触ってると鶸ちゃんも危険だよ!!」
少し前、あたしを前後不覚の混乱状態に陥れたあの恐怖生物を、美少女小学生が笑顔で持ってるなんて信じらんない!毒があるんだよ、そのおっさんには!
焦って、でも近づけないから、隣の泰紀さんに縋りながら助けてやってくれと目で訴えると、家主様は苦笑いで言ったものだ。
「以前に説明したでしょう?彼女たちは実体を持たない妖なのです。体は私が妖力で作ったものですから、毒などは効きませんよ」
「…?………ああ、ああ!あの、部屋を明るくするやつのときね、うん、言ってたね、うん!」
電球代わりの光球と一緒で、桃ちゃんにも鶸ちゃんにも肉体はないんだったっけね。きれいさっぱり忘れてたわ!
それならよかったと胸をなでおろしていると、鼻で笑ったのはよれよれの妖術師だ。
「その程度の事もろくに知らず、妖を友だなどとほざくか!無知な娘が奴らにいいように利用されているだけだと、なぜ気づかん!」
無知…正面切って言われると、ちょっと痛いな。やっぱり本腰入れて妖については学ぼうかな。
なんてつらつら考えて返事が遅れたら、調子に乗って奴は更に言い募る。
「お前がまき散らす妖力は、橘様と並んでも遜色がない。化け物どもにはさぞいい餌に見えるだろうよ」
皮肉に唇を歪める様は、あたしが本当に何も知らない小娘であったなら、さぞ格好のついた場面だろう。
でも残念。確かにあたしは無知だけど、友人たちの事はきちんと理解している、つもりだから。少なくともわかってて利用されてる人間に、そんな嫌味は通用しないのだ。
「妖力提供したくらいじゃ追い付かないくらい、こっちがみんなを便利使いしてるから、問題ないんじゃないかな?無知は確かに良くないけど、これすら妖の目にはおもしろく映るようだし、勉強したいっていえば付き合ってくれそうだから、その辺りの心配はしてくれなくても大丈夫」
それよりあんたは自分の心配したらどうなの?
と言外に問うと、奴は忌々しげに唇を噛んで、鶸ちゃんを睨みつける。
「寄越せっそれは私の妖だ」
「あら?誓約はついておりませんわよ、この方には」
「それはお前たちが禁忌を犯したからだろうが!」
「わたくしどもに、人の禁忌が通用するとお思いですか?何より、無理にと交わされた誓約を守るため、なぜ妖が人間の言葉に従うと思われるのです」
「ぐっ…うるさい!化け物ごときが生意気な!」
「赤くん」
「おうよ!」
鶸ちゃんに暴言吐いたのは、まずかったよね、お兄さん。
二人の話し合いで終わるのなら、黙って見ていようと思ったんだけど、予想通り言っちゃいけないことを言ったんで、飛びかかりそうだった赤くんに制裁の許可を出してしまった。
すぐ暴力に訴えるのは、どうかと思います。現代日本人ならなおのこと、手を出しちゃいけないと小さなころから教わってはいるけどね、それでも逆上した妖術師は赤くんの蹴りをお腹にもらうだけで済んだ幸運を神に感謝すべきだとあたしは思うわけよ。
興奮してアドレナリンに支配された脳じゃわかんなかったみたいだけど、背後から鴉のプレッシャーは相当のものだったし、青さんの表情もどんどん険しくなって、赤くんなんかタイミングを見計らっていた。下手すると今頃屍になってた可能性だってあるんだから、
「一発だけだからね!それ以上はダメだよ」
「…ちぇっ!」
こうして手数までコントロールできる時点で報復が終わって、よかったと思ってくださいっての。人を睨みつけてないで。
青さんにチョークスリーパーをかけられている妖術師は取り敢えずおいといて、先に片づけなくちゃいけないことがあるんですよ、あたしには。
鶸ちゃんの手の中で大人しく成り行きを見守っていたおっさんをどうするか、彼女の言葉から察するにあたしがそれを決めなくちゃいけないらしいので、隣の泰紀さんを道連れにそろそろと土蜘蛛に近づく。
「そう警戒せずとも、もう何もしはしないですよ」
力いっぱい握られた衣を呆れたように眺めながら、それでも立ち上がったあたしの肩を抱いてくれる家主様はいい人だ。万が一のときは心置きなく盾にさせてもらうので、よろしく頼んだ。
「恐ろしければ、近づかなければよかろうに」
鴉もやれやれとでも言いたげに、でも律儀に後ろからついてくるんだからびっくりしちゃう。
みんななんて犠牲的精神に満ち溢れてるんだか。骨は拾ってやるから、安心してあたしを守るがいい。
…なんて、強がってみても八本足の節足動物に対する嫌悪が消えるわけじゃない。手に汗握るスリルを味わいながら、必死に二メートルの位置まで移動して、ぴたりと足を止めた。
「ごめん、おじさんが悪いわけじゃないんだけど、ここが限界。これ以上無理」
「…わかっているさ、ワシの姿は人の子に忌まれるようだからな」
視界に入れないよう微妙に視線を外してたっていうのに、そんな寂しい声を出されたら罪悪感ががりがり音を立てるじゃないの!
「ごめんなさい、ごめんなさい。さっきも死んじゃえとか言ってごめん、殺す発言してごめん、本気で節足動物が嫌いなんだよ、おじさんには申し訳ないけどそれに顔がついてるとか、もうどうにもできないの。ごめんね」
悪いとは思ってるし反省もしてるんだけど、鶸ちゃんのように手のひらに乗せることは絶対できない。目を合わせるのも厳しいんだ。
そんなわけで泰紀さんにしがみつきながら、後なんとかしてと目で訴えたら、珍しく裏のない柔らかな微笑みで頷いてくれた。
…家主様が優しいなんて、明日、槍でも降るんだろうか?
「貴方の誓約を解く切っ掛けは確かに彼女ですが、力を使ったのは鏡の姫ですし、意図は別のところにあったので、気にせず里に帰るなり、妖術師に復讐するなりして下さい」
そう、そう、その様にしちゃって下さい。
明後日の方向を向きながら泰紀さんの言う通りですと頷いてやったのに、なぜだかおっさんはでもなぁと気乗りしない呟きを零すのだ。
「またどこぞで妖術師に縛されてはかなわん。できればワシ等を雑に扱わん人間と、先に誓約を交わしてしまいたいんだがな」
「…お気持ちはわかりますが、彼女は妖と誓約はしません。まあ、できたとしても守護の手は足りているのですが」
「お主でも構わんぞ?ワシは意外に役に立つ。誓約して損はないと思うが」
「残念ですが、貴方のように小さな土蜘蛛では、私が請け負う仕事で命を落とす危険が大きすぎます」
「なんだ、大きければいいのか」
返答と異変は、いっぺんに起こった。
あたしとおっさんの間にあったなけなしの二メートルを、毛むくじゃらが一気に埋める。
つーか、それよりあっという間に大きくなってるじゃん!このままじゃまた、節足動物に触ることになるじゃん!!
「~~~~っ!!!」
きっと泰紀さんの首は絞まってると思う。思うけど、しがみつくのを止められない。
ぎゅっと目をつぶって、声にならない悲鳴を上げて、怖気立つ存在の襲来に備えていたのだけれど。
「朝霞の君、どうか落ち着いて。土蜘蛛からは充分距離をとりましたから、目を開けろとは言いませんが、腕の力を緩めて下さい」
苦笑交じりの声にそーっと薄目を開くと、すぐそこに部屋の壁が見える。
「あれ…?壁?」
「ええ、部屋の端まで追いやられてしまいました」
少しずつ少しずつ、泰紀さんの言葉を確かめるように視線を巡らすと、一メートルほど向こうに毛むくじゃらの足とおぼしき物が数本見えた。
当然その瞬間に顔を戻したんで、その後は泰紀さんの着物の柄しか見えてません。見えてないけど、恐い物見たさで確かめたくなっちゃうんだよなぁ、人間てさ。
「ど、どのくらいの、大きさ?」
「そうですねぇ…一丈ほど、ですか」
「い、ちじょう?えっと、尺ならわかるんだけど」
「?…では、十尺ほどと言えばわかりますか?」
一尺は三十センチくらいっておばあちゃんに教わったんだ。十倍したら…三メートル…はぁ?!
「ちっこい蜘蛛だから弱っちいんじゃなかったの?!なんで巨大化?!」
「妖力を封じて街を彷徨いていたところを捕まってしまったんでな。これが本来の姿よ」
背後から響いたおっさんの声に、思わず背中向けたままツッコミ入れちゃったよ。
「はあぁ?!どんだけまぬけなのよ!!」
誰だって思うでしょ、このアホなおっさんどうにかしろよって!




